2019年
5月のつぶやき




5月25日 優一のこと

 4月から幼稚園に行き始めた優一が、面白い男に育っているので、記しておく。

・頻繁に「おっぱい」と叫ぶ。
 乳離れをして以来、「おっぱい」と発言することがやたら多い。彼は数字が好きなのだが、意味のない数字の羅列の間に「おっぱい」を入れるのが好きらしい。「さん、ご、はち、なな、おっぱい、にぃ、さん」といった感じである。今日は、公園に遊びに行ったら、土管のような遊具から顔を出していたので、「まるでスーパーマリオだな」と言ったら、「まりおっぱい」という返事が返ってきた。順調に変体男に育っている。

・トイレでおしっこをするようになった。
 一年以上かかったトイレトレーニングがようやく効いてきたのか、小便についてはトイレでするようになった。GWの旅行あたりから、これは定着し、おむつを汚すことはまずなくなった。一方で、大便については未だトイレで用を足すことを拒んでいる。「うんちはおむつでしないよ」などと、一人前のことだけは言える。

・自転車に乗れる。
 最近は、普通に自転車に乗れるようになった。昨年12月に買った自転車が、ペダルを後で追加できるタイプで、最初はペダルなしでストライダーのように足で地面を蹴って、遊ばせていた。バランスが取れるようになってから、ペダルをつけて、漕ぐ練習をしたところ、4歳にして乗れるようになった。補助輪を使うよりも、こっちのほうが上達が早い気がする。

 ちなみに過去の「つぶやき」を見ていると、サチコに自転車を買ってあげたのが5歳の誕生日で、補助輪なしで乗れるようになったのが、6歳4ヶ月であった。本人の性格と、練習法どちらもがこれだけ影響したといえる。

・数字が好き
 車のナンバープレートは全てチェックし、アパートの駐車場では、「今日は7703がいない」とか「1717はいる」とか叫んでいる。自転車に乗っていても、ぞろ目などのプレートを見つけると、いちいち報告してくれる。

 時計も好きである。最近は、テレビの左上にある時刻を見て、今は何時何分だと教えてくれる。そして、時計が1分進むたびに、「何時何分になったよ!」と一分ごとに「優一時報」がなる。更には、1分進むたびに、スマホの時刻と照合確認し、合っているかどうかを確かめるのである。

 このまま算数が得意になってくれれば言うことないのだが。


5月24日 ラーマーヤナ物語

 図書館で借りて、「ラーマーヤナ物語」を読んだ。大筋は知っていたが、通して全て読んだのは初めてである。ラーマーヤナは、古代インドの大長編叙事詩で、インドネシアでも伝統舞踊として踊られていたのを何度か観たことがある。

 私がラーマーヤナに惹かれるのは、悪者にさらわれた姫を助けに行く、というド直球少年向けアニメのような冒険活劇であることと、物語の世界観が深い照葉樹の森の風景であるということである。物語の主人公である、ラーマ王子とシーター姫は、義母の猜疑心により、「森流しの刑」となる。そして、その深い森で修行をし、美しい風景を見る。森というものが、得たいが知れず怖ろしいものであり、聖なる場所でもあるという考え方が伺える。

 一方で、冒険活劇という点では、猿族の宰相であるハヌマーンの強さが半端ない。彼一人でもなんとかなったのではないかというくらい、強い。悪人(羅刹)の島まで飛んでいけるのもハヌマーンだけであった。それより凄いのは、羅刹王、ラーヴァナ一族との戦いで傷つき倒れたラーマたちを救うため、ヒマラヤに生える4種類の薬草を取って来いといわれ、行ってみたが、どれがその薬草か分からないため、丘ごとかかえて空を飛んで帰り、目的の薬草を得た後、再び丘をかかえてヒマラヤに戻ったという。無駄な動きが凄まじい。

 そして、前述のような勧善懲悪の物語でありながら、主人公のラーマやシーターであっても、人間として弱い部分が語られ、悪人であるはずの羅刹でも、正しいことを言う奴がいたりと、実に混沌としている。神々でさえ人間臭い。絶対的な正しさがないという、多神教の安心感が、この物語にはある。通して読んでよかったと思った。


5月20日 太鼓を習う

 最近、毎週日曜日子供たちを連れて太鼓を習いに行っている。「つくし太鼓」という太鼓で、会社の人が代表をしており、誘われたのである。

 元々は、炭鉱の町で叩かれていた太鼓らしく、これをアレンジし、創作と組み合わせたようなスタイルとなっている。伝統的な太鼓は、横置きを力強く叩く。小倉祇園太鼓よりも力強くストレートな印象である。地打ちのリズムは一般的だが、叩き方が珍しい。端的に言うと、左右の手が逆で、慣れるのが大変そうである。

 小さな子どもたちも練習していて、みんな礼儀正しい。サチコと優一も、楽しそうにしている。練習時間は日曜日の6〜8時、電車で20分くらいのところなので、家に着く頃には夜の9時前になる。行く前にコンビニでパンを買い、帰りの電車でそれらを食べて夕食にしている。

 ようやく、子供たちと出来る趣味が見つかり、毎週楽しみにしている。


5月12日 おおかみこどもの雨と雪

 細田守監督のアニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」を観た。サチコが最近気に入ってよく観ているらしく、テレビでやっているのを観ていたら、つい最後まで夢中で観てしまった。最近では珍しいことである。

 良い映画の条件のひとつに、「多くを語らないこと」というのがあると思う。作者の主義主張が見え過ぎる映画は、魅力に欠ける。それよりも、観る人によって受け止め方が変わり、また、何年後かに観るとまた感じ方が変わるような映画が、素晴らしいと思う。この映画は、セリフが少ない。出てきたセリフも、説明的なところは少なく、全体的に静かな印象を受ける。一方で映像と音楽は素晴らしく、その調和の心地よさだけで観ていて飽きない。

 私には、この映画のテーマは、子育てと子離れにあると受けとれた。狼男との間に出来たふたりの子供は、己の感情に従い、自在に狼に変化する。自分の子供なのに、理解を超えた、得体の知れない存在である。そして、いつの間にか親の与り知らぬところで悩み、傷つき、新たな人間関係を築き、そして離れていく。作品の設定は非現実的でも、ここに描かれることは、親であれば必ず経験することであろう。

 そして最後は、「晴れ晴れとしてた子離れ」で物語は終わる。子育て中は大変でも、終わってみれば駆け抜けるように一瞬で、美しいひとときに感じられる。私にはそのように感じられた。

 一方でサチコにとっては、別の解釈があるに違いない。私からすれば、子供にはちょっと難しくて退屈なんじゃないかと思うが、サチコはサチコでハマっており、この映画から着想を得て自分で物語を創って書いているほどの入れ込みようである。

 久しぶりにいい映画を観たな、と思った。


5月6日 天空の城ラピュタ

 先月に、「くるめシティブラス」の定期演奏会を聴きにいたことを述べたが、演目のひとつに「天空の城ラピュタ」があった。演奏を聴いていると、心が動いた。10代の頃、何回観たか分からないくらいよく観た映画である。特に、オープニングのオーケストラ演奏が好きである。ワクワクするような冒険モノなのに、物悲しいメロデイが意外であったのを覚えている。

 ジャカルタリコーダークラブに、この楽譜があったのを思い出して、ジャカルタにいるメンバーに送ってもらい、早速多重録音をした。私は、気になる曲があると、ずっと頭の中でメロディが流れ、気になって仕方ないのだが、多重録音を終えるとその呪縛から解放される。GW最後の日は、こうして過ぎていった。

「空から降ってきた少女」(天空の城ラピュタ)リコーダー5重奏
https://www.youtube.com/watch?v=VfU4HfTjg18


5月5日 実家へ

 GWの後半は、神戸、明石へ帰省した。2泊3日の日程で、初日は神戸の長田で96歳になる祖父、叔母、そして千葉に住む母と会った。祖父は96歳、元気そうであった。食事の時には自分で起きて自分で食べられるし、意識もはっきりしているようである。長田では、叔母特製のカレーをご馳走になり、サチコと優一は叔母と母に存分に遊んでもらった。サチコは、最近小説を書いているのだが、母はサチコの小説を喜んで音読してくれた。家ではここまでの対応はしていないから、サチコは大はしゃぎであった。

 二日目は、父と合流し、「神戸どうぶつ王国」へ行った。ここでは、鳥類がメインの動物園で、ほぼ放し飼いのような状態の鳥を見られる。ハシビロコウやペリカンなど、珍しい鳥が近くで見られた。

 父は、今年の春に引退し、時間をもてあましていると言っていた。有り余るほどの時間があると、逆に何もする気が起きないらしい。私は、早く定年して好きなことをしたいと思っているが、どうやらそういうわけにもいかないようだ。それでも、日本一周の旅を計画しているらしい。北海道を車で一周するときの時間感覚がわからない、と言っていた。確かに分からない。

 父の家に行き、恒例の将棋対決をした。3回やって2勝1敗であった。

 最終日は、特に予定を決めていなかったのだが、新幹線に乗るまでの間、「神戸ハーブ園」に行った。新神戸からロープウェイで行けるのだが、非常にオシャレで落ち着いたところである。子供用にと、スタンプラリーとちょっとした謎解きのようなイベントが用意されていて、サチコの謎解きにつきあって歩き回った。

 そんな小旅行であったが、毎度のことながら、行くところ行くところで世話になりっぱなしで、楽しい旅であった。そして、今回の旅でちょっとした変化があった。優一が、オムツにおしっこをしなくなったのである。2日目、3日目と、オムツを一度も替えることがなかった。

 彼も少しずつ成長しているようである。



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