2003年
12月のつぶやき




12月22日   「映像の世紀」を見る
 最近NHKのドキュメンタリー「映像の世紀」を再放送している。確か世紀の変わり目に放送された番組で、加古隆のテーマ曲「パリは燃えている」に惹きつけられた記憶がある。折角だからと、毎日ビデオの予約録画をして見ることにした。その映像量はとてつもなく充実しており、明治時代の映像やら、第2次世界大戦当時の日本のカラー映像まである。NHKの気合を感じさせる。そしてそれらの映像は、今のハイヴィジョン映像よりも強烈に伝わってくるものがある気がする。

 私が最も大好きな司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の舞台である、日露戦争当時の映像もある。日露戦争当時の皇帝、ニコライ二世の映像もある。日本軍の騎兵、海兵を支えた秋山好古、真之兄弟や現代俳句、短歌の確立の為に結核の身ながら戦い続けた正岡子規の生きていた時代の、動く映像が残されていると言うのは非常に不思議な気がする。

 また、学生時代合唱曲として歌い、想いを馳せた「ヴォルガの船曳き」が動く映像として残っていた。その映像はあまりに痛々しいものであった。美化された曲想など何の意味もなさない程、現実的で強烈な印象がある。

 この番組は、基本的にそういった20世紀の悲しみについて語られているが、そればかりでもない。映像を見ると、100年前を生きた人々も私たちと同じように笑い、生活しているということに気付く。そして、どんなに技術が進歩しても、今の私たちも100年前と変わらず素朴で、愚かであることに気付く。久しぶりにテレビに釘付けになってしまう番組である。

 ここのところ真面目なことばかり書いている気がする。最近感性が失われつつあると感じることが多い。創作的思いつきがほとんどなく、なんでも現実的に考える癖がついてしまった。そんなもの別になくても構わないが、なんとなく無くしたくないと思い、なにか創作をしてやろうと思う今日この頃である。


12月17日
 今日は午後外出のため、そのまま直帰して5時過ぎには帰宅した。普段帰る時間だと、すでに廊下の電気は消えていて暗いのだが、今日はまだ明るい。クリスマス近くのため、入り口のところにぽつんとクリスマスツリーが飾られていて、そこだけ独身寮らしくない華やかさがある。

 家路につくと、頭が重い。風邪気味のようである。ここのところの寒さがこたえるらしい。それでもせっかくだからと思い、最近見つけたお気に入りの広島焼き屋とキムチ屋に行き、店の人と仲良くなって帰ってきた。

 そういえば最近テレビドラマの再放送を見ている。NHKの「ブルーもしくはブルー」というドラマで、稲森いずみがひとり二役の主演である。テレビドラマなど、「トリックU」以来全く見ていない。

 内容は博多で、平凡な生活を送っている主婦(稲森いずみ)と、東京の裕福だが夫との愛が冷えてしまった主婦(稲森いずみ)が偶然出会い、あまりにそっくりなため一ヶ月だけ入れ替わってみるところから始まる。しかし、入れ替わって生活するにつれ、羨ましく思っていたはずの相手の生活もそれなりに辛い面があることを知る。あまりくどくど述べても仕方ないので、詳しくはこちらを参照してほしい。

 このドラマが凄いと思うことはふたつある。

 ひとつは稲森いずみの演技力である。博多の所帯じみた垢抜けない主婦と、都会の華やかだが孤独な主婦を、見事に演じ分けている。東京弁と博多弁の使い分けもうまい。しかも、ふたりで会話するシーンは交互に演じて後で合成しているらしく、要するに撮影時は誰もいないところでセリフを喋っているということになる。そんなことを感じさせないほど自然な演技である。

 もうひとつはその合成技術である。ふたりで喋っているシーンやふたりが手をつないでいるシーンさえある。それがあまりに自然なため、そっくりさんを使っているのではないかと疑ったほどである。稲森いずみの輪郭を目を凝らしてみてみたが、合成らしき跡は全く見られない。

 連続ドラマなど、続きで見るのが面倒臭くて全く見ていなかった私が、ビデオ予約をしてまで見ようとしている。私のビデオは壊れているが、なぜかNHKだけは録画出来るので幸運である。


 この「つぶやき」を書いているとき、テレビの生放送音楽番組でスマップが登場し「世界にひとつだけの花」を歌っていた。彼等曰く、

「僕達、歌はあんまり上手くないけど、想いがあるから伝わったんだね」

 想いを伝えるために歌を練習するんだろと思った。彼らがひとりずつ歌う部分は、あまりに酷くて聴いていられなかった。まるでカラオケである。CDだとそれなりに聴けるが、生放送だと修正も利かない。こんなに簡単な音程も取れないプロって一体と思った。

 「モーニング娘」も出ていたが、こちらの方がまだ良かった。歌も若干ましであり、なにより踊りやら隊列変換やらが非常に凝っている。相当練習しないと、あれだけ揃わないはずである。笑顔で歌っているが、相当疲れるはずである。


12月15日  炊飯器と親友と私
 前にも書いたが、今私の家にある調理器具は炊飯器くらいである。しかし、その炊飯器を活かしてさまざまな試みをしている。以前、炊飯器で湯を沸かしてカップラーメンを茹でたことは前にも述べた。

 そして今日は炊飯器でうどんを茹でて食べた。即席めんではなく、乾麺である。茹で上がった後は軍手をはめて炊飯釜を取り出し、釜揚げにして食べた。結構美味しかった。

 こんな話を家族にしていたところ、どうやら私の小学校時代の友人は、湯沸しポットでスパゲッティを茹でて食べているらしいと知った。彼とは親友だったが、私が小学校4年生のとき転校で明石を離れて以来、ほとんど会っていない。

 それにしても発想が似てるなぁと思った。


12月13日  今年を振り返って
 あと二十日足らずで2003年も終わる。私にとって今年はどういう年であったかと聞かれると、迷わず23年間の人生で最もぱっとしない一年であったと答える。自分の存在意義とは何かを考え、理想と現実の差を痛感し、自己嫌悪に陥る。そういったことを繰り返し、悶々としていた。

 私は、これまで「今が一番素晴らしい」と思い続けながら生きてきた。「昔はよかった」などと思うことはまずなかった様に思う。

 そのせいか過去の友人を大切にしなかった。かつての仲間よりも今を生きる仲間の方が大事だと思っていたからである。そのせいで、中学以前の友人は現在皆無である。

 そんな私が、今は「昔はよかった」などと思うようになっている。何か変化があってもそれをプラスに考えられず、その変化をよしとしなくなっている。これは明らかな退化であり、よくないことである。気の持ちようで何とかすべきことである。

 といろいろ書いてみたが、言う程悲観しているわけではない。現在「鮭とば」を肴にビールを飲みながらこの「つぶやき」を書いている。金曜日の仕事帰りは至福のひとときである。寮の近くに美味しい広島焼きの店も見つけた。ボーナスも入り、かつてない金持ちになっている。この土日をどう過ごそうか、思案中である。

 というか、最近「つぶやき」の文章力が衰えた気がする。もっと書き慣れねばと思う今日この頃である。


  風呂で口笛を吹く
 現在住んでいる寮の風呂は24時間いつでも入り放題で、かつかなり広い。しかも寮生はあまりいないため、ほとんどの場合広い風呂を独占できるという、かなり恵まれた環境である。

 私は風呂に入るとき、そこで口笛を吹くのがとても楽しみである。口笛は広い風呂中に反響してとても心地よい。さすがに一人のとき以外は吹けないため、他に人がいると風呂の楽しみを半分奪われたような気になる。


  小沢征爾のキャラバン
 昨日の深夜、NHKで小沢征爾の特集をやっていた。彼は幼少より音楽家としての英才教育を受けた、というわけでもなく、単に「音楽好きだった」というところを出発点としているところに魅力がありそうだと感じた。汗をだらだらかきながら一心不乱に指揮している姿は心打たれるものがある。

 彼は友人のチェリストとともに学生たちを引き連れ、本人達で「キャラバン」と名付けた演奏旅行に行っている。これは、地方の名もない村に突然行って、何の宣伝もせずにいきなりコンサートを開く、といったもので、会場も小学校の体育館であったり、お寺の境内であったりする。「クラシックを全く聴かない人にもその良さを分かってもらう」というのが目的らしい。

 その演奏が素晴らしかった。プロのテクニックを持ちつつ、アマチュアのような新鮮さを持って演奏している様に感じた。小沢征爾は「10日間もの演奏旅行を共に過ごした後の、最終日の演奏は本当に素晴らしい」と言っていた。夏合宿っぽいなぁと思った。。


12月6日  今週末のこと
 今週末は久しぶりに寮でだらだら過ごしていたが、ひとつ挑戦したことがある。それは、「パソコンを使って、カセットテープのデータをCDに録音する」ということであった。

 とりあえずウォークマンとパソコンをつなげるコードを買ってきて四苦八苦した。とくにやり方を知っているわけでもないのである。

 半日後、プロジェクトは成功した。かなりの労力を要したが、がんばればなんとかなることを知った。いろいろそれまでの経緯を書こうかと思ったが、めんどくさいので割愛する。  


 お好み焼屋をはしごする
 ボーナスも入ったため、今晩は少し贅沢をしようと駅前まで自転車で出かけた。寿司でも食おうかと思ったが、お好み焼屋を2軒見つけたため、食べ比べをしてみようと思った。ひとつは広島風、もうひとつはもんじゃ焼きも売っている居酒屋である。

 広島風の方は美味しかった。店の人はおそらく関西の人である。話しかけようと思ったが、切り出せなかった。白河にいる頃はいろいろ店の人と話せたが、なんとなく東京の店ではそういう関係を作りづらい。東京砂漠を感じた。

 2軒目はかなりまずかった。家庭で適当に作ってもこんなにまずくはならないであろう。しかも高い。二度と行かないであろう。

 私は、ラーメンなどは何でも美味しいと思って食べてしまうのだが、お好み焼だけはまずいものはまずいと思ってしまう。さすがにお好み焼2軒でそれぞれお好み焼とビールを飲み食いすると腹一杯になり、よたよたと家路についた。

 帰る途中、コンビニでうどんつゆを買った。以前もらったうどんを食べようと思ったのである。次なる挑戦は、「炊飯器でうどんを茹でる」ことである。




12月1日  12月初めのつぶやき
 早いもので、あと1月で今年も終わる。

 先週末は、笛部のステージに出場していた。練習に使っている横浜市の青少年交流センターが一周年を迎えるということで、記念イベントに参加させてもらったのである。同センターによれば、「青少年」の定義とは24歳以下の男女を指すとのことであり、私たちも一応青少年ということになる。

 どんな人たちが来るのだろうと思い行ってみると、なんと出場者のほとんどが中高生バンドであった。中高生と言えば、民研の新入生よりもはるかに若い。平成生まれなどざらにいる筈である。私たちはさすがに話しかけることも出来ず、センターのおばちゃんと話したりしていた。

 さて、ステージはかなり不安であった。「笛部」など、白けて終わるのではないかと思い、どきどきした。一応基本方針を「自信とテンション」ということに決め、ステージに臨んだ。

 舞台に上がり、紹介されたときに「ぎりぎり青少年集団『笛部』で〜す」と言ってみたところ、女子高生から「若〜い」という答えが返ってきて、少し安心した。

 レパートリーの中に「五番街のマリーへ」という70年代の懐メロが入っていたのだが、予想通り反応はいまいちであった。しかし、後ろの方で見ていた中高年カップルだけが、おおはしゃぎで拍手をしてくれていたのが見えた。

 スカボロ・フェアーをやったときには「コンドル?」という声が客席を飛び交っていた。これは世代の差と言うのだろうかと思った。

 最後隣りのトトロの「さんぽ」でしめたところ、かつてないほどの手拍子が湧き起こり、一応盛り上がって、終わった。


 ステージの次の日はYTBの練習に顔を出した。とりあえず久しぶりに木遣り太鼓を叩けたのが嬉しかった。やはり木遣りはいいなぁと思った。

 そう言えば、今日明日は秩父夜祭である。かなり行きたいが、さすがに平日は行けないのが辛いところである。   

topへ