2017年
2月のつぶやき




2月24日 宮崎駿引退撤回

 今日、仕事をしていると、夕方ごろ妻から「宮崎駿さんが引退撤回したらしい!」というSMSが届いた。

 私は嬉しいと思った。下にも書いたとおり、私の原点のひとつは彼の著書「出発点」にある。もちろん、今読み返せば、必ずしも共感できる内容ばかりではないが、そもそも「思想する」こと自体を、この本で知った。

 今の世界の動きに、違和感を感じている。世界大戦がまた起こるのではないかと、心配している。こんなときに、宮崎さんは何を語るだろうか。何を作るだろうか。かつて司馬遼太郎氏に、色々な人が日本の進路を尋ねたように、今度は宮崎さんが語る番であろう。本人が望まなくても、こういうのは持ち回りのようである。

 私は、明るく楽しい作品を作っていると思いたい。どんな時代においても、人は楽しく生きられるというのは、彼の作品に一貫しているように思う。


2月17日 渋滞の帰り道

 金曜日の夜八時ごろ、仕事を終えて家に帰ろうと、Google Map を見たら、渋滞が凄いことになっていた。Google Mapは、非常に優れていて、道を渋滞の程度に応じて緑、オレンジ、赤、ドス黒赤の4種類で色分けしてくれる。高速道路の場合、緑、オレンジは順調、赤でもそれなりには進める、ドス黒赤は、ほとんど進めない酷い渋滞である。

 今夜の渋滞は酷かった。私の働いているカラワン県からジャカルタまで、ドス黒赤が延々と続いている。こんな酷い Google Map は見たことが無い。軽く5時間はかかりそうだ。

 工場の近くで食事をして、時間をつぶしてみたが、渋滞の状況は一向に変わらない。そこで、一般道で帰ることにした。6年のインドネシア生活で、初めてである。

 一般道は、そこそこ順調であった。川沿いの道をずっと走ったのだが、真っ暗な川の両側に店や屋台が立ち並び、その電灯が川面に反射して、なんとものどかで美しい。建物は粗末だが、そこでのんびりしている人たちは、なんとなく幸せそうにも見える。もしもここで生まれ育ったら、それはそれで悪くない人生かも知れないと思う。

 「このあたりは娼婦たちが多いんだ」と運転手が言った。確かに良く見ると、道端の女性達は、インドネシアにしては露出の多い服を着ている。ベトナムやタイでは普通の格好でも、イスラム教徒の多いインドネシアでは、みだらな服装、ということになる。それでも彼女らは、積極的に客引きをするわけでもなく、のんびり座って雑談している。

 しばらくして、高速道路に入った。5時間かかるだろうと思ったところを、2時間半で着いた。まあまあの結果である。


2月10日 出発点

 宮崎駿著「出発点」を読み返している。1979年から1996年にかけての、彼の書いた記事や対談が600ページ近くにわたり記録されている。以前にも書いたが「出発点」は、私が高校生のときにおこづかいで買った本である。当時の私としては、2600円の本は高かったし、マンガ以外の本にはあまり金を使ったことが無かったが、珍しく買いたいと思って買った本であった。母には「本にはお金をけちってはいけない」と言われた。

 以上は、私の美化された記憶であり、間違っているかもしれない。実際は、親に買ってもらったかもしれないし、大学生になってから買ったのかも知れない。

 「出発点」は、私にものごとを考えるきっかけを作ってくれた。宮崎駿の書いていることは、多面的である。子供のためのアニメーションを作りたいという思いと、アニメーションを商売にして子供を食い物にしているという矛盾を、常に抱えながら仕事をしている。更には時事問題、自然環境とどう向き合うか、教育はどうあるべきか、仕事への取り組み方、彼の独断と偏見に満ちた考えが、飾られること無く書かれ、多面的でありつつも、一方でどこか一貫した考えが根底に流れているようにも感じる。

 「出発点」をまた読もうと思ったのは、トランプ大統領が当選した頃からであった。宮崎駿は「今の子供は未来が明るくないことを知っている」というようなことを言っていた。当時、私が高校生だった頃である。そして今、先が見えなくなっている時代に、どう振舞うべきか、どう子供を育てるべきか。

 改めて「あのころ」に思いを馳せたいと思っている。


2月6日 生活発表会

 土曜日は、サチコの幼稚園の「生活発表会」であった。日ごろの成果を発表すると言うことで、演劇や歌を鑑賞しにいってきた。

 幼稚園生の1年間の成長というのは、著しいものだと思った。昨年の年少組のときの発表会では、歌は音程も何も無く、ただ叫ぶように歌うだけであったのが、年長ではメロディになっている。演劇のセリフも、年長になるとなんとなく抑揚のようなものがついている。

 その後は、それぞれの園児が、頑張ったことを発表するということで、縄跳び、一輪車、鉄棒、跳び箱などの技を舞台で披露していた。運動神経のいい子は、足の届かない高鉄棒にぶら下がったところから、懸垂して逆上がりをしたり、跳び箱6段を平気で飛んでいた。ここまで出来るものかと、感心した。

 一方サチコは、普通の低い鉄棒で、一回前回りをして終わりであった。おそらく、一番運動神経の低い部類に入るであろう。まあ、私の娘だから仕方ない。それでも、それぞれのレベルに応じて、全員が活躍できるよう配慮されているのが凄い。

 最後は、アンクロン(インドネシアの伝統竹楽器)で「星に願いを」を演奏して終わった。アンクロンは、ハンドベルの様に、それぞれが担当の音程の楽器を持ち、自分の音のところで鳴らすという、高度なスキルが必要だが、年長の園児たちは、難なく演奏していた。

 サチコももうすぐ小学生。感慨深い。


2月3日 未確認飛行物体

 先週の話になるが、夜な夜な、家の近くを未確認飛行物体が飛んでいるのを、妻が発見した。最近、毎日の様に出現するという。妻が指差す方向の夜空を見上げれば、確かに正体不明の物体が空を舞っている。

 「それ」は、ブーンというモーター音に似た音を発しながら、ある位置を行ったり来たりしている。それもかなり狭い範囲で、往復している。そして、夜空でもぼんやり光って見える。確かに、これは未確認飛行物体だ。

 一番それらしいのは、ラジコンヘリだが、ラジコンヘリでこんなおかしな動きを繰り返すのは考えにくい。それに、せっかく飛ばすのなら、もっと自由に飛ばすはずで、同じところを往復させるだけの動きは、まずありえない。

 それに、妻の話では、何時間も飛び続けているという。確かに、この特有の音は、家の中まで聞こえるくらい大きく、その音がずっと鳴っている。ラジコンヘリやドローンであれば、バッテリーが持たないであろう。

 結局、正体は分からず、気持ち悪いね、などと話しながら数日が過ぎた。

 そして、仕事中、妻から「正体が分かった」というSMSが来た。なんと、この正体は「Layang-layang koangan」(ラヤンラヤン コアンガン)という凧の一種らしいのである。そして、近いうちに凧のコンテストがあるらしく、その練習だかで飛ばしていた、というのが真相らしい。

 それが分かっても、疑問は残る。モーターも使わずに何故あのような音が出るのか、何故、かなりの精度で同じ位置を行ったり来たり出来るのか。

 たまたま昼に飛んでいたらしく、妻が写真撮影に成功した。しかし、これを見ても、やはりあの不思議な音と飛び方のメカニズムは不明である。インドネシアの不思議がまたひとつ増えた。


Layang-layang koangan



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