2017年
3月のつぶやき
3月25日 ぷよぷよクエスト
日々の通勤時間の暇つぶしに、スマホゲーム「ぷよぷよクエスト」をやっている。2013年の8月に始めたから、もうすぐ4年である。基本的には無料で遊べる。
かつて、スーパーファミコンの「ぷよぷよ」を買ったときのことは、よく覚えている。Wikipediaを見ると、発売日が1993年12月10日とあるから、中学1年生のときである。おこづかいを持って、寒い冬の夜、自転車で隣町のゲーム屋まで買いに行った。ゲームソフトで、発売日にどうしても欲しいと思ったのは「ぷよぷよ」くらいだと思う。主人公の女の子が可愛らしかったことと、パズルゲームの「連鎖」という概念が当時新鮮で、本当によく遊んだ。あのときのように、心からモノが欲しいと思い、実際に手に入れる喜びは、今はそれほど強くない。物欲が少なくなったともいえるし、ときめきが少なくなったともいえる。
「ぷよぷよクエスト」は、そんな当時の懐かしさもあって、少しずつ遊んでいる。基本的に無課金で、たまに地震の義援金になるときだけ、寄付のつもりで100円くらい課金する程度である。それでも、結構金をつぎ込んではまっている人もいるようである。アプリのレビューを見ると、そんなことへの恨み節が多く、面白い。だいたい、下記のような意見が多い。
@「無課金でも十分に楽しめる」
A「無課金の人は課金して強いキャラを手に入れている人に絶対勝てず、ストレスが貯まる」
B「プレイするのが苦痛だが、結構課金してしまったので辞めるに辞められない」
C「やればやるほど損する。金をかけないと勝てない」
@は好意的な意見で、星5つ、ABCは批判的で星1つか2つである。しかし、ゲーム会社にとって、@のようなプレイヤーは歓迎されない。私もそのひとりだが、タダでゲームをしているだけで、収益に全く寄与してくれないからである。一方で、BCのようなプレイヤーは、ゲーム会社にとっての上客であろう。彼らは、どんどん金をつぎ込んでガチャを回し、ストレスを感じながらもゲームに没頭してくれる。
そう考えると、今のスマホゲームと言うのは恐ろしい。ゲームにはまりすぎたあまり、運営を散々酷評する人たちが、ゲーム会社の収益に最も貢献している。昔の様に、発売日を心待ちにして、ゲームを買い、家族や友達と楽しく遊ぶというスタイルとは程遠い。
少なくとも、自分の子供たちがこういう罠にはまらないようにしなければならないし、そのためには世の中の仕組みをしっかり教えなければならない。
3月18日 サチコ卒園
一昨日は、有給を取って、サチコの卒園式に出席した。サチコは、きれいなドレスのような服を着て、先にバスで出発した。私たちは、その後自家用車で出発した。
会場では、子供たちはみんな、きれいな服を着ている以外は普通だが、先生方がいつになく緊張した顔をしているのが印象的であった。この日を最後に帰国する先生もおり、子供たちの成長の喜びと別れる辛さが入り混じったような、表情であった。
卒園証書は、ひとりひとり園長先生から受け取るのだが、受け取った後、将来の夢をひとりひとり発表していた。男の子は「パイロット」、女の子は「飛行機のおねえさん」が多いのは、海外の幼稚園ならではだと思った。その他、「サッカー選手」「おかしやさん」など、よくある将来の夢が続く。ちなみにサチコは「アイドル」であった。
これはよく覚えているのだが、かつて幼稚園生の私は、将来の夢は「トラックの運転手」と答えた。前の人がそう言っていたから、自分もそれでいいや、という感覚であった。6歳で明確な目標など持っているはずが無い。微笑ましい、子供の戯言として聞いていればよい。
そんな中、「オリンピックの柔道選手になりたい」と言った子がいた。空耳かと思ったが、後で妻に聞くと、確かにそう聞こえたという。ジャカルタ柔道部の卒園生はサチコともうひとりだけだが、彼も「パイロット」と答えており、柔道部のメンバーではない。是非とも勧誘したいが、名前も覚えていない。
後半は、優一が泣き出したので、私は優一と外でだらだらと待っていた。式が終わって、最後のクラス活動でも、先生が時々泣きそうな表情を浮かべているのが分かった。思い入れを持って接してくれたことに感謝である。ここの幼稚園は、全然勉強を教えないところが好きである。それでいて、好きなことに没頭させてくれたり、集団での暮らし方を教えてくれたり、バランスが良いと思う。
友達を作るのが苦手なサチコ、運動神経がにぶいサチコ、お絵かきに没頭すると周りが聞こえなくなるサチコ。私たちの娘だなぁと思うし、そのままで良いと思う。もうすぐ小学生。成長が楽しみである。
3月12日 ドラえもん のび太の日本誕生
昨日、家族で映画「ドラえもん のび太の日本誕生」を見に行った。ドラえもんはインドネシアでも有名で、日本で公開された映画は代替観られる。
「ドラえもん のび太の日本誕生」は、私が小学生の時に公開された映画だったと思う。これが、昨年リメイクされたらしい。内容はあまり覚えていないが、雪の中で行き倒れたのび太が、家でラーメンのスープを食べずに捨てたことを後悔し、「あの時、ラーメンのスープを飲んでいれば」と思っていると、ラーメンのスープがいきなり登場して命拾いするシーンだけは、鮮明に覚えている。妻に話したところ、妻もよく覚えているとのことで、当時の子供にとっては、印象的なシーンだったのであろう。
タクシーで映画を公開しているモールまで行ったのだが、渋滞で15分ほど遅れてしまった。映画館に入ると、ほぼ満席で、端っこの席に座って観た。
観始めると、子供の頃に見た映画を思い出してきた。内容はほぼ同じである。アニメ映画の王道を行く、良い内容の映画だと思った。「家出」をしてみたい、というのは、子供の頃に誰でも一度は考えたことであろう。本当に「プチ家出」を実行した人も少なくないと思う。それを7万年前の過去まで家出し、冒険すると言う内容は、子供にとっては、共感でき夢が膨らむであろう。
大人の私としては、家出から戻って、夜遅く帰って来たのび太を、ママが叱りつけるシーンに感情移入してしまった。子供のときとは、観る視点が違うらしい。
サチコは、観終わった後、しょんぼりした顔をしている。「どうだった」と訊くと、「悲しかった」と言った。最後に、のび太が育てた動物達と別れるシーンのことらしい。
妻は、優一と入ったのだが、残席が少なく、別々となった。入ってすぐに優一が泣きだしてしまったため、すぐに映画館を出て、ずっと外にいたらしい。
その後、同じモールにある牛角で焼肉を食べた。インドネシアで牛角に入ったのは初めてである。食べ放題はとても無理だったので、アラカルトで注文したが、高い。また、ビールが無く、ノンアルコールの焼肉屋というのも、日本ではまず無い。それでもお腹いっぱい食べて、満足して帰った。
3月2日 体調を崩す
月曜日の夕方ごろから、体調が悪くなった。寒気がして体がだるい。火曜日は、仕事はしたものの、腹と背骨が痛み、寒気もするので、夕方4時に早退した。家に帰って熱を測ると、37.7度であった。
水曜日は、計画休であった。サチコと柔道の平日練習に参加しようと思っていたが、これには参加せず、他のやるべき事だけをやって、家で寝ていた。熱は37.5度。若干調子が良い。
と思っていたら、夜から下痢が止まらなくなった。夜中も何度か起きてトイレの住人となり、脱水症状にならないよう、塩水を飲んでは寝てを繰り返した。
木曜日、体温は37.0度。私にとってはすでに平熱で、体調も良くなっていたが、下痢が怖い。渋滞の中で便意をもよおしたらと思うと、会社に行ける気がしない。また、これほど酷い下痢も久しぶりだったので、変な細菌に感染してはいないか確かめるために、病院に行った。
検便の結果、変な細菌等は発見されず、血も混じっておらず、まあそれほど悪くない状態とのことであった。下痢止め等の薬をもらったので、それを飲んで午後から仕事をした。
原因はだいたい分かっている。先週日曜日の柔道の練習である。その前の練習の乱取りが久しぶりで、地元の中高生にさんざん投げられ、次はぶん投げてやると意気込んでいた。その甲斐あって、私としては満足した練習となったのだが、それから体がおかしくなった。激しい運動は、免疫力を低下させるのである。その隙に、風邪かなんかのウィルスに入られたに違いない。
一般的に、デング熱は蚊に刺されるとなるとか、腸チフスは不衛生な食事をするとなるとか言われるが、インドネシア人の認識は違う。デング熱も腸チフスも、「疲れ」が原因とされている。要するに、デングウィルスやチフス菌などの魑魅魍魎は、普通に存在していて、それに打ち勝つだけの体力や免疫力が備わっていないときに、患うということである。
頑張りすぎはいけない。日本では、頑張りすぎが美徳とされるが、ここでは頑張りすぎは命にかかわる。
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