2016年
11月のつぶやき




11月28日 柔道団体戦

 昨日は、柔道の団体戦であった。ここのところ、本当に試合が多い。そのほかにも、ソフトボールや、バリダンス発表会などイベントが続き、ここ1ヶ月、あまり練習していない。とりあえず、ケガだけはしないようにと思った。

 結果は、優勝であった。私以外のメンバーが磐石であった。私は、60kg以下級の先鋒として出場し、1勝、1敗、1不戦勝と、まあまあの結果となった。ちなみに準優勝も私たちオヤジ柔道家のチームであり、日本人オヤジの強さを見せ付ける形となった。

 珍事があった。準決勝の相手は、元体育学校の卒業生チームで、強かった。私と次鋒のスズキさんが負け、後が無くなった。中堅の元オリンピック選手(!)のノルウェー大使は勝ち、次は副将のフジワラさんである。相手は、元国体チャンピオンということで、がっちりした体格でいかにも強そうであった。

 フジワラさんは、最初劣勢であった。そして、技ありを取られ、ピンチとなったが、不屈の意思で戦い抜き、最後は豪快な大外刈りで見事一本勝ちした。なんとか首の皮一枚繋がり、勝利のガッツポーズをした瞬間、フジワラさんの懐から何かが滑り落ちた。

 よく見ると、タバコの箱であった。フジワラさんは、試合前に緊張のあまり何度もタバコを吸い、それを懐に入れたまま試合をしていたのだ。先日の試合では、スズキさんが指輪をしたまま試合に出てしまい、反則負けになった。異物を身に付けたまま試合をしては、反則負けになりうる。

 場内は騒然となり、審判はタバコを拾い、審議に入った。審議の結果、フジワラさんの勝ちが宣告され、タバコも無事に返却され、場内は爆笑となった。後で聞くと、ライターも入っていたらしいが、これはなんとか懐に留まった。ライターが見つかったら、さすがに火器ということで反則負けは免れなかったであろう。

 決勝戦は、日本人チーム同士の試合である。私の相手は、同じ階級の「カツオ先輩」というあだ名のイマイさんである。色々話をしていると、カツオ先輩は、決勝まで極秘にしている、必殺技があるという。それは、「カツオ落とし」と「カツオ騙し」というらしいのだが、誰に訊いても教えてくれない。当然、本人も教えてくれない。

 試合が始まってしばらくすると、カツオ先輩が目の前でくるりと一回転して突進してきた。これが「カツオ騙し」かと、びっくりしたが、なんとか対応できた。周りで笑っている声が聞こえた気がしたが、こっちは必死なので、よくわからない。なんとか、有効をとり、優勢勝ちすることができた。

 「カツオ落とし」は、試合中はどの技か分からなかったのだが、試合後に訊くと組み際に片襟を持っていきなりかける大外刈りのことであったらしい。これは、前回の練習で、カツオ先輩と乱取りをしたとき、豪快に投げられたので、警戒していた技であった。あのとき、乱取りをしていなかったら、カツオ落としで負けていたであろう。ラッキーである。

 このように、中身の濃い、面白い一日となった。サチコも応援に来てくれ、ずっと友達の子達と遊びまわっていた。


11月20日 バリダンス発表会

 今日は、サチコのバリダンス教室の発表会であった。開演は午後2時からなのだが、化粧やら衣装着替えが大変らしく、集合は朝10時である。準備の間、私と優一はひたすらヒマをつぶしていた。

 バリダンスでいつも楽しみなのは、ガムラン演奏である。民研でも、自分が踊るよりも伴奏をして人を踊らせるほうが好きであった。NHKのど自慢でも、全員が歌った後に紹介される、伴奏メンバーの挨拶が好きだ。ガムランの伴奏者たちも、こういった「職人ぽさ」を持っており、その上確かな実力があって、いつも聴き入ってしまう。


左:ラフな格好でリハをするガムランおじさんたち    右:銭湯で使われるようなプラスチックの椅子に座っているらしい



 開演前、バリダンスのおっちゃんたちは、きれいな揃いの格好で、リハと同じような、安定感のある素晴らしい演奏をしてくれた。鉄琴のような楽器は、右手だけで叩くため、速いリズムでは、それぞれ違うリズムを叩くことで、それを合成して16部音符の再現などをしているらしい。手の動きをよく観察していたが、速過ぎて分からない。また、ほんの少し音程をずらした楽器を同時に鳴らし、わざと音のうなりを作ることで、この独特な音を作っているらしい。西洋音楽では、有り得ない発想である。

 しばらくして、サチコが凄い化粧をして現れた。同い年の4人組で踊るのだが、化粧をすると誰が誰だか分からない。そして、始まる前からかなり疲れている様子であった。そりゃ、こんな格好で何時間も待っていたら、大人でも疲れる。


左:化粧をしたサチコと    右:一緒に踊る4人組。誰が誰だか分からない



 発表会が始まったが、やはりガムランに目が行ってしまう。さっきまでラフな格好でリハをしていたオジサンたちは、揃いの衣装に着替えていた。テンポは自由に動き、かなり難しそうな演奏を、楽しみながら演奏している。かなり疲れると思うが、2時間くらいずっと、疲れた顔もせずに平然と演奏しているのも凄い。


本番のガムランの人たち。この職人ぽさがいい。


踊りも良いが、やはりガムランを撮ってしまう。



 サチコは、3番目の演奏であった。なんだかよく分からずにキョロキョロしている場面もあったが、それなりによく覚え、踊ったものである。


本番。サチコは左から2番目。



 帰路につけば、大雨が降っていたらしく、道は川になっていた。なんとか車も故障することなく、無事に家に着いた。


帰り道、家の前の道が川になっていた。なんとか無事到着




11月16日 この世界の片隅に

 先週、こうの史代さん原作の漫画「この世界の片隅に」のアニメ映画が劇場公開されたらしい。非常に観たいが、インドネシア在住ではどうしようもない。

 こうの史代さんの漫画は、夫婦ともに大ファンである。古風なタッチながら、描き方が非常に丁寧な上、常に意欲的な表現を求め続けていて、ページを開くたび、新作に出会うたびに、驚きと感動がある。中でも戦時中の広島を舞台にした「夕凪の町、桜の国」と「この世界の片隅に」は、秀逸だ。

 「この世界の片隅に」は、戦時中の広島を舞台にしながらも、話の多くはほのぼのとしている。どんな時代にあっても、人の生き方というのは、それほど大きく異なるものではないということを感じる。どんな時代であろうが、人は普通に笑い、怒り、泣く。それでも、戦争を「悲劇」として描かないところに、逆説的な戦争の悲惨さを匂わせている。

 映画は観られないので、漫画を読み返した。改めて、いい漫画だと思った。何度読み返しても、新しい発見があり、解釈があり、そして謎が残る。特に、最終話はどのように理解すればよいのか、そもそも理解する必要があるのかすら分からない。ここは果たして映画で描かれるのか、描くのは難しいが、描かないのは逃げであろう。

 主人公の声が「あまちゃん」の主人公「のん」(能年玲奈)というのも良い。何か芸能界でゴタゴタがあったらしいが、私は好きである。どんな映画なのか、気になる。


11月14日 終わらない人、宮崎駿

 昨日のNHKスペシャルは、宮崎駿への密着ドキュメンタリーであった。「風立ちぬ」を最後に引退した同氏だが、CGを使った短編映画を作っていた。CG制作会社の若者達と、ああでもない、こうでもないとやっている様子が放送されていた。

 宮崎駿は、高校時代の私に初めて「思想」することを教えてくれた人であった。一番思想的影響を受けた人はと訊かれたら、間違いなく宮崎駿と答える。彼の著書「出発点」では、アニメーションに関することだけでなく、世界をどうとらえるか、時代をどう考えるべきか、一個人として何を大事にするべきか、などについて考えた。未だに、私の机のすぐ横にあり、いつでも読める状態にある。

 宮崎駿の言葉は、アニメからは想像もつかないほど、多面的である。ときに毒舌であり、滅茶苦茶であり、それでいて優しさに満ちていたりする。例えば、エコロジストのE・カレンバック氏との対談では、国家を縮小化させるべしとの同氏の意見に対し

「日本の四十七の都道府県を全部独立国家にして、議会制民主主義を選ぶか、共産主義を選ぶか、君主独裁制を選ぶか、立憲君主制を選ぶか、それは全部勝手にしろと。それで、みんな関所を作ってね(笑)・・・。
(中略)そのときに一つの条件は、国連は戦争をやめろとはいわないで、戦争はやってもいいけど、使うのは刀と小銃だけにしろ、と。刀と小銃は国連印をつくるから、それ以外はつかうな(笑)。もしそれを破ったら、その国には原爆を落っことす(後略)」

 また、糸井重里との対談では、「恐ろしくて不思議で不気味なクソジジイになりたい」と明言している。

「ぼくの親父が何を思ったか、木彫りの仏像を買ってきてラッカーで色を塗り始めたんですよ、極彩色で。真っ赤とか銀とか金とか緑なんかで塗ってる。それがズラーっと並んでるんです、部屋に。すごく不気味ですよ。(中略)そういう不気味なものが並んでいる部屋にいるクソジジイになりたいなと思っているんです」

「もしここの菖蒲園(この対談が行われた場所)みたいな庭を持ってたら、ぼくは池の中に石で作った恐竜を置きますね。島作って島の中にトリケラトプスの実物大ぐらいのやつ置いて、草ぼうぼうにしておく。そして子どもは入れない。潜りこまなきゃ見られないようにしておく。冬になると葉っぱが落ちるでしょ、隙間から少し見える。そうすると子どもが絶対しのびこんでくると思う。少なくともこの中に何があるんだろうって思うでしょ。で、見つけたら怒鳴るんですよ。『出てけー!』って。」

 久々にテレビで見る宮崎駿は、いい感じのクソジジイになっていた。ひねくれていて、それでいて正しい。ドワンゴの社長が訪れ、人工知能に作らせたと言う、頭の無い気持ちの悪い動きを見た宮崎駿は、知り合いの身体障害者のことを思い出したと語り、「その彼のことを思い出してね、僕は面白いと思って、これを見ることできないですよ」「これを作る人たちは痛みとか何も考えないでやってるでしょう?」「生命に対する侮辱を感じる」と、激怒していた。

 宮崎駿、75歳。番組の最後では、長編映画の企画書らしきものが出てきた。また彼のアニメが見られるのか、本当に終わらない人である。


11月11日 優一

 優一が、最近面白い。母が叱れば、面白い顔をして笑わせ、怒る気を失わせる。ド直球で叱られるサチコとは対照的で、お調子者である。ウェットティッシュを見つけたら、どんどんと取り出しては、口の中に入れて嬉しそうにしている。

 放っておけば、必ず高いところに登っている。椅子の上やらおもちゃの滑り台の上やら、とにかく高いところが好きである。そして、時々落ちては泣いているが、それでもやめようとはしない。

 妻は、そんな息子の気が知れないというが、私には優一の気持ちが良く分かる。「危ないこと」というのは、魅力的である。高いところに登って両手を離してみたいとか、そういう気持ちは良く分かる。男の子と言うのは、そうやって自分の限界を学んでいるのである。

 サチコは、妻に似て非常に慎重な性格になっている。「石橋を叩いて渡らない」性格は妻譲りであろう。


11月3日 カーフリーデー

 先週の日曜日は、家族でカーフリーデーに行ってきた。カーフリーデーは、毎週日曜日の午前中のみ行われているジャカルタ目抜き通りの歩行者天国のことで、普段は大渋滞となる大通りを自由に歩くことが出来る。

 妻と優一は、何度か行ったことがあるのだが、私とサチコはいつも柔道の稽古に行っており、今回が初めてである。

   タクシーでカーフリーデーの行われているスディルマン通りに行けば、非常に広々として気持ちが良い。ジョギングをしている人や、自分で改造したと思われる、やたら背の高い自転車に乗っている子供など、皆思い思いに楽しんでいる。それらをターゲットとした屋台も多数出ており、賑わっていた。

 まずは、風船を売るおじさんのところで、サチコがニワトリの風船が欲しいと言うことで、買ってあげた。そして、私は朝ごはんにペンペというインドネシア風かまぼこを買って、サチコと食べた。妻と優一は、ブブールアヤム(鳥粥)とアンマンを買って食べた。こういった屋台でも、全く気にせず食べられるようになったあたり、慣れたなぁと思う。

 最後は、スターバックスに入って、ひたすらだらだらし、買い物をして家に帰った。


カーフリーデーの様子、いつもは大渋滞の大通りが歩行者天国に。


左:お気に入りのニワトリ風船を持つサチコ  右:スタバでくつろぐ家族




11月3日 ドラクエ8

 スマホアプリで、ドラクエ8を買った。無性にRPGがやりたくなったのである。無料のスマホゲームが溢れる中、2800円と高いが、一度買えば、全てが完全にダウンロードされ、インターネットの通信も不要、当然追加の課金も無い。

 また、以前はプレイステーション2の専用ソフトであったものが、携帯電話の中で完全に遊べると考えれば、安いともいえる。

 プレイしてみたら、子供時代の懐かしい感じを思い出した。画面は美しく、完全に3Dでアニメのような世界であり、昔のゲームのカクカクした2次元の世界とは違うが、ドラクエはドラクエである。その要素は何一つ変わっていない

 昔のゲームでも、十分に感情移入し、のめり込み、ファンタジーの世界を思い描いていた。その感覚は、技術が進歩し、美しい映像と音楽で再現したところで、必ずしもその度合いが強まるとは限らないことも感じた。まだ始めたばかりなので分からないが、ゲームの創造性や完成度は、私が子供の頃に遊んだものの方が高いようにすら感じる。

 まあ、渋滞の車の中で少しずつ進めていこうと思っている。

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