2018年
11月のつぶやき




11月25日 温泉へ

 昨日は、家族で温泉へ出かけた。とは言っても、遠出したわけではなく、自転車で約15分くらいのところである。街中ではあるが、源泉かけ流しの本格的な温泉である。なんでも、どんなに寒い冬でも凍らない池があり、当地の伝わる、村人を騙して懲らしめられたキツネが、お詫びに教えた温泉があったとの昔話を信じて、そのあたりを掘ったところ、温泉が湧いたらしい。

 以前より気になっていたのだが、昨日初めて訪れた。中は、ちょっと古風で怪しげな温泉であった。古いゲーム機が並び、中央にはみやげ物が売られている。その他、時代遅れの服や、怪しげな陶器、掛け軸などが無節操に売られている。それでも、妙に落ち着く。まるで、田舎のおじいちゃんの家に行ったような感覚である。私たちは、家族風呂を予約して入ることにした。

 家族風呂は、前室にソファとテレビがあり、奥に露天風呂がある。家族だけなので、人目を気にすることなく大いに楽しめた。温泉は、アルカリ質で、ねっとりしている。肌がつるつるになった。時間は1時間だが、30分も入っていれば十分で、その後は、テレビで子供番組を観ながらのんびりした。

 家族風呂から上がった後は、食堂で夕食を食べた。ちゃんぽんが有名とのことで、注文したら、すっきりした味わいのちゃんぽんが出てきた。大広間のような場所で、これも非常に落ち着く。

 良い場所を見つけた。宿泊も出来るらしいので、いつか泊りがけでだらだらしたいと思った。  


11月15日 先週末のこと

土曜日

 サチコの小学校の観劇会および授業参観に行ってきた。観劇会は「アラジンと魔法のランプ」であった。子供たちが劇をやるのかと思っていたら、プロの劇団を呼んで劇を観るというものであった。

 劇は、面白かった。小学生が楽しめるように随所に工夫がなされている。何よりも、観ている子供たちの反応が凄い。電気が消えて真っ暗になるだけで大歓声が上がり、役者がちょっと面白いことを言うと、大爆笑となる。

 私は、嬉しくなった。タブレット端末やDVDの普及により、これまで非日常の娯楽であったアニメや映画がいつでも手に入るようになった現代、今の子供たちにとっての非日常の喜びというのはあるのだろうかと、心配に思っていた。演劇という、昔ながらの表現手段が変わらずに非日常の娯楽を提供してくれることが、素直に嬉しかった。

 その後、授業参観であった。サチコは、家では賑やかだが学校ではかなり大人しいようだ。班を作って相談する場面でも、サチコは議論に加わることなく終始ぼんやりしていた。さすがは私の娘である。

 それにしても、授業の内容がくだらない。三角形と四角形の勉強なのだが、色々な動物の絵とその周囲に点が打たれたプリントを配布し、その点を線でつなぐ。それが動物によって三角形の点だったり四角形の点だったりするのだが、それをはさみで切り取って、分類させる。その後、班に分かれてそれぞれの特徴について話し合い、点の数だの線の数だのと議論した結果を発表しあうというものであった。

 三角形と四角形を教えるのに、どれだけ時間をかけているのか。子供の頃の私だって、そんな下らない議論に加わるのは面倒くさかったであろう。サチコの気持ちは良く分かる。多角形は、すでに定義がはっきりしており、議論して決めるものではない。「こういうものです」と教えるべきものだと、私は思う。

 授業参観が終わった後は、優一を連れて図書館へ本を借りに行った。敷地内で鯉のえさを買って、鯉やハトにえさを与えた後、銀杏が落ちているのを見つけた。ちょうどよい袋が無かったので、優一のポケットにぎっしり詰め込んで家に帰った。家に着けば、優一のポケットの中で銀杏が破れて異臭を放っていた。

 早速、銀杏の処理を始めた。ネットで調べると、室内でやると臭さで家族のひんしゅくを買うとあったが、水の中でやればそれほど臭くはなかった。取り除いた果肉は優一用の「おむつが匂わない袋」に入れた。中身は天日乾燥させるとのことであったが、面倒なのでそのまま殻を剥いて炒って食べた。

 拾いたての銀杏は、美味しかった。クセが少ないように感じる。サチコは無理かと思ったら、普通に食べていた。どんぐりに続く拾い食いである。

日曜日

 日曜日は、私一人で神戸に向かった。祖父に会うのが目的である。96歳の祖父は、9月に退院した後、歩けなくなったという。祖父、母、叔母に神戸まで会いに行った。

 祖父は、思っていたよりも元気であった。5月に会ったときよりも元気そうに思えた。車椅子で移動し、叔母の助けを得ながら、トイレの近くから掴まり立ちをして自分で用を足すことも出来る。リハビリも積極的に行っていて、生きる気力を感じた。叔母の介護で復活したのだと思った。その叔母も疲れているとは思うが、いつもどおり元気そうであり、頭の下がる思いがした。

 その後、明石で父と落ち合い、酒を飲んだ。来年引退する父は、2週間かけて北日本をめぐる大旅行を計画しているらしい。仕事の話もした。父を仕事の先輩として話をすれば、頼もしい人だと思った。1時間くらい飲んで、そのまま家路についた。


11月14日 謎のアジア納豆

 「謎のアジア納豆 そして帰って来た<日本納豆>」(高野秀行著)は、ミャンマー北部のジャングルを、反政府ゲリラと一緒に歩いてヘトヘトになっていたとき、たまたま入った民家で白いごはんに納豆と生卵を出された衝撃で始まる。そこから、納豆は日本の専売特許ではないという思いが強まり、アジアの納豆を探し、日本の納豆のルーツに迫る過程が描かれている。

 中国南西部、タイ北部、ミャンマー、ブータン、ネパールで納豆を見つけ、その作り方を教えてもらいに行く。更には、秋田県南部に納豆のルーツと思われる納豆を発見し、その共通点を見出すさまは圧巻である。

 これを読み進めていくうちに、その直前に読んだ「照葉樹林文化」(植山春平著)のことを考えていた。上記納豆の発見された地域が、照葉樹林文化圏に入るのである。照葉樹林とは、カシやツバキなど、厚い葉を持つ常緑広葉樹で、こういった植生を持つ地域では似た様な文化が発達するといわれる。

 著者は、照葉樹林文化論自体に疑問を呈し、納豆文化もこの枠組みでは説明できないとしている。そして、大豆を食べる地域では非同時多発的に納豆が発明された可能性を指摘している。なぜなら、納豆は湯でた大豆を葉っぱに包んでおけば、簡単にできるらしい。日本人は藁じゃないとできないと思っているが、アジア納豆の多くはイチジク、シダ、バナナなどの葉で包んで作られる。スターターとなる菌が、私たちが考えているよりも多くの葉に存在しているということだ。茹でた大豆を葉っぱで包んで保管しているだけで出来るのだから、納豆に出会わないほうが不思議だということである。

 アジア納豆は、日本のように生で食べるよりも潰してスープの味付けにしたり、煎餅状にして乾燥させたりして使う。日本よりも多様な使い方をしているのだ。そういえば、インドネシアにも「テンペ」という大豆発酵食品があった。

 高野秀行の本は、いつも面白おかしいながらも深く考えさせてくれる。


11月5日 さがバルーンフェスタ

 昨日は、家族で「さがバルーンフェスタ」に行ってきた。熱気球の世界大会が開かれるらしい。ついでに出店なども出て、お祭のような賑わいになるという。

 会社の人に教えてもらって、面白そうだと思ったのは、このお祭のために、「さがバルーン駅」という臨時駅ができることであった。何かのイベントのために臨時列車が運行することは良くある話だが、「臨時駅」というのは聞いたことが無い。駅を建造するだけでなく、この日のためだけのダイヤも必要であろう。この大会にかける並ならぬ熱意を感じる。

 「さがバルーン駅」は普段なら何の変哲も無い河川敷に作られていた。想像していたよりもしっかりした造りで、さすがに土台部分は仮設ではないようである。駅から降りれば、大変なにぎわいであった。

 河川敷の斜面を陣取り、のんびり待っていると、大会が始まった。この日の大会は「キーグラブレース」というもので、会場から1km以上離れた場所から飛び立ち、会場内に掲げられたカギの形をした旗を掴み取る、という内容らしい。気球の操縦というのは、上昇・下降のみであり、高さ方向で異なる風向きを利用して進む方向をコントロールするという。佐賀の風は複雑らしく、気球大会に向いているらしい。こんな解説を聴いて、妻は「ナウシカのようだ」と言った。

 開会が宣言されて10分くらいすると、遠くのほうから気球がゆっくりやってきた。カギの近くまで来たが、そのまま風に流されて遠くに行ってしまった。気球の運転は難しいらしい。やっている本人達は必死なのだろうが、河川敷で見ていると、なんとものんびりした光景である。そのため、子供たちは早々に退屈し始めた。

 1時間くらい経つと空を埋め尽くす気球が現れ、圧巻となった。その後、風向きが変わり、気球が私たちがいるすぐ裏側の、稲刈りの終わった田んぼに不時着し始めた。私たちは近くまで駆け寄り、間近で気球を見た。気球の選手達は、サービス精神旺盛で、バーナー噴射をして見せてくれたり、子供たちをカゴに乗せて写真を撮ったりしてくれていた。シャイで怖がりのわが子たちは、カゴには乗ってくれなかったが、そこそこ楽しんで、家路についた。


左:さがバルーン駅。大変な賑わいである。    右:空を埋め尽くす気球


左:田んぼに不時着する気球。ここで観客との交流が生まれる。 
右:なぜか田んぼに地味に展示されるレトロカー。全てのフロントガラスに「勝手に!!触るな!!」と書かれている。


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