2017年
9月のつぶやき




9月28日 インドネシア語検定

 インドネシア語検定の結果は、A級が不合格、B級が合格との結果であった。二次試験の面接では、A級の方が自信があり、逆にB級のほうはうまくいかなかったと思っていたので、意外であった。A級の方が、採点基準が厳しいということなのであろうか。B級の合格者は、180人中14人とのことであるから、そこそこ狭き門をくぐれたことになる。設問別の得点は、長文読解がかなり良く、語彙があまり良くない。文法、作文、リスニングはまあまあといったところか。

 せっかくここまで来たので、次回は再度A級に挑戦しようと思う。次回は、1次試験が免除になるので、来年3月の試験までまだ時間がある。今から勉強しても続かないので、試験1ヶ月くらい前になったら勉強モードに切替えよう。それまでは、少しずつ英語をやろうと思っている。


9月27日 思い出のマーニー

 サチコは最近、スタジオジブリのアニメ映画「思い出のマーニー」がお気に入りで、何度も観ているようだ。先週末、一緒に観ようと言われて、久しぶりに観た。映画館で観て以来である。

 映画は、主人公の杏奈が、学校の課外授業と思われるシーンで、スケッチをしながら、自分は「見えない輪の外側の人間」だと思い、喘息の発作に苦しみながら「私は、私が嫌い」とつぶやくところから始まる。暗い幕開けだが、私はこのシーンにすごく共感する。

 私自身、社交的とは言えない性格であったし、今でもそうだと自認している。今でこそ、「社交的に見せる」スキルを身につけたものの、それでも天性の明るさというのは持ち合わせていないし、くだらないことで自己嫌悪に陥ることもある。おそらく、監督の米林宏昌さんも、「輪の外側の人間」だったのだろうと想像する。実感がなければ、こういう描写はできないだろう。

 主人公の杏奈は、最後は元気な女の子になって終わるが、その後すぐに自己嫌悪に陥ることもあるだろう。マーニーとの出会いが、絶対的な救いになるとは、この映画は言わない。それよりも、こういう小さな出来事の積み重ねで、落ち込んだり、元気になったりしながら生きているものだと、言っているように感じる。

 サチコとのんびり観ながら、そんなことを思った。そして改めて、いい映画だと思った。


9月25日 優一語録

 優一の言葉が面白いので、記録しておく。

・どんどんぷっぷー
 最近お気に入りの、「はたらくくるま」の動画のこと。歌詞に「♪どんどんでてこい はたらくくるま」というのがあり、「どんどん」と、車の「ぷっぷー」が合体したらしい。

・じゅ しぃ
 「水が欲しい」の意。単語の後ろを覚えるらしく、「みず」の「ず」と、「ほしい」の「しい」が繋がったもの。

・ちんちんでた
 おしっこ、またはうんちが出た。

・ちーず
 好物のブロッコリーのこと。好物は全部「ちーず」になっている?

・でぃえ
 意味不明だが、頻発。


9月23日 サチコ運動会

 土曜日は、日本人学校の体育祭であった。ここの体育祭は、小・中学校合同で盛大に行われる。会社の人、アパートの人、柔道仲間、とにかく知っている日本人家族のほとんどは、ここに集まるから、小さな村の祭のようでもある。

 残念なのは、今年から飲酒禁止になったことであった。これまでは、売店で普通にビールが売られており、保護者はビール片手に応援できたのだが、噂では昨年トラブルがあったらしい。まあ、学校の体育祭で飲酒禁止というのは、現代日本では当然であろうから、これも時代の流れというものであろう。

 サチコは、ポンポンを持って踊り、徒競走ではビリになり、玉入れはひとつも入らず、といった感じであった。まあ、私の娘だから、運動会で活躍できるわけがない。それでも、踊りや応援合戦を一生懸命やっている姿を観ていると、感慨深いものがある。

 サチコは、私たちの娘であると同時に、社会の子供でもあるのだということである。社会性を身に付け、集団の中でのふるまいを身につけていく。集団での活動と言うのは、私は得意なほうではなかったし、サチコも同様だと思うが、必ず必要とされるスキルでもある。そういうことを、学校で学んでいるのだと思う。

 後半のハイライトは、中学生男子全員による、組み体操であった。昨今の組み体操に対する批判も、時代の流れであろう。ジャカルタ日本人学校名物の組み体操も、規模を縮小せざるを得ないのも致し方ないと思って観ていたら、最後は100人近くで8段ピラミッドを完成させていた。こちらは、思いっきり時代の流れに逆らっている。こういう決断をすることも、勇気の要ることであろう。

 私は、組み体操をどうすべきかはよく分からないが、観ている側からすれば感動的であった。もしかしたら、嫌々やっている生徒もいたのかもしれないが、その顔の多くは誇らしげにみえた。


9月15日 無題

 今朝、テレビを付けたら、北朝鮮のミサイルが飛んできたと言っていた。先月に続き、2回目だが、前回ほどは大騒ぎになっていないように感じる。「ミサイル慣れ」してきたということであろうか。

 ツイッターを眺めていると、その意見がほぼ真っ二つに割れていることに気付く。右寄りの考え方の人たちは、

・北朝鮮の脅威は、どんどん大きくなっている。
・他の国なら戦争になってもおかしくない事態だ。
・Jアラートが鳴っているのに避難しない人達は、危機管理意識が足りない。

といったような一方で、左寄りの考え方の人は、

・日本に落下しないことが分かっているのに、Jアラートを流すのはおかしい。
・「北朝鮮の動きを完全に把握している」のに、Jアラートの範囲が広すぎる。
・Jアラートをこんなに広範囲に流すのは、無駄に不安感を煽って、憲法改正の気運を高めたい人たちの陰謀
・Jアラートで避難を呼びかけるのに、原発を止めないのはおかしい。

といったところか。便宜上右・左と書いたが、この言い方は正しくないかもしれないし、書いた本人達はそういった自意識はないのかもしれない。私は、個人的には、上で言うところの「左寄り」の考え方に近いが、そんなことはどうでもよい。ただ、この事態に対する、私が私と家族のためにとる行動は、「いつものように、身の回りのことに気をつけて、普通に生活する」ということだけである。私がたまたまインドネシアにいるからではなく、日本にいたとしても同様であろう。

 これは、昨年1月にジャカルタでテロがあった時にも思ったが、少なくとも今のところは、ミサイルにより私や家族が被害に会う確率は、極めて低い。実験段階では、別に爆薬を積んでいるわけでもないだろうから、万が一日本に落下しても、大爆発を起こすとは考えにくい。地面に「グサ」っと刺さるだけではないのか。それよりも、交通事故や、自然災害、病気などで死ぬ可能性の方が、はるかに高いであろう。それでいて、ミサイル攻撃に対する防御は、個人で出来ることが極めて少ないのに対し、交通事故や病気は予防が出来る。

 こういう事態だからこそ、改めて自分の周りにあるリスクを想定し、高い順に予防していくことを考えるのは良いと思う。そしてその場合、今のところ、「個人で出来るミサイル防衛」というのは、「隕石対策」と同じくらい低いほうに分類されるだろう。

 ちなみに、通勤の送り迎えをしてくれる運転手に、「もしインドネシア上空を他国のミサイルが通過したらどう思うか」と訊いてみたところ、「怒りはするが、戦争だと騒ぐほどではない」とのことであった。ただし、他国・他人による意図的な攻撃は、自然災害とは次元の違う話だ、とのことである。

 良いバランス感覚だと思うし、このようにどちらにも偏らないのが、普通だと思いたい。

 余談だが、先月、ミサイルが日本を通過した夜、仕事を終えて家に帰ると、妻がインターネットで見つけてきたと思われる、「ミサイルが飛んできたときの身の守り方」を披露してくれた。四つん這いになって、耳を塞ぎ、目を閉じ、口を開けるらしい。

 私は、「これで君の頭の上にミサイルが『ドーン』と降ってきても大丈夫!」と妻の上に手のミサイルを落として茶化すと、妻は「アンタはミサイルに当たってしんじまえ、私だけ生き残るから」と怒り出した。  


9月10日 インドネシア語検定二次試験

 今日は、インドネシア語検定の二次試験であった。A級およびB級の面接試験である。

 試験の形式は、A級はCDの録音によるインドネシア語の文章を、メモを取りながら聴いた後、2分以内で要約を述べ、面接官からの内容に関する質問5問に答える。B級は、机に用意されているインドネシア語の文章を、1分間黙読した後、声に出して読み、その後、面接官からの内容に関する5問の質問に答える。

 感触としては、いずれも完璧とは言いがたく、合格できるかどうかは分からない。どちらかと言えば、難易度の高いはずのA級のほうが出来が良い気がする。メモを取れるため、面接官の質問に答えやすい。一方で、B級は、質問の答えは手元の文章にあるので、そこから探して答えるだけなのだが、焦ってしまい、これが意外に難しい。1分の黙読では、内容を把握できず、その後の音読でも、発音を気にしながら読んでいると、なかなか内容が頭に入ってこないのである。

 とりあえず、やれることはやったので、後は結果を待つのみである。これで、しばらく勉強から解放され、日本で買いためた本を読んだり、のんびりしようと思っている。


9月10日 やだ

 週末は、子供たちと風呂に入るのが、楽しみのひとつとなっている。今日、優一に「フロに入るぞ」と言ったら、「やだ!」という答えが返ってきた。初めて聞く単語であり、私は楽しくなった。「やだ!」と言えるのは、自我の目覚めのはじめとされ、第一次反抗期のはじまりである。ついに優一も自己主張が出来るようになったらしい。

 私は楽しくなり、何度も「フロに入るぞ」と言ったら、そのたびに「やだ!」が返ってくる。10回くらいそういうやりとりを繰り返しているが、優一の顔はニヤニヤしており、本気で嫌がっているわけでもないらしい。そのまま服を脱がせ、風呂に入れたら、いつもどおり楽しく風呂に入っていた。


9月9日 子守の夜

 この日の夜は、妻が柔道部の奥様方に誘われて女子会に行くとのことで、私と子供たちが留守番をしていた。こういったケースは、優一が生まれてから初めてのことである。

 妻が出発する直前、昼寝をしていた優一が起きだして、泣き始めた。とりあえず、ピタゴラスイッチのDVDを見せて、その隙に妻は出かけた。ピタゴラスイッチのDVDでは、優一は泣きっぱなしであった。

 その後、風呂に入れたが相変わらず機嫌は悪い。しかし、風呂から上がって、「いないいないばあ」を見せたら、急に機嫌が良くなった。この変わり身の早さには驚く。

 夕食は、妻が事前に作っていたカレーである。台所にサチコを呼んで、どのくらい食べるか確かめさせながら盛り付けをしたところ、だらだらせずにちゃんと全部平らげた。コミットメントさせることは大事だなぁと思った。妻によると、甘口が足らなかったため、中辛も入っているとのことだが、サチコは「少し辛いけどそれがまた美味しい」みたいなことを言っており、辛いことの良さも発見できたようだ。

 夜は、絵本を読んで寝た。優一は、眠そうではなかったが、電気を消し、サチコにも優一がなんか騒いでも黙って寝たフリをしていようと言って寝ていたら、みんないつの間にか寝てしまった。

 私にとっては、楽しい経験であった。優一はおっぱいが無ければ無いで、なんとかなることも分かった。妻も、久しぶりにお酒を飲んで楽しんできたようで、たまにはこういうのも良いと思った。


9月2日 ジブリの日

 昨日は午前中は、となりのトトロの歌をサチコに歌ってもらった。妻子一時帰国中に、私がリコーダーで多重録音したのがあったので、それを聴きながら歌うのである。

 サチコは、ハイテンションで、楽しく歌ってくれた。例の如く、演奏前後でアドリブのシャウトが入る。今回はなぜか、両曲とも「映画館に来てくれてありがとうございました!」と叫んでいた。

  ↓「となりのトトロ」
https://www.youtube.com/watch?v=9H_AQONVPRU

  ↓「さんぽ」
https://www.youtube.com/watch?v=-kQ5vtGRPSQ

 午後は、ジャカルタで初のジブリ展「World of Ghibli」に行ってきた。入場料はひとり3千円くらいする。事前の地元のメディアでは、開催当初は準備不足であちこちが建設中だったらしく、さんざんこきおろされていた。

 昨日行ったときは、もうすべて完成していた。前半が、背景画やイメージボード、絵コンテが展示されており、後半は地元クリエイターが作製したオブジェがあった。

 子供時代にジブリの影響を受けたためか、こういった絵を見ているだけで心を動かされる。そして、ひとつひとつの絵が、真剣に描かれたものだということを改めて感じる。

 後半のオブジェもよく出来ていた。最初に現れたのは、ラピュタだが、まさかのオープニングテーマだけに登場する、下に風車の付いたタイプであったことに興奮した。私もこの風車の島が好きである。インドネシアの相当なオタクが作ったに違いない。。


下に巨大な風車の付いたラピュタ。本編にはなく、オープニングだけで登場する。

 子供の王蟲もいた。目が赤くなったり、青くなったりして、足が動く。サチコは怖がって近づこうとしなかったが、最後は慣れてきたようだ。


おそるおそる王蟲に近づくサチコ

 その他、サツキとメイの家も実によく出来ている。ほぼ実物大で、考古学者のお父さんの部屋には、本物の古書が集められて、雰囲気が出ている。


サツキとメイのおとうさんの部屋

 このあたりで、優一が泣き出してしまった。見慣れない巨大なオブジェが怖かったのであろう。ギャン泣きして、そのまま寝てしまった。この前にも、映画でジブリの予告編を観られるコーナーがあったのだが、優一は私の手を引いて後ずさりしていた。これまでも、ドラえもんで泣き、トトロでも泣き、映画館とは怖いところだという認識があるらしい。優一が寝た後、私とサチコは、行列に並んでねこバスに乗り、写真を撮った。


ねこバスにて



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