2016年
1月のつぶやき




1月28日 トッケー

 先週末は、家族でジャカルタ近郊の山間にある温泉宿に一泊した。「ギリティルタ」という名前の温泉宿は、マサルさんが来たとき、父が来たときに続き、3度目である。ここのファシリティは素晴らしく、何度きてもいいなぁと思う。

 この温泉宿だが、夜になると大音量で鳴く謎の生き物がいる。鳥なのか、カエルなのか、虫なのか、さっぱり分からないが、鳴き声は下記のようである。

「ケケケケケケケケ」

「トッケー」

「トッケー」

「トッケー」

「トッケー」

「トッケー」

 「トッケー」の回数は毎回必ず5回で、最後の「トッケー」だけは、必ず音程が下がる。まるで録音を聞いているように、同じ鳴き方をする。この鳴き声のせいで、家族全員ろくに眠れなかった。それほど他の生き物とは違うくらいの大音量なのである。快眠にかけては家族一のサチコでさえ、朝起きて開口一番

「あ〜〜うるさかった!!」

と絶叫したくらいである。

 次の日、送迎をしてくれる宿の人に訊いてみたところ、「トケッ」という名前のヤモリの仲間らしい。体は小さいが大きな声で鳴くらしい。

 調べたら、Youbuteに鳴き声が見つかった。まさに寸分違わずこの鳴き声である。

https://www.youtube.com/watch?v=-JnhINgE834


1月22日 朗読

 通勤の車の中で何をして過ごそうか、ということは考える。毎日4時間近くもの時間を、有意義に使いたいとは思うものの、ここのところは何もせずにボーっとしている。

 インドネシアに来てすぐは、ずっとインドネシア語の勉強をしていた。行きはラジオを聴いて耳を慣らし、帰りは、その日に分からなかった単語をエクセルに打ち込んでプリントアウトし、それを見ながら単語を覚える、と言う作業を繰り返していた。

 インドネシア語を覚えたら、英語の勉強を始めた。ハリーポッターを原書で読んだり、オバマ大統領の演説を単語を調べながら延々と聴いていたりして、車の中で過ごしていた。車から降りれば、吐き気がしたが、気にしなかった。

 そんなことをしているうちに、メニエール病を発症し、2年間苦しんだ。それからは、車の中で無茶をするのはやめようと思ったのである。

 最近思いついたのが、朗読を聴くことであった。アメリカでは車の運転をしながら朗読を聴くという需要があると、最近のテレビでやっていた。朗読であれば、読書と違って目を使わないし、ボーっとしながら聴くことができる。スマホゲームや動画鑑賞よりもリラックスして行えるだろう。

 早速、「星の王子さま」(サン=テグジュペリ)を購入してウォークマンに入れて、聴いている。もちろん、日本語である。「星の王子さま」は、チヨミが行く国々の言葉の訳書を集めているらしく、昨年来イしたときに、インドネシア語版を一緒に探してから、気になっていたのである。そういえば、名前は聞いたことがあるが、読んだことが無く、どんな内容かも知らない。

 まず驚いたのは、語り手の技能であった。ひとりでさまざまな声を使い分け、心に伝わってくる。私がサチコに読み聞かせしているのとは、天と地ほどの差がある。

 そして、その内容も衝撃的であった。意味不明の動植物が登場し、荒唐無稽でありながらも、どことなく切ない内容である。どうすればこんな物語を思いつけるのか、最後まで聴くのが楽しみである。

 そして、車の中では思った以上にリラックスして聴くことが出来る。これは良い時間の使い方を見つけたと、思った。


1月15日 爆弾テロを受けて

 昨日、ジャカルタで爆弾テロが発生した。この件について、我が家および私たちの知り合いは全員無事であること、私の家、サチコの幼稚園、私の職場ともにテロの現場とは遠く、またいずれの場所もテロの起こし甲斐の無いような場所にあり、我が家の暮らしはいたって平穏であることをここに記しておく。

 まず、事件の概要だが、詳細についてはメディアによって違いがあるものの、共通していることは、中央ジャカルタのサリナデパート前の交番およびスターバックスで手りゅう弾による爆発が何度かと、テロリストと警察による銃撃戦が発生したこと、それによる死者はテロリスト5名、インドネシア人1名、カナダ人1名の計7名、負傷者は20名であること。発生直後は、同時多発的に複数個所で爆発があったとの噂が出回ったが、夕方にはデマであることが判明し、発生箇所は上記1箇所のみであった。事件現場も、夜には交通封鎖は解かれ、厳戒態勢ではあるものの、通常通りに戻っている。

 私は、事件があってから色々な話を聞いたり、現地ラジオやテレビやネットの情報を見たり、インドネシア人と話をしたりした。それらの情報と私の直感を加味して出た結論は、この事件によって、ジャカルタの治安の変化にさしたる影響は無いであろうということである。ジャカルタ在住の日本人には、この事件を受けて、外出を控えたり、予定をキャンセルしたりする動きが出ており、もちろんそれは各人の危機意識と判断に任されているが、私はこの事件で予定や生活スタイルを変えることは無い。

 そもそも、この事件でいう「危険な場所」とは、北ジャカルタや赤線地帯や貧困地域のようないわゆる「治安の悪い場所」ではなく、高級ショッピングモールや、観光名所や、スターバックスを指す。これらのいずれも場所も私は滅多に行かない。

 上記の結論に至った理由はいくつかあるが、最大の理由は、インドネシア人たちが極めて冷静であることだ。事件の日、ジョコウィ大統領は、「テロを怖がる必要は無い、普通どおり生活し、普通どおり仕事をしてください」と呼びかけた。そして、全くその通りになっている。テロリストが望むのは、人々が恐怖を感じて経済活動を鈍らせたり、憎悪に駆り立てられて過激な行動、発言を行うことである。そして、テロリストにとっての最大の脅威とは、テロを行ったにもかかわらず、人々は何事も無かったように生活していることである。そして、ここでは今、そのようなテロリストが最も望まない状態になっている。

 雰囲気としては、2008年に発生した秋葉原通り魔事件に似ている。大変な事件が発生し、大きな話題になるものの、だからと言って派遣社員を憎悪したり、歩行者天国を歩くのを控えたりする人は(おそらく)ほとんどいなかった。それと同じで、突然ISを壊滅させろと言い出したり、怖いから仕事を休もうとするインドネシア人は見当たらない。

 運転手に、事件をどう思うか訊いたら、真っ先に出てきたのは政府情報機関の怠慢だという言葉であった。事前の情報収集が甘いせいで、事件が発生してしまったということである。要するに、テロリストは存在する前提なのだ。それを把握し、管理することにミスがあったという認識なのである。

 私は、リスクが全く無いとは言わない。否、リスクがあるのは以前より承知している。しかし、リスクはこの事件前後で大きく変わるとは思わない。以前と同様、ガス爆発とか、ひったくりとか、交通事故とか、引き続き気をつけて、家族を全力で守りたいと思う。


1月12日 真田丸

 大河ドラマ「真田丸」の初回を観た。大河ドラマを、久しぶりに面白そうだと思った。「平清盛」で、「映像が汚い」との批判を受けてから、大河ドラマは無難な路線を保持していたように感じる。私も妻も、「平清盛」のわざと汚した映像が好きであったし、その後の妙に清潔で、「良い子」ばかりが出てくる大河ドラマが退屈で、しばらく観ていなかった。

 「真田丸」は、これまでと雰囲気がまるで違う。音楽といい、映像の使い方といい、まるでRPGゲームのような雰囲気がある。最後に少し現れた織田信長などは、まるでラスボスの魔王のような雰囲気で、とても時代劇とは思えない。これからどのような展開になるのか、楽しみである。

 もうひとつ、「真田丸」が気になっていた理由が、私が生まれたとき、どうやら父は私を「幸村」と名づけようとしていたらしいからである。理由は、父の名前が「まさゆき」だから(真田幸村の父は昌幸)というだけのことらしい。おそらく父の戯言であったか、もしくは周囲の反対により、私は「田所幸村」ではなくなったわけだが、歴史の好きな父らしい話である。

 ずいぶん昔に聞いた話だが、よく覚えている。私の名前になろうとしていた人物が、どのように描かれるのか、それも楽しみである。


1月11日 かおつけ、炭酸

 子供はあるとき急速に成長する瞬間があると感じる。先週末、そんなことを感じたトピックをふたつ。

 土曜日、サチコとプールに入った。サチコは、プールは嫌いではないらしいのだが、顔に水がかかるのが嫌いで、プールに顔をつけることすら出来ない。ふと周りを見れば、3歳の双子兄弟はどんどん水に潜って楽しく遊んでいる。

 私は、サチコにプールに顔をつける練習をしてみようと、提案した。サチコは、怖いからイヤだ、もうそろそろ帰ると言い出した。私は、初めてやることは怖いけど、プールに顔をつけるなんて、大したことじゃない、一度勇気を出してやれば、実は全然怖くないものなんだというような意味のことを言った。サチコはぼろぼろ涙をこぼし、やっぱり怖いと言う。私も今日はしつこく迫ろうと思い、アンタもう5歳だから大丈夫だ、やってみろと言った。

 そんなやりとりをしばらく続けたら、サチコもやってみる気になったらしく、ほんの少しだけ顔をプールにつけることが出来た。私は、よく頑張ったと大げさに褒めてあげた。とたんにサチコの顔は晴れやかになり、全然怖くなかった、というようなことを言って、引き続きプールを楽しんだ。


 日曜日、柔道を終えて、私はサチコを膝に抱えながら車に乗り、いつものように炭酸入りのビタミン飲料を飲んでいた。サチコは炭酸は嫌いだが、匂いは好きらしく、匂いを嗅ぎたいという。

 私は、せっかくだから少し飲んでみたら、と言った。サチコはやはりしゅわしゅわするからイヤだと言う。私は、少しくらいなら大丈夫だ、何でも勇気を出してやってみることは大事なんだぞみたいなことを言うと、サチコは恐る恐る飲んだ。

 意外に美味しかったらしく、サチコはその後もチビチビと飲み続け、残りは全て飲まれてしまった。


1月10日 激動の時代

 NHKスペシャル「激動の世界」を妻と観ていた。第一回はテロと難民問題で分断されたEU連合の様子、第二回はロシアの動きについてであった。ドイツのメルケルさんは頑張っているなぁとか、インドネシアは住みやすいなぁとか、適当な感想を述べ合っていた。

 テレビに写るプーチン大統領を見て、ふと妻が「この人たちはそもそも何を目指しているんだろうか?」つぶやいた。これは、割と重要な投げかけである。超大国のトップたちは、何に突き動かされて、行動を起こしているのだろうか。

 私は少し考えて、「人間の本能みたいなものじゃないだろうか」と言ったが、すぐに「男の本能じゃないだろうか」と言いなおした。男は、本質的に、自分より弱いものを支配、服従させたり、叩き潰したりするのが好きな生き物なのである。自分に従う者を増やし、自分に反発するものをねじ伏せたい、世界を動かす要因というのは、意外とシンプルかもしれない。

 世界のトップたちは、それぞれがそれなりに「平和」を願っている。もしくは、平和を願う「ふり」をしている。本当に平和を願い、それが世界共通の目的であれば、今この瞬間に全部の武器を放棄すれば良い。それが出来ないのは、男の本能が邪魔していること、そして、自分以外の男も、自分と同じ本能を持っていることを知っていることにより、武装化解除ができないのである。そんな風に「平和」を名目とした武装化、戦争が当たり前のように行われ、今のようなばかばかしい世界が出来上がった。

 妻も同じようなことを考えていたらしく、お互いに納得した。しかし、男の本質はもっと根源的なものがある。それは、いい女を好きなだけ抱きたい、という本能であろう。そのために、男は権力を掌握したがり、他人を支配したがり、戦争をしたがる。

 そんな風に男のことをさんざん悪く言ったあと、妻は、でもそんな本能のおかげで、技術の進歩とか、良いこともあったのかもしれないと、最後に男をかばって会話は終了した。


1月2日 2016年最初のつぶやき

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 今年の年末年始は、ずっとジャカルタにいた。それなりに楽しく、自由に過ごした。


 最終日、早めに仕事納めとなって家に帰り、サチコとどろだんごを作った。「光るどろだんごキット」なるものを幼稚園のサンタさんにもらったらしく、サチコは何日も前から「父ちゃんとどろだんごを作りたい」を言い続けていた。

 どろだんごなんて、ただ砂場で作るだけのものだと思っていたが、このキットの説明書を読むと、「昔ながらの伝統的な遊びであるどろだんご作りを短時間で簡単に作ることができます」といったことが書いてあり、どろだんごの作り方が事細かに説明されている。そして、中には2種類の砂が詰められている。この通りに作ると、つるつるぴかぴかになるらしい。

 果たして、サチコと作ったどろだんごは、本当につるつるぴかぴかの硬い石のようなものになった。どろだんごを馬鹿にしていたが、こんなに奥が深いとは思わなかった。「どろだんご」で検索すると、作り方の動画や、コツを紹介したページが多くあり、未知の世界を垣間見た。


 年末は、サチコと恒例の柔道年越し稽古に行った。夜の11時に集合し、練習をしながら年を越し、その後みんなで飲み食いする企画である。インドネシア人柔道家もたくさん集まり、大いに盛り上がった。サチコは途中で眠くなるかと思いきや、普通に練習し、食事をし(ほとんどサテ(焼き鳥)ばかり食べ)、同年代の友達と遊んでいた。明け方の4時ごろまでいて、さすがに最後のほうは疲れていたものの、基本的に元気であった。

 正月は、遅く起きて、妻の用意したおせちをつまみながらだらだらした。夕方は、サチコと一緒に手打ちうどんに初挑戦。200グラムくらい作った。野球ボール程度の大きさである。初めて作ったので、どんな仕上がりになるか分からなかったが、思ったよりも上手に出来るものだと思った。少量であれば、それほど手間も時間もかからず、楽しく作れることが分かった。


 リコーダーの編曲、多重録音もして遊んだ。オカリナ奏者、宗次郎の「夢街道」と、「Over The Top」という古い映画のテーマ曲「The Fight」である。どちらも、サチコがお気に入りの曲で、出かけるときなどは、いつもウォークマンで聴いている。

 「夢街道」は初めて打楽器も多重録音してみた。太鼓とトライアングルと鈴である。鈴は、家になかったので、買い物ついでに楽器屋で購入した。太鼓も当然持っていないため、家にあるものを色々叩いてみて、洗濯カゴが最も近い音が出たため、これを叩いて録音した。これを録音するとき、サチコと優一が部屋で遊んでおり、優一の奇声も録音されることとなった。

 「The Fight」は、昨年11月の「つぶやき」に書いたとおり、私が小学6年生の時の運動会の組体操で流れていた曲であった。これもサチコが気に入り、リコーダーに編曲してみようと思った。リコーダーでこの曲の雰囲気を出すのは難しいと思われたが、やはり難しかった。

夢街道
https://www.youtube.com/watch?v=cuHjVkoK5Mg

The Fight
https://www.youtube.com/watch?v=Fi6wPRPodMg

 明日は、いつも通り柔道の稽古に行き、夜はサチコと約束した明石焼きを作るつもりである。あまりセンセーショナルなイベントは無いが、いい正月である。

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