2015年
12月のつぶやき
12月31日 2015年最後のつぶやき
今日で今年も終わる。大晦日の夜は、恒例の年越し柔道稽古に参加するつもりである。夜10時に紅白を見終わり、その後柔道場で稽古をしながら年を越すのである。
一年を思い起こせば、最も大きなイベントは優一の誕生であろう。家族がひとり増え、我が家は更に賑やかになった。ハイハイにより自由を掴んだ優一は、家中で悪事の限りを尽くしている。
妹が結婚したのも、嬉しい衝撃であった。妹が結婚することは無いだろうと思っていたが、素晴らしいパートナーと出会えることが出来て、本当に良かった。来年は、初めての甥(姪?)に会えるかもしれない。
妻の妹も結婚した。こちらは、妻にとって衝撃であったのかどうかは分からないが、そう考えれば、めでたい一年である。
サチコは、日本人幼稚園に行き始めてから、急速に成長したように感じる。良く言えば、人見知りが無くなり、友達やその親とも楽しく遊べるようになった。悪く言えば、馴れ馴れしく、生意気になった。ともあれ、大きな災厄もなく、元気に育っている。
来年もよろしくお願いします。
12月29日 めんぼう
サチコはうどんが大好物である。基本的に小食だが、うどんであれば一人前を平らげる。だから、この年末年始の休みに、サチコと手打ちうどんを作ってみようと考えている。
出勤前、妻が今日は買い物に行くけど、何か買ってきて欲しいものはあるかと尋ねたので、ダイソーに麺棒があったら買ってほしいと頼んだ。妻は、了解、と言って私は出勤した。
家に帰ると、机の上に綿棒が置かれていた。私は、綿棒ではなく麺棒と言ったつもりだったのだが、と言うと、妻は不機嫌になり、普通「めんぼう」と言われて想像するのはこっちのほうだと言った。
確かに、その通りだと思った。うどん作りは太鼓のバチで代用しようと思う。
12月28日 バリ島旅行
先週末は、家族でバリ島へ旅行に行った。木・金とムハンマド聖誕祭、クリスマスとイスラムとキリストの祭日がドッキングして、インドネシアでは珍しい4連休となったのである。ちなみに、イスラムの祭日は毎年日がずれるため、毎年このようにはいかない。
行き先は、バリ島のウブドである。バリ島中央部の山間部にあたる。私はこれまでバリを4回訪れているが、海に行ったことは殆どなく、ほぼウブド周辺で過ごしている。今回は、バリ島以外のところに行こうと言ったのだが、妻はこれまで1度しか行ったことが無く、おまけにそのときはサチコが熱を出してしまい、殆どホテルでのんびりするだけであったため、ウブドをリベンジしたいとのことであった。
初日(12/24)
夕方にウブドに到着した。ほぼ4年目ぶりとなる妻は、空港が新しくなったことを知らず、垢抜けた建屋に変貌していることにとにかく驚いていた。レンガ造りの薄暗い昔の空港とは確かに全然違う。ジャカルタの空港以上に垢抜けている。
ホテルにチェックインし、夕食を食べに外を歩いていると、「萬まる」という名前の日本食レストランがあった。ちょうど羽虫が大量発生していたため、オープンテラスの店で食べるのも抵抗があり、ここに入った。
驚いたのは、その味であった。どれも日本で食べるのと同等の味付けであり、おまけに値段も安い。特に、お好み焼きは格別の美味しさであった。いわゆる、「外はカリッと、中はふわふわ」のお好み焼きは、日本でも名店でなければ食べられないであろう。訊けば、オーナーが大阪出身の日本人とのことで、大いに納得した。会計を済ませると、ホテルまで無料で送ってくれる親切さで、これはあと何回かは来ることになるだろうと思った。
ホテルは、田んぼに面したコテージである。私がウブドを好きな理由は、日本の田舎に来たような気分になれるからである。田んぼの風景や、そこに祭られる様々な神様、虫の声、頻繁に行われる祭礼行事、線香の香り、それらが懐かしい。もしかしたら、今の日本でもなかなか無いかもしれない。

左:ホテルからの風景 ウブドは日本の田舎に似ている 右:ホテルの近くの絶品お好み焼き
2日目(12/25)
朝起きたら、枕元にサンタさんからのプレゼントが置いてあった。サチコが出発する日に、サンタさんに「さちこはバリにいるのでバリにきてください」という内容の手紙を書き、クリスマスツリーに吊るしていた。中身はプリキュアのフィギュアで、その後、サチコはプリキュアのフィギュアを握ったまま旅を続けることになる。
この日は、「バリバードパーク」へ。中に入れば、いたるところに鳥が放し飼いにされている。サチコは怖がってるようで、途中で早く帰りたいと言い出した。妻は、サチコの好きなヒクイドリを見せたかったようだが、残念ながらヒクイドリはいなかった。

左:バリバードパークにて。サチコにはまだ怖いらしい。 右:サンタがバリまでやってきた。
夜は、「ケチャッダンス」を鑑賞した。ウブドでは、毎夜寺院でこういったイベントが行われる。「ケチャッダンス」は、宗教儀礼の中の男性コーラスを元に作られたパフォーマンスで、「チャチャチャ・・・」と続く合唱は、本来踊り子をトランスに導くためのものである。前半はケチャッダンスによるラーマヤーナ物語が披露され、後半は、「ファイヤーダンス」であた。
「ファイヤーダンス」は「サンヒャン ジャラン」とも呼ばれ、ケチャッの合唱によりトランス状態になった踊り子が、馬の人形を持って火の付いた椰子の殻を裸足で踏みつけたり、蹴散らしたりする。本来であれば、熱くて耐えられないだろうが、トランス状態なのでこういうことが出来てしまう。トランス状態だから、思いっきり火の付いた椰子の殻を蹴飛ばし、最前列の観光客に危うく当たりそうにもなっていた。
最後、馬の人形を取り外し、ふたりがかりで踊り子をしっかり押さえつけると、踊り子は我に帰り、その場にへたり込んだ。その顔は疲れていたが、とても晴れやかに見えた。バリ島の神秘を垣間見た気がした。

左:ケチャッダンスの様子。間宮芳生の合唱曲を思わせる和音 右:トランス状態で燃える椰子殻を蹴散らす人。
3日目(12/26)
この日は、ウブド周辺を車で回るベタな観光旅行をした。近くの寺院を回り、カルデラ湖のあるキンタマーニで昼食をし、コーヒー農園、棚田を見て帰ってくるコースである。バリは、寺院が生きているのが良い。そこは、観光地でありながら、地元の人々の集会の場であり、祈りの場でもある。この絶妙なバランスがバリの魅力であろう。

ティルタエンプル寺院で沐浴する人々。宗教と生活と観光が織り交ざって共存している。
夜は、バリダンスを鑑賞した。バリダンスといえば、日本人の奥様方による発表会しか観たことがなく、本場のバリダンスとはどういうものか、妻ともども興味しんしんであった。
その踊りは、素晴らしかった。日本人のバリダンスとは、全然違う。一方で、日本人の奥様方もかなり真剣に練習されていることも分かった。それは、学生時代に現地の保存会に太鼓を習いに行ったことを思い出させる。地元の人たちというのは、外部の人がいくら練習しても出来ない、地のリズム感覚を持っているのである。それに少しでも近づこうとして、練習を積むことが、伝統芸能を習う魅力である。
ちなみに、この日も夕食は「萬まる」のお好み焼きであった。

左:バリダンス。やっぱり本場は凄い。 右:影響を受けている人
最終日(12/27)
空港に寄りがてら、妻の好きな陶器専門店「JENGGALA」本店へ。ここで皿を買い揃えたいというのが、妻の希望であった。
店に入れば、かなりの日本人率であった。日本人の好きなデザインらしい。かなり時間をかけて選びたいとのことで、私は優一を抱っこし、サチコを連れてぶらぶらしていた。すると、併設のカフェがあった。更にその隣には、自分で陶器に絵付けが出来るコーナーがあった。サチコは、絵付けがしたいと言うので、させてあげることにした。初めての水性絵の具であったが、苦労しながらもそれなりに楽しんでいた。絵付け後、釜で焼いて仕上げてくれ、4日後に発送してくれるらしい。
それにしても、洗練された店であった。奥様がじっくり皿を選ぶ間、旦那はカフェでゆっくりさせ、子供には絵付けをさせることで邪魔をさせないという、実に良くできたシステムだと思った。
夕方、ジャカルタに到着した。家族旅行はそういえばもの凄く久しぶりである。メニエール病になって以来、自発的に旅行に行くことがなかった。これからも、積極的に外に出たい。

妻が皿を選ぶ間、イルカに絵付けをするサチコ。
12月21日 リコーダーコンサート
昨日は、ジャカルタリコーダークラブのクリスマスコンサートであった。緩く練習しているものの、一年間の集大成として、一応このコンサートを目標としている。
この日は、ちょうど柔道のジャカルタ州知事杯の試合とも重なってしまった。こちらも、オヤジ柔道家の一年の集大成とされており、出場したかったが、リコーダーのほうを選んだ。オヤジ柔道家には、「リコーダーと柔道、どっちが大事なんだ?」と詰め寄られたが、どちらかと言えばリコーダーが本職のほうな気がする。
リコーダーの演奏は、ものすごく疲れる。前日の通し練習で、1時間強のプログラムを通して吹いてみたら、ぐったりした。柔道も疲れるが、リコーダーのほうが疲労感は強い気がする。というか、当たり前だが、疲れの質が全く違う。
本番は、自分が思っていた以上に緊張した。その緊張し具合に自分でも驚いた。これまで、柔道の試合ではいつも緊張して怖かったが、人前でリコーダーを吹くのにあまり緊張したことがなかった。今回は、いつも暗譜してスラスラ吹けるところまで自信が持てず、楽譜を追いながら指を動かすのに必死であった。
途中に、「みんなで吹こう」のコーナーがあり、簡単なメロディをアンサンブルと合わせて子供たちに吹いてもらうのだが、これの仕切りを任されていた。これも緊張した。テンションを上げて子供を仕切るという経験は、ここ何年も無い気がする。学生時代の民研の活動以来かも知れない。私が指揮をしながらあれこれ仕切るのを観客席で見ていた妻は、懐かしい感じがしたらしい。
ともあれ無事に終わった。色々間違えたが、これも実力であろう。終わると、本当にぐったりとした感じになった。それでも、お客さんはほぼ満席となり、楽しいひとときであった。サチコや友達のユウちゃんも、リハーサルの時から笛に合わせて踊ったり歌ったり、楽しんでくれた。当日は、持ち寄りで美味しいご飯を食べた。(私は、他の人がたくさん持ってくるのを見越して、何も持ち込まず、ただ食べるだけであったが)
そんな楽しい時間をくれたメンバーに感謝!である。
12月14日 プリキュア
土曜日、妻が今のプリキュアで実に感動する回があるからと、DVDを観させられた。確かに、今年の「Go!プリンセスプリキュア」は、アニメーションの質も高いし、気合を入れて作っていると感じるが、テレビアニメで大人が感動するものかと、半信半疑であった。
内容は、とある心の傷を負った主人公が、プリキュアに変身できなくなってしまい、邪悪な力により町が壊滅状態になってしまうが、この主人公は自力でこの心の傷を克服し、プリキュアに変身、仲間と悪を浄化するといった、ストーリーであった。ストーリー自体は、よくあるタイプだが、「友情」の力などを借りることなく、「自力」で立ち直るというのは、珍しいかもしれない。そして、その過程における、主人公の心象風景の描き方が実に上手い。
今回のキーワードは「夢」である。「夢」を諦めないという強い信念が、この主人公を更に強くする。そんなに強い主人公の「夢」とは「プリンセスになること」。大人でなくとも、少し成長した子供であれば、ばかばかしく感じることであろう。そのばかばかしさは、悪役達が劇中で代弁してくれる。「プリンセスになんかなれる訳ないだろ」と。プリキュアを観ていると、悪役達の言うことの方が筋が通っていたり、現実的であったり、私たち大人の考えに近い。
このあたりは、製作者が意図的に行っているようにさえ思える。子供のうちは、存分に夢を見ていれば良い。それが大人になって打ち砕かれるかどうかは関係ないのだ。「子供時代というのは、大人のためにあるんじゃなくて、子供時代のためにある、子供の時代にしか味わえないことを味わうためにある」というのは、宮崎駿の言葉だが、このアニメにも同じ思いを感じる。
ただ、クライマックスで悪役を倒すときに行った大技は意味不明であった。プリキュアたちは更にロングドレスに着替えた上、天高く舞い上がり、閃光を放ちながら急降下、敵に突撃したとたんに、あたり一面がお花畑とお城に変化、花火が打ち上げられるという、壮大な必殺技で、どのような力によって悪が倒されたのか、全く分からない。大人の理解を超える。
こういうことを思いつける大人がいることにも、驚きである。
残念な点は、全ての武器、アイテムがプラスチック成型品に見えることである。現実世界での生産、販売を前提にしていることが垣間見えるが、これはある程度仕方の無いことか。
驚きの必殺技はコチラ
https://www.youtube.com/watch?v=SjRjr6IEq_k
12月10日 ベリーダンス
先週末の話だが、妻の友人がベリーダンスの発表会に出るとのことで、家族で近くのモールへ観にいった。それにしても、色々な趣味の人がいるものである。
会場は、モールの広場ということで、ヘソを出すような露出の高い衣装はNGらしい。会場の横には、ヘソ出した太った女性の顔ハメが置いてあり、サチコをはめて遊んだ。妻の友人以外にも、ベリーダンスを習っている日本人奥様は多いらしく、会場にはお母さんを観に来た夫と子供、といった顔ぶれが並ぶ。スカーフをかぶったイスラム女性もかなり多い。
ベリーダンスは、イスラム教が始まる前のアラブ諸国で発展した踊りである。当時のイスラム教徒にとっては、ベリーダンスは異教徒の下卑た踊りに映っていたかもしれない。今は、イスラム女性も興味津々でベリーダンスを観るというあたり、インドネシアは居心地が良い。
踊りは、アメリカから来たプロのダンサーの踊りが凄かった。それまでの雰囲気を一変させ、踊りの凄さを見せ付けられた。サチコも私に抱っこされながら「すごーい!」を連発していた。
残念ながら、夜遅い時間であったため、途中まで観て帰宅した。
12月9日 耳鳴り・英語
ここ2週間、また体の調子が思わしくない。耳鳴りが強くなり、体が張ったような感じがして疲れる、寝ても疲れが取れない、といった症状が続いている。鍼灸にいく回数を増やしている。
実は、こうなる前、英語の勉強をもう一度はじめようとしたときでもあった。TRT(耳鳴再訓練)で使用しているウォークマンで、英語の学習ソフトを入れられることが分かって、通勤中の車で勉強を始めた矢先であった。
2年近く前、初めて耳に違和感を感じ、今のような慢性症状に陥ったときも、ちょうど英語を勉強していた。私の耳は、英語とそれほど相性が悪いのだろうか。
とりあえず、車の中での英語の勉強は中断した。しかし、こういった疲れをひきずってか、風邪をひいた。風邪の症状というのは、自律神経系の症状に比べれば、全く辛さの質が異なる。喉が痛いとか、熱が出るとかは、むしろ体が正常に機能している証であり、その意味では病気ではない。西洋医学では何の異状も認められない、不眠や、耳鳴り・めまいといった症状のほうが、体の機能がおかしいと感じるし、怖いし、辛い。
とりあえず、あまり無理をしないようにしよう。
topへ