2020年
3月のつぶやき
3月28日 蜜蜂と遠雷
「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著)を読んだ。新型コロナの影響で市立図書館が閉鎖されているので、スマホでオンライン予約して借りている。予約した本は、家のすぐ近くの生涯学習センターで受け取ることができる。本棚をぶらぶら見て歩くのと違い、何を借りるかから考えなければならないので、とりあえずこの市立図書館の人気ランキングの上位から借りてみた。本書は、1位である。
この本は、ピアノコンクールにかける人たちを描いた群像劇で、たった一度のピアノコンクールの成り行きを、およそ500ページに及ぶ長編で描いている。目次も「エントリー」「第一次予選」「第二次予選」「第三次予選」「本選」となっている。これだけの内容を、500ページの長編に仕立て上げ、かつ読者を飽きさせない著者の筆力は並大抵ではない。
内容としては、ピアノコンクールで順番にピアノを弾いて、順位が決まるだけで、複雑なストーリは無い。よって、本書で書かれていることの殆どが、コンテスタント達の内面描写となる。演奏しているときに見える風景、心情が延々と述べられるが、その中で語彙が尽きることない。そして、音楽とは何か、という本質に迫っていく。
そんなこの小説自体が、音楽のようである。言葉が、説明のためではなく、読者の感情を揺さぶるために使われている。その2重構造が面白いと思った。
3月24日 母と妹家族が来る
先週末の三連休は、母と妹と姪2人が来た。新型コロナウィルスの影響で、いくつかの予定変更はあったものの、楽しく過ごせた三連休であった。
3月20日(金)
初日は、レンタカーで柳川の川下りに行った。普段は海外からの観光客で賑わう川下りだが、客は少なかった。同乗する人は、私たちの他に5人のみで、舟はゆったりとしている。春の陽気の中、のんびりと楽しむことができた。子供たちが楽しめるか分からなかったのだが、姪のユウリ(3)とサクミ(1)も楽しそうにしていたので良かった。
午後は我が家でのんびりと過ごしてから、夕食に明石焼きを作って食べた。子供たちは、家で遊ぶのが好きらしく、ボールごっこをしたり、昔妻がサチコのために作ったエルサの服をユウリに着せるなどして、川下り以上の盛り上がりであった。
3月20日(土)
この日は、筑後船小屋の広域公園でバーベキューの場所とコンロを予約していたのだが、新型コロナの影響で前日に突然使えませんと連絡が入った。仕方なく、急遽吉野ケ里歴史公園の屋外炊事広場に行くことにした。バーベキュー用のコンロは持っていないので、行きがけにホームセンターで購入した。
屋外炊事広場は大盛況であった。屋外で、人が密集するわけでもなく、食事を楽しむのであれば、感染のリスクは低いのではないかと私は思う。バーベキューをした後は、公園内のアスレチックで遊び、広場でボールやフリスビーを投げ、凧揚げをして楽しんだ。夜は、スシローで軽く食事をして解散した。
3月22日(日)
最終日は、かしいかえんに行く予定であったが、新型コロナの影響で多くの施設が閉鎖されているらしく、海ノ中道マリンワールドに行くことにした。ここでイルカショーを観て、巨大水槽のイワシショー(?)を観て、その他ペンギンとかクラゲとかを見物して楽しんだ。イワシショーの最中、ユウリは私の膝の上で観ながら、眠ってしまった。この三日で心を開いてくれたらしい。昔のサチコのようであった。3日連続で遊んだためか、子供たちはお疲れの様子であり、早めに解散することとなった。
感想
今年69歳になる母は、相変わらず元気そうであった。孫育てが大変だといいつつも、楽しんでいるようで、良かった。妹は、4月より新しい職場で働くことになるらしい。話を聞けば、就職活動もかなり大変だったようで、相変わらず私にはないバイタリティがある。次女のサクミは、前回会った時は生後2か月くらいの時ではなかったかと思うが、今ではよく食べ、丸々として可愛らしい。お腹をなでると実に癒される。
今回特に印象深かったのが、長女の苦悩であった。ユウリは、私が感じた限りにおいては、思慮深く、自分の意見を持っているが、それを表現するのが苦手で、損をしているタイプに思える。次女を気に掛ける母に対し、自分に気を惹いてもらおうとやっていることが裏目に出て怒られたり、いじいじしていることで逆に母をイライラさせたりしている。
似たような一面は、サチコもある。ただ、サチコと優一は年が離れているので、むきになって喧嘩するようなことはないが、要領が悪くて怒られるのはサチコのほうが多く、優一は怒られてもヘラヘラしている。もしかしたら、もっと大きくなったら妻とサチコはもっと大規模な喧嘩をするようになるのではないかと思っている。
妻がしっかり怒っているので、私はあまり怒らないでニコニコしている。ニコニコしていると、それも妻をイライラさせるらしく、私まで怒られることになる。前にも書いたが、妻と私の教育方針は大きく異なり、むしろそれを良しとしている。世の中には色々な大人がいる。その第一歩が父と母であり、どちらが正しいということはない。それは、子供たちが成長する中で、自分で判断すればよいと思っている。
子育てに奮闘してる妹を見て、話を聞き、いろんなことを思ったが、なかなかじっくり話す時間はなかった。母と父の視点は、恐らく大きく違う。自身が長子か末っ子かでも、価値観は変わると思った。ともあれ、遠くから来てくれた母と妹、ふたりの姪たちに感謝である。

左:吉野ケ里歴史公園にて 右:マリンワールドにて
3月20日 吉野家
今朝は、母と妹母子が遊びに来るため、レンタカーを借りに行った。レンタカー屋に向かう途中、吉野家で朝食を食べた。
日本で吉野家に行くのは何年ぶりであろうか。インドネシアの吉野家にはお世話になっていたが、日本では10年くらい行っていなかったのかもしれない。私の知っている吉野家は、店員をぐるりと囲むようにカウンター席が配置され、客は口頭で店員に注文する。店員の記憶力は素晴らしく、大人数で行って、大盛やら卵やらつゆだくやらねぎだくやら、複雑な注文をしてもメモを取ることなく正確に覚えられる。そして手早く食事をして、現金で会計を済ます。その間10分程度。
10年ぶりに吉野家は、大きく変わっていた。店に入るとまず、マクドナルドの様に注文をし、品物を受け取って席に着くスタイルになっていた。店内はおしゃれで、カウンター席は無い。というかこれは、インドネシアの吉野家方式ではないか。うまい、安い、早いのうち、うまいだけを残し、他は時代に合わせたスタイルに変えたのである。
吉野家の味は相変わらず美味しかった。これを食べるといつも、学生時代明け方まで飲んで、始発を待ちながら食べたことを思い出す。
3月19日 雨具を買う
以前にも書いた通り、私の通勤は、駅まで20分ほど自転車を漕ぎ、電車を15分ほど乗り、20程度徒歩である。車を買えばいいのに、とは言われるが、この通勤スタイルが気に入っているので、特に不便は感じない。しかし、雨が降るととたんに面倒になる。出勤時に雨が降っているときは、駅までバスを使うが、午後から雨になると分かっている場合は、雨合羽を着て自転車を使う。折りたたみ傘と雨合羽は、常にカバンの中に入れている。
雨合羽は、2年前の夏に、妻が屋久島で緊急用に買った500円程度のもので、今や脇の下が破れている。折りたたみ傘は、頂点の固定具が破損し、畳みづらい状態となっている。そこで、これらの雨具を新調することにした。
折りたたみ傘は、多少重かったり、折りたたみ時のサイズが大きくてもよいから、風に強く、丈夫なものが良い。開いたときに大きさは大きいほうが良い。できれば撥水性の高いものが良い。ということで調べたら、意外にもセブンイレブンで売られている折りたたみ傘の評判が良いことが分かった。ということで、早速セブンイレブンで購入した。
雨合羽は、ポンチョ式の前開きで、軽くて着脱しやすいものが良い。自転車に乗るためつばの部分が透明で、前が見やすいのが良い。また、大き目で足まで隠れるものが良い。雨合羽の場合は、機能性を重視すると、かなり重く、常に持ち歩けないようなものになってしまうため、軽いことが重要である。こちらは、2千円程度のものを選んでインターネット購入した。
私は今、雨が降るのが楽しみになっている。早く、雨が降って新しい傘や雨合羽を試してみたい。こんな時に限って、向こう一週間の天気は良好である。
3月18日 11人のカウボーイ
所属している吹奏楽団の定期演奏会で、表題の映画の曲を演奏するため、映画を借りて観てみた。1971年に作られた、古い映画である。主人公が、11人の少年を雇って、600q離れた町まで1500頭もの牛を移動させる物語である。
あまり期待せずに観始めたが、映画が始まってすぐに、引き込まれた。50年近くも前の映画だが、現代の映画にも劣らない、というかそれ以上のリアリティと躍動感があった。デジタル技術が発達しても、表現技術というのはそれほど変わらないらしい。
圧巻はやはり、少年たちの乗馬シーンである。暴れ馬から落馬したり、川で足を取られて馬もろとも倒れこんだり、今では考えられないような危険なシーンが次々と登場する。少年たちの目つきは鋭く、単に映画の演技というよりは、「やってやろうじゃないか」という気迫が感じられる、ドキュメンタリーのようである。大量の牛を伴っての荒野の撮影は、実際に牛追いをしながらでなければ撮れないし、現代ではこのような映像を撮るのは難しいのではないか。
少年たちは、こっそり酒を盗んで草むらで回し飲みをして、酔っぱらう。それを見つけた大人は、咎めることなく暖かい目で少年を見守る。今の日本では、問題になるようなシーンだが、おおらかでいいなぁ、と思う。
音楽のおかげで、良い映画に出会えた。
3月15日 さじむ
昼間の風が、暖かくなってきた。桜は、少し開花しているところもあり、春が来たと実感する。春の強い風と暖かい空気を肌で感じると、毎年のように思い出す風景が、「さじむ」の情景である。
「さじむ」は、学生時代に所属していた民謡研究合唱団が、春合宿で使用していた民宿で、千葉県の内房にある岩井海岸にある。20年も前の話なので、懐かしくなって検索してみたら、このように今も健在であった。ここは「合宿の町」として知られているらしい。どおりで、学生が大騒ぎしても苦情などが来なかった訳だ。
2年生になったときは、初めて太鼓の練習を仕切ることとなり、3年生になったときは、学生指揮者として、合唱をリードしながらも、全くうまくいかず、落ち込んだり、励まされたりした。「さじむ」の思い出は、常に新しいことへの期待と不安が入り混じっている。
何より思い出深いのは、卒業した直後、卒団生として訪れた「さじむ」であった。同期達は皆、このイベントを期に社会に出たり、大学院に進学したりして、別々の道を歩むこととなる。モラトリアムの総仕上げとして、合宿の最終日に訪れ、後輩たちにでかい口を叩き、明け方まで飲んで大騒ぎをした。次の日の帰りは、皆憂鬱で、車の中は静かであったと、過去の「つぶやき」に書かれている。
そして今年は、そんな「さじむ」の風景と共に、9年前の大震災の風景もよみがえった。当時、福島県に住んでいたが、インドネシアに異動が決まり、引っ越す前日に、震災は起こった。震度6強の地震が起こり、道路が陥没した場所もあったが、どことなくのんびりしていた。天気は良く、春の陽気であった。私は、粗大ごみを出しに廃棄物センターへ行ったがやっていなかった。そのほか、テレビを後輩に譲り、なんか大変なことになってるねぇと、ぼんやりしながら会話をしたものであった。
交通がマヒしている中、引越屋は普通にやってきて、いやぁ大変ですねぇと言いながら夜までかけて荷物を積み込み、出発していった。私たちは、移動手段が無いので、車を譲った後輩に、その車で東京まで下道で連れて行ってもらった。着いたのは明け方であった。
何やら大変なことが起こっているけれども、良くわからないという当時の状況が、今のコロナウイルスの状況と似ているような気がする。今日も、子供たちと自転車でちょっと遠出して公園に行き、テントを張ってのんびりした。公園は、にぎわっていた。
春の空気が、大震災の時と似ているので、ふと当時のことを思い出したのであった。
3月8日 宇宙からいかにヒトは生まれたか
コロナウイルスの影響で、図書館が閉鎖された。「宇宙からいかにヒトは生まれたか」(新潮選書・更科功著)は、閉鎖前になんとなく手に取って借りた本だが、これが久しぶりに知的興奮を呼び起こす良書であった。
宇宙理論だけの本もあれば、進化論だけの本もあるが、これは宇宙がどのように始まり、物質がどのように作られ、太陽系が生まれ、生命の素となる材料がどこから来て、はじめにどのような生命が生まれ、どのような経緯をたどって現在に至るかを、網羅的に、わかりやすい言葉で、しかしごまかしたり誇張したりすることなく述べられている。著者の専門は分子古生物学とのことだが、あらゆる学問に精通していないと、この本は書けない。
もうひとつの特徴は、人間を特別視しないことだ。人間の特徴も、ほかの生物と同列に書かれ、これまでの地球の歴史の中で、人間だけが特別な存在ではないことを述べている。確かに、将来、人間が絶滅した後、ほかの起源から知的生命が誕生し、私たちの化石を掘り起こし、そのとき何があったのかや、どのような暮らしをしていたのかとか、なぜ絶滅したのかとかを調べているかもしれない。私たちが恐竜の化石を調べるのと同じように。
印象に残った、あとがきの一部を抜粋する。
以前は地球や生命は、宇宙の中の奇跡的な存在として語られることが多かった。でもひょっとしたら、地球も生命も、そんなに奇跡的な存在ではないかも知れない。確かに生命が誕生する条件はかなりきびしいだろう。でも、宇宙にはたくさんの星があるので、生命が生まれる惑星もかなり存在するのではないだろうか。
もっとも、この文章を読んでいるあなたは、ありふれた人ではなく、素晴らしい人かも知れない。でももしかしたら、そうでもないかも知れない。でも、そんなことはどうでもよいのだ。あなたは、あなたにとって、かけがえのないとても大切な人であることは間違いない。もしも、あなたが社会の役に立っているなら、それは素晴らしいことである。あなたは世間から賞賛を浴びるだろうし、確かにあなたはそれに値する人間だ。でも、もしもあなたが何の役にも立たない人間でも、生きる価値がないなんてことはない。私たちの祖先は40億年もの間、ただの一度も途切れることなく細胞分裂をし続けてきた。その結果、あなたが存在するのだ。それだけでも大したものだ。そもそも生物というものは、生きるために生きているのだから、人生に意味のない季節はないのである。
「地球は素晴らしい奇跡的な星です。だから大切にしましょう」
そんな言葉を聞くたびに、私はちょっと変な気分になる。じゃあ、もしも地球がありふれた星だったら、大切にしなくてよいのだろうか。もちろん、そんなことはない。地球という惑星は、ありふれていようが、あと10億年しか生命が住めなかろうが、かけがいのない存在なのだ。
3月6日 無題
コロナウィルスのニュースが連日報道され、日々の話題の中心はこればかりである。
学校は閉鎖され、子供たちは家に閉じこもることが良しとされ、公共施設の閉鎖、イベントの自粛などが次々とおこなわれている。コンサートなどは、今や開催できる雰囲気ではない。観光業、飲食業、アーティスト等は大打撃を受けているであろう。
もちろん、感染拡大を防がなければならない。しかし、そのことのみが何よりも優先され、それ以外のことは重要とみなされなくなる風潮に疑問を感じる。例えば、ライブを決行しようとするアーティスト、イベントに参加した人たち等が過剰な非難を受けるのは、ちょっと度を過ぎてはいまいか。
何かの対策を打つとき、必ずそれによるほかの要因と天秤にかけられるべきである。コロナウイルス拡大によるリスクと、それを封じ込めることによる経済的損失、社会的影響などを考慮したうえで決定されるのが当然である。経済というと、感染拡大よりも金儲けのほうが大事なのか、という反論がありそうだが、はっきり言って、金儲けは大事である。それは、本質的には「餓死しない」「凍え死なない」など、生命の維持のために行われることだからである。経済活動が停滞した時に、真っ先に打撃を受けるのは、立場の弱い人たちである。
今や、コロナウイルスに感染することによる健康被害そのものよりも、差別、風評被害、社会生活からの隔離などの、社会的な側面の被害のほうが怖い。今のふさぎ込んだ雰囲気の中で、外国人やら、不幸にも感染した人やら、バスでマスクを着用しない人やらが過剰に社会の敵とみなされ、ギスギスした雰囲気がさらに加速するのは、感染拡大と同じくらいの脅威ではないかという気がしてならない。
3月1日 シリー
今日は、雨模様でもあり、一日中家にいた。コロナウイルスの影響もあり、これからこのような日が続くと思われる。ちょっと雨が止んだので、優一のサイクリングに付き合おうと思って、外に出てみたが、また雨が降ってきて断念した。結局、フルートの練習をしたり、スーパーファミコンのファイナルファンタジーYをやったりして今日は過ぎていった。
夜、夕食を終えてテレビをみていると、サチコと優一がIpadに向かって話しかけている。Ipadには、シリーという人工知能がいることになっていて、「ヘイ シリー」と話しかけると、色々な質問に答えてくれる。算数の計算や、明日の天気などを教えてくれる。定番だが、「バルス」と言うと、ちょっと気の利いた答えが返ってきたりする。
Ipadに話しかける子供たちを見ていると、まるで近未来世界を見ているような錯覚に陥った。昔のアニメだって、ロボットの言葉は抑揚が無く、同じ音程で話しているが、我が家のIpadは、優一のたどたどしい日本語を聞き取り、流暢に返すものである。
そのうち、優一が盛り上がってきて、訳の分からない支離滅裂な質問を連発し始めた。シリーは「すみません、よくわかりません」「その質問にはお答えできません」などと答えたり、現在の気温を唱えたりするようになった。それでも優一の訳の分からない言語を読み取ろうとしているのが面白くて、家族で大爆笑した。
近い将来、どんなことになるのであろうか。
topへ