2017年
8月のつぶやき




8月29日 インドネシア語検定

 インドネシア語検定の一次試験は、A級、B級ともに合格であった。続けて、来週末の二次試験に進むことになる。二次試験は、下にも書いたとおり、面接試験とのことで、題材となる文章が難しくないことを祈っている。

 インドネシア語検定のホームページによると、A級の受験者は、毎回40〜50人程度で、合格者は毎回1人か2人という、狭き門のようである。過去51回の検定における、A級の累計合格者数は98人とのことであるから、これに合格すれば、日本に100人程度しかいない技能の持ち主になれる。ちなみに、特A級からE級までの総合格者数は13,908人であり、インドネシア語学習者はそこそこいるようだ。

 インドネシアは、まだまだ発展する。インドネシアに関わる日本人は、これからも増えるだろう。今のうちに技能を磨いておいて、万が一会社をクビになっても、時給5千円くらい取れるインドネシア語レッスンが出来るようにしておきたいと、勝手に考えている。


8月27日 優一体調を崩す

 金曜日、私の出社後、妻から優一が吐いたとのSMSが来た。その後も続けて吐いたので、病院に連れて行き、点滴をしたが、帰宅後も嘔吐が酷く、水も受け付けないとのことであったので、私の帰宅後、妻が「ジョハン先生」に電話をし、救急病院に連れて行くことになった。

 「ジョハン先生」は、ジャカルタで子供のいる日本人の駐在員家族なら、おそらくほぼ全員がお世話になっているであろう、日本語の堪能な医師である。見た目はドラえもんのようで、子供たちに親しみやすく、また、インドネシアの医師にありがちな、薬の過剰な処方もしない。また、携帯電話の番号を教えてくれ、電話すると夜中でも対応して下さる。

 病院では、朝まで点滴して様子を診ましょうということになり、妻と優一は病院で泊まった。土曜日の9時前に帰宅したが、その後、嘔吐はなくなり、症状は下痢に移行した。検便でもアメーバ赤痢などの菌は検出されず、とりあえずは様子見である。

 優一の調子は徐々に回復し、日曜日の夜には普通におもちゃで遊び始めた。まだ下痢はあるが、とりあえず一安心である。それにしても、妻を閉口させたのは、体調の悪い優一は、「ぺっぺー、ぺっぺー」(おっぱいのこと)と言いながら泣き、起きている間中おっぱいを要求していたことであった。そのため、妻はこの週末、寝転がって優一におっぱいを与えつつ、ドラゴンボールを読み続けるはめになった。


8月26日 うんこかん字ドリル

 一時帰国中に、妻がサチコの勉強用にと「うんこかん字ドリル」を買ってきた。これは、学習指導要領に即した漢字ドリルでありながら、例文に全て「うんこ」という単語が登場するのである。小学生の大好きな「うんこ」であれば、楽しく勉強できるだろうということらしい。日本で話題になっていると、聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてである。

 サチコは、早速「うんこかん字ドリル」の例文を音読しはじめた。

 「一」・・・「うんこを 一つ もって 出かけよう。」
 「草」・・・「お父さんが 草原に うんこを ばらまいて いる。」
 「水」・・・「水道の じゃ口から うんこが 出て きた。」

 このように、例文はどうしようもない内容ばかりだが、サチコは声に出して読んでは、こっちを見てニコニコしている。ちょうど目の前では、母と優一が昼寝をしていたのだが、そのとき、下記のような例文が現れた。

 「耳」・・・「ねて いる お母さんの 耳元で 『うんこ。』と ささやく。」

 私は、サチコにちょっとやってみろと言ったら、ケラケラ笑いながら真似していた。

 その後、リコーダーの練習にも、「うんこかん字ドリル」を持って行き、一生懸命練習していた。最後までやりとげると、最終ページには認定カードがあり、それを切り取って財布に入れて持ち歩こう、とある。全く、小学生のやる気を出させる工夫が、よくなされている。リコーダー仲間の息子さんも、やっているとのことであった。そのうち、「うんこかん字ドリル世代」というのが出来るであろうという話題になった。

 初めて「うんこかん字ドリル」の存在を知ったとき、下らないと思った。しかし、実際に見て、サチコの勉強ぶりを見ると、これは凄いことかも知れないと、考えを改めた。これまで、世の中の小学生が、周囲の大人の強制なしに、自らの意思でやる漢字ドリルが存在したであろうか。おそらく、これを発案した人は、出版までに相当なご苦労をされ、多大な批判を浴び、そして現在も浴びていると推察する。彼の勇気と努力に、敬意を表したい。

 それにしても「うんこかん字ドリル」世代、どのような大人になるのであろうか。  


8月23日 本

 例の如く、日本では本を大量に買ってきた。「本を買うのにお金をケチるな」というのが、母の教えであり、日本で書店をぶらぶらして、欲しい本を買い貯めるのは、一時帰国の楽しみのひとつである。

 しかし、今のところ、まだ一冊も読み始めていない。9月のインドネシア語検定の2次試験までは、読書を保留して、勉強のほうに集中しようと思っている。二次試験は、インドネシア語の新聞記事などの録音を聞き取り、その内容に対する質問に受け答えするという形式の、面接試験ということである。

 ヒヤリングとスピーキングは問題ないので、新聞レベルの内容を、何度も読み返したり、辞書を引くことなく、一度の黙読で理解できるようにするように、出来るだけ多くのインドネシア語の文章を読むよう努めている。

 別に、読書の時間がないほど、ずっと勉強しているわけでもなく、それどころか、勉強しているのはほとんどが通勤の車の中だけであり、家では日本で買ったけん玉をしたり、室内用のブーメランを飛ばして遊んだり、「ひよっこ」の録画を観たりしているだけなのだが、なんとなく二次試験が終わるまでは読書に集中できない気がする。試験後に、買いためた本を読むのを楽しみにしている。

 とはいえ、まだ一次試験に合格したかどうかも分からないのである。今週末くらいに通知があるとのことだ。一次試験で落ちていたら、次もチャレンジする気力が湧くか、自信がない。


8月20日 日本へ

 今週は、日本へ一時帰国した。ほぼ「いつもどおり」の一時帰国であったが、このルーチンが、私にとっては逆に楽で、嬉しい。

8月12日(土) 

 夕方ごろ、福岡の妻の実家に到着した。一時帰国の度に、こちらで滞在させていただいている。着いたら、義母とサチコ以外は全員風邪をひいていた。妻が珍しく風邪をひき、優一、義父へとうつったらしい。一足先に一時帰国していた家族も、いくつかの予定をキャンセルして家にいたらしかった。義母の血なのか、妻はほとんど風邪をひかない。サチコも小食の割りに健康で、最近はほとんど風邪をひかない。優一は数ヶ月に一度は熱を出している気がする。

 夜は、妻の高校時代の友人であるミカドン一家とイオンモールで食事をした。旦那のエグチさんには、かつて小倉祇園太鼓でお世話になった。まだ1歳のカケル君は、その名にふさわしく、地面に置いたとたん、どこへでも走り出す、元気な男の子であった。食べる量も、優一どころか、サチコよりも食べていた。

8月13日(日) 

 七五三のお参りに、近くの箱崎宮に行ってきた。儀式を終え、鳩のエサを買って境内にいる鳩にエサを与えた。ここの鳩は人馴れしていて、腕にまで乗ってきてエサを貰いに来る。まるで、「天空の城ラピュタ」のシータになった気分だ。しかし、サチコはそんな鳩が怖いらしく、エサを手にするなり、全部ばら撒いて逃げ出してしまった。優一は、まったく怖がらず、逆に鳩を掴もうとしていた。

 その後、博多の東急ハンズでオセロを買った。将棋のルールは難しくて、サチコに分からないが、オセロはすぐに理解し、家で遊んだ。

8月14日(月) 

 この日は、特に予定も無いため、家族で近くのイオンモールをぶらぶらした。ここで、一年分の食糧やら物資やらを買いだめする。ついでに、サチコの髪を切った。3,500円のおしゃれな美容院と、1,000円のQBハウスが並んでいたので、「どっちがいい?」と訊いたら、美容院を指差した。まあ、一年に一度のことだからいいだろう。

 ここで、私はルービックキューブを買った。いまだかつて完全六面をやったことがなく、やってみたいと思ったのである。家に帰って付属の手順書を読んだが、非常に複雑であった。初めての完全六面を成し遂げるのは、三日後であった。


左:髪切りサチコ、一年ぶり  中;お好み焼き屋のポスター、こういうのはインドネシアでは無い     右:おもちゃ屋で、アンパンマンまみれの優一

8月15日(火) 

 父に会いに、家族で明石まで行ってきた。父は、65歳を過ぎても働く「アクティブシニア」として、それなりに楽しく働いているようであった。借りていた農園は、すでに返却したらしく、今は会社の若い連中と釣りに行くのが趣味ということであった。

 父の家で、「探偵ナイトスクープ」の名作をいくつか見ながらのんびりした。別のテレビ局の番組で、わざわざドイツから「探偵ナイトスクープ」を観に来たのに、ロケをやっていなくて観られなかったという、若いドイツ人カップルを探し出し、「おもてなし」をする内容と、5歳にして、自転車で160キロ先のおばあちゃんの家まで行く幼稚園児の話であった。やっぱり探偵ナイトスクープは面白い。

 その後、昨年と同じホテルに行った。ホテルでは、父が「黒ひげ危機一髪」を持ってきてくれ、皆で遊んだが、サチコは最初から怖がって剣を刺そうとせず、優一は、最初は訳も分からずどんどん剣を刺していたのだが、何度か遊んでいるうちに怖くなったらしく、号泣してしまった。その後しばらく、大人だけで「黒ひげ危機一髪」を遊ぶという、異様な光景となった。

 父とは、一年ごとの将棋対決をした。結果は、私の辛勝であった。ギリギリまで追い詰められた後、なんとか勝った。父も今、改めて勉強しているらしい。


左:岡山駅で乗り換えたこだまが偶然エヴァ仕様だった。  右:父夫妻と

8月16日(水) 

 神戸の長田にある、母の実家に行ってきた。今は、母方の祖父と叔母が住んでいるが、94歳の祖父は入院中である。「洋子おばちゃん」は、私が物心つくころから、「私は18歳や」と言い続け、今や18歳にして年金をもらっている。洋子おばちゃんは、3日かけて作るという「水を一切使わないカレー」を出してくれた。毎年、本当に美味しいと思う。タマネギ等の野菜から出る汁だけでカレーが作れるのも驚きである。

 その後、祖父のお見舞いに行った。一ヶ月くらい前に、ベッドから落ちて背骨を2箇所折ってしまい、入院しているが、今はリハビリ病棟に移っている。叔母によると、飲食も少ないらしい。

 一年ぶりに会う祖父は、しんどそうであったが、しっかりしていた。ふたりの曾孫を見て喜んでくれた。祖父と何度も握手をした。きれいな手だと思った。そして、強く、握ってくれた。


叔母と長田神社にて

8月17日(木) 

 福岡に戻り、病院めぐりをした。午前は人間ドック、午後は歯科検診と心療内科である。

 人間ドックでは、少し不整脈があると言われた。精密検査の必要は無いが、これがもう少し酷くなるとペースメーカーが必要ですよ、と言う。血圧が低い、とも言われた。これがもっと下がると、倒れちゃいますよ、という。精密検査の必要すらないのに、ずいぶん脅すなぁと思った。

 歯科検診では、全ての各奥歯2本と親知らず全てが虫歯という、驚きの結果であった。私は、歯磨きは入念に行い、毎日フロスもかけて歯の手入れはかなり気を使っている。去年は一本も無かった虫歯が、今年はいきなり10本に増えるなんて、ありえないことである。

 受付で訊いてみると、少し汚れて見えるところも虫歯として判定しているとのことであった。そして、緊急で治療すべきものでもないとのことであった。放置しておいてもよい虫歯があること自体も疑問である。ここの歯科検診は、毎年ばらつきがあるように思う。来年は、別の歯科に行ってみようと思った。

 心療内科では、いつもどおり自律神経を整える薬をもらった。飲む量も減っているので、今年は少なめである。

 病院巡りとはいえ、蝉の声を聞きながら道を歩くのは、本当に嬉しい。インドネシアも嫌いではないが、一年に一度は日本の空気を吸いたい。日本の空気を肌で感じたい。それが、海外で暮らす活力になる。

 この日は、福岡最後の夜ということで、お寿司を注文してくれ、食べた。インドネシアでは食べられないネタがたくさんあり、お腹いっぱい食べた。福岡の実家では、毎年何から何までお世話になり、感謝である。

8月18日(金) 

 朝の便で羽田に行き、母と妹一家の住む、千葉に行った。ここでは、母と妹が、子供たちのためにプレゼントを用意してくれ、わざわざそれを隠して、サチコに「宝の地図」を渡して探させるというアトラクションまで用意してくれていた。

 私の姪にあたる、1歳のユウリちゃんもまた、食欲旺盛らしく、一歳差の優一とほぼ同サイズに見えた。かつて、世界を渡り歩いた妹は、すっかり子煩悩の母となっていた。本人は、「「千と千尋の神隠し」に例えて、「自分は千尋やと思うとったら、坊を溺愛する湯ばぁばやった」と言っていた。妹の例えは、常に面白い。

 妹とは、オセロ対決をした。妹は、オセロが強く、全く勝てなかったのだが、事前にスマホ相手に特訓しており、まずは私が2連勝した。3試合目は、負けた。2勝1敗で終わろうとしたら、もう一回、と言う。では、この最終戦で勝った方が真の勝者ということにして、もう一試合やったら、負けた。妹曰く、すでに私のクセを見切ったとのこと。将棋の他に、オセロの腕も磨いておかねばならない。

 その後、母と妹が、家の近くにある、駄菓子屋に連れて行ってくれた。近所の子供たちのたまり場となっており、確かに昔こんな店があったなぁと、懐かしくなった。かつて、安い炭酸ジュースにシュワシュワラムネを投入し、吹きこぼさないように飲むという、アホな遊びをやっていたことを思い出した。

 ここで、サチコは思う存分お菓子を選んでいた。

 夜は、母が用意してくれた餃子のタネを、をみんなで包んで食べた。例の如く、サチコは「あめちゃん餃子」を大量に作っていた。そして、「あめちゃん餃子」を食べた人の数をメモし、最も多く「あめちゃん餃子」を食べた人に表彰状を授与していた。

 ここでは、とにかくサチコが常にハイテンションであった。ずっと暴れ、はしゃぎ、喋り続けていた。かつて長田の「洋子おばちゃん」に会うのが楽しみだった、子供のころの私を思い出した。

 その後、羽田空港近くのホテルで一泊し、次の日、無事ジャカルタに戻ってきた。


左:昔懐かしい駄菓子屋     右:母、妹家族と




8月6日 料理

 家族が一時帰国中の2週間は、自炊をしている。日曜日に一週間分を作り貯めするのである。

 作る料理は、前から決まっている。

@根菜(ニンジン、ゴボウ、ダイコン)とキノコに、何らかの肉類を入れた味噌煮
A魚の切り身の煮付け(大体がタイの切り身)
B古代米のような健康そうな米を炊く

 あとは、刺身や朝ごはん用のパン、ミニトマト、毎朝のヨーグルトとヤクルトを買って、酢たまねぎは無くなったら作り置き、といった感じで一週間分の食事をまかなっている。

 @の根菜の煮込みは、私の好きな料理の一つで、家族が帰るたびに飽きることなく毎週のように食べていた。先週は鶏肉を使ったが、今日は豚角煮を作り、それと根菜を合わせた、「スペシャル豚汁」を作ってみた。これが非常に美味しく、家族にも食べさせてあげたいほどである。ちなみに、こんにゃく、じゃかいもなどは、冷凍すると不味くなることが経験上分かっているので、使わない。

 Aの魚の切り身の煮付けは、非常に簡単で、根菜煮込みを作る片手間で、10分もあればできる。フライパンに醤油、みりん、酒、水を適当に混ぜたものを入れて、魚を置き、アルミフォイルで落し蓋をして放っておくだけで良い。

 Bも炊飯器をタイマー予約するだけであり、週2回くらい炊いている。

 上記一週間分の料理を、後片付けまで入れて1時間半くらいでこなしている。優一出産の時に、半年以上一人暮らしをしており、上記料理を作り続けていたから、慣れたもので、苦痛どころか、むしろ楽しんでやっている。そして、根菜ばかり食べているためか、便通もよく、健康になっている気がする。このまま、今週末の一時帰国時の健康診断に臨みたい。


8月5日 リコーダーを吹く

 家族が一時帰国中に、リコーダーの吹き貯めをしている。土曜日は、朝から夕方までずっと吹いている。

 今日は、先週諦めた「Can't Take My Eyes Off You」(君の瞳に恋してる)の編曲に再度挑戦して、多重録音した。たまたま、参考となるよいピアノ楽譜があったので、それを元に編曲したら、そこそこの仕上がりになった。私は、絶対音感も無く、耳コピのスキルもほぼ無いので、ピアノ楽譜の和音やコードを見ながら、リコーダーの音に入れていく、切り貼りのような作業で編曲している。

 吹いてみて、これから仕上げようというときに、余計な1小節が含まれていることを発見し、一からやり直すはめになったが、おかげで演奏も慣れてきて、先週の「若い広場」よりは満足のいく演奏となった。

  ↓「Can't Take My Eyes Off You」(君の瞳に恋してる)
https://www.youtube.com/watch?v=1C66WLsiiG0


8月4日 卒業論文

 今日は、会社の送り迎えをしてくれている運転手が「卒業論文ができた」と言って、見せてくれた。彼は、週末に社会人大学に通っており、定年後は田舎に帰って子供たちに英語を教えたいらしい。もう40台半ばだが、たいしたものである。

 ざっと目を通したが、よく出来ている。英語の歌の歌詞を調べて、そのイディオムの分類をした内容であった。この卒業論文を提出して、教授との面接に合格すれば、教員免許がもらえるらしい。彼は、学生達のなかでも飛びぬけて年配らしい。また、「運転手が大学に行くなんて、ばかじゃないか」みたいなことも言われたらしいが、自分を信じて学業を続けていた。

 インドネシア人は怠け者だとか、日本人は勤勉だとか、平気で言う人がいるが、私はこういった意見には断固として反対する。結局は、何ジンということは無く、自分を高められるかどうかは、個人に帰結するのである。そして、私が更にインドネシア語を高めるために、検定を受けたのも、彼の姿勢が一部影響しているであろう。  

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