2018年
10月のつぶやき
10月30日 教団X、R帝国
中村文則の小説「教団X」と「R帝国」を読んだ。著者のことは知らなかったのだが、たまたま本屋で「教団X」と出会い、続けて図書館で「R帝国」を借りたのである。純文学のような感性のみずみずしさを持ちつつ、現代社会の問題に正面から向き合う、意欲的な小説だと思う。
「教団X」は、カルト教団と対峙する奇妙な宗教団体の話である。特に、後者の教祖といわれる松尾老人の語りは圧巻で、神とは、宗教とは、そしてこの世界はどのように構成されているかが、説得力のある言葉で語られる。
「R帝国」は、AIが発達し、軍隊を持ち、民主主義国家でありながら実質上一党独裁体制をとっている、架空の国を舞台にした物語である。架空の国とは言っても、明らかに未来の日本を想定している。否、これらの設定の一部は、すでに日本で起こり始めていることのようにさえ思える。そして面白いことに、この小説世界のAIが勝手に作り出したとされる、出処不明の小説の中に「日本」「第二次世界大戦」「ナチスドイツ」など、現実世界の真実が描き出される。
そして、どちらの小説にも共通しているのが「全ての多様性を愛する」というキーワードである。右か左か、賛成か反対か、世の中はそう単純ではない。その「間」があって当たり前であり、否、その「間」こそが圧倒的多数である。そして、そこに世界の奥深さや面白さがある。私にはそのように読めた。
10月28日 どんぐりを調理する
先日、仕事から帰ってくると、ノートパソコンの上にジッパー袋に入った大量のどんぐりが置かれていた。私がどんぐりを食べたいと騒いでいたので、妻が遠出して公園でマテバシイのどんぐりを拾ってきてくれたのである。ネットの情報によれば、マテバシイは比較的アクが少なく、そのまま炒って食べられるという。
早速私は、炒って食べてみた。確かに食べられるが、決して美味しくはない。口直しに素焼きアーモンドを食べれば、アーモンドは何と優れた木の実であるかを実感した。また、実によって苦味のあるものや、臭気のあるものなど違いがあった。私はどんぐり専門家ではないので、全てがマテバシイかどうかは分からない。
そこで、殻を全部剥いて、あく抜きをしてみた。丸一日水に漬けてみたが、えぐみが取れないので、今度はどんぐりを茹でては水を捨ててを4〜5回繰り返したところ、だいぶ食べやすくなった。
ネットで調べると、オーソドックスな食べ方はどんぐりクッキーということで、これを作ることにした。普通のクッキーすら作ったことが無かったが、バター、砂糖、小麦粉と潰した茹でどんぐりを適当に混ぜた。作っていると、サチコが興味津々でやってきて、手伝いに来た。
クッキーの形を作るところは、私は適当にやっていたが、サチコはハート型や星型など、可愛らしい形を作っている。「どんな形を作る?」と訊かれたので、「う○こクッキー」と言って、それらしき形を作ったところ、色といい、風合いといい、あまりにもリアルであったので中止した。その後、オーブンで焼いた。
食べてみれば、そこそこ美味しいどんぐりクッキーが出来上がった。正直言って、大して美味しいものではない。これが非常な美味であったなら、今頃どんぐりがスーパーに並んでいるはずである。それでも、自分で拾ったどんぐりを食べるのは、それ自体楽しいし、改めて日本に帰ってきたなぁ、と実感する。
10月27日 バーベキュー
今日は、家族でバーベキューをしに行った。筑後船小屋の公園にはバーベキュー広場があり、事前に予約すれば場所だけでなく、コンロや炭も準備してくれる。場所代500円、コンロ500円、炭500円で、食べ物と着火剤くらいを持っていけばバーベキューができる。食材は妻が用意してくれ、自転車と電車で筑後船小屋へ向かった
コンロをセットし、テントを張って火をおこし始めた。炭に火をおこすのは何十年ぶりであろうか。難しいイメージを持っていたが、着火剤を下に敷いて火をつければ割と簡単にできた。その間、子供たちはテントで引きこもって遊んでいた。
網に肉や野菜を焼いて、みんなで食べれば、至福のひとときであった。風は強いが快晴で、気持ちの良い日である。食材は少ないかと思われたが、ちょうど全員が満腹になったところでなくなる、絶妙な量であった。
バーベキューを終えた後は、すぐ横の芝生広場でフリスビーやブーメランを投げて遊んだ。そして、これまたすぐ近くの足湯に入り、道の駅で買い物をして帰った。
10月21日 図書館へ
週末のたびに、父と子供たちで外出するのが習慣となっている。今日は、自転車で図書館まで行ってきた。私が住んでいる町の図書館は、とても充実している上、整備された公園の中にある。本を借りた後、公園でのんびり読書が出来る、素晴らしい環境である。
図書館で本を借り、軽く昼食を食べ、公園内の鯉にエサをあげてた後、芝生にテントを張ってのんびり過ごした。のんびりしていると、優一がテントで昼寝をしたので、サチコと私はフリスビーを投げて遊んだ。いつの間にやらサチコのフリスビーは上達し、まともにキャッチボールが出来るようになった。出来るようになればさらに嬉しいらしく、サチコは疲れを知ることなくフリスビーを続けた。
サチコとフリスビーを投げながら、今は一生に幾度も無いような、幸せな時間だと思った。同じようなことは、これまで何度も感じたことがある。学生時代、民研で過ごしていた頃、妻と結婚する前に近場でデートした時、インドネシアで家族旅行に行った時、などなど。しんどいときもあるが、そのときそのときの幸せは、いつもついて回る。
帰り道、信号を待っているとき、突然サチコが「私が大きくなったら、お父ちゃんみたいなイケメンで優しい男の人と結婚したい」と言った。「そうかそうか」と素っ気無く答えたが、父としてはこれ以上嬉しい言葉は無いであろう。こんな可愛いことを言ってくれるのも、あと何年であろうか。
家に帰った後、私は公園で拾ったどんぐりや木の実を調べた。ムクロジという木の実は、果実部分がぷにぷにしていて、石鹸のように泡立つということで、ペットボトルに水と一緒に入れて振ると、泡だらけになった。石鹸としても使えるということなので、試しに手を洗ったら、石鹸のように泡だった。しかし、洗った後も手がベトベトするので、普通の石鹸で洗いなおした。
今日拾ったどんぐりは、アカガシとコナラの実で、そのままではアクが強くて食べられないということで、アク抜きをすべく水にさらしている。以前サチコが大量に拾ったどんぐりは、どうやらマテバシイという、比較的アクが少なく、炒って食べられる種類らしいのだが、サチコは断固として譲ろうとしない。その他、栗のような実を拾ったので、皮をむくと綺麗な黄色い実が出てきた。食べられるかと思い、そのまま少しかじってみたら、すごい苦味であり、すぐにうがいをした。
そんなことをした後に、スーパーで買ったピーナッツを食べたら、素晴らしい美味であった。上記の木の実と比べて、なんと食べやすいことか。そんなことをしながら、今週末は過ぎていった。
10月19日 公園へ
先週末は、子供たちを連れて筑後船小屋という駅まで行ってきた。グーグルマップで見ると、駅から広大な公園があり、前から気になっていたのである。またこの日は駅前の芸文館でNゲージの展示をやっているということであり、電車好きの優一を連れて行きたかった。
Nゲージのほうは、よく出来ていたが、思ったよりも規模は小さかった。同じスペースに鳥人間コンテストに出た飛行機が展示されていた。こちらがもの凄く大きい。しかし、紹介ビデオや、展示写真にも飛んでいる様子は一切なく、製作のようすや苦労話ばかりが展示されている。よくよく見ると、飛行距離は30メートルであったらしい。
芸文館は早めに切り上げ、公園をうろうろした。気持ちの良い公園である。こんなに広い公園はなかなかない。テントを張ってごろごろしたり、ブーメランを飛ばしたりして遊んだ。そして、公園に隣接する温泉に入り、昼食を食べた後、またテントを張ってごろごろしていた。
ふと見れば、みんなバーベキューをしている。公園内にはバーベキュー広場もあり、場所代、コンロ、炭をそれぞれ500円で提供してくれるらしい。秋晴れの日に、バーベキューをしながらのんびり過ごしたら楽しいだろう。家に帰って妻に話し、来週(明日)バーベキューをすることにした。
予約の電話を入れたところ、今週末はマラソン大会のため受け付けていないとのことであった。楽しみは次週に持越しである。
10月8日 ドラえもん くじらとまぼろしのパイプ島
一ヶ月ほど前に放送された、「ドラえもん くじらとまぼろしのパイプ島」の録画を、子供たちが毎日の様に飽きずに観ている。映画ではなく、テレビ版の一時間スペシャルで、夏休み最後の日、7千年前の奇跡的に文明が発達した島に向かう、アドベンチャーである。テレビ番組なのに、まるで映画のように作りこんである。52ヘルツで泣く「世界一孤独なクジラ」の謎と、のび太が偶然手に入れたオカリナが52ヘルツの音波を発するという設定を交えるあたり、なかなか良くできていると感じる。また、メインテーマは印象的で、登場人物のピトがオカリナで吹くあたりは情緒あふれる場面となっている。最後の、夕日の中の別れのシーンなどは、夏休みを終えて、センチメンタルな気持ちの子供たちには、印象的かもしれない。
サチコと優一は、セリフまで暗記しており、ふたりでのび太役とドラえもん役を演じては遊んでいある。サチコは、よほど感銘を受けたのか、挿絵を入れた小説のようなものまで自作しており、よほど惚れ込んでいるようである。
良いアニメだと思った。もちろん、巨大な予算を使って作られた映画とは違うが、良い仕事をしているな、と思わせる作品である。子供たちは、このアニメのことは忘れてしまうだろう。しかし、どこか心の中で覚えていて、ふとした拍子に思い出し、ああ、なんかこんな話があったなと思うかもしれない。題名を思い出せなくても、オカリナのメロディだけは覚えていて、あれは何の曲だっただろうかと思うかもしれない。
こういう仕事をされている方々に敬意を表したい。
10月7日 公園へ
三連休の中日は、テントを持って家族で近所の公園へ遊びに行った。家族4人で公園に出かけるのは久しぶりな気がする。
公園ではどんぐり拾いをしたり、ボール遊びをしたり、遊具で遊んだりした。暑すぎず、寒すぎず、ちょうど良い季節である。行きがけに買ったパンをテントの中で食べた。
その後は、親は交代でテントで昼寝をしながら子供たちの相手をした。テントの中で寝そべれば、至福のひとときであった。サチコはたくさんのどんぐりをかばんに詰めていた。
家に帰った後、下記のようにそれぞれが学習活動に勤しんだ。
私はサチコが拾ってきたどんぐりをスマホで調べながら、どう調理して食べようか考えていた。種類によっては炒るだけで食べられるものもあるらしい。サチコは図工で使うから食べるな、と言う。
サチコは、以前に拾った大量のセミの抜け殻を見ながら、オス・メスを見分けて楽しんでいた。産卵管の有無で見分けられる。
妻は、以前スーパーで買った野菜に、偶然付着していたカタツムリを観察して、どんな野菜を食べるとか、調べていた。もう2週間くらいたつが、少しずつ成長しているらしい。
優一は、新幹線図鑑を見ながら「えぬななひゃっけー」とか「こまち」とか騒いでいた。
10月5日 右脳・左脳
私の脳は、放っておくと左脳が働くらしい。常に頭の中で何かを考えている。道を歩いていても、周りの景色や、そよ風の感覚や虫の鳴き声などは、敢えて意識をしないと聞こえてこない。「意識的に」ぼんやりしなければ、余計なことを考えてしまうのである。
左脳は、論理的思考や言語、数字などを扱うのに対し、右脳は空間認識、五感、直感を司るとされる。「奇跡の能」(ジル・ボルト テイラー著)では、脳科学者である著者が、脳卒中に見舞われ、8年間ものリハビリを経て脳科学者として復帰するまでの経緯が綴られた、稀有な著書である。本書では、脳卒中になった際の記述で、論理的な思考力が失われているにもかかわらず、自他が溶け合うような幸福を味わったという。また、リハビリを経て復帰した後は、脳卒中になる前の「左脳的な」自分を否定し、「右脳の世界」へのアクセスを自由に行えるようになった新しい自分へと生まれ変わる。
私が、駅から会社までの徒歩20分間を大切にしているということは、以前に書いたとおりだが、少しでも気を許すと左脳が幅を利かせはじめる。仕事上の心配ごとなど、考えても仕方の無いことをグルグルと際限も無く考え続けてしまう。それを断ち切るように、周りの景色を眺め、虫の音を聞き、一歩一歩歩く感覚を大事にすることで、右脳を優位にさせる。そうすると、モヤモヤした感情は和らいでいく。
上記「奇跡の脳」は探してみたが見当たらないため、もしかしたら売ってしまったのかもしれない。それでも、この本によって生きるうえでのヒントを得たのは貴重であった。
そして、左脳の働かせすぎは、経験上ストレス性の病気を引き起こす。これからも意識して気をつけていきたい。
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