2015年
7月のつぶやき




7月29日 サチコと自転車

 先週末、イオンでサチコの自転車を買い、家で早速練習をはじめた。以前からサチコには、インドネシアに帰ったら自転車を買ってやると言っており、サチコも楽しみにしていたので、やるきまんまんである。

 補助輪の位置がかなり下にあったので、このままでは逆に危ないと聞いていたので、若干ガタをつけるため補助輪を上に上げて、サドルの位置も調整してあげた。

 自転車に初めてまたがったサチコは、予想通り怖がった。また、脚力が無いのか、力の入れ方が分かっていないのか、力を入れても前に進まないのである。「もっと力を入れろ」と言うと、「うーーーーん!!」と顔と声だけは一丁前なのだが、本当に頑張っているのか、頑張っている振りをしているのか。

 そんなことをしているうちに、自転車を手で支えて、立ててあげると、前に進むことがわかった。補助輪で傾いた状態だと、怖がるのか、それとも力が入りにくいのか。

 ともあれ、週末に練習するのが楽しみである。


7月27日 イオンへ

 先週末は、家族でインドネシア初のイオンモールに行ってきた。ジャカルタから西に行った開発中の地域に新たに出来たのである。事前に聞いた話では、週末は渋滞するという。

 行ってみたら、すでに数ヶ月経っておりたいした渋滞はなかった。荒野にぽつんと立つ様は、まさに「イオン」である。中に入っても「イオン」であった。あたかも日本にいるような、懐かしい気分になれる。インドネシアでは高級モール扱いだが、日本人にとっては気軽に買い物に行く感覚になれる。

 もちろん、客は殆どがインドネシア人である。ざっとレストラン街を見たが、ほとんどが日本からの出店であり、インドネシア料理の店は見当たらない。インドネシア人相手なのだから、インドネシア料理も出した方がいいのにと思う。

 昼食に入ったレストランでも、蝋で作った料理の見本があるなど、日本のレストランぽいと感じた。請求書が置かれてレジで精算するあたりも日本である。こんなしょうもないところに日本を感じる。

 イオンモールにある生鮮食品は、新鮮で安心して食べられるような感じがする。妻は、照明の使い方のためだろうと言っていた。あとは、「日本のモールなら安心だ」という偏見や先入観もあるだろう。

 運転手もモール内をぶらぶらして、「日本」を満喫していた。彼いわく、長い間待つ運転手にとってはあまり良い環境ではないらしい。駐車場は暑く、運転手が買えるような食事がどこにも売っていないらしい。確かに、日本では運転手など殆どいないので、待機する運転手の配慮はなされていないのだろうと思った。

 とりあえず、サチコの自転車を購入して帰路についた。


7月24日 パッハジ

 イスラム教徒にとって、メッカへの巡礼は一生に一度の喜びとされ、時々会巡礼に行くので休みを取る人がいる。巡礼に行ける人数は各国で割り当てられており、かなりの費用と、順番待ちがあるらしい。巡礼はインドネシア語でHaji(ハジ)と呼ばれる。

 面白いのは、巡礼から帰って来た人はPak Haji(パッハジ)と呼ばれることである。Pakはミスターとか、オヤジさん、といった意味なので、日本語にすれば「ミスター巡礼」とか「巡礼おじさん」であろうか。例えば、アグスさんが巡礼から帰ってくれば、「アグスさん」から「ハジ・アグスさん」になる。ミドルネームが増えるような感覚である。

 例えば、八十八箇所巡りを終えた人に「ミスターお遍路」とか呼んだら、ばかにしてるのかと思われるであろう。ミドルネームが増えて、「田所・お遍路・幸一郎」とかいう名前にもならない。

 このあたり、「パッハジ」という言葉が親しみを込めた言葉なのか、それともからかうようなニュアンスなのかが、未だによく分からない。ただ、「パッハジ」と呼ばれた本人は、特に気にすることもなく普通に対応している。

 まだまだ分からないことは多い。


7月22日 家族が来る

 レバラン休暇で日本に一時帰国し、家族と共にジャカルタに戻った。7ヶ月ぶりの家族で過ごす日々が始まった。やはり、家族と一緒だとにぎやかで良い。

 優一とは、生後3ヶ月での初対面であった。久しぶりに見る赤ちゃんは可愛い。可愛いと思うと同時に、赤ちゃん時代と言うのはなんと大変な時期かと思った。よく、気楽な子供時代に戻りたいなどと言うが、赤ちゃん時代には絶対に戻りたくない。寝たきりで寝返りをうつことすら出来ず、食事は母乳のみ。言葉も喋れないため、意思の疎通も難しい。この世の終わりが来たような泣き方を見ていると、赤ちゃんは大変だなぁと思う。

 サチコは、見違えるように成長していた。いつのまにやらカタカナを覚えていたし、簡単な足し算を教えると、すぐに理解した。彼女はおそらく今が楽しくて仕方ないのであろう。乾いたスポンジの様に、色々なことを楽しんで吸収している。一方で、おかあちゃんを優一に取られたという、長子ならではの憂鬱も味わっており、これからの成長が楽しみである。


7月11日 ラマダン、希空

 現在、ラマダン(断食月)の真っ最中である。イスラム教徒は朝4時ごろまでに食事を済ませ、日没までの間、一切の飲食をしない。私はやったことが無いので、どんな感じなのか想像もつかないが、多くの人たちは辛そうなそぶりを見せることなく、普通にしている。

 この時期になると、大抵日本人の間で、こっそり隠れて水を飲んで奴を見たとか、休憩所で平気でたばこを吸っている奴がいるとかいう話題が出てくる。私は、こういう話が好きではない。

 イスラム教は、かなり個人的な宗教だと思う。イスラム教を国教としているサウジアラビアとか、イスラム法を適用しているスマトラのアチェ州などでは違うのかも知れないが、多宗教の共存を国是に掲げているインドネシアでは、イスラム教に対する姿勢は個人に委ねられているように感じる。

 女性がスカーフを着用するかは個人の判断に任されているし、お酒を飲んでも問題ないと考えているイスラム教徒もいる。豚肉を食べたいと言う人には会ったことがないが、そういう人もいるらしい。

 当たり前だが、いろんな人がいるのである。断食月を、神様と向き合う神聖な期間と考え、喜びを持って断食をしている人もいれば、なんとなくみんながやっているから付き合っている人もいるし、面倒だと思っている人もいる。断食をする、しないは、個人の問題であり、他人が、ましてや異教徒である私たちがとやかく言うべきではない。

 私たちが初詣に行かない人を非難したりしないのと同じである。


 この土日で、NHK連続テレビ小説の主題歌「希空〜まれぞら〜」をリコーダーに編曲した。編曲したとは言っても、ピアノ楽譜のサンプル画像を見て、それを元にリコーダー編曲した人の演奏を聴きながら、楽譜に落としていっただけである。ピアノ楽譜はサンプル画像なので「SAMPLE」と書かれて全部の音符は見られないため、見えない音符は曲を聴きながら適当につけた。

 実は、数週間前にリコーダークラブのメンバーより吹きたいとの要望があったのだが、しばらくやる気がおきなかった。なぜなら、歌は下手くそだし、どうしてもいい曲には思えなかったのである。しかし、他の人がリコーダーで演奏しているのを聴いてから、編曲したくなった。割とおしゃれな和音が用いられており、原曲では表現されていない魅力に気付いたからである。

 家族が来ると、なかなか腰を入れて編曲することもなかろうと思い、昨日深夜までかけて一気に楽譜を作った。

「希空〜まれぞら〜」リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=vxA_icNpQbw


7月10日 COORA

 長期出張で来ている日本人が、昼食のために近くの日本食レストランの弁当を毎日注文していたのだが、ある日、注文を受けてくれている受付の女性から電話があった。

 「コールァ」というという飲み物を注文されたのだけど、これはなんだ?と言う。綴りは「COORA」なので、「コールァ」(インドネシアでは「R」は巻き舌)かもしれないし、「チョールァ」(インドネシアでは「CO」は「チョ」と発音する)かもしれない、と言う。日本にはそういう飲み物があるのか、と訊いている。私は即座にコーラ(Cola)の綴りを間違えたのだと思い、それはコーラのことだよと説明した。

 インドネシアでは、というかおそらく日本以外の多くの国の人々は「R」と「L」を全く違う音として認識する。だから、これを間違えると通じない。私も未だに、インドネシア語で「R」と「L」を間違えて覚えていた単語を時々発見する。

 その後、受付に行くと、「さっきは参ったよ、『コールァ』なんて聞いたことないし、店に電話しても『コールァは売切れです』なんて言われるし」という。店の人もよく分からないからとりあえず売切れだと言っておいたのだろう。それを聞いていた、どんな下手な日本人のインドネシア語も理解することで有名な設備部長氏が、「君は何年日系企業で働いているんだ。日本人が『R』と『L』の区別が出来ないことなんて常識じゃないか」と揶揄すると、彼女は「そりゃ私だって口頭で言われたら分かるわよ、でも『COORA』なんて字で書かれたら、日本にはそんな飲み物があるのかと思っちゃうじゃない」と反論していた。

 ちなみに、インドネシア人は「F」と「P」の区別が苦手である。どこの国でもそういうのがあるようだ。


7月8日 続・ピケティ

 トマ・ピケティの「21世紀の資本」を読み始めたことは先月のつぶやきに書いたが、ようやく約半分まで読み進めた。最初は思ったより理解しやすいと思っていたが、だんだん難しくなっていき、理解しているんだかしていないんだか、自分でも分からない状態で読んでいることが多い。これを読みはじめると、すぐに眠くなるため、就寝時の「睡眠導入剤」として活用している。

 その中で、印象に残った一節がある。本論とはあまり関係が無いのだが、格差が生まれる仕組みを表した理論モデルの限界について述べた部分である。以下引用

 この理論モデルは、少なくとも最も単純化されたモデルでは、あまりに道具主義的で功利主義的な教育観が使われているのも事実だ。保健医療セクターの主な目的は他のセクターに健康な労働力を供給することではないのだ。同様に、教育セクターの主な目的は、経済の他の産業部門の職業訓練ではない。全ての人間社会において、保健医療と教育には本質的な価値がある。長いあいだ健康を満喫できる能力は、知識や文化を獲得する能力同様に、文明の基本的目的のひとつだ。その他すべての仕事がほぼ完全に自動化され、各個人が教育、文化、健康の効用を、自分自身と他人のために追求する自由が極大化された理想社会だって十分に想像できる。そこではみんながかわるがわる教師か生徒、作家か読者、医者か患者になるわけだ。第2章で述べたように、私たちはすでにある程度この方向に進みつつある。

 社会の目的は何か、ということは、ここでは述べられないが重要なことである。経済が発展し、景気がよくなるというのは、目的ではない。ひとつの目的として「保健医療と教育」というのは腑に落ちるところであろう。

 個人にとっても同じである。何のために生きているのか、ということは考える。仕事をするのは、金を稼ぐためである。では何のために金を稼いでいるのかと言えば、高級車を買いたいとか、子供に高等教育を受けさせたい等の理由がある。ではなぜ高級車が必要かとか、子供に高等教育を受けさせたいのか、そんなことを考えていると、永遠に「手段」だけが現れ、「目的」が見えないことがある。結局、自己満足なのではないかと思ってしまう。

 逆に、銀河の果てには何があるのかとか、素粒子の世界がどうなっているのかということについては、「そんなことに莫大な金を使って何になるのか」という人がいる。しかし私はそれを「知ること」自体が目的であるということで完全に完結する、極めてシンプルなテーマだと思う。これが人類の目的だと言っても過言ではないだろう。

 なんだかよく分からない話になってしまった。ともあれ少しずつピケティを読み進めているが、この本の本質を掴めているかどうかは、よく分からない。


7月5日 近況

 今週は、土曜日は普通に仕事であった。ここのところ、土曜日にも出勤することが多い。そして日曜日は会社の所属しているソフトボールの試合であった。試合は33対4という、驚異的な大負けをして、その後は例の如く日本食スーパーで買い物をして、いつものようにゴボウ、ニンジン、大根、シメジで料理をして食事をし、片づけを終え、夜10時、このつぶやきを書いている。

 あと10日ほどでレバラン(断食明け大祭)休暇で、日本に一時帰国する。一時帰国が待ち遠しい。これ程待ち遠しいのは、初めてである。仕事が忙しいこと、長男に未だ会っていないことが影響しているのかもしれない。

 正直に言うと、サチコに会いたい気持ちの方が大きい。優一は、まだ会っていないので、自分の息子がいるという実感が、まだ湧いていないのである。サチコがどれだけ成長したか早く見たい。そして、サチコに「おとうちゃん」と呼ばれたい。そして、抱っこしたり、散歩したりしたい。

 そして、一時帰国して一番やりたいことは、何と言っても「近所の散歩」なのである。

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