2018年
5月のつぶやき




5月27日 研究室

 今日は、大学の研究室でお世話になった恩師の古希のお祝いということで、横浜に行ってきた。

 私の学生時代は、ほとんどがみんけんの活動ばかりで、研究はそれほど真剣にやっていなかった。卒業以来、ほとんど繋がりもなく、参加しようか迷っていたが、同期のひとりが誘ってくれ、参加することにした。

 15年ぶり位に会う恩師は、驚くほど変わっていなかった。70歳になっても若々しく、ユーモアがあり、不義理な私にも気さくに声をかけてくださった。それ以外に知っていたのは、同期の女性ふたり、ひとつ上の先輩女性、そしてインド人男性の研究仲間であった。先輩は着物のデザイン・作製を、インド人はインド料理屋の経営者をしているという。研究室は地質学であったが、その後の職業は多種多様である。

 話をしながら、色々な話を思い出したり、私が忘れていたことを聞いたりもした。

・巡検(フィールドワーク)に出かけたとき、私は川の水を飲んで腹を壊した。(当時の私は、綺麗な川を見ると、水を飲んで味を確かめていた)

・みんけんの仲間と部室で明け方まで飲み、数時間だけ寝て、その後に思い立って一気に卒論を仕上げた。そのときの集中力は凄まじく、飲まず食わずで夕方まで作業をし続けた。

・高温高圧装置というのを使って、結晶の相転移(炭に高温高圧をかけるとダイアモンドになるような現象)の研究をしていたが、数ギガパスカルという、超高圧をかけるのは、なんと人が油圧ポンプを手で押してかけていた。その装置がある部屋は、森の中にあって、巨大なクモがうろついたりしていた。

 恩師は、上記の高温高圧試験で、予測とは異なる結果が出て悩んでいたとき、結果を見てすぐに、これは面白い結果だと、それの意味するところを語った。データの取り方や研究の進め方、特にlogical thinking (論理的思考法)は、分野は違っても今の仕事に間違いなく活きている。私が大学院に進まず就職すると決めたとき、いくつか就職先を紹介してくださった。結局、そこに就職することはなかったが、就職氷河期の時代、地質学選考が就職するのは楽ではなかった。

 突然思い出したのは、就職2年目に仕事に行き詰まり、仕事を辞めて大学院で学びなおしたいと思った時のことであった。そういえばこのとき、研究室を訪れていた。どんな仕事をしているか話したら、「面白い仕事だね」と言われ、自分がしている仕事が面白いのだということに気付き、仕事を続けることにした。そのことがなかったら、私の人生はまた違っていたであろう。

 大学といえば、みんけんの思い出ばかりが浮かぶが、研究室でも私はお世話になり、勉強をし、今に活きていることを知った。研究室と、誘ってくれた同期に感謝する。


5月25日 英語・マンガ

 出張中は、テレビでニュースを一通り見た後は、たいていCNNをかけている。自由な時間が多い今のうちに、少しでも英語を上達したいと思っている。

 英語のヒヤリングは、本当に難しい。かなり集中して聞いても、聞き取れる単語は、2割くらい。それをつなげても、一体何の話をしているのか分からない。ニュースの見出しを見て、何のことか何となく分かるだけである。文字を見ながらなら分かるが、音声だけではほとんど歯が立たない。

 継続していれば少しずつ分かると信じて、日々聞いているが、今のところ上達する気配は無い。


 近くにTSUTAYAがあったので、マンガを借りて読んでいる。普段、マンガはほとんど読まないので、久しぶりである。

 今はレンタルの時代だと思う。車を持たなくても、レンタカーが安いから初期投資や維持費を考えれば、使いたいときに借りた方が良い。マンガも、買うと高いし、それだけ家の荷物となる。TSUTAYAやGEOでマンガを借りられると知ったのは、帰国してからであった。1冊あたり70円で、1週間借りられる。出張中の暇つぶしにはちょうど良い。話題になっていると思われるマンガを10冊借りた。

「不滅のあなたへ」・・・謎の球体が、あらゆるものに姿を変えつつ世界をさまよう物語。ちょっと読みづらく、リアリティに欠ける。マンガ自体が嘘の世界だが、「嘘」を本当にありそうだと思わせる説得力に欠ける、という意味である。5巻まで借りたが、続きは知らなくても良いと思った。

「約束のネバーランド」・・・楽しく暖かい孤児院が、実は「人間牧場」であったという事実を知った子供たちが、知恵と勇気で脱出を試みる物語。どのような展開になるのか、ワクワクする。少し読みづらい。

 2作とも「読みづらい」と書いたが、最近のマンガは読みづらい。「ワンピース」も分かりづらい。マンガが変わったのか、私の理解力が落ちているのかは、分からない。


5月25日 出張中の食事

 ホテル暮らしでは、自炊が出来ないので、基本的に下記の通りとなっている。

 朝食・・・コンビニおにぎり、野菜ジュース、ヨーグルト、酢タマネギ
 昼食・・・工場の食堂
 夕食・・・外食

 朝食は、「一日分の野菜が入っている」と大きく書いている野菜ジュースを飲んでいるので、これが本当であればあとは野菜を食わなくてもいいらしい。そして、最もバランスが良さそうなのが、昼食である。工場食堂では、「栄養短大メニュー」というのがあり、ヘルシーで美味しい。

 夕食は、その日の気持ちで適当に食べているが、食費もかさむので、あまり贅沢は出来ない。ホテルが繁華街にあるので、選択肢はいくらでもあるが、よく使うのは下記

「ぎょうざの満州」・・・(恐らく)埼玉だけにある餃子チェーン店。「3割うまい!!」という謎のキャッチコピーが皿に書かれている。ホテルからの徒歩圏内になんと3店舗もある。「ダブル餃子セット」は餃子12個にライス、スープが付いて550円。店のチープな雰囲気とは裏腹に、味は良い。牛丼の次にリーズナブル。

「メープル」・・・川越市駅近くにある広島焼きの店。私は、新しい土地に行くと必ず広島焼きの店を探す。通うかどうかの基準は、「自分で作るより美味しいか」。広島以外の地域では、自分で作るより美味しい広島焼きの店に出会う確率は3割くらいである。ここは、美味しかった。私は、本来お好み焼きにかつお節をかけるのは好きではないが、ここはそのかつお節さえ美味しい。プチ贅沢をしたいときに使っている。大量の野菜を食べられるので、健康にも良いだろう。朝に「一日分の野菜」を摂取しているので、過剰摂取となるかも知れないが。


5月20日 埼玉へ

 仕事の都合で、3日前から埼玉の川越で単身ホテル暮らしをしている。1ヶ月くらい滞在する予定である。家族がいなくて寂しくはあるが、気楽でもある。ただ、ホテルだと調理ができないので、外食かコンビニ飯が基本となり、食費がかさむ。栄養も気をつけなければならない。

 週末は特に予定も無かったので、土曜日は千葉に住む母と妹家族に会いに行った。特に、姪っ子が生まれたばかりなので、会いに行った。

 長女のユウリは、1歳でありながら才女であった。普通に言葉を喋り、20ピース程度のパズルもどんどん作ってしまう。自分で食事をし、おむつも自分で替えるという。自立心が強く、こだわりを持っている。まさに妹そのものである。たくましいと思った。

 次女のサクミは、生後2週間でありながら、大人しくていい子であった。優一が生まれたときは、インドネシアにいたので、こんなに小さい赤ちゃんを抱っこするのはサチコ以来である。あぐらをかいて、その上に乗せたら、気持ちよく寝てくれた。可愛らしい。

 母は、昼食の焼き飯と夕食のコロッケを作ってくれた。昼食を食べて、母の家に行ってコーヒーを飲みながらゆっくり話をした。シルバースタッフとして楽しく働き、ギターのレッスンも続けているらしい。元気でよかった。夕方、また妹宅へ行った。

 妹宅で酢タマネギを作らせて貰った。酢タマネギは、メニエール病で苦しんでいるときに、会社の先輩から耳鳴りに効くと、教えてもらった。コレステロールや血糖値の正常化にも効くらしい。タマネギを千切りにして、酢と醤油を入れるだけである。ジップロックに入れて、ホテルに保存している。

 母の作ったコロッケは、美味しかった。子供の頃に食べた味そのままである。そして、家族で食べるのが楽しい。ひとりで外食も気楽で良いが、やはり家族と食べるのは楽しい。


 日曜日の朝は、ベルトを買いに行った。私はベルトをみっつ持っているが、埼玉に来てから、なんとそのうちふたつが壊れてしまった。いくつも店を回ったが、どれも高く、その割りに品質のよさを実感できない。私が欲しいのは、千円くらいの安物だが、なかなか見つからない。最終的に、「東武ストア」で見つけて2本買った。

 午後は、川越をぶらぶら歩いて観光した。平日はなかなか歩かなくなると思うので、運動も兼ねてほぼ一日中ぶらぶら歩いた。蔵造りの町並み、菓子屋横丁、市立博物館、本丸御殿、時の鐘、喜多院など、ベタな観光名所を回った。心地よい疲れを感じつつ、ホテルに帰った。


5月20日 高野秀行の本

 ここのところ、高野秀行の本が面白くて、いくつか読んでいる。「世にも奇妙なマラソン大会」「未来国家ブータン」、そして最近読み終わったのが、「謎の独立国家 ソマリランド」であった。こちらは、いくつもの賞を受賞した話題作である。

 私が高野秀行を知ったのは、10年くらい前だと思う。みんけんの同期、シゲオが「アヘン王国潜入記」を貸してくれた。ミャンマー北部の反政府ゲリラの支配地域に単身潜入し、ケシ栽培に従事し、自身もアヘン中毒になる。反政府ゲリラとの心温まる交流を描きつつ、世の中の不条理もしっかり記述する、印象的な本であった。

 「謎の独立国家 ソマリランド」も衝撃的な本であった。まず、「ソマリランド」という地名を知らなかった。「ソマリア」ではない。旧ソマリアは、「ソマリランド」「プントランド」「南部ソマリア地域」に分かれる。「ソマリランド」は、国連に国家として認められていないにもかかわらず、自分達の力だけで内戦を終結させ、民主的な政治を行い、治安も良いという、「地上のラピュタ」なのである。著者は、どうしてそのような離れ業が出来たのか、ソマリランドに滞在してその謎を解き明かしていく。

 一方で、未だに内戦が泥沼化した「リアル北斗の拳」の南部ソマリア地域にも入り、治安が最悪にもかかわらず「都会」な旧ソマリア首都モガディショにも滞在する。ソマリア地域では、「カート」と呼ばれる覚醒作用のある葉っぱを食べながらお喋りをするらしいのだが、著者も「カート宴会」をやりながら情報を聞き出していく。普通の宴会は、つまみが食べ物だが、「カート宴会」の場合は、コーラや水が「つまみ」に相当し、葉っぱをむしゃむしゃ食べながら政治談議をするらしい。

 これらの謎を解くのに重要なのがアフリカ特有の「氏族文化」なのだが、それを分かりやすく解説するために、それぞれの氏族を「イサック奥州藤原氏」「ハウィエ源氏」「ダロッド平氏」などと名付け、読者にも面白く、かつ分かりやすくなっている。

 高野秀行の本は、文体はシリアスではなく、どちらかというとコントのようである。それでいて、その国が抱える問題の深いところまで切り込んでいくあたり、読んでいて気持ちが良い。


5月17日 インドネシアテロ

 今日からインドネシアではラマダン(断食月)が始まったようだ。今年は、断食を前にインドネシアでテロ事件が相次いでいる。私がインドネシアに駐在していた7年間でも、これほどテロが相次いだことは無い。何か、不穏な空気を感じる。

5/13朝
 スラバヤ中心部の教会で一家によるテロ事件。16歳と18歳の息子、9歳と12歳の娘を連れた母親、そして父親がそれぞれ3箇所の教会に爆弾を巻きつけてバイクおよび車で突っ込み爆発。家族全員を含む12人が死亡。

5/13夜
 スラバヤのアパートの一室で誤爆とみられる爆発が発生。6人家族のうち妻と息子が死亡、父親は警官に射殺された。3人の子供はケガ。

5/14朝
スラバヤ警察本部で2台のバイクに分乗した5人家族が自爆。夫婦と10代の息子2人の計4人が死亡し、バイクから投げ出された8歳の娘が負傷

5/16朝
 リアウ州プカンバルの警察本部に、5人のテロリストグループが襲撃。4人は射殺。1人は逃走。警察官1人が死亡、テレビ局の記者2人が負傷

 家族一家で自爆テロを実行したということに、強い憤りを感じた。インドネシアのニュースサイトでは、自宅から押収したという、スラバヤ教会3箇所の同時テロの一家の写真が公開されているが、どう見ても普通の幸せそうな家族写真にしか見えない。ISに洗脳され、テロをやろうと言い出した父親も人間のクズだし、それを止められずに子供を巻き込んだ母親も人間のクズである。子供を守るという、親として当たり前の責務を全うするどころか、わが子を罪も無い人々の殺戮に加担させた上に死なせるなど、いかなる宗教の教えでも有り得ない。そんな基本的なことが、どうして分からないのであろうか。

 一方で、宗教の力を感じさせる記事もあった。テロによりふたりの息子を無くしたキリスト教徒の母親について書かれている。以下、Merdeka.comの記事を翻訳


 ウェニーはエヴァン(11)とナタン(8)の二人の息子の納棺をして、別れを告げた。二人の息子は、5/13(日)のスラバヤ、サンタマリア教会の自爆テロの犠牲者である。ウェニーは医療器具をつけて葬儀に参列した。爆弾の破片を受けたためである。彼女、痛みの中、二人の息子との別れを受け容れた。そして、大きな心で、彼女は自爆テロの犯人を赦すことにした。

「ウェニーは最後には犯人を赦した。そして、エヴァンとナタンが神の元に帰ることを祝福した。」あるウェニーの親戚は語る。

 先週、ウェニーとふたりの息子はミサに参加するため協会を訪れた。車から降りると、突然バイクが猛スピードでやってきて、ウェニーの後ろで自爆した。病院での治療の甲斐なく、エヴァンが先に亡くなり、ナタンもその日の夜に亡くなった。

 葬式の参列者の中には涙を流している者もいた。ウェニーは棺桶に入れる服を選んだ。ウェニーの顔は、爆弾の破片による傷が残っている。ウェニーは、治療のため病院に戻るまでの4時間、遺体安置室にいた。

 私は、驚いた。このような犯人を赦すという考えは、とても理解できない。しかし、憎しみの連鎖は避けるべきであろう。このように心に折り合いをつけることも、宗教の持つ力であろうと思った。


5月12日 カセットテープ

 サチコと話している中で、嘉門達夫の「魚屋のオッサンの歌」の話になった。

「オッサン オッサン 色んなオッサン オッサン出てきてコンニチハ」
「魚屋の オッサンが 屁をこいた ブリ」

 このような歌だというと、サチコは爆笑した。久しぶりに聴きたいと思ってYoutubeで検索したが出てこない。今の時代、インターネットで聴けない曲の方が珍しい。我が家に同曲が収録した嘉門達夫のカセットテープがあるのだが、カセットプレイヤーはすでに壊れていて聴けなかった。

 インターネットでカセットプレイヤーを探すと、USBメモリが刺せて、再生しながらMP3ファイルを作ってくれるプレイヤーが2600円で売っている。早速買って、嘉門達夫のテープを入れたら、凄く久しぶりに再生できた。このテープを買ったのは、私が小学生の時である。買ったのは(恐らく)父親で、私たち子供が子供部屋で寝た後、両親がテープを聴きながら声をひそめて笑っていたのを覚えている。その後、私もほとんど全部覚えるほど何度も聴き、小学校を卒業するときのお別れ会で、友人と「替え歌メドレー」を歌った。浦島太郎の替え歌で

「ぼっかしー ぼっかしー 裏ビデオ」

 などという歌詞もあり、当時は良く分からず大声で歌っていたが、今思えば不適切であった。

 ともあれ、嘉門達夫を久しぶりに聴いた。テープは、買ってから30年近くも経つのに、音質は驚くほど良好であった。早速サチコに聴かせたら、爆笑していた。歌詞は間違えて覚えており、

「魚屋の オッサンが 痩せこけた ゲソ」

であった。その他、中学時代くらいにダビングしたお気に入りテープもあった。テープには曲名などは書かれておらず「中酒サアマカ」と書かれている。当時の私は、どんな音楽を聴いているのか、親などに知られるのが恥ずかしく、このように暗号の様に書いていた。「中島みゆき」「酒井法子」「サザンオールスターズ」「AMBIENCE」「松任谷由実」「カーペンターズ」の略であった。聴いてみたら、曲名の分からないインストゥルメンタルが2曲くらい入っていた。

 懐かしさに浸っている。


5月7日 ブーメラン

 最近、ブーメランにはまっている。家の近くには、広い公園があり、子供たちと行っては、ブーメランの練習をしている。

 私は、子供の頃からブーメランが好きであった。投げたものが自分のところに戻ってくるという、一見物理の法則に反するような現象でありながら、戻る仕組みは理論的に説明できるところが良い。おもちゃのブーメランを飛ばしては、戻ったの戻らないのと、友達と騒いでいたのを覚えている。以下は、私の家にあるブーメラン。

 ルームラング・・・室内用ブーメラン。かつて一時帰国時に買った。極めて簡単でリビングで投げれば戻ってくる。

 ペガサス・・・ドイツに行ったときにお土産で買ったブーメラン。どんなに投げても戻ってくる気配が無い。粗悪品を買ったと思っていたら、ネットによると割りと扱いやすいほうらしい。

 100均ブーメラン・・・期待は出来ないが、上記ペガサスよりも戻ってきそうな予感をさせる。

 ヤードラング・・・近距離で扱えるブーメラン。ペガサスよりも更に簡単とのことだが、未だにちゃんと戻ってきたことは無い。

 とりあえず、まずはヤードラングをマスターして、ペガサスに挑戦したいと思っている。子供たちと広場へ行ってブーメランを投げると、(気分によっては)失敗しても取りに行ってくれる。失敗すると、サチコが手にマイクを持つフリをして「ブーメランが帰って来なかった気持ちをどうぞ」とインタビューされる。


5月6日 GW

 ゴールデンウィーク後半は、明石、神戸、大阪へと旅行した。どこへ行っても、お世話になりっぱなしの3日間であった。

 5月3日
 父夫妻に会いに、明石に行き、山奥のホテルで一泊した。父は顧問として毎日仕事に出かけているらしい。気楽だとは言っていたが、話を聞いているとまだまだ重要なポジションにいるようであった。そして、周りはみんな引退しとるから、自分もそろそろ引退すると言っていた。早く定年してのんびりしたいと思うことはあるが、したらしたで、あり余る時間をどう使うかに悩むらしい。

 ホテルでは、恒例の将棋対決をした。父がインドネシアに来たときに、温泉で将棋をして以来、会うたびに将棋を指すのが恒例となっている。これまでの成績は下記の通り。

2014年・・・インドネシアの温泉にて完敗
2016年・・・このホテルで完勝
2017年・・・このホテルで辛勝(勝ったがかなり追い込まれた)

 今年は、惜しくも負けた。中盤の攻防はかなり強い父も、終盤は苦手らしくギリギリで私の王は逃げ続け、「潔く投了するのが紳士やぞ」という口車にも乗らずに逃げた。一瞬攻撃の手が止んだので反撃したが、駒足らずで負けた。手に汗握る楽しい将棋であった。スマホと戦うよりも断然楽しい。

 5月4日
 神戸まで父に送ってもらい、祖父と叔母の家に行った。去年会ったときは祖父は入院していたが、すでに退院して家にいた。前に会ったときよりも元気そうでよかった。サチコが折り紙でぱたぱた鶴を折ったら、それを手にした祖父は時間をかけて直して、羽がもっと動くようにしてくれた。祖父は昔折り紙が得意で、何でも折ってくれたものであった。手先が器用で、竹とんぼの作り方も教えてもらった。

 叔母も元気で、カレーを作ってくれていた。3日間かけて作るという、叔母のカレーはいつも美味しい。叔母はコレステロールが高いと言っていたが元気であった。母の家系はコレステロールが高く、私もそれを受け継いでいるが、みんな元気で長生きである。コレステロールは気にする必要があるのかと思う。

 神戸では、いつもどおり近くの長田神社に一緒に行き、お参りをしてお守りを買った。その後は、インドネシアで仲のよかった、サチコの同級生のユウちゃん家族に会いに、大阪へ向かった。ユウちゃんママと私がリコーダー仲間で、ユウちゃんパパは私たちがリコーダーを吹いている間、サチコとユウちゃんの面倒をくれていた。サチコとユウちゃんはバリダンス仲間でもあり、そんなこんなでインドネシアでは家族ぐるみで付き合いをさせてもらっていた。この日はユウちゃん家に泊めてもらうことになっている。

 駅までユウちゃんパパとユウちゃんが車で迎えに来てくれた。2年ぶりに会うユウちゃんは、大人っぽくなっていた。「キャンディー食べますか?」などと、ですます調で飴を渡してくれ、雰囲気が違う。

 などと思っていたら、家に着いた瞬間、サチコと部屋に篭ったと思ったら、武器を持って襲いかかってきた。思う存分暴れ、その後のクイズでわざと間違えてやったら、アホバカ呼ばわりする。すっかり変わってなくて嬉しかった。

 サチコにとっては、初めての友達とお泊りである。ふたりで寝室に行った後も、おしゃべりをしていたらしく、11時過ぎまで起きていた。

 5月5日
 ユウちゃん一家と大阪のレゴランドに行ってきた。レゴで車を作って走らせたり、3D映画を観たり、ちょっとした乗り物に乗って遊んだ。優一は、姉ちゃん達とペースが違うので、交代で優一を見守っていた。

 サチコとユウちゃんは本当に仲が良い。3歳の時からの付き合いである。サチコは、私に似て、友達を作るのが苦手なほうだが、ユウちゃんは誰にでも積極的に話しかけてくれる。性格は違うが、気は合うのだ。

 ユウちゃんパパママには、申し訳ない位、お世話になった。それだけでなく、父や叔母など、行く先々でお世話になりっぱなしの3日間であった。ありがとうございました。

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