2018年
7月のつぶやき
7月26日 ときめきについて
土曜日の朝は、たいてい朝食を食べながら「チコちゃんに叱られる」を観ている。私たちが当たり前と思っている疑問に答える番組で、5歳の半CGキャラ、チコちゃんが、大人たちを前に偉そうにしゃべっているトークが面白い。内容の深みとしては、NHKなのにまるで民放のような雑さでであるが、土曜日の朝にのんびり観るには良い。子供たちも大好きで、サチコは意味を理解しており、優一は「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」で顔が赤くなるチコちゃんが好きなだけで何も分かってはいない。
先週は「大人になるとあっという間に一年が過ぎるのはなぜか?」という疑問に対し、「人生にトキメキがなくなったから」という答えが出た。まさに民放のような、下らない回答ではあるが、私は妙に納得してしまった。
子供たちを見ていると、小さなことにあれこれ驚き、はしゃぎ、忙しそうである。それに対して私は、どうやら機械的に日常を送ることに慣れすぎている。それは、年をとればある程度は当たり前のことであり、いつになっても大はしゃぎしているほうがみっともないが、それでももう少し、心動かされても良いのではないかと思う。
次の日、家族で小倉祇園太鼓を見に行った。小倉ではシゲオやエグチさんと合流し、太鼓を少し叩かせてもらったり、太鼓を見物して楽しんだ。私が初めて小倉祇園太鼓を観たのは2008年であるが、そのときに比べたら、ヤンキーのニイチャンなどは激減しており、かつてよりも治安が良い感じになっている。
もちろん、久々に観る小倉祇園太鼓は懐かしく楽しかったのだが、10年前に観たような感動と心躍る感じはなかった。それは、祭りが変わったのではなく、私が変わったのだろうと思った。チコちゃんが言うように、トキメキがなくなったともいえるし、子供たちを差し置いて自分ひとりではしゃぐことに、抵抗感を感じてもいる。
インドネシアから帰国して以来、柔道もリコーダーもやっておらず、真剣に打ち込むことをやっていない。何か始めようか、それともこういうときは悶々とせずのんびりしていようか、そんなことを考えている。そういえば、近くにケーナを教えてくれるところがあるらしい。せっかくなので、ケーナでも習ってみようか。
7月18日 焼きそばの町
九州といえばとんこつラーメンが有名だが、私が住んでいる町は、焼きそばのレベルが非常に高いことが分かってきた。これまで、会社帰りに気になる焼きそば店に2軒入ったが、どちらもこれまで食べたことが無いような美味しさであった。
私は、焼きそばは誰が作っても大して変わらないと思っていたが、大きな間違いだということに、今更気付いた。ここの焼きそばの具は極めてシンプルで、豚肉ともやしとねぎだけである。調味料もソースだけ。焼き方が私の知っているやり方とは全く違う。
まず、豚肉を焼く。そこに茹でた麺を投入し、豚肉の周りに配置して油をかける。そのまま静置し、片面を焼いてから、お好み焼きの様にひっくり返す。麺は脇にずらして、同じ場所にもやしとねぎを投入、その上に先ほどの焼きそばを乗せて、上からソースをかける。その後は手早くもやしとそばを絡めて出来上がりである。
出来た焼きそばは、カリカリに焦げた部分とコシのある部分、そしてもやしのシャキシャキ感が混ざり合って絶妙な美味しさである。簡単そうに作っているが、なかなか出来るものではないと思う。かつて両親がお好み焼き屋をやっていたときも、焼きそばにもやしは入れていなかった。「水分が出てベチャベチャになる」というのが理由であった。もやし入り焼きそばは美味しいが、上手に作るのはかなり難しい。そのことを知っているぶん、ここの焼きそばの美味しさには驚かされる。
少しずつ焼きそば屋めぐりもしてみようと思う。
7月15日 グリーンランドファイヤーカーニバル
今日は、熊本にある「グリーンランド」という遊園地に花火を観に行った。花火を観るだけでは勿体無いので、早めに行って遊園地も楽しもうということで、レンタカーで午後2時に出発した。花火は8時半から、30分で1万発を打ちつくすという。
会社の人に訊いたところ、非常に混むという。特に、花火が終わった後は渋滞するので、花火が終わる前に横目で花火を楽しみながら駐車場に向かった方がいいですよ、という。
かなりの混雑を覚悟して行ったのだが、着いてみるとのどかなものであった。アトラクションの行列も少なく、観覧車や子供向けのジェットコースターなどに乗った。アトラクションの数が多く、ビビリ一家の我が家でも乗れそうな選択肢も十分にあった。
ステージでは、よさこい踊りのコンテストが行われていた。熊本では「さのよい」というらしい。よさこい踊りは、元々高知で始まった踊りだが、楽曲中によさこい節の一節を入れればあとは振り付けも衣装も音楽もほぼ自由、という幅の広さから、全国に広まった。これだけ有名になると、自由とはいえよさこいの「形式」のようなものが生まれ、ひとつのジャンルとして確立されつつある。近い将来には伝統芸能のひとつとなることだろう。
やはり大学生のサークルの演舞のレベルが高く、元気もあっていいなぁなどと思いながら観ていた。そして、屋根もあってそれほど暑くないので、花火までのんびりできると思っていたが、子供たちが早々に飽きたので、アトラクションに向かった。
夜になるにつれ、人は徐々に増えてきたが、混雑というほどではなかった。園内のどこからでも花火は見られるらしいが、とりあえずよく見えるというスポットに行くと、芝生に陣取っている人たちがいた。それでも、かなりゆったりとしており、結婚前に妻と観に行った横浜の花火大会よりもはるかに見やすい。
花火は壮大であった。かなり近くから見られ、サチコは「金銀財宝みたいだ」と叫びながら花火を楽しんでくれた。優一は、前半は怖がって母にしがみついていたものの、後半は慣れてきて花火を見ていた。
花火が終わると、駐車場へ向かう人の波が出来た。この日は、23時まで開園しているらしく、私たちは気球のアトラクションに乗った。気球状の乗り物がワイヤーで上下するだけのものである。一番高いところまで行くと、前の道路が渋滞して動かなくなっていた。私たちは、夜10時頃遊園地を後にした。
渋滞は思ったよりたいしたことなく、すんなりと帰ることができた。人ごみにせよ、渋滞にせよ、東京やジャカルタで体験したものに比べれば、全然大したことなかった。それでいて、遊園地も花火大会も素晴らしく、大満足の一日であった。九州はよいところだと思った。
7月14日 暑い日
先週末の大雨以降、晴れの日が続いている。家の前の公園では、セミなどの虫たちもかまびすしく鳴き、日本の夏にいることを実感する。以前も書いたが私は、虫の鳴き声の中に身をおくのが好きである。虫の音が耳鳴りの音と似ているため、耳鳴りが消えたような錯覚になり、精神的に安定する。
週末は、たいてい子供たちを連れて自転車で出かけている。今日は、ちょっと遠出をして、吉野ヶ里まで行った。JRの駅まで自転車をこぎ、そこから電車で吉野ヶ里公園駅まで行ったのである。
この日は、とにかく暑かった。吉野ヶ里公園駅から吉野ヶ里歴史公園前までは、左右が田んぼで日陰の全く無い道を15分くらい歩く。道端で立ち止まっておたまじゃくしを見る余裕も無かった。
公園に着いて、まずは昼食を食べた。ちゃんぽんを3人で分けて食べて、熱中症にならないよう塩分を十分摂っておくということで、サチコや優一にもスープを十分に与え、出かけた。
散歩道も暑く、避難するように資料館に入って弥生式土器や青銅の剣の展示を見たり、弥生人の家に入って涼んだりしつつ散歩した。
公園の西側にはアスレチックがあるのだが、そこに着いた頃には疲れており、かき氷を食べて鋭気をやしなってからアスレチックで遊んだ。なかなか楽しいところで、「ふわふわドーム」という小山はトランポリンの様になっている。しかし、とにかく暑い。ローラー滑り台は、太陽光で熱せられており、尻がやけどするかと思うほど熱かった。
サチコは、最近ターザンロープが好きで、何度も遊んでいる。私が、勢いをつけてやろうと思い、後ろから押して加速させたところ、そのまま落ちて足を擦りむいた。あまりのドン臭さに笑ってしまったが、私が悪いので謝り、膝を洗ってあげた。
あまりの暑さに、私も疲れてきたので、そろそろ帰ろうか、と言ったら、サチコはまだ遊ぶという。今度はフリスビーをしたいという。フリスビーやブーメランをしばらく投げて遊んで、家路についた。帰り道も、暑い。さすがに優一は歩けそうになかったので、おんぶをしてあげた。サチコは、ちゃんと歩いている。強くなったものだと思った。
7月11日 プラスチックストローについて
プラスチックストローの規制が、ここのところ急に盛り上がっている。スターバックスは、2020年までに全世界の店舗でプラスチック製ストローの提供を止めると発表した。シアトルでは、7月からレストラン等でのプラスチックストローの使用禁止するという。
これらの動きのきっかけのひとつとなったのが、ウミガメの鼻に刺さったストローを抜く、痛ましい映像である。海洋汚染の象徴として、プラスチックストローがやり玉に上がったということらしい。そんなニュースを朝食を食べながらぼんやりみていた。脱プラスチックの流れというのは、これから加速するであろう。職業柄、他人事ではないと思った。
私が違和感を感じたのは、ストローは生分解性プラスチックや紙製のものに替えていくのに対し、カップやフタについては何一つ言及されていないことである。まるで、ストローだけ替えれば十分という風に、である。プラスチックの使用量で言えば、ストローよりもカップの方がはるかに大きい。カップを何とかしない限り、片手落ちである。
もちろん、まずは出来ることから、というのは理解できる。しかし、もしそうであれば、そう言うべきである。紙製プラスチックのストローでプラスチックカップ入りのコーヒーを飲んでいる姿が、まるで「正しい姿」のように主張するのは、あまりに滑稽である。
それでも、脱プラスチックの流れは加速するであろう。そのうち、量り売りのスーパーが台頭し、多くの食材はマイボトルに入れて持ち帰る日が来るかもしれない。スタバでもマイボトルに入れたり、イートイン用では使い回せる容器に代わるかもしれない。そのとき、これらを取り巻くビジネス環境は大きく変わる。これまで当たり前であったことが、当たり前でなくなる時代が来るのだと思った。
話は変わるが、同じく朝のニュースで2050年までに日本の乗用車を全て電動車にする、というのをやっていた。これにより、車から排出する二酸化炭素を90%削減するという。
しかし、電気自動車はその代わりに電気を使う。電気の使用量は増えるであろうし、火力発電であれば、その電気を作るのは石油である。ガソリン車は、石油を燃やして直接エネルギーを取り出すのに対し、電気自動車は、遠く離れた発電所で石油を燃やして発電し、送電してステーションまで運び、充電したエネルギーを使う。後者の方が、効率は悪い。よって、火力発電に頼る限り、電気自動車のほうが全体的な石油の使用量は増加すると思われる。
電気自動車が環境に優しくなるのは、再生可能エネルギーを利用した発電方式を採用したことが前提である。そして、そういう考え方も重要だが、そもそも車を大量に売るのが善、という考え方から脱することは出来ないものかとも考える。
7月7日 バーフバリ
今日は、数十年に一度と言われる豪雨であったらしい。雨で外出の出来ない週末は、妻がレンタルビデオ屋で「バーフバリ」を借りてきた。「バーフバリ」は、「伝説誕生」「王の凱旋」の2作からなるインド映画で、私は知らないが、かなり話題になっていたらしい。2週間前の雨の日は「伝説誕生」をそして今日は完結編である「王の凱旋」を観た。妻が、子供用ではなく、自分が観たい映画を借りるというのは珍しい。
衝撃的な映画であった。映画には、ある程度ジャンルや形式があるが、これは私が今まで観た映画のうち、そのどれにも入らないように思えた。「インド映画」というしかない。私は、インド映画をほとんど知らないが、インドカレー屋のテレビで流れていて、不思議な音楽とともに大勢でダンスをしているイメージがある。この映画は、その雰囲気のまま極限までクオリティを高めたものに思える。
「楽しくてカッコよければ、細かいことはどうでも良い」というざっくりした感じが、良い方向に影響している。「楽しくてカッコいい映像」にするために、天気や季節の設定はコロコロ変わり、人はスーパーマリオの如く飛び跳ね、船は何の技術的根拠もなく空を飛ぶ。他の映画では1度か2度しかないようなクライマックスが、10分おきくらいにやってくる。
そして、結構容赦ない。悪人は容赦なく殺される。私たちの道徳観にあるような「赦す」という感覚が無いらしい。悪人は悪人、殺されて当然で、それによるカタルシスさえ演出される。我々の感覚とは違うが、これはこれで清々しい。
主人公も、私たちが思い描くヒーロー像とはかけ離れている。美男子ではあるが、ちょっと小太りで、とにかくチャラい。美しい女性が登場すると、微笑むというよりはニヤける。アプローチの仕方もかなり強引だが、インドではこのくらいが当然なのであろう。
そんなこんなで、妻と爆笑しながら観た。異世界を垣間見た気がした。
topへ