2018年
2月のつぶやき
2月26日 一期一会
ここのところ、ドリアンの季節でもあり、毎週の様にドリアンを買っては食べている。ドリアンの好き嫌いは分かれるが、我が家は優一以外の全員がドリアン好きである。匂いも慣れれば良いものだし、味わいは果物というよりも、高級なスイーツの様である。
ドリアンは、知ってのとおり、硬い棘に覆われた巨大な果物だが、その実が熟してくると、先端のほうから自然に5本の割れ目が出てくる。まるで「食べてくれ」と言わんばかりである。そこに指を入れて開けば、包丁を使うことなく割ることができ、中から5房の実が現れる。一体、何のためにこのような形状になったのか、人間に食べてもらうために出来たと思わざるを得ない。
そして、ドリアンを求め続けてしまう理由は、その味が個体ごとに異なることである。ひとつドリアンを買うたびに、新たな出会いがある。美味しいドリアンに出会っても、また同じ味に出会うことは難しい。種類が同じでも、味が同じとは限らないし、たまたまドリアン祭などで売られている地方のドリアンなどは、二度と出会うことは無い。
まさに、「一期一会」という言葉がふさわしく、それだからこそ、次はどのような味に出会えるのかと思いながら、またドリアンを買ってしまうのである。
2月17日 バジャイ
今日は、タクシーで日本食スーパーまで買い物に行った後、バジャイ(三輪タクシー)に乗って帰って来た。
バジャイに乗るメリットは、基本的に無い。乗り心地は悪く、当然エアコンも無く、おまけにタクシーよりも高い。日本食スーパーの前には、タクシーとバジャイが停まっており、タクシーに乗ろうとしたら、サチコがどうしてもバジャイがいい、というのでバジャイに乗り込んだ。
バジャイの運転と言うのは、基本的に交通ルールというものが無いようである。渋滞の道も割り込んだ者勝ち、一方通行も平気で逆走する。そのおかげか、どうやらタクシーよりも早く家に着く、というメリットがありそうだが、時間を測っている訳ではないので、分からない。あと、子供たちが退屈しないので、スマホなどで機嫌を取らなくてもよい、というメリットもありそうだ。その他、ちょっとしたアトラクション気分と、東南アジア気分を味わえる、というメリットもある。
バジャイは、アパートの中まで入ってくれた。私の部屋までの道は一方通行なので、ここでいいから降ろしてくれ、というと、「Tidak apa apa」(大丈夫だ)と言って、アパートの中も逆走して家の前まで行ってくれた。まるで「俺が法律だ」といわんばかりの自信であった。当然ひとけは無く、逆走したからと言って危険と言うことは無い。彼の「Tidak apa apa」の声は、タフな世界を生き抜いてきた自信に溢れているように感じた。そして、世間体を気にして逆走を恐れる自分が小さく見えた。
もちろん、普通に考えれば間違っているのは彼なのだが。
2月16日 知覧節
今日から中国正月を含む3連休である。ふと、日本民謡をリコーダーで吹きたいと思い、すぐに浮かんだのが、間宮芳生編曲の合唱曲「知覧節」であった。知覧節は、鹿児島県知覧地方に伝わる民謡で、この編曲は若い男女の恋を歌ったものとされる。学生時代に歌って、好きな曲のひとつであった。
日本民謡は、もともと和音の概念が無く、これを編曲するのは難しい。間宮芳生の編曲は、現代的でありながらも、美しい和音が登場し、非常に凝った編曲となっている。今思えば、日本民謡の合唱編曲というのは、意欲的な作品が多かった。聴き慣れない和音が登場し、シンプルなはずのメロディを不思議に彩っている。それでいて、「民謡」という、その土地の空気を匂わせるようであった。それは、三味線と尺八の伴奏が当たり前になった現代の民謡のスタイルの方が、逆に感じにくいことであろう。間宮芳生の編曲は、三味線や尺八を使う前は、こんなだったかもしれないと、思わせる力がある。
「知覧節」の楽譜を、約18年ぶりに引っ張り出してきた。学生指揮者をやっていたころだから、楽譜はボロボロで、あらゆるところに書き込みがされている。楽譜を見ながら、リコーダー4重奏に合うように作り直した。
↓知覧節 リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=4Ca-gZu7R68
2月15日 渋滞
ジャカルタの渋滞が酷いことは、よく知られているが、どんどん酷くなっている。ジャカルタから60km程度東に行った、カラワンまで通っているが、私が来た頃は、1時間半程度であった。朝6時半に家を出て、8時ごろに到着する感じである。
そのうち、間に合わなくなってきたので、6時15分に家を出るようになり、6時になりと、家を出る時間が早くなっていった。そして、今年からは5時15分に家を出るようになった。それでも今日は、3時間程度かかり、会社に着いたのは8時すぎであった。
私は、車の中では、できるだけ渋滞のことを考えないようにしている。スマホをいじるか、インドネシア語の勉強でもしているか、外を眺めてぼんやりするか、寝るか、とにかく余計なことを考えてイライラしても仕方が無いと思っている。
それでも、この大量の車がガソリンを無駄に消費し、そこに乗っているひとりひとり、荷物ひとつひとつが無駄に時間を浪費していることを思うと、何と大きな損失であろうかと思う。そんなことが、ほぼ毎日繰り返されている。こういうことは、出来るだけ考えないようにしているが、たまに虚しくなる時がある。
逆に言えば、渋滞のおかげで、スマホゲームのぷよぷよはどんどん強くなり、インドネシア語検定も取得でき、将棋も強くなり、囲碁やチェスのルールも覚えた。プラスに考えるしかなかろう。
2月10日 BELIEVE
サチコが、珍しくリコーダー曲のリクエストをしてきた。小学校で使っている歌本にある「BELIEVE」という歌である。卒業式に向けて練習しているのであろうか。リコーダーに合わせて歌いたいという。
メロディに聞き覚えがあった。ジャカルタリコーダークラブで演奏したことがあるような気がして、楽譜を探していると見つかった。私は早速多重録音を始めた。それほど難しい曲ではないので、少し練習してすぐに録音した。サチコは横にいてマンガを読んだりごろごろしたりしていた。
録音が終わったので、サチコに歌えと言ったら、なんだか面倒くさそうである。だらだらし過ぎて疲れたらしい。そのまま何度か歌って、出来た曲がコチラ
↓BELIEVE リコーダー4重奏+サチコの歌
https://www.youtube.com/watch?v=dR77isUe2LI
2月3日 ウンコの亡霊
昨夜、優一がウンコを漏らした。ウンコを漏らすは毎日のことだが、この日は、おむつの隙間からウンコがはみ出たということである。はみ出たウンコは、優一の足につき、ソファにもポツポツと付着している。妻は優一の服を脱がせて着替えさせ、私はソファについたウンコをティッシュで摘み取ってから、カバーを外した。ウンコが嫌いなサチコは、どこかへ逃げていった。
ウェットティッシュできれいにしたソファや床を見て、ここにはウンコの亡霊がいるのだ、と思った。ここをいくらきれいにしても、しばらくはそこに体をつけることをためらう。私たちは、極端に大便を忌み嫌う。例えば、大便が付着した皿があったとしたら、いくら綺麗に洗っても、あらゆる種類の消毒をしても、もう一度そこに料理を盛ろうとは思わないであろう。それは、その皿にウンコの亡霊が居るからである。
これは、進化論的に言えば、大便を忌み嫌う遺伝子を持った人たちのほうが、感染症などで死ぬことが少なく、生き残ったといえるのかもしれない。
ウンコの亡霊を鎮める方法も、私たちは知っている。私たちは、大便をした後、尻をティッシュペーパーで何度か拭く。これで、実際はきれいになったとはとても思えないが、少なくとも私たちは満足する。ウンコの亡霊が鎮められたのである。ウンコの亡霊の鎮め方は、民族によって異なる。インドネシアであれば、桶の水を使って、左手で洗い流すことで鎮めることが出来る。
ウンコの亡霊の鎮め方は、異なる民族間では相容れないことが多い。日本人にとって、インドネシアの方法は、左手にウンコの亡霊が移動すると考え、これを好まない。尻の亡霊は、乾いた紙で拭くだけで良いが、手に付いたウンコの亡霊は、たとえ石鹸で洗っても鎮まらないのである。一方、インドネシア人は、水を使わないとウンコの亡霊が鎮まったとは思えないようだ。かつて、フェイスブックで、高級モールに入ったらトイレットペーパーしかなく、1ロールまるまる使って拭いても、全然綺麗になった気がせず、気色の悪い思いをしたという投稿を見たことがある。
優一のウンコの亡霊は、それほど強力ではない。子供たちのウンコの亡霊は、可愛いものであり、次の日には、それほど気にせず、普通の生活に戻った。
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