2019年
6月のつぶやき




6月22日 ザリガニのいる暮らし

 2週間ほど前、妻が優一の幼稚園でお絵かきのモデルとするために、ザリガニを探していると言っていた。そして、家のすぐ前のドブにザリガニがいるので、その情報提供をするのだという。私は、ちょうど子供たちとザリガニ釣りがしたいと思っており、筑後川に捕りに行こうか、などと考えていたた。家の目の前にいるということで、早速タコ糸とチクワを持って家を出た。

 どぶ川では、すでに子供がザリガニ捕りをしていたので、その子がいなくなってから私もザリガニ釣りを始めた。しかし、全然かからない。ドブに入って、覗いてみると、ザリガニがいたので、網で直接掬い取った。そして、100円ショップで買った小さな水槽に入れて帰宅した。ザリガニを捕るのは、小学生以来であり、満足であった。

 次の日、仕事を終えて家に帰ると、ザリガニの水槽がグレードアップされていた。水槽が大きくなり、隠れるための鉢やら、水草のレプリカなどが入っている。そして、「ザリガニのえさ」という、専用のえさまで用意されている。妻がザリガニのためのおもてなしグッズを買い込んだらしい。私が小学生のころは、たらいに10匹くらい入れて、ぞんざいに買っていたから、このような美しい水槽にザリガニが入っている光景は、不思議であった。

 ザリガニは夜行性らしく、昼間は鉢の中に入ってじっとしている。逆に夜中は、鉢の上で動き回り、水槽をカンカン鳴らしている。私は、「たかがザリガニ」という認識であったが、妻はとても可愛がり、エサを食べなければ心配し、昼間寝ていると、「元気が無い」と心配し、ご執心のようすであった。

 そして、幼稚園で出張モデルを行い、数日して家に帰ると、ザリガニがいなくなっていた。元のドブに戻してあげたらしい。かくして、ザリガニのいる暮らしは終わった。


6月17日 ハウルの動く城

 下記の通り、小説を読んだあと「ハウルの動く城」のDVDを借りて観た。「ハウルの動く城」は、昔映画館で観たが、内容があまり理解できず、対した印象もなかった。

 DVDを観て驚いたのは、私が内容をほとんど覚えていないことであった。映画館で観たはずなのに、ほとんど何も覚えておらず、まるで初めて観る映画の様に楽しむことが出来た。私は、読む本も、観るテレビや映画も、なかなか覚えないほうだと自認しているが、ここまで覚えていないのも珍しい。

 映画を観て、今回は凄いと思った。小説ではなかなかイメージできない、「動く城」がとてつもない創造力と手間でもって描かれている。映画の後半は、戦争が始まったりと、原作とは異なる独自のストーリーとなるが、ストーリーがどうこうというよりは、キャラクターの躍動的な動きと、映像の美しさと音楽の調和を楽しむだけでも十分であった。私がかつて理解できなかったのは、呪いの力で老婆にされたソフィーが、少し若返ったり、髪だけ白髪のまま少女の姿に戻ったりするあたりであったが、そのあたりもどうでもよい。描きたいように描いているあたり、型破りでありながら、演出としては素晴らしいと思った。

 一方で、原作を読んだからすんなり受け容れられたところもある。ハウルが癇癪を起こして「緑のねばねば」を出す描写は、映画をいきなり観たらなんのことやら分からないであろう。(小説を読んでも同じだが)

 とにかく、宮崎駿は凄いと、改めて思った。現在最新作を製作中とのことであるから、楽しみである。


6月14日 魔法使いハウルと火の悪魔

 図書館で借りて、「魔法使いハウルと火の悪魔」を読んだ。ジブリ映画「ハウルの動く城」の原作である。かつて、映画を観たときにいまいち話が分からなかったので、原作を読んでみようと思った。

 原作を読んでも、さっぱり分からなかった。とりあえず無理矢理最後まで読んだが、なんで私はこんな訳の分からない話を読み続けなければならないのか、と思いながら読んだ。書いている内容が頭に入ってこないし、そもそも書いている内容に興味が湧かない。私には、ファンタジー小説を理解する頭の回路が無いらしい。それなら読むのをやめればよさそうだが、最後まで読めば、何かいいことがあるかもしれないと思いながら読んだが、やはりよく分からないまま読了した。逆に今度は、映画を観てみれば何か分かるかもしれないと思った。

 続いて読み始めたのが「宇宙が始まる前には何があったのか?」(ローレエンス・クラウス著・青木薫訳)である。宇宙の始まりや、そもそも何故宇宙が存在するのかを扱った科学本である。こちらのほうがずっと読みやすく、すんなり頭に入ってくる。私の頭は、そういう風にできているらしい。


6月11日 休みを取る

 今日は、有給休暇であった。働き方改革の一環で、特に用事がなくとも事前に決めた日に休むことになる。用事といえば、妻が登校時の交差点での旗振り役をやるということで、私がサチコと優一の相手をしたくらいである。

 子供たちを幼稚園、小学校に送り出した後は、妻と自転車でスリランカ料理店へ昼食を食べに行った。妻がアパートの知り合いに、教えてもらった店らしい。県を超え、自転車で一時間くらいかかる距離ではあるが、運動も兼ねて行くことにした。

 妻とふたりで出かけるのは、久しぶりである。自転車で出かければ、風が強いが涼しくて気持ちよい。大きな川をふたつ渡り、土手を自転車で走れば、至福のひとときであった。土手では、低い位置に作られた、不思議な橋があったので、渡ってみたりした。佐賀の国道は、歩行者や自転車のためには作られておらず、草ぼうぼうの歩道を自転車で走り、目当ての店に到着した。

 スリランカのカレーは、インドのそれとはずいぶん異なる。インドカレーよりも辛く、スープカレーのようである。ナンよりもご飯が合うと思った。そして、その味付けにココナッツミルクを使っていて、インドネシア料理に似ていると思った。インドネシアに駐在していた頃、時々パダン料理屋でテイクアウトをしていたが、そのときに食べた味にそっくりである。ひとくち食べて、まず「懐かしい」という感覚があった。まあ、パダン料理屋よりも遥かにおしゃれで、値も張るのだが、パダン料理屋を日本でやったら流行るかもしれない、というような話を妻とした。

 帰りは、国道沿いに見つけた荒れた墓地の脇に、ビワの木が実をたわわに付けていたのを妻が見つけ、採れるだけ採った。殆どは、すでに時期を過ぎて干からびたり、虫食いになったりしていたが、ちょうど熟した実は、甘くて美味しかった。食べられそうな実を採って、かばんに詰めた。果物は、腐る寸前が一番美味しい。

 帰りは、優一を幼稚園に迎えに行き、家に帰ってしばらくするとサチコが帰って来た。そして、いつも通りの子供のいる我が家に戻った。


左:低い位置に作られた簡便な橋  右:墓地に生えていた巨大なビワの木


6月6日 吹奏楽を始める

 先月末から、地元の吹奏楽団に仮入団させてもらって、フルートを吹いている。練習場所は、家から徒歩30秒の生涯学習センターなので、通うのは楽である。日本に帰国して1年、ようやく趣味をする心のゆとりができてきた。

 吹奏楽といえば、学生時代、校舎から練習している音を、あたかも自然音の様に聴いていたくらいである。その音を聴きながら、中学高校時代は柔道をし、学生時代は、太鼓を打ち鳴らしてかき消していた。その練習音は、音楽というよりは、それぞれが別々の練習をしている、カオスの音のイメージが強い。

 そして今、私自身がその音の中で練習をしているということに、新鮮な驚きを感じている。個人練習が終わると、合わせ練習が始まる。合わせ練習の前は、全員が「ベー」(B♭)の音を出す。吹奏楽では、A(ラ)ではなく、B♭で音取りをする。私には音程が合っているかどうかなど分からず、とりあえず儀式の如くB♭を出しておく。

 雰囲気は、みんけんに似ている。緩い雰囲気ながらも真剣さがある。イメージや曲想を大事にする。太鼓やリコーダーと違い、私にとってフルートは慣れていない楽器である。イメージや曲想の前に、とにかく指が動き音が出せなければならない。新人の気持ちで、一から学ぶのも、なかなか良いものである。

 初のステージは一ヶ月後の七夕。それまでに覚える曲は多く、大変そうではあるが、新しい世界に入ったワクワク感、というのもある。



topへ