2018年
12月のつぶやき
12月31日 2018年最後の最後のつぶやき
下の「つぶやき」を書いた後、子供たちと凧揚げをしにいった。途中のダイソーでおもちゃを買い、サチコは「おいしゃさんごっこセット」が欲しいというので、買ってあげた。公園でテントを張り、凧揚げをして遊び、昼食を食べて自転車で帰った。
家に帰ってのんびりしていると、サチコが暗い顔をして、「お医者さんごっこの注射がなくなった」と言う。どうやら、注射のうち、シリンダー部のみが残り、ピストン部とキャップがなくなったらしい。サチコは最後に立ち寄った家の前の公園に探しに行った。
しばらくして、「キャップだけ見つかった」という。よくこんなに小さな部品を見つけたものだと感心したが、サチコの顔は暗い。状況から推察するに、自転車のカゴに乗せていたサチコのバッグの口がちゃんと閉まっておらず、部品が次々に落っこちているものと思われる。
100円ショップの下らないおもちゃだが、サチコにとっては重要であろう。私は、帰り道を一緒に逆戻りして探してあげることにした。ただし、途中横断した国道まで、ということにして、サチコと自転車で捜索を始めた。色はピンクらしい。
国道の信号を渡るところまで来たが、ピストンは見つからなかった。私は、しょうがないから諦めるか、とサチコに話しかけたら、サチコは10mくらい前を指差して、「あれ、ピンク」と言う。近づいてみてみると、探していたピストンであった。サチコと私は狂喜し、抱き合って喜んだ。
帰り道、サチコはゴキゲンであった。「アスファルトがピンクじゃなくて黒で良かった」と喜んでいる。とりあえず、悲しい正月にならなくて良かった。
12月31日 2018年最後のつぶやき
今年もあと一日で終わる。年を取ると、一年経つのが早くなるといわれる。しばらく、「早い一年」が続いていたが、私にとって2018年は、久しぶりに「長い一年」であった。去年の今頃はインドネシアにいたが、遥か昔のことのような気がする。仕事、家庭面でも多くの変化があったため、長く感じたのであろう。
3月にインドネシアから戻り、久々の日本、初めての福岡県であった。桜の咲く中、慌しく荷物を詰め込み、最低限生活できる状態にしてから仕事を始めた。久々の日本での仕事は、覚えることが多く、周りはほとんど知らない人ばかりだった。「日本語で仕事をする」ということすら久しぶりで、慣れるのに時間がかかった。
仕事に慣れた頃、10月からまた異動があり、別の職場、別の立場でスタートした。これもまたゼロから仕事を覚えることとなり、必死で仕事を覚えて3ヶ月、今にいたる。それでも、出会った人に恵まれたお陰で、なんとか務まっていると感じている。
週末ごとに子供たちを連れて自転車で出かけるのが、習慣となった。公園で遊んだり、図書館で本を借りたりするだけのささやかな習慣だが、それでも幸せである。欲を言えば、趣味をもう少し充実させたい。インドネシアでは、子供たちを連れて柔道やらリコーダーやら行っていたが、ここではそういう機会が無い。柔道は平日の夜だけで、しかも子供にやらせて親は見学、といったスタイルのようである。
来年もよろしくお願いします。
12月30日 年末
今年の年末は、特に予定もなくだらだらと過ごしている。
リコーダー録音
サチコが「崖の上のポニョ」を歌いたいと言い出したので、急遽リコーダーで主旋律だけ吹いて録音し、歌わせてあげた。私の持っているリコーダー楽譜は、実際に歌うと中途半端なところで終わってしまうらしく、サチコは「楽譜が間違っている」と言う。楽譜を改変するのも面倒なので、そのまま何度か歌って録音した。
その後、リコーダーの全パートを録音していると、優一がやってきて私の膝に座った。そのうち、リコーダーを吹いている私の膝の上で立ち上がったり、背中にしがみついたりし始めた。マイクを付けると、「ぽーーにょぽーにょぽにょ」と歌いだした。
さすがに優一の声はうまく拾えなかったので、いつもどおり父娘の競演でお届けする。
https://www.youtube.com/watch?v=Cx4osI4zSUU
車のおもちゃを分解
私には、以前より気になっていたことがあった。さまざまな車の形をしていて、手で後ろにバックさせて手を離すと、ばねの力で前に進む、昔からよくある定番のおもちゃである。
このおもちゃを手でバックさせた後、前進させて元の位置に戻しても、同じように前に進むのである。しかし、バックさせた後、元の位置よりもかなり前進させてから手を離すと、ばねは力を失い、前進しなくなる。このことから、バックさせたばねの力をそのまま使っているのではなく、内部で何らかのギヤ変速があると思われた。100円ショップで売られているような単純なおもちゃで、一体どのようにしているのか、気になった。
3ヶ月くらい前、そんな疑問を妻に話した後、ある日、仕事を終えて家に帰ると、私の机に救急車のおもちゃが置かれていた。これで好きなだけ分解していい、ということらしい。そのおもちゃを、年末のヒマな時期に分解して検証した。
結果、私の推測したとおり、後退時と前進時で別のギヤを使っていることが分かった。ギヤボックス内のギヤのうち、2つのギヤは軸が固定されておらず、それぞれ前進時、後退時のみ噛み、それ以外の時は空回りするようになっていたのである。そこから、上記のおもちゃは、下記の3モードがあると思われた。
1.手でバックさせるとき…低ギヤ比モードで少ないバックで効率よくばねを巻く
2.手を離した後…高ギヤ比モードに切り替わり、長距離進めるようになる
3.ばねが伸びきった後、タイヤは空回りして、慣性力で更に進む
このような仕組みは、昔からある当たり前の技術かとは思うが、改めて仕組みが分かると、よく出来ているなぁと思う。もう一つすごいのは、ママチャリの3段変速の仕組みである。昔からどのような仕組みで変速しているのか、不思議でならなかったが、ネットで調べると、非常に複雑なギヤが、ママチャリの後輪中央の小さいボックスに納められていることを知った。ギヤボックスの世界というのは、誠に奥深い。
12月22日 親知らず続報2
下記に書いたとおり、親知らずの痛みで苦しんでいると、妻が近所でドライソケットに効果のある治療機器を有している歯科を調べてくれた。ウェブサイトによると、「メディフュージ」という機械で採取した血液を遠心分離させ、その血液の成分で抜歯した後の穴を埋めるという。私は、土曜日にその歯科を予約した。
予約した次の日から、痛みは徐々に収まり、金曜日には痛み止めがなくても生活できるようになった。土曜日、もう歯科にいかなくてもいいかと思ったが、念のため行ってみることにした。
歯医者によると、上記の治療はしたほうがいい、と言う。治療のためには、採血して遠心分離機にかけ、ゼリー状になった血の成分を抜歯した穴に詰め込み、縫合するらしい。私は、せっかく痛みが取れてきたのにこのような治療をするのは面倒だとも思ったが、またあの痛みが再発するのも嫌だと思い、治療をしてもらうことにした。
遠心分離された私の血は、赤い部分と白い部分に別れた状態で、試験官からプルンと出てきた。白いほうを使うという。治療は簡単で、麻酔をした後にゼリー状の血を詰め込み、その部分を縫い合わせ、更に「歯の包帯」と言われるガム状のものを歯に塗られて、終わった。一週間後、歯の包帯を除去して抜糸するという。
この「歯の包帯」が、そこそこ面倒である。奥から3番目の歯位まで、手前側が覆われており、痛みは無いものの違和感がある。普通に食事して良いとのことだが、どうしても反対側で噛むようにしてしまう。この部分は歯を磨かなくていいと言われたが、一週間も磨かないのは抵抗がある。
まあ、とりあえず無事終われば、年末年始は穏やかに過ごせそうだ。
12月22日 優一のこと
優一が、面白い。そして、可愛い。3歳のこの時期の可愛さは、たまらない。
まず、未だにトイレに行きたがらないところが可愛い。トイレトレーニングを始めて半年以上経つが、全くトイレで用を足す気が無いらしい。その代わり、人前で用を足すのは気が引けるらしく、うんちがしたくなると、気配を消して子供部屋に行き、そーっとドアを閉めるのである。子供部屋が優一のトイレらしい。無理矢理トイレに座らせても、断固として用を足そうとしない。そのうちやるだろうと、妻も私ものんびり構えている。
トイレも行けないのに、ひらがなは書けるようになり、数字も理解するようになった。サチコのときもそうだったが、このころの字は、一番可愛い。優一の場合は、鏡文字になることなく、そこそこ正確に書いている。
先週、自転車を買ってやった。ストライダーのような、ペダルの無い自転車で、足で地面を蹴って進むタイプである。更に、これに慣れてきたら、後でペダル部分を装着し、普通の自転車のように乗れる。補助輪付きの自転車よりも、早く乗れるようになるという。確かに、サチコの場合は補助輪に頼りすぎて慣れてしまったため、バランスを取るのに時間がかかった。
公園で練習させると、ずいぶん気に入ったようで、ずっと足を使って自転車を進めていた。足で蹴るというよりは、ただ自転車にまたがって歩いているだけだが、そのうち覚えるであろう。
妻が、最近私が優一を可愛がっている、という。そりゃ、今のうちである。今の姿からは信じられないことであるが、そのうち顔のふっくらした丸みはなくなり、体はごつごつして全く可愛くなくなってしまう。更には、生意気な口をきいたり、逆に親とはろくに口もきかなくなる時期が来るであろう。今の優一を、存分に堪能しておかねばならない。
12月17日 親知らず続報
10日前に親知らずを抜いたことは、下に書いたとおりだが、その後痛みがどんどん強くなってきていた。周りの人に訊いても、親知らずは3日もすれば痛みは治まり、普通どおり食事ができるというが、私の場合は逆に痛みがどんどん増していった。先週の木曜日、ついに耐え切れなくて市販の痛み止めを飲み始めた。その痛み止めも、日に日に効きづらくなっている。痛みは、歯だけでなくこめかみや耳の後ろあたりまで広がっている。
土曜日、歯医者に行って痛みを訴えたところ、「親知らずと接していた隣の歯が知覚過敏になっている」ということで、知覚過敏を和らげる薬を塗ってもらい、「シュミテクト」の試供品を渡された。私は、この痛みは知覚過敏だけではないと思い、耳の後ろあたりをさすりながらここも痛いです、と言ったが、「そこは耳下腺だよ」と言われた。
そして今日、痛みは更に増してきた。仕事に集中できない。昼食後、私は会社の近くの耳鼻科に行った。耳に異常が無いことと、親知らずを抜いた穴から中の骨が見えていることが分かった。ここの耳鼻科は歯にも詳しく、親知らずの穴を清掃してくれ、下顎骨髄炎防止のために抗生物質を処方してくれた。上記の歯医者よりもこの耳鼻科医のほうがよほど歯医者らしいと思った。
会社に戻って仕事をしているが、やはり痛みが耐え難い。先ほどの耳鼻科医も、歯科医に相談した方がいいと言っていたので、仕事が終わってから、会社の近くの歯医者に行った。歯医者によると、この痛みはしばらく続くが、やがて治るとのことであった。それまでの間、頻繁に清掃、消毒をして、痛み止めを飲んでやり過ごすしかないらしい。
歯医者でもらった強めの痛み止めがようやく効いてきて、この「つぶやき」を書いている。どうやら私は、「ドライソケット」になってしまったらしい。抜歯後、本来であれば血の塊で患部がフタをされるべきところが、何らかの要因で中の骨が剥き出しになってしまう症状らしい。2〜5%程度の確率でなるとのことであるから、運が悪いとしか言いようが無い。痛みは、1〜3週間くらい続くとのことであるから、しばらくは耐えなければならない。
12月8日 パッヘルベルのカノン
久しぶりに、リコーダーの多重録音をした。「パッヘルベルのカノン」である。中盤の印象的なメロディで有名なこの曲は、元々3つのヴァイオリンと通奏低音の曲で、3つのヴァイオリンはそれぞれ2小節ずつずらして、全く同じメロディを演奏する。「かえるのうた」や「もみじ」など、輪唱できる曲と同じ仕組みであるが、その構成の複雑さは桁違いである。
通奏低音は、T→X→Y→V→W→T→W→X の根音を延々と繰り返す、極めて単純な和声進行であるが、通称「カノン進行」と呼ばれ、現代曲でも「君をのせて」「さくら(独唱)」「負けないで」「にじ」など、非常に多くの曲で用いられている。
まずはバスリコーダーで通奏低音を録音した。「ファ、ド、レ、ラ、シb、ファ、シb、ド」を27回繰り返すだけである。その後、アルトリコーダーで同じメロディを3回吹いて録音した。改めてやってみると、シンプルだけど良く出来ているなぁと思う。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=RUiJfvf9d3Y
12月7日 親知らずを抜く
今日は、歯医者で親知らずを抜いてもらった。私の左下の親知らずは、歯茎がかぶっているため磨きづらく、時々歯茎が腫れて痛んでいたのであった。インドネシアにいたときは、親知らずを抜きたいと思っていたが、一時帰国のタイミングでは日が足りず、断念していた。
かといって、本帰国してすぐに抜こうという気も起きなかった。普段はなんとも無いので、ついつい先送りしてしまうのである。それどころか、インドネシア駐在中は、年に一回必ず受けていた歯科検診も、受けなくなっていた。そんな中、久しぶりに歯茎の痛みを感じたので、抜いてもらう決心をした。
最後に行った歯科治療は、恐らく中学生くらいであろう。それ以降、幸いにも虫歯になることは無く、定期的な検査とクリーニングだけをしてもらっていた。そんなことであるから、親知らずを抜くことに、多少の緊張していた。
麻酔注射自体もほとんど痛みはなく、当然ながら抜いている間も痛みは感じない。しかし、一番奥なのでかなり口が引っ張られて、むしろそちらが痛い。不思議なことに、「抜かれている」という感じよりも、「押し込まれている」という感じのほうが強く感じた。奥から二番目の歯をてこにして、親知らずを抜いているのであろうか。
結構苦戦しているようであった。「(親知らずが)思ったより大きいな」「もっと大きいの(器具を)持って」など言いながら、私の歯を一生懸命引っ掻き回している。時々「パキパキ」という何かの折れるような音がして、終始私は力が入ったままであった。このまま「やっぱり抜けませんでした」なんてことになったらどうしよう、などと考えていた。
しばらくして、「ちゃんと抜けましたよ〜」という明るい声が聞こえてきた。私が苦悩の表情をしているので、安心させてくれたのであろう。まだ麻酔が効いているはずなのに、早くも痛みが出てきた。親知らずを抜くのに費用は1,500円。日本の歯科はなんと安いことか。インドネシアでは、歯科治療一本あたり5万円だか10万円だかといった噂を聞いたことがある。
抜けた親知らずを見れば、私が想像していたよりもはるかに大きかった。普通の奥歯と同じくらいある。半分くらい歯茎で隠れていたため、もっと小さいと思っていた。「親知らず、記念に持って帰りますか?」と訊かれたが、要りませんと答えた。ときどき、欲しがる人がいるらしい。
それから、歯の痛みが続き、家に帰っても横になってじっとしていた。ようやく服用した痛み止めが効き始め、今にいたる。無事に抜けて一安心なのだが、今まで普通にあったものを失った喪失感、というのは少し感じている。まあ、それもすぐに慣れるであろうが。
topへ