2016年
5月のつぶやき




5月30日 サーカスを観る

 土曜日は、家族でサーカスを観に行った。妻も私も、サーカスを観るのは初めてである。

 私たちは、「サーカスがやってきた!」といって心躍らせた世代ではない。そういうのは、「パンダコパンダ」などの漫画で知っているだけであり、「サーカス」というもの自体、どちらかというと、物語の中で存在するものである。「サーカス」という言葉も、華やかで楽しい一方で、悪い子は「サーカスに売るぞ」と言ったように、どこかアウトロー的な、暗い影を併せ持つイメージもある。いずれにせよ、それらも現実世界での体験と言うよりは、物語の中での存在である。

 そんなサーカスを、インドネシアで観ることになった。イオンモールの近くで行われているということで、観に行った。行ってみると、「パンダコパンダ」で観るような、まさに物語の世界の「サーカス」のテントがそこにあった。私たちは、中くらいの値段のチケット(ひとり約2000円)を買って中に入った。


まさにイメージどおりのサーカスのテントだ!

 中では、ちょうどトラのショーをやっていた。そして、象や色とりどりの人々が現れ、華やかな舞台が繰り広げられる。空中ブランコ、綱渡りのほか、極限まで体の柔らかい人や、鉄のフラフープで、ぐるぐる回転する人など、圧倒的なショーが次々と現れた。どうやら、「Hanoman」という地元のサーカス団が、海外の超人たちを招いて、コラボレーションショーをやっているようである。地元のサーカス団は、空中ブランコなどの伝統的な(?)サーカスを披露し、どことなく親しみやすい雰囲気がある一方、外国人たちは、誰にも真似出来ないような洗練された演技を行っていた。そして、舞台の準備の時間は、ピエロが現れ、常に観客を楽しませてくれる。

 私たち親は、大いに楽しんだ。人間の体というものは、訓練すればどこまでも凄いことができるのだということを実感した。サチコもときどき怖がっていたものの、楽しかったようである。優一は、当然なんのことやら分からなかったようだ。


左:ゾウのショー       右:サーカスといえば、空中ブランコ


左:トランポリンでびょんびょん飛び跳ねる外人  右:終わった後写真撮影、思ったよりあどけない。(妻子は写りが異常に悪いためカット)




5月27日 囲碁

 ここのところ、会社帰りの車の中では、スマホで囲碁するのが習慣になっている。以前は、無料アプリの9路盤と13路盤のみのヴァージョンで遊んでいたが、Googleの開発した「アルファ碁」が韓国の最強プロ棋士に勝利したというニュースで興味が湧き、3ドルくらい払って19路盤まで出来るヴァージョンを購入した。

 囲碁は、シンプルなルールながら、人類が発明した中で、最も複雑なゲームだという。確かに、石はどこに打ってもよく、選択肢が広い。ルールを理解しても、何をしたらいいのかさっぱり分からない。それでも、9路盤、13路盤とプレイして、ようやく10段階の難易度のうち、下から4番目くらいまでは勝てるようになった。

 そして、19路盤を初めてプレイしたとき、一番易しいレベルでも全く勝てなかった。盤の広さが、次元が違うほど広く感じられた。そして今は、一番易しいレベルに勝ったり負けたりと、いい勝負をしながら車の中で過ごしている。19路盤は、一局打つのにかなり時間がかかるため、渋滞にはまった車中での暇つぶしにはうってつけである。

 ちなみにこの一番易しいレベルは、「18kyu」とある。私は、18級のスマホと白熱した戦いをしているのである。アルファ碁への道のりは遠い。


5月24日 火の鳥

 先日、日本食スーパーの二階にある古本屋で、手塚治虫の「火の鳥」を見つけたので、何冊かまとめて買った。学生時代に図書館で読んだことがあるが、通して全部を読んだことは無い。

 「火の鳥」は、間違いなく漫画の中の不朽の名作であろう。そのスケールの大きさ、根底に流れる思想の深さは、何百年経っても色褪せることがないように思われる。

 その一方で、読んでいるとどんどん嫌な気持ちになってくるのも事実である。学生時代の私は、凄い作品だと思う一方で、どうしようもない嫌悪感を抱いたのを覚えている。漫画の持つ爽快感が無く、人間の残酷で愚かな部分が嫌と言う程出てくる。そのため、長い間、手に取るのもためらっていたのである。

 とりあえず、「黎明編」を読んだ。これはまだ読めるほうで、昔の私も普通に読めた。続く作品は、今の私にはどう感じられるのだろうか。


5月23日 最近の優一

 最近、優一はハイハイはもちろんのこと、掴まり立ちもするのだが、立ったり歩いたりはというと、どうも明確でない。気付くと、何も持たずに立っていたり、たまにヨタヨタと3歩くらい歩いたりもする。だからと言って、もうたっちが出来たというにはまだ早い気もする。

 サチコのときは、いきなり大声を上げながら立ち上がったから、初めてたっちが出来た日のことは、かなり明確に覚えているのだが、優一の場合は、どうもそのあたりがよく分からない。

 もしかしたら、親の見方の問題かもしれない。一人目の子供ほどの感動がないのだろうか。このままなんとなくうやむやのまま、いつの間にか歩き、いつの間にか喋っている、というような感じに成長していく気がする。

 サチコとの違いも感じる。優一は、何でも食べるのが好きで、段ボール箱の縁をかじり取ったり、サチコの漫画も食べ、床に敷いたマットも食べる。高いところも好きで、気付くとおもちゃの滑り台の上で両手を離していたり、時にはそのまま転んだりもする。どうも、サチコよりも無鉄砲な気がする。

 これが男の子と女の子の違いなのだろうか。これからどんなやんちゃになるか、楽しみである。


5月16日 絆駅伝、縁日祭

 日曜日は、「ジャカルタ絆駅伝」というイベントに参加した。メンバーは4人で、日本人とインドネシア人混合チームを作り、ひとり3キロずつ、スタジアムの周りを4周走るというものである。日系企業や団体などを中心に、今年は計441チームが出場するという。これまで参加したことがなかったのだが、同僚の誘いに乗り、出場することにした。

 朝6時半スタートということで、5時過ぎの真っ暗な中、会場に集合した。妻は朝早いこともあり、応援に来ることに難色を示していたが、来てくれることになった。

 そして、6時半、地元の和太鼓の演奏とともにスタートした。第1走は元陸上部のマメイ氏である。彼は思ったよりも速かった。レベルが桁違いの自動車会社のチームがひととおり通り過ぎた後、かなり早いタイミングで現れ、第2走で言いだしっぺのスズキ氏にたすきをつなげた。

 何せ、441チームもあるので、たすきを渡すのも大変である。自分のチームがどこにいるか分からず、叫んで探す人、いないのに腹を立てる人、たすきを受け取っても、人ごみをかきわけて通らねばならない。果たしてスズキ氏が戻ってきたとき、私はまだ人ごみに揉まれており、必死に人を掻き分けてたすきを受け取った。

 走り始めてしばらくすると、そこは普通ののどかな日曜日の公園であった。スタート・ゴール地点周辺のみが駅伝モードで盛り上がっているものの、その他は日常モードである。コースはあって無いようなもので、いちおう三角コーンが置かれているものの、コース内でバトミントンをしている人もいた。コース内で手をつないで歩いている家族なども大勢いて、非常に走りづらい。私はそういった人たちを掻き分けながら走った。

 後半になれば、疲れて歩いている選手が目立ってきた。そしてこの人ごみ。。。私も歩いて楽をしたい誘惑と戦いながらとにかく走った。ゴールが近づくと、家族が応援していた。そして、第4走のバトミントンの達人、アデ氏にたすきを渡した。

 3人でゴール近くで待っていると、アデ氏は思った以上に早く戻ってきた。私たちはがぜんテンションが上がり、必死で応援した。これが走ることの不思議さである。走っている最中は、何でこんなことを始めてしまったのだろうとか、早くこの苦しさから解放されたいとか、ネガティブなことばかり考えながら走っているものだが、走り終わってしまうと、非常にさわやかな気分となり、また来年もやろう!ということになってしまうのである。

 順位はまだ公表されていないが、おそらく50位以内には入ったであろう。初出場にしては上出来だ。

 その後メインステージで結果発表、ラッキドローなどのイベントがあった。ラッキードローを引くのは、JKT48のメンバーであった。私は、JKT48を初めて生で見た。日本人メンバーの仲川遥香さんもいた。私はJKT48のことは良く分からないが、仲川遥香さんの凄さは有名である。まるで自国の言葉の様にインドネシア語を操り、気の利いた受け答えで笑いを取る。まさに海外で働く人の鑑といえる。彼女は、朝から皆と駅伝で3キロ走り、ラッキードローを盛り上げ、その後は他の仕事に行ったらしい。

 ちなみに、ラッキドローの1等である、ジャカルタ・成田往復航空券は、私たちのチーム番号のひとつ違いとなり、惜しくも何も当たらず、解散となった。


左:出場メンバー+応援の人      中:ラッキードローするJKT48、初めて生で見た      右:メインステージの写真を撮るドローン、これも初めて生で見た


 駅伝が終わった後は、ブロックMの縁日祭に顔を出した。家族皆早起きで疲れていたので、サチコはかき氷を食べ、私は博多一風堂の屋台で醤油ラーメン(イスラム教徒に配慮してとんこつは出していないようだ)を食べ、サチコはヨーヨーつりをして、神輿を見て帰った。

 日本とインドネシアの友好を感じた一日であった。


左:屋台の前にて、日本の風景にも見える        右:ヨーヨーつりに興じるサチコ


左:女神輿           右:曳山、ここは日本か?と錯覚するときがある



5月9日 カスタネット

 日曜日、家でごろごろしていたら、おもちゃのカスタネットが2つあるのを見つけた。何気なく手に取り、カチカチ鳴らしてみると、これが実に楽しい。両手に持てば、細かいリズムが自由に刻めて、実に楽しい。私は、学生時代に太鼓をやっていたので、アドリブでもリズムを叩き続けられる。

 カチカチやっていると、優一が楽しそうにし始めた。そして、サチコが何気なく踊り始めた。妻もやってきて、踊り始めた。私は、学生時代から踊りの伴奏をするのが好きであった。太鼓を見せる演奏も好きだが、踊りたくなるようなリズムを打って、踊らせるのも楽しい。

 しかも、太鼓と違って疲れない。なんせ、指しか使っていないのである。寝転がりながらでも出来る。生涯楽しめる趣味というのは色々あるが、中でもカスタネットはかなり高齢まで出来る趣味ではなかろうか。

 寝たきりになっても出来るであろう。私は、今のうちからカスタネットの技術を磨き、寝たきりになっても軽快なリズムを叩ける究極の名人になって、「寝たきりのカスタネットネ申」などとしてYoutubeにアップしたいと思った。


5月8日 ボゴール小旅行

 先週末は、インドネシアでは珍しい4連休であった。せっかくなので、1泊2日でジャカルタ近郊の避暑地ボゴールへ小旅行に行った。1日目はインドネシアのサファリパーク、「Taman Safari」へ、2日目はうなぎの養殖をしている「Sindang Reret Unagi Farm」へ行ってみた。

1日目

 Taman Safariは、今回で3回目であったが、何度来ても面白いし、インドネシアの奥深さを感じさせる。

 まず驚くのは、かなりの山奥にも拘わらず、イルカショーが観られることである。どうやって運んできたのであろうか、想像もつかない。そしてそのイルカが、なんと15までの足し算、引き算を理解するである。観客に算数の問題を出してもらい、その答えを、水面を叩く数で答えるというショーをやっていた。


山奥のイルカショー


 次に、前回ミヤザキ一家とも観た、カウボーイショーである。内容はよく分からないが、どにかく終始ドタバタしている。そこで驚くべきは、ネコやネズミまでが決められた動きをしていることであった。どうやってネコやネズミを思い通りに動かすのか、不思議でならない。

 今回初めて観たのは、バードショーであった。タカやフクロウを使ったショーなのだが、登場の仕方が凄い。呼ばれた鳥たちは、近くの檻から出てくるのではなく、まるで山奥の森から呼ばれてきましたという風に、颯爽と表れるのである。こういった演出は、非常に洗練されている。

 あと、ゾウに対する人間の絶大な信頼もここでは垣間見れる。あらゆる動物の中で、ゾウだけは、全く人間と同じ高さにいる。ゾウがその気になれば、人間を踏み潰せる位置にいるのである。そんなゾウの足元では飼育員が携帯をいじっているし、ゾウに乗るコーナーは、専用のコースではなく、人間も普通に立ち入れる場所である。

 そんなゾウに初めてサチコと乗ってみた。乗って、圧倒的な力の差を感じた。古代人は、よくこんな屈強な動物に粗末な石器のみで立ち向かったものである。


初めてゾウに乗った!


 最後に、サチコが「ダーウィンが来た」のビデオを何度も観て大ファンのヒクイドリに会うことが出来た。サチコは他のどのアトラクションよりも感激し、ずっとヒクイドリに見入っていた。そして、「ヒクイドリになりたい」とまで言い出した。ちなみに、「ダーウィンが来た」によれば、ヒクイドリは世界最大の鳥で、縄張り争いのために、強烈なキックを繰り出すという、凶暴な鳥である。特にメスの方が凶暴で、ボスのメスが若いオスをキックで追い払う姿が放送されていた。


左:ヒクイドリに見入るサチコ      右:ヒクイドリキックするサチコ




2日目

 2日目は、ウナギ釣りができると言う、「Sindang Reret Unagi Farm」へ向かった。このうなぎ養殖場は、ボゴール市内から更に南に下った山村にある。行けば、田中さんというオジサンが迎えてくれた。田中さんによれば、釣ったウナギは購入することになり、1キロあたり30万ルピア(約2500円)となる。ここのウナギは日本にも輸出されており、1キロ5千円くらいで取引されているから、相当割安ですよ、とのことであった。

 サチコは、前日からウナギ釣りを楽しみにしており、田中さんに手ほどきを受けながらウナギ釣りを始めた。ウナギ釣りと言っても、入れ食い状態であり、すぐに釣れる。予想はしていたが、ウナギが釣れた瞬間、サチコは驚いて逃げ出した。


ウナギ釣りをするサチコ。次の瞬間、竿を投げ出して逃げ出す。


 結局、計6尾、およそ1.4キロ釣り、白焼きにして真空パック詰めしてもらうのを待ちながら、昼食を頂いた。ウナギの蒲焼にうな肝の串焼き、骨煎餅など、どれも美味しい。そして、自由に庭で遊んだり、東屋でごろごろしたり、巨大ナマズを釣り上げたり、ニワトリを追い回したりできる。昨日の混雑した動物園とは対照的な楽しみ方である。


左:昼食の鰻づくし      右:ナマズも釣れる(キャッチ&リリース)


左:アヒルに見入る優一       右:ニワトリから逃げるサチコ



5月1日 紙を50回折ったら

 サチコが最近「おつきさまの味」がどんなものかと、想像をめぐらせている。甘いのか、しょっぱいのか、ふわふわなのか、硬いのか、などなど。そして、おつきさままで登って行けたら、などと話している。子供らしい想像で可愛らしい。

 そんな話を聞いていると、「紙を50回折ったら月まで届くくらいの高さになる」という話を思い出して話した。妻も知っていると言うことは、「学研の科学」に載っていたのであろう。「50回」という現実的な数に対し、「月まで届く」という、非現実的な結果の対比が印象深く、階乗の性質を感覚的に理解する上で、なかなか面白い実例であった。子供のころの私は、本当にそうなるのか知りたく、新聞紙を必死で折ったのを覚えている。

 ところで、大人になった私たち夫婦は、50回折ると一体どのくらいの高さになるのか、知りたくなった。朝食を摂りながらだったので、ざっくり計算することにした。

 50回折るということは、紙の枚数が250(2の50乗)枚になるということである。

 210=1024なので、約103とすれば、250は約1015(1,000,000,000,000,000枚)ということになる。紙の厚みは色々だが、ざっくり0.1mmとすれば、1億キロメートルとなる。

 妻は、1億キロは計算間違いではないか、と言った。月までの距離が38万キロメートルに対し、あまりに大きすぎる。1億キロだと太陽まで届いちゃうんじゃないの?と言う話になった。しかし、計算しなおしても1億キロである。紙が薄紙で0.05mmだとしても、5千万キロメートル。

 しかし、改めて考えると、40回折っただけではたった10万キロで、月には届かない。42回折れば月に届くが、数として中途半端であり、50回というきりのいい数字にしたのだろう。

 ちなみに、太陽までの距離は1億5千万キロであった。これも0.1mm厚の紙で51回折れば届くが、これまた中途半端である。

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