2017年
7月のつぶやき




7月29日 羽が生える

 今朝、妻子が一時帰国した。これから2週間弱、一人暮らしである。

 妻子が一時帰国した夫を、「羽が生えた」と形容することがある。週末の家族サービス等から開放され、自由にゴルフの練習をしたり、飲みに行ったりできるという意味である。家族といるのも良いが、たまには自分の時間をゆっくり持ちたいという思いの表れであろう。

 「羽が生えた」私は、早速リコーダーを編曲して吹いた。つくづく、インドア派である。別に、家族がいてもできるが、没頭は出来ない。ここのところ、インドネシア語検定の勉強もあって、ほとんどリコーダーの練習をしていなかった。

 さっそく、NHK朝ドラ「ひよっこ」のオープニングテーマ、桑田佳祐の「若い広場」を編曲して吹いた。多重録音は、半年以上しておらず、腕がにぶった気がした。演奏も、どことなく重たくなってしまい、もう少し軽やかに演奏できればと思ったが、アップロードしてしまった。

 続いて、リコーダークラブのメンバーからのリクエストで「Can't take my eyes off」(邦題:君の瞳に恋してる)の編曲に取り掛かったが、難しくて途中で投げ出して今にいたる。Youtubeで私よりもはるかに上手に編曲している動画があって、私もまだまだだと思ったら、ほぼ諦めてしまった。

  ↓「若い広場」リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=PDJS3SK5Kqs


7月24日 JJSフェスティバル

 先週の土曜日は、「JJSフェスティバル」(日本人学校の文化祭)があった。システムとしては、小学校5,6年生および中学生が、それぞれのクラスで催しを行い、小学校4年生がリーダーとなって、下級生を引率しながら、上級生の催しを体験するというものらしい。要するに、小学校5年生以上の「お兄さん、お姉さん」がホスト役となり、4年生以下の「子供たち」がお客さんとなるような仕組みである。

 面白かったのは、上級生の催し物のほとんどが、お化け屋敷が、それに準ずるものだったことである。確かに、お化け屋敷は、手軽に楽しませることが出来、怖がる下級生の顔を見るのも面白いだろう。ほとんどのクラスで、不気味な絵が描いてあるのが面白かった。親も入っていいのだが、さすがに子供たちに混じって順番待ちをするほどでもないと思い、お化け屋敷には入らなかった。

 その代わり、ガムラン(インドネシアの伝統音楽)やアンクロン(インドネシアの竹楽器)の演奏体験をして楽しんだ。これらは、主に奥様方が作るサークルが主催している。ガムランは、当然ドレミなどの音階ではなく、特有の記号で音が示される。その音階は、沖縄民謡に近い。同時に同じ音を鳴らした際、わざと若干高め、低めに調整された楽器の影響で、独特のうなりが発生する。西洋音楽では、うなりは悪しきものとされているが、ガムランは、そのうなりを伝統音楽のアイデンティティーとして取り入れている、稀有の音楽であろう。

 アンクロンは、すでに体験は終わっていたが、自由に遊んでいいですよ、とのことで、楽器を触って遊んでいた。竹でできた木琴のような楽器は、半音階ごとにズラーと並んでいるだけで、ピアノのような黒鍵とか白鍵の概念が無い。ちゃんと、音階のシールを貼ってくれているから演奏できるものの、これで複雑な演奏をこなすのは至難の業だと思った。それでも、なんとなく妻と「かえるのうた」を輪唱で演奏したら、「すごいですね〜!」と大げさに褒められ、嬉しかった。

 これらの催しが終わると、子供たちの有志による神輿が始まる。ジャカルタには、かなり立派な神輿が揃っており、日本でも祭りで見かけるような、ガラの悪そうなオッサンが仕切っている。別に悪い意味ではなく、私も昔は、そんな中で神輿を担いだひとりであり、そういう雰囲気が好きである。そんな「ジャカルタ神輿連」の人たちは、学校の活動の他、各種日本祭りのイベントでも活躍されており、おかげで遠い国にいながら、日本の雰囲気を味わうことができる。

 最後は、体育館に集まり、有志の中からオーディションで選ばれた8組が、パフォーマンスを披露する。チアリーディングやバリダンス、バンドなどである。ピアノと三味線のコラボで「ルパン三世」を演奏したり、「千本桜」に合わせてオリジナルのダンスを踊ったり、面白いひとときであった。

 中学生くらいになると、本気で取り組んでいる人の演技は、普通に魅了される。特に、「千本桜」に合わせて踊っていた子は凄かった。才能と、かなりの努力を積まなければあのレベルにはならないだろう。このパフォーマンスだけは、演奏後子供たちも総立ちとなり、アンコールの声が止まなかった。

 とまあ、それなりに楽しんだわけだが、サチコにはほとんど遭わなかった。サチコもまた、グループで上級生のクラスをまわっており、親は親で勝手に楽しんだだけであった。


7月16日 インドネシア語検定

 今日は、インドネシア語検定を受けに、近くの大学に行ってきた。午前にA級、午後にB級を受験し、合計4時間の長丁場であった。3月に受験を決めてから約3ヶ月、通勤の車の中や休日に過去問を解いたり、単語を覚えたりした成果が試される。

 久しぶりに「勉強をしてテストを受ける」という経験をしたこと自体は、疲れたが楽しい経験であった。私は、こうやって自分を高める努力をするのが、好きなようである。結果は分からないが、勝率はA級が半々、B級は7割といった手ごたえであった。

 久しぶりの受験を終えて、とにかく肩が凝った。これほどの肩凝りは、ここ何年も経験していない。家に着いたら、体をほぐすために、サチコを誘ってプールに入って泳いだ。サチコは、私が受験している間に、妻と優一と共にすでにプールで遊んでいたらしいが、私の誘いに応じてくれ、2度目のプールを楽しんだ。

 夜は、妻の希望で近所のモールの焼き鳥屋で夕食を食べた。ここで、ビールのおかわりを注文したら、お会計用の請求書が来るという、珍事があった。日本人が苦手な「L」と「R」の発音の違いで、ビール(Bir)と、お会計(Bill)を間違えられるという、ここでは有名な笑い話である。インドネシア語検定を受けた人が、こんな初歩的なミスをするとは恥ずかしい。インドネシアでビールを注文するときは「ビール」の「ル」を巻き舌で力強く言わなければならないが、疲れていて上手く巻けなかったらしい。

 合格していれば、二次試験(面接試験)は9月となる。しばらく、リフレッシュしようと思う。


7月5日 あのころ

 先週、ロンボク島から帰ってしばらく休暇があったので、浦沢直樹のマンガ「20世紀少年」を読み返した。荒唐無稽なストーリーにもかかわらず、リアリティがあり、伏線が張り巡らされている。改めて名作だと思った。

 1960年代、小学生だった主人公、ケンヂとその仲間が考えた、荒唐無稽な終末論を、のちに新興宗教を立ち上げた別のクラスメイトが実現させ、ウィルス兵器により2001年に世界が終わる。それを阻止しようとしたケンヂ達は、テロリストに仕立て上げられる、というような内容である。話は2015年の「近未来」まで続く。

 では、ケンヂ達はテロリストの汚名を着せられた正義の味方なのか、ということになると、そこは曖昧に描かれる。実際に、のちに「せかいだいとうりょう」となる「ともだち」の暗殺を企てている。他に方法が無いのだ、と言う。この、「他に方法が無い」から暴力に走るという構図は、現実のテロリストと同じである。

 思えば、9.11のテロがあってしばらくの間、私たちは混乱していた。「テロは断固として許さない」という声は、なんとなくそう言わなければならない雰囲気だから言っているように感じた。このマンガは、そのころの作品である。ブッシュが正義の味方で、ビンラディンが悪の親玉なのか、本当にそのように明確に割り切ってもよいのか、という空気が、このマンガを生んだように感じる。

 「千と千尋の神隠し」は、9.11テロの少し前に公開された映画だが、テロの後に映画を観た故・筑紫哲也氏は、この多神教の世界観は、日本からのメッセージになりうると、対談で語っている。

 この対談での宮崎駿氏も、相当過激なことを言っている。以下、いくつか著書「折り返し点」より引用。

「イギリスもアメリカも戦争だらけでやってきましたからね。ですからすぐ旧約聖書の一節か何かを引っ張って来て、かっこいいことを言って、ズカッと行くのは簡単なんです。だからぼくはブッシュが、あの嫌な顔をした、目のくっ付いた、心の狭そうな顔をしたやつが、これはあえて言いますけど、「どっちに付く」と言ったときに、「おれはどっちにも付かねぇよ」と、そのたびに言ってきたんです。(ブッシュが言う)正義なんて、百人集まったら百の正義があると思いますよ。」(P278−279)

「『ゴルゴ13』なんかいったい何人殺しているか分からない。ですから突然、テロを憎もうなんて言っても、どこか地面に足が着かないんですよ。それなのに、何か言ったらやばいという雰囲気がただよっていて、ぼくがここで何か言ったとたんに、(同席しているジブリの)広報の人間が、またやばいことを言ってという顔をしているんです。
 正直に言ったほうがいいんだって。ほんとうに。ぼくはそう思う。」(P279)

「大量消費文明という、このいかがわしいバカ騒ぎがいよいよ終わりに向かってのたうちまわりはじめたという実感がありますね。数万人が二本の巨大な塔の中に集まって、みんな金儲けのためにパソコンのキーを叩いていたわけでしょう。そのほうが文明のあり方として変ですよ。そんな文明を「守ろう」といわれても「はて文明って何だっけ」という話になる。そのような文明のなかに僕自身もどっぷり浸かっていて、その繁栄を享受しているわけですが、それでもビンラディンにも一理あると思ってしまう。しかしテロはやはり許せないから、一筋縄ではいかない感情になるのです。こうなったらブッシュとビンラディンに二人で殴り合いでもして決着をつけてもらえばいい、などと考えたりするんですが(笑)。」(P291-292)

 最後の引用は、「紅の豚」を思い起こすような、微笑ましい発言である。それはともあれ、今は、「テロは絶対許さない」ということにも慣れてきた。しかし、思い起こせばあのころ、そう言うことにとまどっていたような風潮もあったように思う。少なくとも、私はそうであった。そして今、テロを非難する大合唱から一歩引いた、もう少し客観的な視点がないものかということを、あのころのマンガ、アニメを思い出しながら考えるが、相変わらず答えは出ない。


7月3日 将棋実況中継

 昨日は、朝から藤井総太四段と佐々木勇気五段の竜王戦をニコニコ動画で観ていた。途中、柔道をしたり、プールに入ったりしながら、夜まで観ていた。1試合にまる一日かけられるだけでも凄い。

 もちろん、長考に入ると、一手指すのに1時間以上かかる場合もあり、その間に解説をするのだが、解説もすぐに終わり、それが終わると視聴者からのお便りを読むコーナーになる。将棋界の裏話をしたり、更には、棋士の師匠なんかに電話をして、そしたら師匠はすでに酔っ払っててゴキゲンで対応したり、などというやりとりを、真剣に対局している2人の裏で楽しくやっているわけである。そして、「ちょっと休憩します」と言って、20分くらいじっくり考えているふたりの姿だけが映し出される。

 昼食、夕食の前は、ふたりが何を注文したか、食事代を支払うときに取り出した財布はどんなか、などという話で盛り上がり、注文したメニューの写真が映し出される。この真剣なふたりの裏でのお祭気分が、たまらなく楽しい。

 将棋の内容も、面白かった。ふたりの対局は、私が知っている矢倉や美濃囲いといった、基本的な戦法ではなかった。もっと抽象的な世界で戦っているのだと思った。それでも、解説を聞けば、その狙いが分かり、そこまで考えていることに感心する。小さい頃に将棋をやっていてよかったと思った。こういう、理解できる楽しみを味わえるからである。

 サチコに、「将棋を教えてあげようか?」と訊いてみたが、いまいち乗り気でない。そのくせ、私がスマホゲームで将棋を始めると、これはどういう意味だとか、王様はどこだとか色々聞いてくるので、将棋板を広げて将棋を教えた。ひとつひとつの駒の動きを教えて、「王手」とか「詰み」の考え方を教える。少しずつ理解しているようだが、可愛いお姫様の世界が好きなサチコに、将棋のストイックな雰囲気はあまりなじまないようだ。

 藤井四段の30連勝はならなかったが、それでも最後まで緊迫した戦いぶりであった。またヒマなときに観たいと思った。


7月2日 将棋

 ギリ・トラワンガンから帰った後は、2日間のんびりと家で過ごした。その間に、ニコニコ動画で将棋の実況中継を観た。将棋の実況中継を観るなんて、子供のとき以来である。藤井総太さんや「ひふみん」で将棋が注目されていること、夏休みにまた父と将棋を打つ予定があることなどから、観たいと思ったのである。

 ニコニコ動画では、視聴者のコメントがリアルタイムで表示される。一手打つたびに、「こう来たか」「軍曹やべぇ」などの下らないコメントが殺到する。なぜか、一方の棋士は「軍曹」と呼ばれていた。

 久しぶりに観ると、画面上にAIが分析したどちらが優勢かの結果が、まるで格闘ゲームの体力ゲージのように表示されている。そして、優勢度が数値で表され、「1129だと勝ち目ねぇな」など、将棋が分からない人でも、このゲージを見ることで勝負の状況が分かり、コメントを発している。

 そして、昔から変わらないのは、解説の人たちの分析能力である。待ち時間中に、次の一手はどうくるか、そしてその意図は、などを図解してくれる。これが非常に分かりやすいし、そのまま10手以上も進み、プロ棋士たちはここまで読んでいるのかと、関心させられる。

 このつぶやきは、朝に書いている。しばらくすると、藤井総太さんの30連勝の生中継が始まる。さすがにずっとは観られないが、ちょこちょこ観てみようと思う。  

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