今年の夏休みは、4泊5日で屋久島に行った。本帰国してから初めての旅行である。
8月13日
新幹線で鹿児島まで行き、飛行機で屋久島に向かった。鹿児島中央駅から鹿児島空港までは、バスで行く予定だったのだが、時間がギリギリ過ぎてタクシーを使うはめになった。鹿児島空港は、高速道路でかなり山奥まで行くため、料金は約1万2千円。いきなり痛手であった。
空港に着けば、民宿のニイチャンが迎えに来てくれていた。「台風が来ますよ」と言う。確かに、私たちが滞在する期間は、ずっと雨の予報である。3年前に北海道から移住してきたというこの人は、ユルい感じで色々教えてくれる。民宿は、海のすぐ近くで、大人素泊まり3千5百円。部屋に入れば、我が家のような安心感であった。日本の民宿は良い。
夕食がてら、散歩をした。凄く湿度が高い。100%に近いのではないかと思う。海からすぐ近くから山がそびえており、中腹から雲で覆われている。雲の形も、他では見られないような複雑な形をしている。
夕食は、近くのレストランを探したが、ほとんどがお盆休みで閉まっていた。唯一、徒歩圏内で開いていたレストランも、満席であり、Hotto Motto で弁当を買って食べた。子供たちはドラえもんの形をした弁当が食べられて大満足であった。
食事をして宿に戻ると、妻が「ひとりで飲むのは寂しいので一緒に飲みませんか?」と誘ってくるオジサンがいるということで、そのオジサンと一緒に共有スペースで焼酎を飲みながら話した。このオジサンは、人と仲良くなるのが得意なようで、山登りで知り合った一家と仲良くなって一緒に登ったらしい。ここで飲む前も、居酒屋で知り合った客と仲良くなり、明日一緒に屋久島を一周すると言っていた。私にはこういう誰とでも仲良くなれる才能は無いので、羨ましいと思った。このオジサンとは、次の日も飲みながら話をすることになる。
夜、妻が起きてごそごそしている。「ゴキブリが出た」という。見れば、フナムシがごそごそしている。私は2匹ほどフナムシを潰したが、「あれはゴキブリであった」と言って、なかなか寝付けないようであった。私も、妻が寝付けないことで寝付けず、睡眠不足のまま朝となった。

左:屋久島空港にて。 右:民宿で我が家の様にくつろぐ家族

左:山の上のほうは雲で覆われて見えない 右:雲は見てて飽きない
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8月14日
2日目は、レンタカーを借りて島を巡ることにした。宿のニイチャンや、昨夜一緒に飲んだオジサンに教えてもらったオススメを巡った。
まずは、「八万寿茶園の抹茶ソフト」を食べるべし、ということで、ここで、ソフトクリームやアイスを食べて鋭気を養った。その後、山道を車で登って「紀元杉」を見にいく。屋久杉の多くは、山道を歩かないとたどり着けない。有名な「縄文杉」などはまる一日かけて山登りをするのだが、この「紀元杉」は車で行ける数少ない屋久杉らしい。
杉の存在感は、圧倒的であった。樹齢3千年。私たちがイメージする「杉」とは違う植物の様に見える。付近の植生も、私たちが他で見る風景と全く異なる。切り株からはどんどん新芽が顔を出し、木は水をたたえたコケに覆われる。木や岩を覆うシダ植物やコケ類も、見たことの無いものばかりだ。

左:紀元杉 右:切り株に群がる新しい命(切り株更新というらしい)

左:透明なゼリーをくっつけた謎の植物 右:もののけ姫に出てくるような、水を湛えたコケ
山を降りたら、腹がすいた。車で走って、次の食堂の看板があったら入ろうということに決めた。「お食事」の文字が見えたので、早速入ったら、倉庫のような場所で、その前にカヤックが並べられている。中に入ると、右手には布で仕切られただけの即席住居のようなものがあり、左手に入り口が見えた。左側の入り口から入ると、食堂があった。
食事を注文して待っていると、前からいた子供たちが、捕ってきた川エビを見せてくれた。これからから揚げにして食べるらしい。
色々話を総合すると、ここは元々農協の倉庫だったところを買い取って、夫婦で食堂を始めたらしい。しかし、いつの間にやらここにテントを張る人やら長期滞在する人たちも出てきて、この川エビ一家も、ここに滞在しながらカヤックを漕いだり、山登りをしたりしているようだ。最初に見えた即席住居は、彼らのために店の夫婦が作ってくれたものらしい。
食堂の奥さんに「ここは民宿なんですか?」と訊いたら「食堂だよ」という。「食堂なのにこの人たち勝手に住んでんの」。そんな話をしているうちに、お父さんが川エビを揚げはじめた。いい匂いがしてくる。少し食べさせてもらい、情報交換をして店を出た。屋久島は面白い人が多いなぁと思った。

左:倉庫のような食堂外観。カヤックが置かれている 右:後ろの子供たちが川エビを見ている。ドアの外に少し見えるのが彼らの即席住居
その後、千尋の滝を観に行った。「せんぴろのたき」と読むらしい。滝に着けば、昨夜食堂で飲んだオジサンとばったり出会った。昨日言っていたとおり、若い女性を連れている。彼女は、昨日縄文杉まで観にいき、今朝は白谷雲水峡をトレッキングしてからオジサンと合流して島を巡っているらしい。
彼女によると、宮崎駿は「千尋の滝」の名前から「千と千尋の神隠し」を思いついたという。そのほかにも、トレッキング中に「琥珀川」という川があったらしい。そういえば、アシタカは「ヤックル」という鹿に乗っていたが、これもヤクジカから来たのかもしれない。もののけ姫で、日本の原風景を描くにあたり、ジブリチームが屋久島でロケハンをしたことは有名だが、それ以外にも思い入れがあったのかもしれない。

千尋の滝
その後は、尾之間温泉で入浴した。いい湯であったが、熱すぎて子供たちは入れず、早めに切り上げて帰路についた。帰り道、妻の要望でドラッグストアに寄り、「フナムシ撃退グッズ」を買い込んだ。そのお陰か、以後は安眠できた。
8月15日
台風は、寝ている間に過ぎたらしい。私たちが滞在しているのは、屋久島の北側に位置する宮之浦という地域である。昨日はそこから右回りに観光したので、今日は左回りに行くことにした。
島最大の海水浴場といわれる、一湊海水浴場に顔を出した。遊泳禁止の看板が出ているが、売店は開いており、海水浴客も普通にいる。入り江にあるため波も強くないので、私たちも泳ぐことにした。

海水浴場の風景

子供たちもビビリながらも楽しんでくれました
その後、永田浜、屋久島灯台と巡ってから西部林道に入った。西部林道は、屋久島で唯一、海岸線から世界遺産に指定されている場所で、車で走っていると、鬱蒼とした森に入る。サルやシカも頻繁に見られた。シカは、ある程度近づくと逃げてしまうが、サルは道路に居座り、全く逃げない。こちらが避けてやらねばならない。

このような道が20kmも続く

左:サル 右:シカ
西部林道を抜けると、大川の滝があった。今まで見た中で最大スケールの滝であった。滝へは、岩場を少し行くと近づける。近くまで行くと細かい水しぶきが霧の様にかかって気持ちいい。

大川の滝と果敢に岩場を歩くサチコ。
その後は、そのまま島を反時計回りに回って帰宅することにした。途中、外国人夫妻が親指を立てて道端に立っている。ヒッチハイクである。ドライブ中にヒッチハイクに会うのは初めてだが、面白そうなので乗せてあげることにした。話していると、彼らはドイツ人で、バスで島の南端にある海中温泉に来たのだが、帰りのバスが来ないため、ヒッチハイクすることに決めたらしい。日本では2週間滞在し、東京、京都を巡ってから屋久島に来たらしい。前日には、縄文杉まで見にいったらしい。
たくましいものである。彼らは、これからビーチの近くでディナーを食べるんだといって、グーグルマップを見ながら、「ここで止めてくれ」と言って、何もない道端で降りて行った。
夜は、「さっちゃん」という居酒屋で夕食を食べて帰宅した。店名だけで決めたが、この旅を通じて一番美味しく、リーズナブルであった。宿に戻ると、例のオジサンが最後の夜だということで、また焼酎を飲んでおしゃべりをしてから就寝した。

「さっちゃん」にて
8月16日
屋久島での実質最終日である。この日は、せっかくなので山歩きをすることにした。とは言っても、優一は小さいので、ヤクスギランドで無理のないコースを歩くことにした。ヤクスギランドでは、30分コースから150分コースまで、レベルに応じた山歩きが出来る。
入れば、道はきちんと整備されていて歩きやすかった。それでいて森の風景は雄大であった。屋久島は、江戸時代より杉を伐採し、屋根の材料となる平板に加工して収めていたらしい。江戸時代に伐採された倒木や切り株から新芽が生え、2代杉、3代杉が生まれてくる。これらの風景を見ながら、50分コースを2時間くらいかけてゆっくりと歩いた。一番奥には仏陀杉があった。樹齢1800年。異形の姿である。中は空洞になっている。こうした巨木は、平板の加工に向かないために伐採されることなく残り、今にいたると言われている。しかし、それだけではないのだろう。これだけの巨木に神を感じた人々は、これを伐ることをためらったのではないかとも思える。

左:仏陀杉 右:仏陀杉と

左:森はコケに覆われている 右:倒木から生える新芽
ヤクスギランドから山を下ったところにある、「屋久杉自然館」に行った。ここでは、ヤクスギを少し削って匂いをかいだり、年輪の数を数えて樹齢を当てたりと、体験型の展示が多くて楽しかった。妻は、樹齢を見事に当てて携帯ストラップをもらっていた。

左:今回は行けなかった縄文杉の大きさが分かる 右:子供たちはこのピタゴラ装置に一番興味を示していた
8月17日
最終日は、基本的に帰るだけである。11時ごろまで宿でごろごろして、宿のニイチャンに空港まで連れて行ってもらうのである。しかし、FBを見ていると、なんとセツ父子が屋久島に来ているという。早速連絡を取って、宿に寄ってもらった。ヒトミは仕事のため、父子だけで屋久島に先に来て、ヒトミとは指宿で合流するらしい。息子のマヒロ君は、セツの子供だけあってがっしりした男の子であった。セツと分かれた後、無事に帰宅した。

セツ父子と
最後に
屋久島に一度は来たいと思っていた。高校生の時に見た、もののけ姫の衝撃がいつまでも忘れられず、その風景を実際に見たいと思っていた。屋久島の風景は、もののけ姫で見たような風景であった。屋久島の自然の素晴らしさを知ると同時に、いくら写真に撮っても伝えられない光景を、絵で再現したもののけ姫もすごいと思った。
屋久島では、面白い人が多いと思った。一緒に飲みませんかと誘ってくれたオジサン、北海道から移住しながらも、それほど屋久島を熱愛しているようでもないユルイ民宿のニイチャン、食堂だか民宿だか分からない倉庫にいる老夫婦と宿泊客、ヒッチハイクするドイツ人。色々な人に出会えた旅でもあった。
雨にもほとんど邪魔されなかった。妻とサチコは自称「晴れ女」であり、その通り、海で泳いでいる間は晴れ、泳ぎ終わったとたんに雨が降り出した。ヤクスギランドでも私たちがいる間だけは雨が降らず、車に戻った瞬間土砂降りとなった。そもそも、台風の進路は逸れた上、私たちが寝ている間に過ぎ去っていった。
今回の旅は、久しぶりに気楽であった。インドネシアにいたときの旅は、基本的に警戒モードであった。もちろん、常に身構えているわけではないが、日本にいるよりは緊張感を持っている。久しぶりの日本旅行は、リラックスしてまわることができた。日本だから警戒しなくていいということはないだろうが、少なくとも、海外にいるよりは安全で、何かあったときの対処もできる。良い旅であった。
8月7日 祭りの週末