2017年
10月のつぶやき




10月30日 優一運動会

 先週土曜日は、優一の幼稚園の運動会であった。幼稚園と言っても、2〜4歳くらいが対象の幼稚園だから、チビッコばかりである。

 会場は、廃墟ビルのような怪しいビルの4階であった。妻から、「怪しいよ」と聞いていたのだが、着いてみると、その怪しさにワクワクした。壁や柱は落書きで埋め尽くされており、やってるのか潰れたのか分からない事務所やカフェが入居している。学生時代のサークル棟のようで、少し懐かしくもあった。

 運動会は、グダグダであったが楽しかった。当たり前だが、2歳児がまともに運動会を出来る訳が無い。優一のクラスは、何をするかも分かっておらず、保護者が常に隣で付き添い、手を動かしてあげたり抱っこしてあげたりし、子供は泣き出したりと、それは賑やかである。

 優一も、かけっこをして、親子競技をして、体操をしてと基本的に親が付き添ってやらしてあげた。それでも、よーいどんと言えば真っ直ぐ走り出すし、思ったよりも分かっているな、という感想であった。

 優一のひとつ上のクラスは、また全然違う。親が付き添わなくても、ちゃんと言われたことが出来、泣き出す子も滅多にいない。この一年というのは、大きいんだと、改めて思った。


10月24日 名曲について

 名曲と言うのは、メロディに迷いが無いと思う。いくつかの選択肢のうち、あるメロディラインを選んだのではなくて、「これしかない」という絶対的な調和のあるメロディというのが存在する。たとえば、北島三郎の「与作」などがこれにあたる。私の思い込みに過ぎないのかもしれないが、そういう絶対的なメロディというのは、確かに存在する。私には、歌詞を聴き取る才能が無いらしく、音楽の良し悪しは、いいメロディかどうかと、どんな和声かで理解している。

 「ロマンシング サ・ガ」の戦闘で使用されていた曲は、そういう意味で、名曲だと思う。ゲームをしていたのは、中学生くらいのころだったと思うが、そのときにこの曲に聞き惚れ、20年以上経った今も、寸分違わず覚えており、口ずさめばあのときの高揚が思い出される。

 今は、ネットで調べればすぐに曲が見つかり、この曲についてはmidi音源まであり、リコーダー編曲は非常に容易であった。5重奏にして吹いてみたら、どのパートも重要な役割があり、主旋律だけでなく、全パート総力戦といった感じであった。

 多重録音をしていると、サチコがおもちゃを持って部屋に入ってきて、ずっと居座っていた。気付いたら、彼女もメロディを暗記して、歌いながら手を叩いて大いに盛り上がっている。音楽の趣味は私に似ているのかもしれない。

 そういったこともあり、若干雑音が入ったが、無事に多重録音を終え、アップロードした。ヒマな方は是非聴いてみてください。

↓「ロマンシング サ・ガ バトル2 神々への挑戦 リコーダー5重奏」
https://www.youtube.com/watch?v=7ORRdT8DuPU




10月23日 リコーダーコンサート

 今日は、「栗コーダーカルテット」とリコーダーの第一人者・吉澤実先生、歌手の知久寿焼さんが、ジャカルタでコンサートをやるということで、仕事を終えて向かった。

 遅くなったので、開演には間に合わなかったが、前半のうちに滑り込むことが出来た。

 コンサートを聴きに行くのは、何年ぶりだろう。と思ったら、2年ぶりであった。2年前も同じメンバーがジャカルタでコンサートを開き、それを聴きにいったのである。それ以外は、生でプロの音楽を聴くのは、滅多に無い。

 演奏は、素晴らしかった。栗コーダーカルテットの軽やかでお茶目な演奏と、吉澤先生の笛を極めたダイナミックな演奏、そして、知久さんの不思議な世界が合わさって、それぞれが主張し合いながらも一体感があるような、心地よい音空間であった。音楽と言うのは、幾何学的な音符の並びではなく、もっと有機的で、うねりがあって、心に響くのだと、改めて感じた。ちょっと精神的にも疲れていたので、音楽に身を委ね、気持ちがほぐされるのを感じた。

 演奏を終えて、栗コーダーカルテットの人たちと少しだけ話をし、写真を撮って帰った。貴重な時間であった。


10月22日 優一柔道デビュー

 今日は、優一がほぼ2歳半になったということで、柔道の稽古に連れて行った。サチコも2歳半くらいから始めており、そろそろかと思っていた。

 妻は、心配していた。優一は、同じころのサチコと比べても知能が低く、まだ日本語を解さない。まだおっぱいも飲んでいる。私は、とりあえず、安全面だけ気をつけていればいいだろうと思っていた。

 当たり前だが、2歳半の子がまともに練習できるわけが無い。サチコも始めた頃は、道場の隅でころころ転がっていただけであった。それでも、自由に外で遊べない環境のインドネシアでは、家でDVDやスマホばかり見ているよりは良いかと思い、連れて行っていた。

 優一も、練習時間の2/3くらいは、道場で横になっていた。それでも、一緒に楽しく走ったり、乱取りと称してたかいたかいをしたり、寝技と称しておうまさんをしてやったりと、それなりに楽しんでくれたようであった。

 とりあえず大丈夫そうであった。周りの子供も大人も気を配ってくれて助かった。まあ、少しずつ練習できるようになるだろう。


10月16日 無題

 選挙の演説でも、「プロフェッショナル仕事の流儀」でも、或いは日々の業務の中でも、「気概」「心意気」「気持ちを込める」といった言葉は登場するが、私は意図的にこれらの言葉を軽視している。

 仕事において、「気概」「心意気」「気持ち」があるかどうかは重要ではない。何を実行したか、どのような具体的な変化が起こったかがということが重要であって、そこで働く人の気持ちと言うのは、本来業績とは無関係である。目を輝かせやる気に満ちた人がいるからと言って、自動的に生産性が高まるわけではない。

 音楽においても、気持ちを込めて演奏したかどうかと、その演奏が素晴らしいかは別の話といえる。むしろ、技術的にどのような演奏をすれば、聴き手の心を打つかということが重要で、そのために勉強し、演奏技術を習得するのである。

 しかし、世の中と言うのは真に不思議であって、「気概」や「心意気」などという、目に見えないあやふやなものが、仕事の結果や、演奏の効果に少なからず影響するのである。リコーダーに吹き入れられる息は、単に口から吐き出される空気の風量・風速だけでは測りきれるものではなく、演奏者の思いや人柄が息となって伝わり、笛を鳴らすときの音に影響する。

 そのような不思議な世の中だが、それに甘えてはいけない。「気概を持って仕事をしている」「心を込めて演奏している」そう言うのはあまりに簡単であると同時に、どことなく嘘臭い。出来る限り、技術的な問題として捉え、具体的な方法として提示、解決、鍛錬していくことが重要だと思っている。


10月14日 選挙に行く

 昨日、衆議院選挙の投票をしに、家族で大使館に行ってきた。以前、妻が在外選挙人登録をしていてくれたのである。インドネシアに来て、選挙に参加するのは初めてである。

 手順は日本でのとはずいぶん異なる。事前にいくつかの書類に記入し、投票用紙に記入した後、二重の封筒に入れて、立会人のサインをし、更にそれを速達の封筒に入れ、鍵のかかった投票箱に入れる。投票箱は日本に送られた後、速達で各選挙区に配られるらしい。ちなみに、選挙区はインドネシアに来る直前に住んでいた地域なので、私は福島、妻は福岡である。

 私は嬉しくなった。日本はまだ平和である。日本の政治が素晴らしいとはとても言えないが、上記のような厳重な管理が、ほぼ形骸化し、選挙で不正や暴力的行為が発生しないこと自体、喜ばしいことと言える。

 帰りは近くのモールの「てんや」で天丼を食べた。天ぷらはぼてぼてしていて、「丸亀製麺」の天ぷらのほうが美味しいと思った。一方で、うどんは、「丸亀製麺」よりも美味しいかもしれない、などと話しながら食べた。  


10月14日 体調を崩す

 木曜日の朝、珍しく下痢をしていた。それ以外は問題なかったので、会社に行き普通に仕事をしていたが、午後になって腹痛、腰痛、寒気がし始めたので、会社近くの病院に行った。検便からは、特に異常な最近は認められなかったので、お腹に来た風邪だと思われた。この日は早退した。下痢の場合、渋滞した車での通勤というのが、最もきつい。しかし、不思議なもので、車の中で便意をもよおすことは無かった。

 家に帰って熱を測ると、38.5℃まで上がっていた。そして、夕食を3口くらい食べた瞬間、突然気分が悪くなり、冷や汗が大量に出て、私はトイレに駆け込んだ。その後、横になって寝ていたら、手が痺れてきた。私は、どんなに体調が悪くても、食欲が失われることは無かったので、ショックであった。

 塩分が足りない、と直感的に思った。過去に下痢で脱水症状になったときと似ている。私は、妻に濃い塩水を作ってもらい、少しずつ飲んだところ、症状は治まってきた。その後、少しずつ食事をして、結局完食した。

 次の日、まだ腰痛があるものの、体調は良くなっていたので、会社に行った。通勤の車では、後部座席でずっと横になっていた。午後になると、体調は良くなり、下痢も止まった。とりあえず、一日で治ってよかった。


10月2日 昆虫採集ツアー

 先週の土曜日は、会社の人の誘いで、昆虫採集ツアーに行った。夜の部ということで、夕方5時半にボゴールのプンチャックと言う、ジャカルタの南にある山に集合である。合計7家族が集まり、「博士」と呼ばれる昆虫の専門家に連れて行ってもらう。ちなみに、我が家は昆虫は好きだが、飼うのは面倒と言うことで、キャチ&リリースである。

 土曜日夕方は、プンチャックへの山道は、ジャカルタ方面の一方通行になるため、午後3時には到着して、ヒマを潰していた。全7世帯が集合し、「博士」の話を聞く。「博士」によると、集合場所から更に奥地に30分くらい車で行ったところでライトトラップをしており、光に集まる虫を捕まえるのだそうだ。それにしても、インドネシアにも色々な日本人がいるものだと、「博士」の話を聞きながら思った。「博士」はここで虫の専門家として生計を立てているようだ。

 ガタガタの道を進むと、あたりは一面の茶畑である。ひと気の無い奥地まで行くと、白い布にライトが当てられたライトトラップと、休憩用のテントが用意されていた。ここで、サテ(串焼き)や焼きとうもろこしを食べながらビールを飲んで、虫が集まるのを待っていた。

 暗くなると、ライトトラップに大量の虫が集まり始めた。ほとんどはハネアリや蛾だが、蛾もとてつもなく大きく、見応えがある。そして、この光に誘われて、カブトムシも近づいてきているらしい。博士のアドバイスに従い、ライトトラップの近くの茶畑を、懐中電灯を使って探し始めた。

 しばらくすると、あちらこちらから「見つけた!」という声が上がった。コーカサスオオカブトなど、日本ではまず見ることのできないカブトムシが見つかる。私も、サチコと一緒に茶畑を捜索したが、見つからない。妻と優一は、ライトトラップの近くにおり、妻は蛾の写真を撮って堪能していた。

 しばらくは、子供たちが率先してカブトムシを探していたのだが、そのうち親父たちが血眼になって茶畑を探し回る光景となった。なかなかカブトムシを見つけられない親父たちが、意地になって探しているのである。私もそのひとりとなっていたが、諦めて戻ってきて、ふと目をやると、目の前の茶畑にコーカサスオオカブトが乗っかっている。これを捕まえて写真を撮り、サチコとしばらく観察してから、まだカブトムシを捕まえていない子にあげた。

 夜の8時過ぎに解散となり、帰り道に、このあたりの名物の焼き芋を買って帰った。帰宅したのは夜の11時ごろであった。


左:待ち合わせ場所にて、シャボン玉を買って暇つぶし   右:茶畑を歩いて、採集場所へ向かう


左:妻が撮った巨大な蛾の写真   右:カブトムシを捕まえた人



topへ