2004年
2月のつぶやき




2月28日   
 今日はかなり遅くに仕事が終わり、帰る前に定食屋でチャーハンを食べて帰った。その定食屋のテレビで、オウム真理教の麻原が死刑判決となったことを知った。合計27人殺したらしい。

 判決を知った被害者の遺族たちがインタビューを受けていたのだが、みんなが「当然だ」「よかった」というようなことを言っていた。確かにそうだが、私は若干のショックを受けた。一人の人間が、合法的に首を絞め殺されるのである。そしてそのことを皆が喜んでいるのである。

 息子をサリン事件で亡くしたという老人は、判決を聞いて「よかった」と、目に涙をためていた。その後、息子の墓参りに行き、息子にそのことを報告していた。

 私は死刑賛成・反対ということについてはよく分からないが、死刑という言葉を聞くたびに複雑な気持ちになる。


  この季節
 最近少し暖かくなってきた。冬を終え、春の兆しが見えてくると、私は決まって少し憂鬱な気分に陥る。この時期は一年でもっとも別れを味わう時である。それぞれの進路が決まり、少しずつ散り散りになっていくのを実感する。

 なんだか去年のこの時期もこんなことを書いた気がする。思いがけず久々の割には暗い「つぶやき」になってしまった。


2月15日   喜太郎のDVD
 この前、中古屋で喜太郎のDVDを見つけた。3百円であった。とても安いと思ったので、レジに持っていったら、3千円の見間違いであった。今更引くに引けず、3千円で購入した。

 喜太郎と言っても、「ゲゲゲの〜」ではなく、アーティストの方である。最も有名なのは、「シルクロード」であろうか。オカリナ吹きの「宗次郎」と間違う人が多い。確かに曲調も顔立ちも似ている気がするが、喜太郎はキーボード弾きである。

 DVDを見て、私は大きなショックを受けた。体をくねくねさせながらキーボードを弾くのである。完全に自分の世界にはまっており、傍から見たらただのナルシストに見える。最初少し笑ってしまった。

 しかし、演奏が凄い。キーボードでどうしてこんな表現が出来るんだと思うほど、繊細で情緒豊かな演奏である。周りのバイオリンやパーカッションも、それに引き込まれるようにいい演奏をしている。

 喜太郎が好きになった。私はまだ一枚もCDを持っていないが、もっと聴いてみたいと思った。

 そうこう思っているうちに、ライブ会場は真っ暗になり、宗次郎の顔に青白いライトが照らされた。ライブ会場は京都の寺であり、かなり不気味である。と思ったら、まだ演奏が始まっていないのに、宗次郎が激しくくねくねし始めた。昂ぶる興奮が押さえきれないようである。「陰陽師」と言った雰囲気である。

 また爆笑してしまった。


2月15日   アディエマスのコンサートに行く
 昨日は「アディエマス」のコンサートに行ってきた。一昔前のNHKのテレビ番組「世紀を越えて」のテーマソングで一気に有名になった。作曲者兼指揮者のカールジェシキンスを中心とした集団なのだが、どうやらイベントの時だけ結成する不定期のグループらしい。

 「アディエマス」という名前は知らなくても、おそらく誰でも曲を聴いたことはあると思う。はずなのだが、「どんな曲?」と聞かれても、容易に鼻歌で再現できないメロディであるため、なかなか人に教えられない。しかも、彼らの歌う歌詞はすべて造語であり、何を歌っているか意味が分からない。と言うか意味がないのである。

 メンバー構成は、8人の女性ヴォーカルと、5人のパーカッション、20人くらいのストリングスとリコーダーソロの他に、ゲストとして雅楽で有名な東儀秀樹、他名前は覚えていないがハープ奏者、ギタリスト、サックス奏者のなどかなり盛り沢山で演奏していた。

 演奏はとにかく凄かった。ヴォーカルのちょっと横に開いた感じの民俗的な声が、一糸乱れずきれいにハモって伝わってきた。一人一人それなりに自己主張して歌っているのに、ハーモニーの調和を失わないところが凄いと思った。

 リコーダーも凄かった。「パメラ・ドービー」という女性リコーダー奏者なのだが、思いが伝わってくるすばらしい演奏であった。

 雅楽の東儀秀樹もよかった。雅楽器がサックスの様に聴こえた。最初は凄いと思ったのだが、何度も出てくるうちに、同じような表現しか出来ないことに気づき、飽きた。

 一番最後は、ヴォーカルによる「さくらさくら」で終わった。外人の歌う「SAKURA-SAKURA」といった感じで、最初は吹き出してしまったが、しばらく聴いていると凄い演奏であることに気づいた。ハーモニーが複雑で、怒涛のように「異様なさくら」が伝わってきた。日本古謡としては明らかに間違っているのだが、無理やり納得させられてしまった感じである。

 プログラムを振り終えた後、指揮者のカールジェシキンスは、そでに引っ込んだり出てきたり、手を振ってみたり「サンキュー」と言ってみたり、アンコールをやってみたり、ゲスト奏者にキスしてみたり、うろうろ舞台を歩き回ったりしていた。テレビでクラシックの演奏とかを見ていても、プログラム後のあのだらだら感は滑稽である。

 ともあれ大満足の3時間であった。


2月8日   今日という日
 今日は特に予定もなく、昼頃までごろごろしていた。そして昼過ぎに近くの公園に笛を吹きに行った。家から車で20分くらいのところにあるお気に入りの公園に行き、吹き場所を探した。祭日ということで結構人がおり、どこで吹こうかかなり迷ったが、人気の少ないところを選び、ベンチに座って吹いた。表で一人で吹くのは初めてだったので、かなり勇気がいった。

 とりあえず好きな曲をだらだら吹いていたところ、いろいろな人が足を止めて聴いてくれた。写真を撮ってる人もいた。一方私は、笛を吹き始めた瞬間、他の音が全く聴こえなくなり、演奏に没頭した。気付くと一時間ほど経っており、公園を跡にした。

 その後は携帯電話の機種変更をする為に、携帯ショップを探した。最近、私の携帯は、突然時計が一時間ずれたりと、ガタがきているので、完全に動かなくなる前に変えておこうと思ったのである。

 私としてはとにかく安い携帯が欲しかった。カメラ機能など要らない。私の理論、というか勝手な思い込みとしては、「複雑な機械ほど壊れやすい」というのがあり、余計な機能は付いていて欲しくなかった。とにかく、「燃費」と「耐久性」が欲しかった。

 ところが、どこの店に行ってもカメラのない携帯はほとんどなかった。そして、一昔前にあったような「1円」の携帯などもなくなっていた。結局3件目くらいに行った携帯ショップにカメラ機能がなく、「水に沈めても平気」といういかにも頑丈そうな携帯を発見したので買うことにした。

 結構巨大な携帯だが気に入っている。私はこんな携帯が欲しかったのである。現在マニュアルを見つつ使い方を勉強している。


 家に帰ると、NHKで「紅白歌合戦」の再放送をやっていた。紅白の再放送など、私の知る限り前代未聞だが、おそらく年末の格闘技三昧で見れなかった人のために再放送したのであろう。こんな時期にみてもなんとなく新鮮味がない気がするなぁと思いつつみていると、小林幸子が登場した。

 毎年衣装ばかり見ているので、今回は純粋に歌を楽しもうと、衣装を見ずに歌を聴いていると、思わず笑ってしまった。

「♪舞台(うた)は私の生き方だけど ♪ララララララ 青空はどこ?」

意味が分からないと思った。どうせ衣装しか見ないと思えば、作詞者のモチベーションもさぞかし低いであろう。結局だらだらと昨年の紅白を見て、サブちゃんの歌に感動し、スマップが歌う直前にチャンネルを変えた。歌う前にだらだらとうんちくを述べる歌手など、歌手じゃないと思うからである。

 そのままだらだらとニュースを見ていると、BSEによる牛丼販売中止に関するニュースをやっていた。宇都宮では「牛丼屋なのになぜ牛丼がないんだ!」と暴れた男が現行犯逮捕されたらしい。また、最後の牛丼を食べた男がメディアに取り囲まれ、「七味かけていいすか」などと力なく質問している映像が流れた。

 それにしても、これまで当たり前にあったものが突如なくなるということがあるということに、軽い驚きを覚えた。吉野家は大変だなぁなどと他人事のように思い、今日という日は終わった。


2月8日   千葉県を一周する
 今週末は久しぶりの小旅行をした。主旨は、とりあえず房総半島を一周して、銚子で本州一早い日の出を見ると言うものである。こういった思い付き旅行は最近やってないため、非常に楽しみであった。企画はスープラのダイスケサン、メンバーはトリイ、ミヤザキ、ユウキ、ハンベイ、モコである。

 結論から言うと、非常にしんどい旅行であった。土曜の夜に出発し、寝ることなく日曜の朝7時頃まで運転していた。その間にやったことと言えば、「さじむ」のある、岩井海岸に行ったこと、日の出前に銚子に着けなかった為、適当な浜辺で朝日を拝んだことくらいである。朝日はきれいだったが、眠さと寒さで半分意識がなく、今思い出しても夢のような感覚である。

 銚子に着いたらしばらく仮眠を取り、超巨大なネタで知られる回転寿司屋「島武」で昼食をとった。ここは私が大学四年の時の部合宿で行った時に衝撃を受けて以来、是非もう一度行ってみたかったところである。

 ネタの巨大ぶりは健在であった。その大きさは常識をはるかに逸脱しており、ネタがシャリを押し潰すように乗っかっている。シャリが一口で食べられるのに対して、ネタは5回くらいに切り分けないと食べられない。寿司屋でご飯が欲しくなると言う、通常では考えられないような状態に陥った。

 寿司を食べたあとは、ほぼまっすぐ帰った。正確に言うと、私たちは少し海を見て帰ったのに対し、スープラ組は「砂利道や砂浜を通ると車が傷つく」との理由でまっすぐ帰ったのである。ほとんど運転に終始した旅行だったが、久しぶりの思い付き旅行はとても楽しかった。


2月5日   あんパンが生まれた日
 今日は仕事が遅めに終わり、日が変わることに家に着いた。何気なくテレビを付けると、NHKの「その時、歴史は動いた」をやっており、明治時代のあんパン誕生秘話をやっていた。

 あんパンを発明したのは木村安兵衛という人で、日本人の食卓に並ぶようなパンを作りたいという思いから、あんパンを発明した。あんパンを見た山岡鉄舟は、「アンパンこそ見かけは西洋、中身は日本と言う文明開化を表す今の日本にとってふさわしい食べ物である。」と考え、明治天皇に献上することを思いついた。そして、ついに明治8年4月4日、花見の席にて明治天皇にアンパンが謙譲された。文明開化の木村安兵衛が精魂込めて作り上げたあんパンを味わった天皇は一言、

「引き続き納める様に」

と言ったという。その後、あんパンは爆発的人気となり、文明開化の象徴的食べ物となり、今に到る。

 別にたいした話ではないが、不思議と感動してしまった。あんパンなど、「歴史が動いた」と言う程のものでもないが、現在どのパン屋に行っても当たり前のようにあんパンが置いてあることを思えば、その時、革命が起きたと言わざるを得ない。「その時、歴史が動いた」のナレーターが私の好きな松平さんだと言うことも影響していると思うが。


2月1日   高尾山へ行く
 今日は高尾山へ行ってきた。現在高尾山では「冬そばキャンペーンというのをやっており、そばが全品百円引きとなる。この期にそばをたらふく食べようと思ったのである。

 結局3杯食べたのだが、一番美味しかったのは最初に食べた「大野屋」のとろろそばであった。

 パンフレットに「本物の自然薯を食べられるのはここだけ」みたいなことが書いてあったので行ってみたのだが、店構えを見たとき、かなり気が乗らなかった。かなり汚い店構えな上に、そば以外にもラーメン、カレー、親子丼などのメニューが用意されているのである。 これはそば屋というより、ただの定食屋じゃないかと思った。

 しかし、中に入ってとろろそばを注文すると、店のオバハンが「かなり美味いから気を付けろ」みたいなことを言った。期待して待っていると、凄いとろろそばがきた。

 つゆに浮かんでいるとろろが塊のまま箸で掴めるのである。弾力が普通の山芋とはまったく違う。とろろ自体に濃厚な芋の味がしてびっくりした。

 その後は高尾山に登った。高尾山は普通に散歩気分で登れる、非常に簡単な山である。途中、景色のきれいなところに100円で作動する望遠鏡があった。私は生まれたからこの「100円望遠鏡」を一度も使ったことがなかったので、今日始めてチャレンジしてみた。100秒100円と割高である。

 望遠鏡を覗くとかなり驚いた。遠くの八王子の町並みがきれいに見えるのである。こんな山の上からコンビニの「ATMあります」の表示や、車の中の運転手まで見える。凄い凄いと言っていたら、あっと言う間に100秒たち、シャットアウトされた。

 高尾山から降りた後は、「トリックアート美術館」に行った。ここはさまざまな騙し絵が用意されており、それに騙されつつしょうもない写真をとっていいという、面白い施設である。

 入場した時、ちょっと暗い感じの女性アルバイトが「トリックアート美術館」の楽しみ方について教えてくれた。暗いかと思ったら、いざ解説が始まるとトリックアートに突っ込みを入れつつ面白おかしく解説してくれ、最終的には「あそこの階段までご案内いたします」と言って連れて行かれたと思ったら、階段かと思いきや、壁に描かれた階段の絵であった。一通り騙したのち、その暗い女性アルバイトはそそくさと消えていった。

 ここのアルバイトはかなり楽しいだろうなと思った。その後、かなり長い間ばかばかしいトリックアートと戯れたのち、高尾を跡にした。

 高尾は楽しいところだと思った。   

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