2004年
4月のつぶやき




4月23日   「鼓童 meets 玉三郎」
 今日、NHK教育で「鼓童 meets 玉三郎」という番組をやっていた。世界的に有名なプロの太鼓集団「鼓童」の音楽を、歌舞伎の女形として有名な、坂東玉三郎が演出を担当した2年間のドキュメンタリーである。以前に「鼓童」の舞台を見に行ってから来るようになった案内状で番組を知った。美しい佐渡島の映像とともに上手くまとめられている。

 その中では、ひとつの舞台を作り上げていく中での、迷いやら成長やらが描かれている。聴衆を意識すること、ひとつひとつの音に意味を見出し、それを伝えること、私達が音楽をやってきた中で、幾度も考えてきた様なことを彼らも考えるんだということを思った。

 私が一番心に残った玉三郎の言葉は、「個性なんか出すんじゃない」であった。クセやらオリジナリティーやら、一切そういうものを出さないようにする為に稽古すべきである。個性というのは、そんな中でも、必ずにじみ出てくるものである、というのである。確かにそうかもしれないと思った。思い当たる節はある。

 これまでの鼓童の印象は私にとってはあまりよくなかった。以前舞台を見たときには、「体力勝負の根性集団」というイメージが先立った。しかし、番組の最後に時間を大きく割いて放送した舞台では、そういった感じはなく、見に行きたいと思った。

 見終わった後、非常に晴れ晴れとした気分になった。日頃の下らない悩みが太鼓の音で吹き飛んだ気がした。そして、久しぶりに太鼓が叩きたくなった。

 舞台の終曲である「佐渡へ」は彼らが苦心して作り上げた創作曲である。番組の中でも大きく取り上げられていた。「佐渡の四季」を表現したらしいが、あまりよく分からないし、聴いていて若干飽きた。ちょっとじらしすぎであろう。彼らの曲に込めた思いは分かるが、ちょっと重すぎるであろう。そんなことを考えながら、私はかつて発表会にて犯した失敗を思い出していた。

 ちなみに、この舞台の幕開けは木遣太鼓であった。


4月23日   労働組合の総括
 今日の午前中は労働組合の集まりであった。最近、各職場の代表みたいな立場になり、定期的にそういった集まりに参加することになるらしい。

 雰囲気は、なんとなく民研の総会に近い感じであった。まず、会場が会社の食堂だった。「一食」みたいなところであった。そして、議長が前に座り、「総会」は始まった。

 今日の議題は「賃上げ交渉の総括」であった。「総括」である。一人一人プリントが配られ、賃上げ交渉の経緯と見解が記されていた。そして、前で「執行委員」が「総括」を読み始めた。ほとんどプリントの内容の音読である。

 読み終わったあと、意見が求められた。しかし、何一つ意見は出ず、総会はあっけなく終わった。この辺で白熱しないところが、民研とは違うところであった。

 もともと民研は左翼思想集団であり、今でもその音楽の根底には、共産主義的思想がある。ロシア民謡をよく取り上げるし、「働く喜び」「団結」といった言葉は、私がいた頃も曲想でよく用いられていた。組合の会議に参加しながら、民研と組合が似ているのは、かつて民研が労働組合のやり方を取り入れたからなのではないかと思った。


4月19日   柔道部飲み会
 昨日は、「あかし屋」で高校時代の柔道部仲間と先生方で飲んだ。高校時代お世話になった顧問の先生が、結婚することになったので、そのお祝いである。かなり久しぶりに、懐かしい仲間が一同に会した。

 それにしてもいろいろなやつがいるものだと思った。私の同期でも、親父の会社に入って「専務取締役」という肩書きを貰い、すでに結婚して娘までいるやつもいれば、未だに大学生をやっているやつもいる。私の先輩では、母校に教員として就職した人もいれば、ミュージシャンを目指していたが転向し、リングアナウンサーになった人もいる。凄く柔道の弱かった先輩が、今は警視庁に入っているという話も聞いた。色々な人生があるものだと思った。

 先生も面白い。私の高校は私立であり、変な先生が多い。比叡山延暦寺で修行をしたことのあるという坊主の英語の先生とか、女子中学生を買ってつかまった英語の先生もいる。ちなみにその先生には英語で中高6年間大変お世話になり、おかげで大学に行くことが出来た。

 昨日来ていたA先生は、アフロヘアーの古文の先生で、かなりきわどい発言を連発していた。

 それにしても、久しぶりに会う友人や先生方との話はとても楽しかった。

 しかし、さすがに体育会系のノリを引きずっており、飲み会はやや激しい雰囲気となっていった。そのうち記憶がなくなり、気付くといつのまにか寮にたどり着いており、朝の5時頃気がついた。頭が痛い。かなりブルーな気分で月曜日を迎えることとなった。


4月17日   キムチ屋とお好み焼き屋
 私の住んでいる寮の近くには、ありがたいことに美味しいキムチ屋とお好み焼き屋がある。私はキムチとお好み焼きが大好きなため、頻繁に通っている。

 キムチ屋はどうやら韓国人がやっている店らしく、表に「テレビで取り上げられました!」と張り紙がある。さまざまなキムチがあるので、毎回違うキムチを買ってきては酒の肴にしている。

 最近、「椎の葉キムチ」というのを買ったところ、非常に塩辛く、かつクセの強い香りがした。体の中のばい菌を一発でやっつけられそうな味である。しかし、さすがにアクが強すぎてなかなか食べ切れなかった。

 そこで、酒屋でたらの干物を買ってきて細かく切って「椎の葉キムチ」に入れてかき混ぜたところ、格段に食べやすくなった。実は、キムチと干物は非常に合うのである。もともとキムチの旨みは魚介類の旨みであり、当然といえば当然なのだが。

 他に、「百歳酒」という焼酎を買ったところ、なんと薬酒であった。非常にまずい。こちらはほとんど飲まれずに部屋に転がっている。

 お好み焼き屋は、休日や仕事が早めに終わった日によく通っている。「みやじま」というお好み焼き屋で、広島焼きの専門店である。店主はこの道20年くらいらしく、かなり美味しい。最近は店のオッサンオバハンとも仲良くなり、テレビでサッカーやらK-1やらの試合を見ては一緒に応援している。


4月16日   「ミニモニ」を見る
 今日家に帰ってテレビを付けると、NHKのポップジャムで「ミニモニ」が出場していた。久しぶりに見たが、どうやら解散するらしい。つんくが「『ジャンケンピョン』というフレーズは彼女らのアーティストとしての素質に触発されて生まれた」と喋っていた。確かに、こんな頭の悪いフレーズはいくら頭をひねっても生まれないであろう。

 その後、「ラッキーチャチャチャ」という曲をやったのだが、私は軽い衝撃を受けた。あまりに振り付けがハードそうだからである。おまけにキメがしっかりしていて、振りも揃っている。おそらく「八木節」と同じくらいハードであろう。おまけに歌を歌っている。「八木節」を歌いながら踊ったら、一番でバテるであろう。相当体力がないと、あの歌と動きは出来ないはずである。

 「ミニモニ」は凄いと思った。これまで気づかなかった発見である。しかし、相変わらずそれぞれの顔と名前は全く分からない。


4月15日   送別会のプレゼント
 今日は会社の送別会であった。私の一年上の先輩、O氏が異動ということになり、そのための送別会であった。年が近いだけにかなり色々とお世話になった。私としては、お世話になった彼のために是非とも送別会の幹事をやりたかった。そして、実際に幹事をやることになった。幹事としては、飲み屋の手配の他に重要な役割として、O氏へのプレゼントを考えねばならない。

 これまで私は、民研の新歓やら追いコンやらで幾度となくプレゼントを考えてきた。そしてその度ごとに、どうすれば貰った人が喜ぶか、また周りの人が面白がるかをを考えていた。そして、プレゼントに関しては、O氏の為、そして私の威信をかけてそれなりのプレゼントを考えるべきだと考えていた。

 私はO氏に「ビールを自宅で醸造できるセット」をプレゼントすることにした。理由はここでは詳しくは述べないが、彼が酒好きなこと、その他の要因による。今更ながら、なぜこれが今までの民研のプレゼントで浮上しなかったのか不思議であった。ビールばっかり飲んでいる民研として、「ビールを自前で作れる」ということはかなりの魅力であると思われるはずである。

 しかし、思ったほどの反響はなかった。 アピール不足であった。若干悔しい結果である。ともあれ、O氏の活躍を願うのみである。


 現在NHKニュースで、三人の人質が開放されたことを報道している。ともあれ最悪の結果にならなくて良かったと思う。


4月11日   アマチュアバンドフェスティバルの説明会
 今日、笛部で出場することになった「アマチュアバンドフェスティバル」の説明会に行ってきた。「アマチュアバンドフェスティバル」というのは、5月1日(土)に中央林間の「東急ストア」というスーパーの店頭で行う音楽祭で、フリーマーケットと一緒に行うらしい。

 指定された時間に「東急ストア」のインフォメーションに行ったところ、従業員専用の暗い通路を通って広めの部屋に連れて行かれ、コーヒーが出された。私以外に6グループくらい来ている。その後、店長が現れ、名刺が手渡された。

 その後、店長の熱い想いがしばらく語られた。かなりの音楽好きらしく、中央林間を音楽で活性化させたいという想いが良く伝わってきた。

 音楽祭の内容を聞いているうちに、私が想像していたよりも話が大きいことを知り、ちょっとびっくりした。音楽祭には地元のテレビ局とラジオ局が収録しに来るとか、そのテレビ局が番組のテーマ曲を依頼する可能性があるとか、しまいには「プロへの第一歩」みたいな話になってきたので、話半分で聞くことにした。どうやらテレビ局とラジオ局が来るところまでは本当らしい。

 その後、店長権限により、持ち時間20分だったところが30分に増えた。そして、話がどんどん脱線し、ハードロックの話で盛り上がったが、「私がいると打ち合わせが進みませんね」と言って、去っていった。

 とりあえず打ち合わせは無事終了し、笛部はトップバッターの11時からとなった。ひまな方は是非来てください!!


4月8日   今年度初のつぶやき
 ご無沙汰しております。最近「つぶやき」を書こうにもどうも頭が働かない。暖かくなってきたせいで春ボケしているのであろうか。とりあえず 今日は特に文章の構成など考えずに思い付いたことをずらずらと書いてみることとする。

   最近私は、一生を賭けるに値する仕事とは何かを考える。そして、私にとって天職だと思えるような仕事をしてみたいと思う。別に仕事でなくてもいい。私の一度しかない人生をすべて賭けるに値することは何かということをよく考える。私には、小さい頃からの漠然とした思いがある。それは今の私にとっての人生の基本方針とも言うべきものである。それは「孫の世代のために仕事をする」ということである。私は、というか私たちの世代は、小さい頃から未来は暗いという教育を受けて育った。それは、あと何年で石油がなくなるとか、毎日何人の子供が餓死しているとか、いつ食糧危機が訪れるとか、いつ核戦争が起こるとか、そんな未来である。それは冗談でもなんでもなく、社会の授業やら、「学研の科学」やらで頻繁に取り上げられていた。ある意味残酷な予告であろう。私たちの世代の多くは、私たちの孫の世代には到底生きていいけるような環境じゃないという認識をもっていると思う。そんな未来に対して、何か働きかけをしたいと思う。それが別に焼け石に水でもいい。焼け石に水をかければ、どんなにわずかにせよ、必ず焼け石の温度は下がる。そんなスタンスでいたいと思う。

 最近の私は、意味もなく自己嫌悪に陥り、どうしようもない状態に陥ることがある。時には私自身を根本から否定してしまうこともある。そんなときは、私は音楽を思い浮かべる。私の人生の節目節目に流れていた音楽や、私が頭痛をこらえつつ作曲した音楽を思い浮かべる。すると不思議と少し自信が戻り、平常心を維持することが出来る。私の頭の中に音楽が鳴り続けている時ほど、危険な状態だと思わねばならないと、再認識している。

 ところで、私は最近両親のことを思うことが多い。前にも書いたが、両親とは私の精神的支えである。私の家族は現在ばらばらだが、ばらばらでいることにより、より一層そう思えるようになった気がする。そんな私の家族が、若干揺らごうとしている。まあ何があろうとも私の両親であることに変わりはないが、心の揺らぎがあることは否めない。ともあれ、両親の老後が幸せであることを心から願う。

 あかし屋は今年のGWまで営業して、閉店することとなった。もっと前から決まっていたのだが、ここに書くのは初めてであろう。残り僅かな「あかし屋」に、一人でも多くの方に来てくれることを願う。

 本当にとりとめもなく書いてしまった。まあたまにはいいであろう。多分この文章は相当読みづらいと思う。最後まで読んでくれた人に感謝する。   

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