2016年
8月のつぶやき




8月31日 牛深ハイヤ節

 海外で視聴できるNHKは、放送権の関係でオリンピックが見られない。ニュースでも、写真がいくつか出てくるだけで、映像は全く出てこない。よって、オリンピック期間中は、テレビ番組はかなりつまらなくなる。

 リオ五輪閉会式のあった日曜夜のゴールデンタイムは、なんと「ふるさとの民謡」であった。いつもであれば、NHKスペシャルなど気合の入った番組が放送される時間帯である。がっかりしながらも、元民謡研究会であった妻と私は、ぼんやりと観ていた。

 最後の曲は、「牛深ハイヤ節」であった。「牛深ハイヤ節」は、熊本県天草市牛深に伝わる民謡である。ハイヤ節のリズムは、江戸時代、北前船とともに全国へ伝わった。一説では、徳島の阿波踊りもルーツはこのハイヤ節にあるといわれる。

 学生時代にこの牛深ハイヤ節を取り上げたことを思い出した。女性の踊りは、陽気で色気があり、民研でも人気の曲であった。私は、伴奏を担当していた。

 唄はダケデとモコであった。先天的な才能と言うのはあり、ダケデは音程を取るのが苦手であった。モコは、ウラ拍のリズムを取るのが苦手であった。それでもふたりは、12月の発表会までになんとか克服しようと、一所懸命練習していた。

 発表会が近づいたとき、舞踊担当の先輩の女性に、唄が酷すぎて踊る気が起きないから、唄い手を変更して欲しいと言われた。私は、拒否した。本番までになんとか形になるように頑張りますというようなことを言ったか、もしくは口喧嘩になったかは、覚えていない。

 あれから17年が過ぎ、当時の発表会のビデオを観ると、笑ってしまうほど酷い。それでも、良い思い出だし、これでいいと思う。アマチュアの醍醐味であろう。

 そんなことを思い出しながら、民謡番組を観ていたが、残念ながらこの番組は、唄のみで、踊りは登場しなかった。せめてリオ五輪の裏番組なら、そのくらいはサービスして欲しいと思った。


8月26日 日本へ

 先週は、休みを貰って1年ぶりに一時帰国していた。私はインドネシアでの生活には馴染んでいる方だと思うが、それでも1年帰らないと、無性に日本が恋しくなる。かといって、日本で特にしたいことがある訳でもない。とにかく日本の空気を吸いながら散歩したい。それが一番大きい。あとは、両親や親戚に会い、読みたい本とお好み焼き用の食材を買えば満足である。以下、ダイジェスト。

8月11日(木)
 仕事を終え、そのまま空港へ。夜10時発のJALに乗って日本に向かった。映画の中に「ちはやふる」が上の句、下の句と揃っており、全部観てしまったため、ほとんど眠れず。ハイスピードカメラで競技かるたを撮るという発想自体が面白い。

8月12日(金)
 朝、成田に到着し、妻の実家の福岡に行くため、羽田へ移動。昼食は「てんや」の天丼。福岡に着けば、妻子が迎えに来てくれていた。実家に着いたのは夕方であった。

8月13日(土)
 妻は、優一を連れて高校時代の仲間と女子会ということで、サチコと近所のイオンでデートした。絵本コーナーに「うんこ」という名前の絵本があり、それをサチコが読んでいるすきに本を買い込んだ。世間一般の幼稚園生と同じく、「うんこ」大好き人間となっている。

 フリスビーを買って、公園でサチコと遊んでいたら、スマホを持ってウロウロしている人を多数発見した。これが噂のポケモンGoかと思った。

8月14日(日)
 人間ドックへ行き、ついでに博多駅で本を追加購入。

8月15日(月)
 明石へ行き、父と会う。父は、兵庫県中部にある多可町にロッジと農園を借りており、ここで野菜に水やりをして、トマトやスイカを味わった。スーパーで買うのとは違う美味しさであった。サチコは「となりのトトロ」のメイちゃんのように、楽しく農園を満喫するかと思ったが、虫がイヤだと言って、ロッジに閉じこもって絵を描いていた。

 夜は、近くのホテルで一泊した。父と将棋を打つ。2年前に父がインドネシアに来たときは、完敗したが、今回は私が勝った。矢倉から中飛車という、父独特の戦法を、気付けば私も真似ていた。


左:父家族と       右:農園で水やりをする父

8月16日(火)
 神戸の長田で、叔母および祖父と会った。祖父は、93歳で健在であった。前にも書いたが、有酸素運動が健康に良いというのは、祖父が証明していると思う。今でこそ、足を悪くして歩けないが、これほど健康なのは祖父の散歩習慣が大きいのではないかと思う。

 祖父の車椅子を押して、長田神社までお参りした。普段は1円しか賽銭を入れない叔母が、100円玉を入れているのが印象的であった。

 夜は、大阪のホテルに泊まる。ホテルと言っても、昭和を感じさせるレトロなもので、妙に安心感がある。サチコと近所の銭湯へ行き、瓶牛乳を飲んだ。ちなみに、ホテルに着く前の電車の中で、オッサン同士のケンカが始まり、大阪に来たということを実感した。

8月17日(水)
 大阪で、インドネシアでのサチコの友人、ユウちゃんと会う。ユウちゃんのママは私のリコーダー仲間であった。「キッズプラザ大阪」で一日遊んだ。2人は、買い物ごっこや、郵便配達ごっこなどに夢中であった。大人になれば、嫌でもやらなければならないことが、子供には楽しく映るのかと思った。


おすし屋さんになる二人。人の顔をした寿司が出てきた。

8月18日(木)
 福岡に戻り、歯医者でクリーニングと検査をしてもらう。また、整体に行って鍼治療をしてもらう。合わせてお灸を買って、ツボを教えてもらった。

8月19日(金)
 飛行機で千葉に住む、母と妹と姪に会いに行った。姪は生後2ヶ月で、比べると優一が馬鹿でかく見える。妹が結婚したときも驚きであったが、気付けば母になっていることも驚きであった。餃子を作って食べた。成田ホテル泊。次の日、無事ジャカルタに戻った。


母、妹、姪と餃子を食べる

8月20日(土)
 ジャカルタに戻った。飛行機では偶然サチコの幼稚園の友達と出会った。入国審査で並んでいるときも、「うんこ」「カンチョウ」などの下品な話題で盛り上がる二人。さすが、立派な幼稚園生である。




8月8日 還暦

 土曜日、テレビを付けてボーっとしていると、細野晴臣という人の中華街でのライブをやっていた。彼のことは全く知らないが、聴いていて安心感がある。そして、雰囲気がユルく、体調が悪いときにはこういうのをぼんやり観るのもいいなぁと思った。

 最近、早く60歳になりたいと思う。60を超えた男性は、肩の力が抜け、とても楽しそうだ。この細野晴臣もそうだが、例えば「ブラタモリ」でのタモリもとても楽しそうだ。それでいて豊富な知識とユーモア、スキルも素晴らしく、魅力的である。

 少し前、父から「顧問になりました」という内容のメールが来た。「顧問」という役職の響き、実に楽そうだ。


8月7日 体調について

 どうもここ一週間、体調が悪い。体が硬く、柔軟体操やマッサージをしても改善せず、耳の聴こえも悪い。3年前にメニエール病になって以来、体の調子が大きく変わった。まあ、簡単に言えば、老いたのである。

 理由は、分かっている。ここ1ヶ月、仕事を頑張りすぎた。自分で取り組みたいテーマがあって、それに打ち込んでいたのである。そして、帰りの車の中でも渋滞が退屈で、ついスマホで囲碁やら将棋やらぷよぷよやらをしてしまう。こういう生活をしているうちは、実はあまり体調の変化に気付かない。それがある一線を越えると、疲れがどっとやってくるのである。

 一度この疲れがやってくると、とにかく自分のやりたいことをセーブして、大人しくしているに限る。酒は飲まず、仕事は速攻で帰り、車の中ではひたすらボーっとし、土日もあれこれやりたいと思っていることの一部は諦める。それを2週間くらい続ければ、体調は元に戻るだろう。

 これまで体調が悪くなったらお世話になっていた、日本人鍼灸師がいなくなってしまったことも大きい。ここのところ、インドネシアでは外国人医師への締め付けが異常に厳しく、事実上外国人は医師として何も出来なくなってしまった。かの鍼灸師も噂では逮捕され、1ヶ月程度拘留されたという。

 そこで、自分でお灸をしてみようと思った。柔道部の人が非常に効くと言っているので、日本に帰ったときに買ってこよう。


8月6日 夏祭り

 今週から、妻子が日本に一時帰国している。つまらないが、自分の時間を持てるチャンスでもあるので、リコーダーの多重録音をして遊んだ。

 Whiteberryの「夏祭り」である。和風のメロディとちょっと切ない歌詞が好きであった。また、この時は学生時代だったのだが、所属していた「みんけん」というサークルで、創作合唱曲「祭」を作った際の最後の部分が、この曲に酷似しているということで、サークル内で「パクリ疑惑」が持ち上がって話題になった。

 そんなことを思い出しながら懐かしく吹いた。

夏祭りリコーダー5重奏
https://www.youtube.com/watch?v=iP9kR4TRO0Y

1999年度民謡研究会合唱団全団創作合唱曲「祭」
「祭」MP3(1.7MB)(MP3ファイルです)



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