2020年
7月のつぶやき
7月24日 今日
4連休の最初の二日間は、天気も良くなく、ほとんどを家で過ごした。コロナの影響もあり、何も予定を立てていない。そして今日は、子供たちを連れて近くの図書館に行った。いつもの通り、サチコと優一は自転車、私は優一の横をランニングである。
雨上がりの空気は、ひんやりとして気持ちが良い。湿気を帯びた涼しい風が吹き、ランニングもそれほど苦しくない。図書館では、サチコは恐竜はいかにして鳥に進化したかというような本と、インコの本を借りていた。恐竜も鳥も大好きなサチコにとっては、絶好の本であろう。私は、「カラスは本当に悪者か」という本を借りた。親子で鳥好きなのである。
本を借りた後、図書館に併設された公園にテントを張り、食事を買い食いし、コイのエサを買ってコイやらハトやらハクチョウ(ここにはどういうわけかハクチョウが住み着いている)に与えてのんびり過ごした。続いて虫取り探検である。虫取り網を持って、公園内の森に分け入った。川にカニがいたので捕まえて観察した。すると、きれいな蝶が飛んでいたので、サチコが網を持って追いかけた。あとちょっとのところで逃した。
私は、虫取り網を持って追いかける子供たちを眺めながら、しみじみと幸せだなぁと思った。子供たちは、何物にも代えがたく可愛らしく、彼らもまた私を慕ってくれている。こんないい日が、いつまでも続いてほしいと思いながら、それは叶わぬことでもある。この日の風景を、きちんと心に刻みこんでおこうと思った。
7月24日 餃子を作る
今日の夕食は、私が手作り餃子を作ることにした。それも、餃子の皮から作る、完全な手作り餃子である。
私には、目指す餃子の姿がある。それは、小学生時代に友人のニシヤマ君の家で食べた餃子である。ニシヤマ家の餃子は、噛むと小籠包の如く、大量の汁が飛び出すものであり、驚きであった。そんな肉汁餃子でありながら、白菜をメインとした野菜餃子を作り上げるのが、私の目標である。
汁気を残せばよいというものではなく、例えば白菜の水切りをしないとベチャベチャになってしまう。ネットで調べたレシピも試してみたが、肉がメインとなってしまい、私の好みではない。また、ジューシーに作れても、皮の接合部からはみ出てしまい、せっかく閉じ込めた汁が焼いているうちに失われてしまうという問題があった。
そして今日、皮から自作することにした。自分で作ることで、モチモチの皮なので接着しやすいのではないかと思ったのである。加えて、鶏がらスープをゼラチンで固めたゼリーを作っておき、餃子を包む際に鶏がらゼリーも一緒に包んだ。餃子の皮を作るのは大変かと思ったが、意外に簡単であった。また、子供たちが面白がって手伝ってくれたので、なかなか楽しめた。
できた餃子は、これまでで一番目指すものに近づいた。味付けを失敗ししょっぱくなりすぎたものの、野菜餃子でありながら、噛んだ時に飛び出すスープの感じは、実に良い。それでいてベチャベチャしていない。
また挑戦しようと思った。
7月23日 Kalafinaの音楽
NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組が好きだが、何が好きかというと、とにかく音楽が好きである。Kalafinaという3人の女性ヴォーカルから成るグループが歌っていて、エンディングテーマは何度か変わっているものの、オープニングテーマは昔から変わらず「Storia」という曲をほぼフルで流す。(正確には以前は人造語ヴァージョンだったが、現在は日本語である)
2013年3月のつぶやきにも書いたが、とにかく歌が上手く、その上手さは職人のそれに近い。3人の声は個性的でありながら、ハーモニーは美しく溶け合い、独特のサウンドを奏でる。「歴史秘話ヒストリア」が、10年以上も続いているのは、この音楽によるところが大きいのではないかと、個人的には思っている。
気づけば、サチコが鼻歌で「Storia」を口ずさんでいる。サチコの曲の好みは、私と近く、どちらかといえば短調を好む。私の中でも「Storia」のメロディがぐるぐる回るようになってしまい、これははけ口が必要だと思い、リコーダー編曲して多重録音することにした。
実際に編曲してみると、凄い曲だと思った。たった3分半程度の曲で、4種類の調が使用され、計6回転調する。これらの転調は、全て自然に行われ、曲に良い変化がつくように緻密に作られている。これを、完璧に歌いこなすのは至難の業であろう。
演奏してみたが、当然ながら原曲には遠く及ばない。やる前から分かっていたことではあるが、とりあえず公開することにする。
↓Kafafina「Storia」リコーダー5重奏
https://www.youtube.com/watch?v=fN9Wtpbr3UU
7月15日 おもちがきえるおもちつき
今日は、早めの帰宅となったので、寝る前に優一に絵本を読んであげた。優一が選んだのは「おもちがきえるおもちつき」で、杵に化けたキツネが、餅つきの最中にお餅を全部食べてしまうという内容である。餅が消える秘密を知った動物たちは大笑いし、もう一度みんなでお餅をついて、仲良く食べるという内容であった。
「餅を食べつくしたタヌキの罪は咎められないのであろうか」という私の違和感を、妻も抱いていたようで、このあたりは珍しく夫婦の意見は一致した。古代であれば、タヌキ汁にして食われかねないような内容である。飽食の時代で、人々が「食う」ということをエンターテイメントのひとつにしている現代だからこそ、笑って許されるのであろう。
ところで、「タヌキ汁」というのは、かちかち山だけに存在する創作料理ではないだろうかという話になった。確かに、山奥に行けば猪や熊を名物とする郷土料理は存在するが、狸を出すところを知らない。あまり美味しくないのであろう。
そんな話をしていると、優一が歌いだした。
♪げんこつ山の たぬきさん
♪おっぱいのんで マスクして
♪だっこして うんこして またあした
コロナ時代、そして「うんこ漢字ドリル」などが売れるうんこ時代であるからこそ生まれた替え歌だなぁと、しみじみ思った。
7月12日 来客
昨日は、久しぶりに来客があった。妻の高校時代の部活仲間、ミカドン一家がやってきたのである。旦那のエグチさんは、かつて小倉祇園太鼓をやっていたころ、教えてもらったことがある。息子のカケル君は、その名の通り、走り回るのが大好きである。
カケル君は、優一とほぼ一年違いで生まれてきたが、よく食べ、よく動く性格から、優一よりも大柄で、体格もがっしりしている。言葉も上手で、旦那が教師をしていることから、気体、液体、固体の区別もできる、スーパー幼児であった。新幹線のはやぶさが好きで、はやぶさ靴下に、はやぶさリュックを背負い、中には新幹線が大量に詰まっていた。
我が家でピザを食べ、プラレールで遊び、家の前の公園で遊び、楽しい時間はすぐに過ぎていった。帰り際、我が家にあるはやぶさのトミカーが気に入ったカケル君は、遊んでいる間ずっと手にしていて、手放すのが名残惜しそうであった。そして、ついに泣き出してしまった。
サチコは、それを見てはやぶさのトミカーをコピー(家のプリンターでカラーコピーできた)して、段ボールを貼って渡してあげた。更に、ジッパー袋に即席ではやぶさの絵を描いてあげて、はやぶさのコピーを渡してあげた。カケル君の機嫌は直り、笑顔のお別れができた。
私は、うれしくなった。サチコが、人の気持ちを感じ取り、優しい対応をしてあげられることに感心した。片付けが出来ず、部屋はごみだらけで、学校への提出物を忘れたりと、ぼんやりしたところは、間違いなく私の血を受け継いでいるが、優しい子に育っていることは、心から嬉しい。
7月5日 ぼおるぺん古事記
こうの史代のマンガ
「ぼおるぺん古事記」を読んでいる。「ぼおるぺん古事記」は、その名の通り、古事記をボールペンで漫画化したものであるが、その筆力と発想の豊かさは、読む者を圧倒する。妻も私もこうの史代氏のマンガの大ファンなのだが、本書は難解で、読むのに気力がいることから、私は何年も読んでいなかった。
本書を読んで分かることは、古事記もこうの史代のぶっとんでいるということである。本書では、登場人物のセリフは全て原文で記されている。そして、描かれている絵は、その原文を極めて忠実に再現している。確かに、古事記に書かれていることをそのまま絵にしたらこうなるであろうということを、こうの史代はためらうことなく絵にしている。それが他のマンガにはあり得ない独特の雰囲気を醸し出し、時に爆笑し、時に情景に浸るという風に、読む者の感情を刺激しまくる。
それでも、全てが原文で書かれているため、下の注釈を読んだりしながら読み進めなければならない。気持ちが充実しているときに少しずつ読んでいる。
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