2001年
11月7日〜12月28日のつぶやき




・12月28日  今年最後のつぶやき
 ついに民研生活最後の発表会と4年間の民研生活が終わった。感想としては感無量、思い残すことなしと言わねばならないだろう。思えば大学生活のすべてを民研に傾けていたような気がする。そして民研を楽しみ、民研に尽くしてきたつもりが、逆に民研からいろいろなものを貰い、育てられたような気がする。大学に入った頃の自分と今の自分を比べると、自分でも変わったなあと思う。そして、民研を4年間やってよかったと、心の底から思う。
 思い返せば、いろいろなことがあった。あっという間の4年間だったが、思い出は山ほどあるということは、幸せなことであろう。充実していない時間は長く感じるが、思い出は何も残らないからである。
 発表会が終わってから、民研の夢を見るようになった。みんなとアホみたいに遊ぶ夢や、発表会でみんなと太鼓をたたいている夢も見た。発表会前はまったく見なかったのに、不思議なものである。


・12月23日  歩いて帰る
 この前湘南台から我が家の中央林間まで歩いて帰ったことがあった。終電でうっかり寝てしまい、気づいたら湘南台ですべての電車が終わっていたのだ。いや、正確に言えば小田急はまだあったかもしれない。しかし乗り越し精算して降りたら財布には50円しか残っていなかった。
 これは歩いて帰るしかないと思った。とにかく線路沿いに歩けば帰れるだろうと思い、線路沿いに歩き始めた。線路沿いの道がないときには線路を歩いた。あまり深いことは考えないようにした。淡々と歩いていればそのうち着くだろう。歩きながらふと、自分がずっと合唱曲の「まいまい」を歌っていることに気づいた。線路のじゃりを歩く音と、自分の歌声以外は何も聞こえなかった。歩きながら、どうしても牛丼が食べたくなった。何度も牛丼屋を通り過ぎるが、金がないので入れない。家のすぐ近くまで歩いたところでやっと金の下ろせるコンビニが見つかったので、「どんどん」という怪しい牛丼屋で牛丼を食べた。こんな小さな牛丼屋まで並盛280円にしてるのが痛々しかった。
 なんだかんだいって帰るのに3時間半くらいかかった。


         タクシーで帰る
 この前気づいたら相鉄線の弥生台というところで降りてしまった。もう電車も終了していた。どう歩けば帰れるかも分からないので、タクシーで帰ることにした。非常に抵抗があった。学生の分際で終電寝過ごしてタクシーとはあまりにも分不相応ではないか。しかしそうもいってられないので、仕方なくタクシーに乗り込んだ。驚いたのは、その快適さである。寒い思いをして歩かなくても、コンビニで朝までつぶさなくても帰れるのである。それもあったかい車内でおっさんと話しているだけで。これは絶対に癖になってはならないと思った。これが当たり前になってしまうと人間だめになると思った。そんなことを思いつつ、タクシーを降りるときにかなり高いお金と発表会のチケットを渡して帰った。


・12月16日  風邪の治し方
 この日不覚にも風邪をひいてしまった。家に帰ったら頭痛と寒気がする。この大事なときに風邪などひいてはいられないと思い、1日で治した。ここではその時どうやって風邪を治したかを紹介したい。
 まずは家に帰って手洗い、うがいを入念にやった。そして晩御飯を(その時は餃子だった)いやと言うほど食べた。同時にお茶をこれでもかと言うほど飲んだ。食欲があるかどうかなど関係ない。とにかくとことん食べて、飲むのである。風邪を治すのに一番大切なのは、エネルギーを得ることである。どんどんエネルギーを摂取して体内で熱エネルギーに替え、汗として風邪を体外に放出するのである。そのあとやや厚着をして首にマフラー又はタオルを巻いて寝る。首を冷やさないだけで、全身あったまるのだ。そして暑かろうが眠くなかろうが無理矢理寝る。寝汗をびっしょりかいたら面倒くさくても着替える。それを繰り返しつつ朝まで寝ていたらすっかり治っていたようだ。
 ここで大切なことは、風邪をひいても攻める気持ちを忘れないことである。「風邪をひいた」という事自体にに甘えてしまうことが一番良くない。風邪を治すためにはやりたいことでもやらず、やりたくないことでも無理矢理やる。
 風邪を「死ぬ気で」治した日であった。 


・12月14日  幻聴を聞く
 この日初めて研究室で徹夜をした。夜の11時ごろから朝の7時までぶっ続けで電子顕微鏡を見続けたのである。電子顕微鏡の画像はかなり暗いため、部屋を暗くして見なければならない。そんな中で作業をしていた朝の5時ごろ、人の話し声ともテレビゲームの音ともつかぬ音を聞いた。最初は誰かが朝っぱらからテレビを見ているのか、音楽でも聴いているのかと思っていた。しかし明かりをつけて、部屋の外に出てみても何も聞こえない。変だなと思って部屋に戻って作業し始めるとまた聞こえるのである。
 明らかに幻聴である。自分の今のコンディションを考えると、幻聴くらい聞いてもおかしくはないだろう。幻聴だと思いながら幻聴を聞くのは少し不思議な感じもするが、まあいいかと思った。別にあまり怖くはなかった。原因は大体はっきりしていた。冷却水の流れる音がそう聞こえるのである。それに人はほかの人とまったく遮断されて暮らすと幻聴を聞いたり白昼夢を見たりするというから、今の状況を考えるとありえなくはないだろうとも思った。
 しかし作業が終わったあと、さすがに目がしょぼしょぼになった。


・12月12日  レンジいものこと
 最近電子レンジで簡単に焼きいもが作れることを発見した。というより確認した。かなり以前から電子レンジで焼きいもが作れるであろうことは予想していたのである。何せカチカチの冷ご飯がわずか一分足らずでホカホカになるほどのやり手である。普通に作ればえらく時間のかかってしまう焼いもも、電子レンジなら一瞬でできるのではないかと考えた。そしてもしそれが可能なら、朝ごはんも焼きいもを作ればいいし、忙しくて昼ごはんが食べれない人でも焼きいも片手に作業が出来るのではないか。栄養価も抜群である。
 実際に試してみたところ、レンジいもは出来た。いとも簡単に。しかしただ電子レンジに入れて暖めるだけではパサパサしてあまり美味しくない。以下にこれまでの研究で確立した作り方を紹介します。
1.サツマイモをラップにくるんで約3分間加熱する。
2.サツマイモが触れないくらい熱くなったらそのまま5〜10分放置する。(この間に余熱で中身がホクホクになる。
3.再びレンジで1〜2分暖める。(いもが柔らかくなったら出来上がり。)


・12月10日  クサヤを食べる
 この前久しぶりにクサヤを食べた。おれは魚を一番美味しく食べる方法は干物にすることだと思っているのだが、その中でも特に好きなのがクサヤなのである。クサヤは伊豆諸島の名産で、ムロアジなどの魚を秘伝のタレにつけて干すらしいのだが、ご存知の通り非常に独特のにおいがする。というか非常に臭い。
 おれがクサヤを好きな理由は、普通の干物よりも断然味が濃いということもあるが、それ以上にあのにおいが好きなのである。別に「いい匂いだ」と思っているわけではない。あの匂いをかぐと、三宅島や八丈島に行ったことを鮮明に思い出せるのだ。島の持つ独特の雰囲気、島で出会った人たちの温かみ、そして決して華やかではないが力強さと野性味溢れる木遣り太鼓や八丈太鼓のリズムを思い出す。そして島という、閉鎖された地域で暮らしてる人たちはいったい何を思いながら生きているんだろうと、勝手に想いを馳せる。クサヤの匂いをかぐだけで、色々な空想が浮かんでくる。
 だからクサヤが好きなのである。


・12月4日  気付いたらほぼ一ヶ月更新せずにほったらかしにしてしまった。かなり忙しかったとはいえせっかく足を運んでくださる人に申し訳ない。だから今日は少し頑張って最近あったことを思い出し、色々書こうかと思います。
  秩父夜祭を見る(12月2日,3日)
 秩父夜祭を見に行った。毎年は12月3日の夜の、一番盛り上がる時に行くのだが、今年は都合上2日から3日の昼まで見てきた。
 今年一番衝撃を受けたのは、4,5歳くらいの子供が表で屋台囃子を叩いていたのを見た事である。つい最近歩けるようになったような子供が、玉入れの細かいリズムを完璧に叩きこなしているのである。まるで生まれた時から叩けるのではないかと錯覚するほど自然であった。大太鼓の大波も、秩父独特の「テケッテッケ」のリズムで叩いており、ばちさばきや体の使い方も、非常に自然で、しなやかであった。そして何より、表情がよかった。祭りに参加している子供は、たいていは「やらされてる」という表情でやっているものだが、その子達の表情は真剣で、活き活きしていた。大げさではなく、私達よりも断然うまかった。そしてそれは、私達がいくら努力しても出来ないことなのではないかと思った。
 秩父から帰って来た後、幻聴が聞こえるようになった。3日の朝にお囃子の音を求めてさまようあまり、遠くで聞こえる車のエンジン音や電車の走る音が屋台囃子のリズムに聞こえるのである。その体験をして、あの屋台囃子の決して楽譜に落とせないようなリズムは、もしかしたら日常の中に普通に存在しているのかもしれないと思った。

  結婚一周年記念パーティーステージ(12月2日)
 民研のOBの方に依頼されて行って来た。5人で行ったのだが、会場に着いて「しまった」と思ったのは自分達の格好であった。皆が正装している中で、僕らだけ大学生の格好をしているくらいならまだいい。それ以下なのである。僕は前の晩家に帰れず、部室に泊まっているので、風呂にも入っていなかった。他の人たちもひげを剃っていなかったり髪の毛がぼさぼさだったりとひどい格好だった。しかしいつまでも気にしていられないので、世間知らずの大学生?ということで堂々と振舞うことにした。はっぴを着るととりあえず少し落ち着いた。演奏後、床にばちの木くずやら太鼓台の破片やら落ちていたが、見ないことにした。

  車中で「鬼太鼓座」を聴く(12月2日)
 上のステージに行く移動中、車の中で「鬼太鼓座」のCDを聴いた。「鬼太鼓座」というのは世界的に活躍しているプロの和太鼓集団である。はじめに「秩父屋台囃子」を聴いた。淡々とした下打ちのリズムと車全体が振動する大太鼓のリズムに気が狂いそうになった。頭が痛くなったところで今度は「貝殻節」を聴いた。唄と三味線、シンセサイザー、ドラ、ほら貝などを駆使して17分間延々とやるのである。車中が雅楽的な異様な雰囲気になったところで突然大音量でドラが「じゃ〜ん」と鳴り響いた。驚きのあまり高速道路で車が揺れた。
 やはり太鼓は生で見るのが一番だと思った。

  牛丼を早食いする(11月21日)
 学校へ行く途中、大和駅で相鉄線に乗り換えようとしたら、前の電車が目の前で行ってしまい、10分待ちになった。なんとなくその10分間がもったいなくて、駅前にある吉野家で牛丼を食べようと思った。しかしここで10分以内に牛丼を食べて戻って来れなければ、またさらに10分待たなければならない。一瞬ためらったが、ここは賭けだと思い、吉野家へ走った。並を注文したのだが、店員が現金の清算処理をしており、なかなか出てこない。牛肉をかける人も新人らしく、何度も秤に乗せて確認していた。非常に焦った。ここでさらに電車を乗り過ごせば、さらにブルーにならざるを得ない。そうこうしているうちに店員がゆっくりとしたペースで牛丼を運んできた。それがテーブルに置かれた瞬間すばやく紅しょうがを乗せてかき込んだ。
 おそらく3分とかからずに平らげたであろう。その後金を払おうとしたら、よりによって万札しかなかった。店員が漱石を9枚数えるのを今か今かと見つめたのち、釣りを受け取ると同時に駅に向かって全速力で走った。なんとかドアが閉まる寸前に滑り込んだ。しかし味も何も覚えておらず、忙しい思い出だけが残った。



  ・11月9日  珍しいラーメン屋へ行く
 今日は少し変わったラーメン屋に行って来た。そこはガイドブックでも紹介されたことのある店なのだが、何が変わっているかというと、「メンマ」が美味しいことで有名なのである。チャーシューやスープにこだわっている店はいくらでもある。しかし、「メンマ」が美味しい店というのはあまり聞いたことがない。ガイドブックには「メンマの常識が覆ること間違いなし」と書いてあるのである。
 三人で行き、それぞれ、「ラーメン」「竹の子ラーメン」「ネギソバ」を注文したのだが、出てきたものを見て我々は驚愕した。
 ラーメンには具が「メンマ」しか入っていないのである。それも巨大消しゴムのようなメンマがすごい存在感をもって「でーん」と乗っかっているのである。
 しかしさらに驚いたのは「竹の子ラーメン」である。ラーメンでもその量に驚いた「メンマ」がさらに三倍くらい入っているのである。もちろんメンマだけが、である。そのメンマも今まで食べたことのないような味で、ガイドブックに書いてあったことに全く納得してしまう次第であった。
 ちなみに「ネギソバ」はそれなりに美味しかったのだがメンマは入っていなかったのでここでは割愛する。


・11月8日  自転車を手に入れる
 ついに念願の自転車が手に入った。しかもおれが一番使いやすいと思い込んでいる三段変則のママチャリである。手に入った自転車は、パンクしたまま数年間使ってないらしく、サビまみれで、サドルにはコケが生えていた。しかし、自転車のシステム自体には影響がなかったので、なんとかなるだろうと思った。早速学校へもっていき、パンクを直した。ついで、さびた部分を「ピカール」という怪しいサビ落としでこすって落とし、濡れぞうきんで埃を丹念にふき取った。
 その結果、近くで見たらまだまだ汚れているものの,遠くから見たらそこそこ普通の自転車に見えた。それを見て、今日は充実した一日だったと、満足した。最終目標は新品と見紛うくらいぴかぴかに磨き上げることである。


・11月7日  大学祭のこと
 ついに大学生活最後の大学祭が終った。率直な感想としては「悔いなし」である。
 私達のサークルでは、大学祭の最終日に手作りの神輿をかついで練り歩くという伝統があるのだが、それが出来たことがとにかく満足であった。どうしてあんな何も生産性のない(むしろ破壊的な)行為が面白いのかと聞かれても、言葉ではうまく言えない。しかし、神輿をかついでいる人たちの活き活きした表情を見れば、誰でもなんとなく分かるのないかと思う。
 世界にはさまざまな祭りがあって、中には非常に危険で、毎回何人も死人が出るような祭りもある。危険だからやめろとお上に言われても誰もやめたがらない。
 昔読んだ本に書いてあったのだが、祭りという、散々暴れまわれてエネルギーを自由に放出できる場があるからこそ、日常が平和だと言うのである。祭りがなかったら平和すぎる日常に耐え切れずに、逆に暴力や犯罪が多発するかもしれない。
 私達の神輿も、なんだかんだ言われながら毎年行われ続けるに違いないし、行われ続けて欲しいと願う。



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