2019年
8月のつぶやき




8月24日 天気の子

 今日は、久しぶりに家族で映画を観に行った。観た映画は、新海誠監督のアニメーション「天気の子」である。CMで流れている、美しい映像が気になっていた。「天気の子」は興行収入が100億円を超え、順調な作品らしい。

 現実世界の天気は、曇りであった。雨が降りそうだったので、私と子供たちはレインコートを持参して自転車で、妻は濡れるのが嫌ということで、バスで映画館に向かった。映画館までの道のりは約30分。自転車で走っていると、雨が降ってきたので、途中のお堂で一休みしてレインコートを着込んだ。

 道のりは、すっかり涼しくて気持ちよい。川沿いの道を走れば、こおろぎの鳴き声が聞こえ、夏が終わるという、清々しいような、少し寂しいような気持ちを味わう。

 映画は、素晴らしかった。私が知っているアニメーションのレベルから、何段階もアップしているように思えた。雨の表現は、ただの縦線ではなく、ひとつひとつの雫が描かれ、それらが地面で分散して跳ね返るようすまで、非常に丁寧に描かれている。緻密に描かれた背景画は、実写と見紛うほどのリアルさである。

 そして、主人公が天に祈って晴れ間が出る場面は、美しい。祈る姿と、そこから現れる晴れ間の描写と音楽の調和は、アニメーションの真骨頂であろう。映画の設定は非現実的でも、天気が晴れる瞬間の美しさは、共感ができるところであった。

 子供たちの反応だが、サチコは楽しんで観ているようすであった。優一は、いちいちうるさく、面倒臭かった。マクドナルドが出ると、反応し、車が登場すればナンバーを読み上げ、ことあるごとに「ドラえもんじゃないねぇ」とつぶやいていた。

 映画館を出れば、雨が上がっていた。良い映画を観たら、天気もよくなったのかと思いきや、自転車にまたがった瞬間、雨が降り始めたので、帰り道もレインコートを着込んで帰ることになった。


8月17日 天草旅行

 今年の夏休みは、天草で一泊の旅行をした。主に、サチコが大好きなイルカと触れ合う旅であった。

わくわく海中水族館

 まずは、天草の入り口にある、「わくわく海中水族館シードーナツ」へ。ここは、名前の通り、水族館全体が海に半分沈んでいる。下に書いた呼子のレストラン「萬坊」と同じつくりである。規模は小さく、手作り感あふれる水族館だが、独特の雰囲気がある。


水族館全景。このように半分海に沈んでいる。


 まず笑ったのが、入ってすぐに掲示されている「落下・転落リスト」。誤って海やいけすに落ちた客やスタッフのエピソードが記されている。「人の不幸は蜜の味・・・。次の犠牲者はこれを読んで笑っているあなたかも!!」と書かれている。


落下・転落者リスト(クリックすると拡大します)


 そのリストのそばには、なぜか犬が飼われている。犬の檻には、犬用の顔ハメがあって、「きなチンアナゴ」と書かれている。犬の名前らしい。そこから犬が顔を出すと、チンアナゴの顔になるらしい。


顔ハメから顔を出そうとしている犬

 展示の仕方も独特である。例えば、うつぼが美肌・滋養強壮の神様として展示されている。そしてその横には「牛深で食べよう、ウツボ料理」と書かれ、レストラン紹介が載っている。この独特の緩さは、ずっといたくなる魅力がある。


うつぼの展示


 ここで、サチコにいるかの触れ合い体験をさせてあげた。イルカプールに行って、イルカを触れるのである。場所は、海に浮かんだ小さないけすである。体験前に、イルカが目の前で簡単なショーをしてくれた。規模も小さく、有名水族館で見られるような、洗練されたショーではないが、間近で見ると、迫力がある。ジャンプの時には、観客のところまで水しぶきがかかってくるのである。そして、イルカは頭がいい生き物だと改めて感心する。サチコは、イルカに触れて満足げであった。


左:まずはイルカショーを観る。のんびりした雰囲気が良い。  右:イルカと触れ合うサチコ


 この水族館の特徴は、独特の緩い雰囲気の中の裏にある、自己責任の考え方と、徹底的に観客を信頼した姿勢であろう。リスクを全て覆い隠してしまっては、面白くない。それよりも、観客の良心を信頼し、楽しんで欲しいという感じが伝わってくる。一見、ただ単に適当に悪ふざけをしているようにも思える水族館だが、かなりの強い意志がないと、この姿勢は貫けないと思う。また来たいと思った。


ピラニアの水槽。特にフタなどは無い代わりに、ド派手な注意喚起がある



イルカウォッチング

 翌日の朝は、イルカウォッチングであった。なんと、民宿の主が寝坊をして朝食が遅れるという、あまり出来ない体験をした後、イルカウォッチングの窓口となっている天草イルカセンターへ向かった。ここから漁船に乗って沖に出て、イルカを見物するのである。

 船が出てすぐに、イルカが現れた。初めて見るイルカは可愛らしかった。イルカのほうも楽しんでいるようで、わざと船の近くに寄ってきたり、船の下をくぐったりする。親子のイルカもおり、大小のイルカが並んで泳いでいるのは、なんとも愛らしい。

 ふと船内を見ると、イルカを観ずに一点を見つめてぐったりと座っている人たちが増えてきた。船酔いらしい。イルカウォッチングは1時間くらい続いたのだが、半分くらいで、海にイルカがいるのが当たり前になってしまう。この日は、夏休み中で大混雑らしく、同じような船がどんどんやってきた。10隻くらいの大量の観光客を乗せた船がイルカの群れを追う姿は、それはそれで圧巻であった。


左:近くまで来たイルカ  右:イルカを観に来た大量の船



おっぱい岩

 イルカを観た後は、奇岩「おっぱい岩」を見に行った。グーグルマップで宿を探していて、たまたま見つけたので、名前が面白く観に行くことにした。ちょうど優一がおっぱいが大好きで、ことあるごとにおっぱいおっぱい叫んでいるので、優一に見せてあげようと思った。

 おっぱい岩は、伝承では雲仙の噴火で飛んできたとされているが、実際は約3800万年前の海底で、メタンを含む水の通る場所に繁殖した細菌によって作られた、石灰質団塊であると考えられているらしい。乳頭にあたる部分を、メタンを含んでいた水が通っていたのであろうか。

 潮が満ちていたので、おっぱい岩は3分の1くらい海に浸かっていた。駐車場に車を停めた後、海を歩いておっぱい岩を目指した。辺りには、ヤドカリや小エビなどの生き物がたくさんいて、これらを捕まえて遊んだりして、おっぱい岩を後にした。


おっぱい岩



先津教会

 その後は、先津教会に向かった。先津集落は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一部として、2018年7月に世界遺産として登録された漁村である。戦国時代以降に出来た漁村で、キリスト教伝来期には布教の拠点となっていたという。先津教会は、1934年に建てられた天主堂で、中が畳敷きになっているという、非常に珍しい教会である。今でも住民の信仰の場所となっており、雰囲気はどこにでもある小さな教会である。

 中に入れば、宗教施設独特の、清清しい気持ちになった。中ではツバメが飛んでいる。内部に巣を作っているのであろうか。日本の端まで来たなぁという実感が湧いてくる。集落の雰囲気自体は、本当に小さな漁村である。いきなり世界遺産になって、戸惑っているようにも思える。あと10年もすれば、更に観光客が増え、宿泊施設は増え、色々な名物が出来、集落は豊かになる代わりに、今の雰囲気は損なわれるであろう。それがいいことなのか、悪いことなのかは分からない。


左:集落のようす  右:先津教会



牛深・帰宅

 先津からそのまま南下し、牛深で昼食を食べて帰宅した。牛深は、「牛深ハイヤ節」で有名な港町である。「牛深ハイヤ節」は、民研のレパートリーのひとつで、元気な女踊りが特徴である。驚くべきことに、ここで生まれたハイヤ節は、江戸時代の大阪に向かう上り船、日本海を北海道に向かう北前船等によって日本中に伝わったとされる。全国に「ハイヤ節」「あいや節」などの民謡があり、徳島の阿波踊りで歌われる「よしこの節」もこの一系統といわれている。

 牛深に来れば、民研で伴奏をやったときのことを思い出した。昔のビデオを観ながら楽譜に落とし、笛や太鼓のリズムを復活させた。唄のダケデは、高い音が伸びず、モコは裏拍が取れないまま発表会に突入したのも、いい思い出である。

 とはいっても、牛深には特に何も無く、時間も迫っていたので、昼食を食べて、名物のかまぼこを買って急ぎ帰宅した。


8月15日 呼子へ

 夏休み初日は、レンタカーで呼子へ行った。「クジラのジーラ」という観光船に乗って、海の中を見物した後、名物イカの活き作りを食べるつもりであった。クジラのジーラは、船内がガラス張りになっており、海の生き物をガラス越しに見られるらしく、サチコはさぞかし喜ぶだろうと思っていた。

 呼子に着けば、台風が近づいているために、クジラのジーラは欠航であった。仕方なく、港で飼われている魚たちに餌をあげて、イカを食べに「萬坊」へ向かった。

 「萬坊」は、海の中にあるレストランで、海中を眺めながら食事が出来るという。行けば、大変な混雑で、整理券を渡された。およそ2時間待ちである。2時間の間、呼子大橋を渡って加部島に行き、牧場の牛を眺めたり、土産物を購入して時間をつぶした。

 「萬坊」の店内は、面白かった。普通の食堂の雰囲気だが、海の中にあるため、窓からは海が見え、時々魚たちが顔を出すのである。生き物好きのサチコは大喜びで、窓を眺めては魚を見つけて喜び、その様子を絵に描いていた。イカは、大変美味しかった。身は透明で、イカはまだ生きている。こんなに甘いイカは滅多に食べられない。ゲソは、天ぷらにしてもらって食べた。

 食事を終えれば、夕方4時半をまわっている。レンタカーは7時までなので、急いで帰路についた。ほぼイカを食べるだけの旅であったが、満足できた。


8月15日 無題

 最近、心が枯れてきていると感じる。良い映画を観ても、美味しいものを食べても、親しい人たちと話していても、一生懸命趣味に取り組んでも、どうも心が動かない。心から楽しい、心のそこから感動する、という経験が無いように感じる。これは、今に始まったことではなく、数年前からのことのように思える。

 もちろん、全く楽しくないということは無いが、若いときのように、純粋な気持ちになれないということである。全く新しいことに出会うということはなく、以前経験したことのある変形、または組み合わせヴァージョンに過ぎないと思うようになる。

 もっとよくないのは、そういった態度が自分達の子供たちに対して出てしまうことであろう。子供たちの純粋で新鮮な気持ちは、受け止めてあげなければならない。一方で、その「楽しさ」の裏には、大人のしたたかな思惑があり、巧みに浪費を仕向けるように誘導していることも、おいおい教えていかなければならないだろう。

 私自身がときめかないということは、ある意味安定してきたともいえる。私が「楽しさを与える側」になれたということでもあるかもしれない。そのためには、自分の中の子供をもう一度呼び覚まさなければならない。


8月4日 太鼓の一日

 今日は、所属しているつくし太鼓愛好会で、老人介護施設での訪問演奏があった。驚いたのは、演奏を始めた瞬間、感極まって号泣した老人が数名いたことであった。最初の演奏は、子供たちによる創作曲であったが、一生懸命叩く姿に心打たれたのであろうか。私も少しもらい泣きをしてしまった。

 演奏後は、会社の先輩でもある会長に、嘉穂劇場の JAPAN MARVELOUSの10周年記念コンサートを聴きに連れて行って貰った。嘉穂劇場は、福岡県飯塚市にある、大正10年に作られ、炭鉱で栄えた時代から残る唯一の芝居小屋として残る、由緒正しい劇場である。

 プロの和太鼓集団の演奏を聴くのは久しぶりである。演奏は素晴らしかった。演目ごとの緩急のつけ方、演奏技術、相当な鍛錬を積んでこのステージに臨んでいることが伺われる。ゲスト出演の二胡や尺八の演奏も素晴らしく、フルートの演奏にも参考になるところがあった。

 今回彼らの演奏を聴いて思ったのは、雰囲気がとても現代的であったことだ。かつて学生時代に聴いた「鬼太鼓座」や「鼓童」などは、現代的な演奏方法を取り入れつつも、どことなく浮世離れした雰囲気があった。しかし、今日観た奏者たちは、「今どきの若者」であった。団長は、ベンチャー企業の社長風で、男性奏者は若手の営業職、女性奏者は博多にいそうなOLの雰囲気である。

 そして、伝統的な太鼓演奏は殆どなかった。悪く言えばリズム遊びに過ぎないともいえるが、それを補って余りある演奏技術の高さがある。そして、太鼓を「楽器」ととらえ、新しいことに挑戦する気概が感じられる。和太鼓の世界は、私が知っている時代から更に進化したのである。

 その後は、夕方からいつも通りの太鼓練習であった。私は上記のコンサートから直接参加したため、サチコ、優一には、子供たちだけで電車に乗って来てもらうことにした。子供たちだけで電車に乗るのは初めてなので、妻にホームまで行って貰って子供たちを見送り、私も駅のホームで子供たちを迎えるという体制をとった。サチコは、立派に優一を連れて電車に乗ってやってきた。

 子供たちの成長も感じた一日であった。



topへ