2018年
6月のつぶやき
6月30日 リコーダー録音
本帰国して3ヶ月経ち、ようやく生活も落ち着き、リコーダーを吹く余裕が出てきた。2周連続で多重路音をした。
ひとつはファイナルファンタジーの途中で流れる「独りじゃない」という曲である。残酷な真実を知った主人公が、どん底から仲間の助けを借りて立ち直る、印象的な場面で流れる曲で、高揚感のある曲である。
しかし、リコーダーで演奏してみたら、ちょっとシリアス過ぎて重い感じになってしまった。こういうニュアンスを出すのは難しい。
もうひとつは、子供たちと毎週日曜日に観ている「ゲゲゲの鬼太郎」である。ねこ娘が驚くほどの美少女になっていて、スマホで人間とメッセージを送りあったりと、時代は変わるものである。それでも、古めかしいストーリーも入っていたりと、昔のおどろおどろしい鬼太郎もあって、大人でも楽しめる(と思う)
リコーダー演奏は、今流れている氷川きよしヴァージョンをベースに演奏してみた。いつもは手拍子を録音して、それに合わせて多重録音するのだが、今回はいきなりリコーダーを吹いて録音したので、テンポが不安定だが、まあまあ満足の出来である。
FF\より「独りじゃない」 リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=V2qBtg8W-2U
ゲゲゲの鬼太郎 リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=4UqGD4Md2G4
6月28日 半分、青い 70話
先週の話だが、「半分、青い」で印象的な場面があったので、備忘のために記録しておきたい。漫画の道を諦め、結婚をする裕子とヒロイン鈴愛のやりとりである。
裕子) 漫画ってさ、ゼロから作るじゃない? お話。
鈴愛) うん。
裕子) 何を輸入するか決める方が、もう出来上がってるものから選ぶ方が、楽なんだ。ゼロから何かを作るより、ずっと楽だと思う。こんな仕事、もうやってられない。服買っても、私たちが外に出られるのは月に一度か二度。あとは漫画描くだけ! 買った服着ない間に季節が変わる!一日にしゃべる人が宅配便屋のおにいさんだけ! 私たちは、架空のラブストーリーを作るために、いくつの自分の恋を犠牲にしたんだ? 知り合っても会えない!結局原稿に追われてドタキャンばっかで次はない!
鈴愛) ユーコ…。
裕子) スケジュール帳は真っ白。何の予定も立たない。
鈴愛) 私は、真っ白な日が好きだ。
裕子) は?
鈴愛) 白い日がうれしい。何にもない日。ただ描けばいい日。描ける。
裕子) 鈴愛、それはオタクと一緒だ。引きこもりだ! 結婚もできないし、子どもも産めない! 想像の世界の人になってしまう!漫画を描く機械だ。
鈴愛) それでいい! 上等! 機械でいい!
裕子) 違う、鈴愛! 何のために、このかわいい顔がついてる?何のために、こんな白い肌をしてる?着飾って、街を歩くためだよ、鈴愛!そのかわいらしい声を、ひと言も発さない日があるなんて…。
鈴愛) ユーコ、機械じゃない。機械は、みんな同じもんしかできん。漫画は、その人それぞれ違う。私はおしゃれをしなくてもいい!流行りの場所を知らなくてもいい!だってさ、だって、漫画を描くって、物語を作るって、人を感動させるって人生を超えてる! 世界は私のものだってきっと思える。私が…私たちが、秋風先生のような漫画を描いた日には、きっとそう思える! ユーコ、頑張ろ!
裕子) 今…。今、逆にはっきり分かった気がした。私は…私のいるとこはここじゃない。ううん、私は、ここにはいてはいけない。
私は、大学の途中くらいまでは本気で漫画家を目指していた。ストーリーやキーワードを殴り書きしたメモは未だに引き出しに入っている。ストーリーをコマ割りしてみたり、デッサンを習いに行ったりしていたが、圧倒的に才能が無いことを自覚して諦めた。この回が印象に残ったのは鈴愛の「人を感動させるって人生を超えてる。世界は私のものだってきっと思える」のくだりであった。かつての私は、そう思っていたことを思い出した。
一方で、この会話は、「仕事とは何か」も示唆している。「真っ白な日」である。好きな仕事かどうかとは別に、大抵の場合、仕事とはそういうものであろう。ただひたすらやる。その圧倒的な作業の中にどれだけ自分らしさを入れられるか、工夫を入れられるか、その余地が限定されているからこそ、やりがいを感じられる。「千と千尋の神隠し」で釜じいが自分のことを「風呂釜にこき使われとるじじいだ」というくだりは好きである。「船上のピアニスト」で陸に上がることを拒み、船と共に命を共にすることを決めた主人公は「鍵盤の数は88と決まっている。無限ではない。弾く人間が無限なのだ。(中略)無限に続く鍵盤・・・無限の鍵盤で弾ける人間の音楽はない。」と言う。いずれも、限定された条件の中で生き続ける姿であり、それが不自由だとは思わせない。
かつて漫画家を目指していたときの情熱を思い出し、今の仕事をしていることは、それはそれで肯定してくれる。そんな印象的な回であった。
6月28日 子育ての方針
妻と私では、子育ての方針はずいぶん違う。妻は、子供の安全を最優先させる。外出の時は優一は紐でつなぎ、飛び出したりさせないように気を配っている。サチコの通学も、途中まで送り迎えをし、変質者などに襲われない様、気をつけている。
一方で私は、多少のリスクがあっても出来るだけ自由にさせたいと思っている。週末に子供たちと出かける際は、本当に危ないと思うこと以外は、出来るだけ手を貸さないようにしている。私は、子供たちに、出来るだけ自立して欲しいと思っている。妻は、万が一でも何か不幸なことが起こってほしくないと願っている。これは、どちらが正しいということはないであろう。
また、テレビやスマホなどについては、妻は私よりも寛容である。子供たちがヒマをするくらいなら、テレビやスマホで楽しんでもらった方が安心なようである。一方で私は、スマホをいじるくらいなら退屈でごろごろしていた方がいいと思っている。退屈で退屈で仕方がないというのは、贅沢な時間で、そこから現実世界に向き合うのだと思っている。畳のささくれをいじくるのだって、「現実世界を実感する」貴重な体験だと思っているのは、宮崎駿の「出発点」の影響である。
そして、妻と私で子育ての方針が違うこと自体が、悪いことではないと思っている。子供を叱るポイントも、妻と私では全然違うが、それで良いと思っている。大体、両親が同じ方針であったなら、子供は息が詰まる。世の中には色々な大人がいる。父と母の違いは、その原点となろう。何が正しいかは、将来子供たちが自分で判断してくれれば良い。
6月25日 土曜夜の市
土曜日の夜、近くの駅近くの商店街で行われる「土曜夜の市」に行った。夏の間、毎週土曜日の夜は商店街に屋台が出て盛り上がっているという。
今週は初めての週らしく、盛り上がっていた。ヨーヨー釣り、かき氷、焼き鳥など良くあるもののほか、惣菜なども売られている。地元の商店街の人が出しているので、値段は安い。中心部の広場は、買ったおもちゃで子供たちが遊べるようになっている。私たちは、食べ物を買い込んで、広場近くの階段に座ってのんびり食事した。
商店街の人たちが、心から楽しんでもらいたいと思って作られた祭だと思った。そして、彼ら自身も楽しんで商売をしているように思えた。私は、羨ましくなった。この地に生まれ育ち、そこを離れることなく行き続けられることに、である。もちろん、ずっと同じ土地に住み続けることによる、面倒くささもあるだろう。世界に飛び出したい、と思う若者もいることであろう。どちらも、ないものねだりである。色んな土地を転々としている私にとっては、ずっと同じ土地で生き続けることにある種の憧れを感じる。
しばらくは毎週土曜に行われるらしい。また行くと思う。
6月21日 命もいらず名もいらず
母に借りた「命もいらず名もいらず」(山本兼一著)を読んでいる。山岡鉄舟を描いた歴史小説である。歴史小説を読むのは久しぶりだが、これは読みやすい。
こういう「幕末もの」を読むと、昔の人はずいぶんとストイックであったと思う。
「修行するものは、寸暇おこころをゆるめてはいけない。風呂に入ったとて、温まって弛緩する前に出なければならん」は、槍の師匠山岡静山のセリフである。その他、山岡鉄舟は、ちょっとした言い争いからゆで卵を百個食べて3日苦しんだり、雨風の中を成田山まで下駄履きで丸一日かけてお参りに行ったり、二百面という荒稽古を7日間連続で行ったり、笑ってしまうような無茶を次から次へと行う。
若い頃の私なら影響を受けたかもしれないが、今となっては「自律神経に悪そうだ」とオッサン的な考え方になってしまう。否、私が自律神経のバランスを崩した遠因は、かつて読んだ本により、無茶をしてでも頑張るのは正しいこと、という良識が身についていたからかも知れないと思った。
一方で、家庭の経済のことは考えずに貧乏をし、それでも大酒は飲み、当たり前のように吉原で女を抱くというのも、彼ら幕末の志士の一面である。良い、悪いではなく、こういった裏表があり、現代と価値観は全く異なる小説を読むこと自体が楽しい。
6月17日 釣堀へ
九州に戻ってきた週末は、家族でレンタカーで釣堀に行った。サチコが釣りをしてみたい、と言ったことに始まる。福岡のうきは市にある「細流」という所に向かった。高速を降りて、かなり山奥に行ったところにあった。
細流は、美しい川のそばにあり、きれいな水でヤマメを養殖しているようだ。そこで、釣堀やつかみ取りのアトラクションの他、食事もできる。山奥にもかかわらず、混んでいて、釣堀をするのに、1時間以上待った。ふたりで2200円で、釣れなくても5匹保証、というプランを選んだ。事前のネット情報に寄れば「釣れないので有名」らしい。私とサチコは、それぞれ釣り竿を入れた。
水は綺麗で、ヤマメはたくさん泳いでいるにもかかわらず、全く釣れない。ヤマメは、エサにほとんど見向きもせず、ごくたまにつつく程度だ。それでも、釣り糸を垂れながらヤマメの動きを眺めていると、不思議と飽きない。サチコも、釣れなくても楽しそうにしている。釣りに来たのに、「釣れたら可哀想だ」みたいなことを言っている。結局1時間一匹も釣れずに終了した。他の客もほぼ同様だが、一度だけ「釣れた!」と叫んだ人がおり、釣れる頻度はその程度らしい。
釣りを楽しんだ後は、5匹のヤマメを、塩焼きにしてもらって食べた。これが非常に美味しかった。ふわっとほぐれる身や、淡白な味わいは、なかなか普段味わえない。骨を怖がってあまり魚を口にしないサチコも、積極的に食べていた。
そんなこんなでのんびりした日曜日であった。
6月14日 無題
もうすぐ、埼玉での一ヶ月の長期出張が終わる。正直な気持ちを言えば、とても充実した1ヶ月であった。週末ごとに母や妹家族、研究室でお世話になった教授、インドネシア語の先生、そして民研の仲間など、色々な懐かしい顔に会うことが出来た。職場も、若手の頃に仕事の基礎を学んだ場所であり、知り合いも多く、仕事の面でも動きやすく、充実していた。
一方で、仕事の仕方で悩んでもいる。これまでの私の仕事の仕方は、「目の前の困っている人を助ける」という方針であった。父の「『働く』ことは、傍(はた)の人を楽(らく)にすることや」の教えを、知らず知らずのうちに守っていた。目の前で発生している問題をとにかく片っ端から解決する、それが私の仕事の基本方針であった。過去の私は、マザーテレサやナウシカも引き合いに出し「インドネシアの情勢を語り、日本経済を語り、会社のあるべき姿を議論するなんて、私には到底無理だし、興味も無い。私の仕事は、目の前で起こっている小さな問題に全力で取り組み、それの積み重ねである」(2014年1月10日)と書いている。
そろそろ、こういう働き方を見直さなければならないのであろうか。日本経済を語り、会社のあるべき姿を議論し、抽象論や根性論や禅問答をしなければならないのであろうか。そのときに、自分の一本筋の通った基本方針は、どこに置けばよいのであろうか。
そんな疑問にも、過去の「つぶやき」にヒントがある。以下は2007年2月23日のつぶやき
「ニーズ」と対照的な言葉に「ウォンツ」というのがある。「ニーズ」が消費者の意識化された必要性を指すのに対し、「ウォンツ」は、消費者が意識していない、潜在的な欲求のことで、最近はこの「ウォンツ」を満たすような新たな市場を作るのが流行っているように思う。
しかし、よく考えたらこんなにろくでもないことは無い。誰も必要としていないのに、無理矢理新たな欲求を生み出すことで新製品を売ろうというのが「ウォンツ」の考え方であろう。誰も欲していないのに、余計なことをする必要は無い。「超バカの壁」で言えば、平らな道にわざわざ穴を空けるようなものであろう。そんなことよりも、環境問題・食糧問題等、切迫したニーズに応えるべきだと思う。
6月10日 ワセダ三畳青春記
高野秀行の本を立て続けに読んでいる。「ワセダ三畳青春記」は、著者が学生時代から11年を過ごした古アパートでのエピソードが綴られている。大学を留年しながらも、授業には行かずに探検部の部室でヒマを潰し、探検部の後輩と家で明け方まで議論し、昼過ぎまで寝ている生活は、自分の学生時代と重なるところがある。
凄く変な読み方かもしれないが、高野秀行の本を読んでいると、心が楽になり、癒されることを感じる。彼の人生は、かつてあらゆるものになれる可能性があった私の「こうなっていたかも知れない姿」のひとつである。面白く生きたい、ハチャメチャでありたいと思い、ぼんやりとした夢想をしつつも、その一歩を踏み出すことなく平凡に生きている私にとって、高野秀行は「もうひとりの私」として読める。そして、本を読んでいる間は、現実世界の不安から解放されるのである。
高野秀行の文体は、基本的にバカバカしい。大量消費文明に疑問を抱いた著者は、友人と惰眠を貪ると疲れるために更に寝るという、「永久睡眠法」を実践し、極力体力を消費せず、飲食も最小限に抑える生活を始める。これは、悟りを開く前に生きる気力も失われそうになっている自分に気付き止めるのだが、高野秀行の視点は常にここにある。大量消費文明への疑問、環境破壊、マジョリティによるマイノリティの蹂躙、文体から決してシリアスにはならないが、そんな思いテーマを「個人の体験」をベースに語る。
最後、妻となる人と出会い、アパートを出るくだりは感動的である。モラトリアムからの脱却、とも読めるが、一方でその11年間の精力的な活動は、とても凡人には出来ないことのようにも思える。
6月9日 太鼓大好会
土曜日は、太鼓大好会の練習に参加した。現代表のセツが、私の都合のいい日に練習をセットしてくれた。メンバーはセツ、シゲオ、カセダ、リエ、ユキと、ユキの子供たちである。みんな懐かしい。
太鼓を叩くのは、8年ぶりくらいである。それでも、いったん叩き始めたら、感覚を思い出した。細かい順番などはうろ覚えであったが、体の動かし方は、ちゃんと覚えていた。石狩太鼓、小倉祇園太鼓、木遣太鼓、秩父屋台囃子、水口囃子と、知っている曲を次々と演奏した。どれも人に見せられるレベルではないが、自分達で楽しむにはとりあえず十分であった。
2時間みっちり太鼓を叩き、4時前から飲んだ。明るいうちから飲むのは久しぶりである。そのまま2次会まで楽しく飲んだ。みんな変わらないなぁと思った。私にとって、これほど気心の知れた仲間というのは、他にいない。久々に味わう安心感と楽しさの一日であった。
すごいのは、ユキの子供たちであった。8歳、5歳でありながら大人と話し、「つまんない」とか「帰りたい」とか言うこともなく二次会の最後までつきあってくれた。長女はシゲオが気に入ったのか、最後はべったりくっついていた。「二次会行くの?」と訊く5歳児も初めて見た。
6月10日 語学先生に会う→妹宅へ
日曜日は、午前中整体に行ってきた。耳鳴り専門の整体院ということで、関東にいるうちに一度行っておこうと思ったのである。かつてメニエール病で苦しんでいたとき、整体が効果的であった。
おそらく、私の右耳は元には戻らないであろう。逆説的だが、それを受け容れたことがメニエール病から脱却するきっかけでもあった。それでも、仕事で人の声が聴き取りづらいとか、飲み会等のガヤガヤした場では会話に参加しづらいなど、致命的ではないが細々した問題はある。今より少しでも良くなるのであれば、試したいと思っている。
施術を受け、いくつかのセルフケアの方法も教わってきた。
その後は、赴任前にインドネシア語を教わったアユ先生と、教え子4人で集まってランチ会をした。私は、電車で逆方向の電車に乗ってしまい、ギリギリの到着であった。
この先生の授業はかなりメチャクチャで、テキストブックを使ったのは最初の一日だけで、その後は雑談と、毎日与えられる宿題(何でもいいから自分のことについてインドネシア語で文章を作る)であったように記憶している。そんなことから、アユ先生は生徒のあらゆる個人情報に精通しており、オバサン特有の噂話好きの性格も伴って、かなり際どい話まで知っている。
その後は、妹宅に遊びに行った。母がお好み焼きを準備してくれ、山芋をのせた「山かけお好み焼き」は懐かしく美味しい味であった。姪のユウリちゃんは、前に行ったときよりも打ち解けて、仲良くなった。LINEでサチコとビデオ通話したのは、かなりの驚きであったようだ。普段は全くスマホやテレビを観ないらしく、電話の向こうで「憧れの大先輩」サチコから、(アプリの映像効果により)ウサギの耳が生えたり髪の毛が銀色に逆立ったりするのは、刺激が強すぎたようだ。
関東で最後の週末は、充実していた。
6月4日 正夢
現在勤務している工場の事務所の前に、当たりつきの自動販売機がある。飲料を購入すると、ルーレットのように4桁の数字が回り、全部揃うともう一本おまけがつく。大抵は、はじめのみっつまではゾロ目となるが、最後の最後が合わずに「惜しくも」ハズレとなる。私は、毎日この自動販売機で緑茶を購入している。当たりが出ることは期待していない。
先週の話だが、いつものように出社して着替えた後、この自動販売機で緑茶を購入すると、なんと当たった。私は歓喜し、周りの人に自慢して周った。この手の自動販売機で当たるのは、人生でも数回のみである。
喜んでいるところで、目が覚めた。夢であったらしい。自分でも笑ってしまった。私は夢に見るほど当たりを望んでいるのであろうか。
出社していつものようにお茶を買うと、ルーレットのはじめみっつが「777」と並んだ。「7」で並ぶのは珍しいと思っていると、なんと4つめも「7」となり、当たった。
正夢である。私は今朝見た夢の様に歓喜し、周りの人に自慢した。
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