2015年
11月のつぶやき
11月24日 作品展・バリダンス発表会
土曜日は、サチコの幼稚園の作品展に行ってきた。園児の絵などが展示されているだけかと思ったら、スタンプラリー、凧揚げ、版画作成など、参加型のイベントが多く用意されていて楽しめた。
各クラスは、テーマを元に教室をアレンジするのだが、最も凄かったのが「木の中の国」というテーマで造られた教室であった。木の中には樹液を運ぶトロッコがあるとか、細かい設定が楽しい。そして圧巻は、「王神様」と名づけられた巨大な偶像であった。「王」で「神様」とは、事実上世界の支配者であろう。そんな偉大な存在が木の中にいるとは、幼稚園のぶっとんだ想像力に感服した。
と思ったら、サチコが「王神様」に拍手を打って参拝している。この偉大さに感じるものがあったのだろう。その後は、グラウンドで凧揚げをし、かき氷を食べて帰った。
日曜日は、バリダンスの発表会を観にいった。サチコの友人が数人出演するとのことであった。
会場に着くと、サチコの友人がいた。しかし、衣装と化粧が凄すぎて、誰が誰だか分からない。サチコもビビッてしまい、一緒に写真を撮るのも怖がる始末であった。
毎度のことながら、バリダンスを鑑賞して思うのは、ガムランの素晴らしさである。明らかに西洋の音楽理論とは異なるリズム、和音が心地よい。そして、テンポは誰が指示するでもなく有機的に変化する。まるで、日本の地方に伝わるお囃子のようである。
それでも、しばらく聴いているとどれも同じに思えてしまい、途中で席を立った。
11月20日 続・懐かしい曲
下記のつぶやきを書いたところ、母からメールが来た。それによると、下記に書いた「腕相撲をしている無駄に男臭い」男は「シルベスター・スターローン」という映画俳優で、母の大ファンだという。この曲は「オーバー・ザ・トップ」という映画で使われた曲とのことであった。
私はようやく腑に落ちた。この曲は、映画音楽だったのだ。これまでプロレスの入場曲だと思っていたが、プロレスの曲が小学校の組み体操で使われるのも、考えてみれば不自然だ。テレビのBGMでもたまに流れている。
それにしても母の好きな俳優を「無駄に男臭い」などと形容してしまったのは失態である。「シルベスター・スターローン」も聞いたことはあるが、洋画をほとんど観なかったために、顔も知らなかった。ひとつ勉強になった。
11月19日 懐かしい曲
最近、どうしても思い出せない曲があった。小学6年生の時の運動会で、組み体操で使われていた曲である。組み体操は好きではなかったが、この曲の力強い独特のメロディが好きであった。しかし、曲名も作曲者も分からない。
確か、プロレスラーの入場曲だったと思い、「プロレス 入場曲」などのキーワードで探してみたが分からない。続いて、「鼻歌検索」なるものでパソコンに向かって歌ってみたが分からず、「キーボード検索」と言って、画面上に現れたキーボードで音を入力してみたが、やはりヒットしない。
その後も、通勤の渋滞の時間を使って色々調べていた。そして確か、昔持っていたプロレス入場曲集のCDにあったと思い、それが「超戦士の聖奏」という名前のアルバムだったことを思い出し、その中のマサ斉藤の入場曲「ザ・ファイト」という曲と言うことをようやく思い出した。
非常にすっきりした。この曲はイタリアの作曲家「Giorgio Moroder」という人が作ったインストゥルメンタルということは初めて知った。久しぶりに聴くが、シンプルで力強くて良いメロディだ。そして、腕相撲をしている無駄に男臭い動画も良い。いつかリコーダーで吹いてみよう。
https://www.youtube.com/watch?v=QOv3NG62jfY
11月17日 無題2
フランスのテロを受け、オランド大統領は戦争状態にあると宣言した。各国はフランスに同調し、テロとの戦いを進めると表明している。Googleもテロ直後はフランス国旗を掲げたし、個人レベルでも、SNSのプロフィール写真にフランス国旗を掲げて共感の意を示した人が多く見られた。まさに、世界レベルでISを壊滅させようという気運が高まっている。
私は、このような風潮に何故か違和感を感じる。もちろん、ISの行ったことは許されるべきでない非道な行為であり、それに対する報復が不適当だとは思えない。しかし、シリアに爆弾を落とせば、その下ではフランスの劇場で起こったような悲劇が起こるのである。フランス人が殺されることと、シリア人(IS戦闘員だけではなく、誤爆による民間人も含めて)が殺されることの重みが、明らかに違って受け止められている。フランス人が殺されることは「許されないこと」で、それに対する報復によりシリアの民間人が巻き込まれることは、「ある程度仕方ないこと」と受け止められてはいないだろうか。
少し前に、後藤さんを殺害した「ジハーディ・ジョン」が殺されたというニュースが、割と大きく取り上げられていた。このときも、違和感を感じた。これは、喜ぶべきニュースなのだろうか?あだ討ちがなされたという点では、喜んでいいのかもしれないが、それは親族・友人に限られる。多くの日本人は、ひとつの情報として、冷静に受け止めるべきだろう。
一連のISとのやりとりにより、IS側、そしてそれに対抗する連合国側ともに、人間が持っている野蛮な本性が現れてきているような気がして、心配である。そして、およそ100年前に起こったような、不安と憎悪の連鎖が再発するのが心配である。
もちろん、痛ましい事件ではあるが、少し冷静になる必要はあるのではないかと思う。
ちなみに、通勤の送り迎えをしてくれる運転手に、フランスの事件をどう思うか訊いてみたところ、「もっと酷いことは東ティモールでもパレスチナでもイラクでも起こっている」とのことであった。断っておくが、彼はISをイスラム教徒として認めていない。コーランには、あんなことをしていいとは書いていないらしい。
このくらいの冷静さが、バランス感覚としては良いのではないかと思う。
11月15日 無題
フランスが、大変なことになっている。このテロを受けて、日本は何をすべきか、ということを考える。そして私は、「なにもしない」というのが最善の策ではなかろうかと思う。せいぜい、フランス国民に対し、「遺憾と哀悼の意」を示すくらいに留めるべきである。。
このテロにより、フランス人のISに対する憎しみはヒートアップし、これまで以上の規模でシリアに爆弾が落とされることになることは想像に難くない。そして、一般のイスラム教徒に対する偏見や差別が強まり、フランスに住むイスラム教徒にとっては生き辛くなろう。
フランス人の感情は、自分の身に置き換えれば理解できるし、各国が協力してISを壊滅させるべしという意見も十分に理解できる。しかし、ISの戦闘員を一人残らず殺した先に、平和が訪れるとは到底思えない。
かつて、アサド政権を倒す反政府勢力を援助するために、アメリカなどから送られた武器を、ISが使用している。今は、そのISに対抗する反政府勢力に対して、欧米諸国より武器の供与が行われている。おそらく、ロシアはアサド政権にも何らかの援助をしていることだろう。当たり前だが、武器が増えれば増えるほど、死ぬ人が増え、それによる憎しみも増大する。
この難しい問題をどう解決すべきかと言うことは分からないが、どちらかといえば、シリア国内から武器を取り除く方向に舵を切るべきではないかと思う。そして、少なくとも日本は何もすべきではない。積極的平和主義と称して、武器を与えたり、欧米の後方支援などをしようものなら、それこそフランスと同じようなことが日本でも起こりうる。一度起こってしまえば、日本の世論は過熱し、上記のようなばかばかしい事態に巻き込まれることになろう。
11月14日 認知症予防
今日は、リコーダーの練習であった。練習をしているとき、メンバーのうちふたりの名前がどうしても出てこない。何度も会っている人でも、こういうことがたまにある。なかなか思い出せないうちに、その人の名前を呼ばなければならないような事態となり、恥を忍んで「スミマセン、名前をど忘れしてしまいました」と告白した。
家に帰れば、NHKスペシャルで認知症予防研究の最前線についてやっていた。上記のこともあり、真剣に観てしまった。
私は、自分が人よりももの覚えが悪いと感じている。会社では、ノートを持ち歩くと必ずどこかに置き忘れるため、手帳しか使わない。大きめのウエストポーチを着けて、そこに仕事で使う筆記用具や工具、手帳を入れている。もし私がタブレット端末を持とうものなら、すぐにどこかに置き忘れるだろう。
NHKスペシャルによれば、最新の科学研究が導き出した、認知症の効果的な予防方法とは、「有酸素運動とバランスの取れた食事」らしい。あまりに当たり前の結論に、ちょっと呆れた。
有酸素運動とバランスの取れた食事の素晴らしさをを疑っている訳ではない。むしろ、この有酸素運動とバランスの取れた食事の絶大な効果というのは、最新の科学研究の結果を待つまでもなく、自明であろう。自分のことでいえば、コレステロールを正常化するのも、血糖値を下げるのも、メニエール病のような自律神経系の疾病を治すのも、やはりコレであった。私の祖父は、毎朝の散歩の習慣のおかげで、健康に過ごすことが出来ている。
私は、メニエール病になってから、週に3〜4回は早起きしてアパートの周りを走る習慣がついた。根菜と豆類が美味しいなぁと思う。生活習慣としては悪くない。
冒頭のもの忘れは、生まれつきなのかも知れない。
11月11日 妻子一時帰国
今週の月曜日、妻子が一時帰国した。妻の妹の結婚式に出席するためである。10日ほどはまた一人暮らしとなる。
久しぶりに大根、人参、ゴボウ、きのこを使った豚汁を作り貯めた。それに納豆、雑穀ご飯、トマト。優一出産時は、半年以上一人暮らしをしており、毎日のように食べていた料理である。
久しぶりに食べた料理は、懐かしい味とともに美味しかった。私はこういった田舎臭い料理が好きらしい。
ゴボウで思い出したが、少し前にゴボウの件で妻と口論になった。妻は、ゴボウを調理する際、いつも皮を剥いて水に晒すのだが、私には物足りなく感じる。私は、ゴボウは皮付きのまま丸めたアルミフォイルで擦るだけにして、水に晒さず、アクも取らずに調理するのが好きである。その方が風味が良いし、栄養価も高い。
そのようなことを遠慮がちに妻に伝えたところ、じゃあ自分で好きなぶんだけ好きに料理すればいいと言われ、険悪な雰囲気となった。料理の決定権は妻にあるので、それ以上主張するわけにはいかない。
とりあえずこの一人暮らしは、皮付きゴボウを遠慮なく調理しよう。
11月6日 漢字百話
白川静さんの「漢字百話」(中公新書)を読んでいる。漢字学者の白川さんのことは、日本に住んでいた頃、通勤中の車の中で聴いていたラジオ「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」のコーナーで知った。今は、じゃかるた新聞の文化欄で、毎週、白川さんの漢字コーナーが連載されている。
白川さんの解釈で有名なのは「口」の付く漢字の解釈で、これは目、耳、口の「くち」ではなく、祝詞を入れる器とすることであらゆる漢字の意味が理解できるというものである。例えば、「告」と言う字は、これまで「牛が何事かを訴えるために口をすり寄せている形」とされてきたが、白川さんの解釈では「告」の上の部分は木の枝で、下の「口」は祝詞を入れる器。こうした儀式で神に告げ訴える意味であるとする。
確かに、白川さんの解釈を読んでいると、妙にしっくり来る気がする。元々漢字は、呪術で使用されていたものであるから、神との関係や祈りを込めた形が多いのである。ちなみに、「道」と言う字は、「異属の首を携えて行くことを意味する」恐るべき漢字らしい。普段よく使う漢字が、ぞっとするような原型があることも面白い。
この本を読んでいると、どこまでが研究に裏付けられた確かな結果で、どこからが白川さんの空想なのかということが分からない。もしかしたら、漢字学では、そういった線引きが難しいのかもしれないと感じるし、もしかしたら、実はこの本にも書いてあるのかもしれないが、理解できていないのかもしれない。)この本は私にはかなり難しく、実は半分も理解できていない)それでも、読み物としては面白い。
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