2016年
3月のつぶやき




3月26日 神経衰弱

 昨日、神経衰弱をやった。メンバーは、サチコとサチコの友達ふたり、妻、私の5人である。神経衰弱といっても、トランプを使うのではなく、動物の絵が描かれた木の札のおもちゃである。

 私は、5,6歳の子供相手なのだから、適当に手加減してやろうと気軽に構えていた。ところが、子供というのは、思いのほか記憶力が良くて、ポンポン札を取っていく。これは本気を出さねばと、集中するが、老いのためか、昔ほど札を記憶できない。

 結局、子供たちとかなり白熱した勝負をした。これは、子供とも本気で楽しめる数少ないゲームだと思った。

 妻と私が抜けた後も、子供たちは3人で神経衰弱を続けていた。そのうち、誰も札を取れなくなった。「当たらないねぇ」などとつぶやきながら、惰性で札をひっくり返し続けている。文字通り、神経が衰弱したらしい。

 そのうち、昼ごはんの時間となり、友達のパパが迎えに来て、そのままお開きとなった。


3月25日 KOKORO NO TOMO

 昨日は、整体に行くためタクシーを予約した。我が家はちょっと分かりづらい場所にあり、タクシーはさんざん道に迷った挙句、電話で道を教えつつ、ぎりぎりの時間でようやく到着した。

 運転手は、私にどこの国の人だ?と訊いたので、日本人だ、と答えた。すると、ちょっと訊きたいことがあるのだがいいか?と言う。いいよ、と答えると、「KOKORO NO TOMO」(心の友)とはどういう意味だ?と訊かれた。私は「親友」という単語を知らなかったので、「Sabahat」(友人)という意味だと答えた。

 以前にも書いたとおり、五輪真弓の「心の友」は、インドネシアでは知らない者はいないほど有名である。日本では全くポピュラーではないのに、不思議なものである。その上、歌詞の意味どころか、題名の意味さえも知られぬまま、インドネシア人に歌い継がれている。

 改めて、この歌の不思議さを実感した。


3月23日 もののけ姫

 宮崎駿の「もののけ姫」は、私が最も好きなアニメーション映画である。この映画が公開されたのは、私が高三のときであった。柔道部を引退し、受験勉強に勤しんでいた夏休みである。一日くらいは勉強を休んで映画を観てもいいだろうと、新宿の映画館に観にいった。

 「もののけ姫」は、その後の私の世界の見かたに大きな影響を与えた。環境問題や人と自然の共存といった問題だけでなく、そもそも世界は奥深く、複雑だと言うことであった。この映画では、最後に誰が正しいとか、間違っていたとかは、言わない。

 先日、サチコと「もののけ姫」を観た。妻は、手や首が吹っ飛んで怖いから観ない方がいいよ、と言ったが、サチコはYoutubeなどで観た「コダマ」が可愛いから観たい、と言う。おそらく、話は良く分からなかっただろうが、ところどころ「凄い。。。」とつぶやいていたので、映画の迫力は伝わったようであった。

 サチコは、車で私と外出する度に、携帯で「もののけ姫」が観たい、というようになった。アニメではなく、オーケストラによる演奏である。バックにアニメーションが表示される。それを観ながら、サチコはもののけ姫の歌が好きだ、と言った。どうやら以前通っていた幼稚園で、昼寝の時間に流れるのがジブリの曲らしく、中でももののけ姫はお気に入りらしい。私に似て、暗い曲が好みのようである。

 先週、リコーダーに編曲するとともに、歌詞を書いてサチコに渡し、歌ってもらった。私のリコーダーに合わせて、サチコの声も録音するのである。これまで何度も遊びでやっていたのだが、公開するのは初めてである。後半からサチコの歌、そして最後はサチコの挨拶が入る、なかなか面白い作品に仕上がった。

https://www.youtube.com/watch?v=KjJdV2u4Gr4


3月12日 園長先生の言葉

 私たち夫婦は、サチコの通っている、JJSTK(ジャカルタ日本人学校幼稚部)の園長先生のファンである。飾らず、暖かいお人柄で、何よりも話が短いのがいい。運動会やお遊戯会などの冒頭に園長先生が話をするが、驚くほど短い。

 昨日は、幼稚園の修了式だったらしく、妻が「みなみじゅうじ」という文集を持って帰ってきた。そして、園長先生の言葉が素晴らしいから是非読んでみて、と言う。

 内容は素晴らしかった。短く、平易な文章でありながら、園長先生の教育方針が示され、幼稚園で学んだことが網羅され、更には説教臭くない形で園児に対する教訓が示されている。ものごとを平易な文章で伝えることは、難しい。頭がいいからこそ、出来ることだし、単に子どもが好きなだけでは出来ない、NHK風に言えば、彼女なりの一本筋の通った「流儀」を感じる。

以下、「みなみじゅうじ」より引用


そつえん おめでとう ございます。
しゅうりょう おめでとう ございます。

おおきくなって TK(幼稚園のこと)をおもいだすとき
『あそんでばっかりだった』とおもうかもしれません。
でも TKのせいかつのなかでみんなは、とてもがんばっていました。
ともだちがじぶんとちがうということ、
「できない」がつづいたあとに きゅうに「できる」がやってくること、
「だめ」は「だめ」でゆるされないこと、
などを らくちんではなく みにつけていきました。
そしてなにより なにがあっても いえにかえると おとうさん おかあさんがいて
みんなを せかいでいちばんたいせつにしていることを しりました。

わすれないでね。
えんちょうせんせい




3月9日 日食

 今日は、インドネシアで皆既日食が観測できる日であった。ジャカルタでは皆既日食ではないが、最大88%もの部分日食となるらしい。偶然、バリヒンドゥーの祝日とも重なったため、家族で日食を楽しんだ。

 最大の部分日食となるのは、朝7時20分。その前から、いつもよりも薄暗く、涼しい。日食用のメガネは持っていないため、前日に工場から蒸着フィルムを少しもらって透かして見た。これで見たところ、光透過性はちょうど良く、くっきり欠けた太陽が確認された。


蒸着フィルムを通して撮った部分日食の写真


観測する人

日食のピークとなったときは、夜明けくらいまで暗くなり、かなり涼しくなった。太陽の力というのは凄い。確かに、日食のメカニズムを知らずにいきなりこんな現象に遭遇した昔の人は、この世の終わりだとかの不安を抱いたであろう。

 日食を肌で感じた後は、テレビをつけて皆既日食が観測されているところの生中継を観ていた。皆既日食となる瞬間の映像を観て再度日食を楽しんだ。


少しずつ欠けていき


もう残り僅か


ついに皆既日食になった!


感動してテレビの写真を撮る人と、全く興味のない人

 サチコも日食は楽しかったらしく、日食の絵をたくさん描いていた。しかし、何度あれは太陽だと教えても、「おつきさま」と呼んでしまうのがほほ笑ましい。そのうち、「おつきさま太陽」と呼び始めて、それはそれで正しいと思った。そして、日食が起こる仕組みを図で説明してあげると、「いじわるおつきさま」と「いじわるされて困っている太陽」の絵が描かれた。

 日食の図を描きながら、改めて不思議な現象だと思った。よくもまあ、太陽と月の見かけのサイズが、ほぼ同じになるくらいの偶然があったものだと思った。月がもう少しでも小さかったら、ここまで面白い天体ショーにはならない。


左下は日食を見るサチコ、その上にはあらゆる形状の日食、
右上にいじわるお月様と困った太陽

 それにしても貴重な体験であった。皆既日食を見に遠出することも考えたが、子供が小さいために諦めた。ちなみに、私は皆既日食といえば、中学生のころ、夢中で遊んだ「ロマンシング・サガ」というゲームを思い出す。ラスボスとの対決の舞台背景が皆既日食を中心に据えた映像で、明るさが徐々に変わる様子がとても好きであった。


邪神と皆既日食という組み合わせが好きであった




3月4日 坊っちゃん

 夏目漱石の「坊っちゃん」を聴き終えた。「聴き終えた」というのは、先月の「つぶやき」にも書いた、オーディオブックである。車の中で本を読むのはしんどいので、朗読の音声データを購入・ダウンロードし、通勤の車中で聴いているのである。

 「星の王子さま」の次は、夏目漱石の「坊っちゃん」を聴いた。私は、このような名作文学はほとんど読んだことがなく、読もうとしても、なんとなく退屈ですぐに眠くなってしまう。しかし、朗読であれば、わりとすんなり入ってくるし、眠くなってそのまま寝てしまうことも、苦痛な車中ではむしろありがたい。中年に向かう年になって、こういった名作のひとつも知っておきたいとも思った。

 「坊っちゃん」は、面白かった。とくかく内容がコミカルで、下らないことを延々と書いていること自体が面白い。そして、凄まじいのは、この小説に一貫している松山を馬鹿にした態度である。「坊っちゃん」は、松山のことをさんざん田舎だの下等だのと悪し様に言うし、地元の人の方言は、何でもかんでも語尾に「なもし」が付く。これはもう、主人公がというよりは、夏目漱石自身が松山を馬鹿にしているとしか思えない。

 簡単に言えば、「坊っちゃん」は東京から松山に教師として赴任し、田舎田舎と馬鹿にし、下らない教師仲間や「卑劣な」生徒たちと出会い、最後は一番嫌いな教師に卵をぶつけ、天誅と称して「ぽかぽか」殴って、わずか一ヶ月で東京に帰るという話である。

 こんな酷い話なのだから、愛媛の人は、夏目漱石に悪意をいだいても良さそうなのに、「坊っちゃん電車」「坊っちゃんスタジアム」など、ことごとくこの作品にちなんだ名前を付けるのはどういう心理なのであろうか。

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