2016年
2月のつぶやき




2月24日 はに丸ジャーナル

 少し前の話だが、家に帰ってひとりで夕食を食べながら何気なくテレビを観ていると、「はに丸ジャーナル」という番組をやっていた。はに丸が記者になって突撃取材すると言う内容で、一日目は「パクリ問題」二日目は「Mr.マリックの嘘をあばけ」と言った内容であった。

 観ているうちに、これは凄い番組だと思った。パクリについては、嘉門達夫のところに行って、「他人の歌を勝手に歌ってお金儲けしてるの?」とはに丸が質問する。そこから、替え歌を発表するたびに、許可を得ていることや、売れたCDの印税は嘉門達夫には入らないことなどが説明される。

 更に、エンブレムのパクリ疑惑からネットでの誹謗中傷や炎上についての話に発展し、ニコニコ生放送に出演し、ネットユーザーに「炎上に参加したことある?」とか「なぜ炎上させるの?」などといった質問をぶつけていく。

 圧巻は、「炎上の仕掛け人」と呼ばれるやまもといちろう氏との対談であった。はに丸のインタビューに対し、最初はネット上で匿名で発言することのメリットを力説していた同氏だが、はに丸の「本音なら何を言ってもいいの?」「人を傷付けてもいいの?」と言った、ド直球の反論に対し、返答できずに対談は終わる。はに丸に言いくるめられる大人、という構図が異様で面白かった。

 次の日の「マリックの嘘」については、はに丸の完敗であった。「ついて来られたら困るんだけど」と言いながら、東急ハンズで強力磁石などの「道具」を紹介するマリック氏だが、その後のスタジオの「魔術」にはに丸は驚愕する。スプーン曲げでは、マリックがはに丸にスプーンを持たせて、

「曲がれ曲がれと念じてください」

と言うと、

「曲がるなー、曲がるなー」

と絶叫するはに丸。プロデューサーのひねくれぶりが表れている。そして、はに丸の意図に反して勝手に曲がり、折れてしまうスプーンと、

「ハニャー、ハニャー」

とパニックに陥るはに丸。更に、テリー伊東の「Mr.マリックはマジシャンのふりをした超能力者」という発言で、結果Mr.マリックの神秘性をより深く知らしめられる結果となった。

 それにしても、はに丸をこういう使い方をしようとは面白い思い付きである。そして、はに丸が元々どんな番組をしていたかもよく思い出せない。


 冷戦のころ

 私が小学生の前半の頃までは、冷戦の時代であった。そして、考えてみれば、その頃特有の作品というのがある。それは、「最終戦争により世界が崩壊し云々」といった物語設定である。「北斗の拳」しかり、「風の谷のナウシカ」しかり、私たち世代にとっては、「割とよくあるパターン」であったが、そういった物語を思いつく前提として、当時の大人たちにとっては、それがある程度現実味のある未来予測であったということに、最近ようやく気付いた。

 確かに当時は、次の戦争は核ミサイルのボタンの押し合いだとか、水爆により地球は何回滅亡できるとか、そういった物騒な話が普通にされていた。そして、最近観た「映像の世紀」で、本当にそうなる直前まで緊迫していたことを知った。冷戦が終わって本当に良かった。当時の指導者たちが、最後の最後で賢明な判断をして良かった。

 最近、サチコと「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」を観た。いずれも水爆実験を思わせる映像が登場する。「ナウシカ」ではクシャナが「撃ち払え」と指示すると、巨神兵が口からビームを吐き、王蟲をなぎ倒す。「ラピュタ」では、ムスカが石版に向かって手をかざすと、ラピュタからビームが発射され、巨大な爆発が発生する。この「極めて簡単な手順」と「そこから発生する巨大な破壊力」という対比は、「核ミサイルのボタン」の構図と符合する 。

 冷戦が終わってから、ようやく当時の作風が分かる。現在の「よくあるパターン」は、数十年後、どのように映るのであろうか。


2月13日 寝かしつけ

 おっぱいで育った優一は、おっぱいの無い私は不愉快らしく、母の胸の方が断然好きである。そんな不利な状況の中、先日、初めて優一を寝かしつけることに成功した。

 ヒントは、先月に行った温泉宿からの帰り道であった。温泉宿に通じる道は、舗装されていなく、非常な悪路である。車は大いに傾き、ガタガタと激しい揺れが続く。大人たちは車が壊れたり、谷に落ちたりしないものかとヒヤヒヤするが、子供たちは、平然としている。

更に驚いたことに、優一はむしろウトウトして眠ってしまったのである。こんなガタガタ道が揺りかごのようになっているのだろうか。

 後日家で、泣き喚く優一を抱っこして、あのときのガタガタ道をイメージしながら優一をガタガタ揺らしてみた。5分くらいガタガタやっていると、優一はグラグラ揺れながらそのうち静かになり、なんと眠ってしまった。やはりあのガタガタは入眠効果があったのだ。もしかしたら、遠い先祖のまだサルだったころ、母にしがみついて移動していたころの記憶があるのかもしれない。

 私の寝かしつけを目撃した妻は、私の動きが異様だと、笑っていた。


日本昔ばなし

 下のつぶやきで書いたとおり、「にんげんっていいな」を編曲してリコーダーで吹いたら、オープニングテーマのほうもやりたくなってしまった。こうなると、私の頭の中は、ずっと「ぼうや〜いいこだねんねしな〜」が鳴り続けてしまう。これを編曲して、吹くまで、私の頭は、どのように編曲しようかとか、どう吹こうかとか、呪いの様にそんなことを考え続けるのである。

 この呪いを解くには、編曲して吹くしかない。ということで、早速吹いた。原曲よりもかなりゆっくりと、しみじみ吹くことにした。吹いているとき、サチコとサチコの友達が部屋におり、遊んでいる中の録音であったため、声が入ってしまった。あとで吹きなおそうと思っていたのだが、いくら吹きなおしても、最初に吹いたものほど上手に吹けないので、そのまま公開することにした。冒頭に彼女らの声が入っているが、ご愛嬌である。

https://www.youtube.com/watch?v=6iT3r_dZaLY


2月6日 にんげんっていいな

 先週末の話だが、サチコのお遊戯会のため、幼稚園に行ってきた。演劇や歌、ダンスなどを観てきた。

 改めて思うのは、幼稚園の先生たちのマルチスキルぶりである。園児たちと走り回るだけの体力に加え、演劇に使用する舞台芸術の準備、脚本(無難で公平な内容にするため、ストーリーは変更される)、演技指導まで行い、果ては自分でピアノを弾いて子供たちを歌わせる。まさに文科系と体育系のスキルを満遍なく身につけていなくてはならないだろう。

 サチコは、「ブレーメンの音楽隊」の劇で、ニワトリの役をやったり、カスタネットを持って歌ったりと、楽しそうにしていた。私自身は、昔からこういうのは好きではなかったのだが、踊り、歌好きは妻に似たのであろう。私に似なくて良かった。

 その中で割りと斬新な音色のピアノ前奏が聴こえてきた。「日本昔ばなし」の「にんげんっていいな」である。私が子供の時によく見ていたが、未だに歌われているとは思わなかった。

 くまのこみていたかくれんぼ おしりをだしたこ いっとうしょう
 ゆうやけこやけでまたあした またあした
 いいな いいな にんげんっていいな
 おいしいおやつに ほかほかごはん
 あったかいふとんでねむるんだろな
 ぼくもかえろう おうちへかえろう
 でんでんでんぐりがえって ばいばいばい

 改めて聴くと、いい曲である。日々の幸せが詰め込まれたような歌詞である。それでいて、その和音と構成は意外に凝っていて、4度の下降進行で始まる和風の前奏、途中で入るマイナー調のメロディや要所に入る凝ったコード進行など、音楽自体も意外に面白い。そんなことをこのピアノ伴奏を聴いていて思った。そして、美しい音を聴かせるというテーマで、リコーダー4重奏にしてみた。

https://www.youtube.com/watch?v=iwZ2KfoIdgY


2月1日 結婚10年

 昨日は、結婚してちょうど10年であった。気付けば、10年である。だからと言って、特に何をするわけでもなく、10年だなぁ、と言って10周年記念日は終わった。

 妻と出会ったのは18歳の時で、妻と出会ってから18年が過ぎた。幼馴染みというほどではないが、十分に長い時間を過ごしたと言えるだろう。運のいいことに、妻とは話も会うし、考え方も近いように感じる。

 昨日は、NHKスペシャルの「ママたちが非常事態!?最新科学で迫る ニッポンの子育て」を一緒に観ていた。母親が子育てで直面する、産後うつや夜泣き、イヤイヤ期、そして旦那に対するイライラなどが発生する仕組みを、科学的に解説した内容であった。

 私は、以前より子供が生まれると、母親の脳内には「旦那を忌み嫌うホルモン」が出るのだと、妻に話していた。適当に言っただけであったが、この番組によると、本当であった。その名前は「オキシトシン」と言う。「オキシトシン」は、筋肉を収縮させてお産を促したり母乳を出したりし、子供に対する愛情を深める一方、自らの安寧を脅かす者に対する攻撃性が増す働きをする。そしてこの「自らの安寧を脅かす者」には、家事をせずにごろごろしたり、逆に育児を手伝ってもろくに使い物にならない旦那も含まれるのだ。

 そんな話をしながら、テレビを観て、結婚10周年は過ぎていった。

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