2020年
10月のつぶやき




10月30日 無観客ライブ

 初めて、無観客ライブというものを観た。ジャカルタリコーダークラブの元メンバーから、栗コーダーカルテットのライブを配信しているという情報をいただき、1500円でチケットを買った。栗コーダーカルテットは、ピタゴラスイッチの音楽を手掛けていることで知られる。ライブは、日曜日まで配信され、いつでも観ることができる。

 金曜日の夜、仕事を終え、家族が寝静まってからノートパソコンにヘッドフォンを付けて視聴した。映像も音質も、youtube等よりも遥かに良質である。久々に聴く栗コーダーカルテットの音楽は、至福のひとときをくれた。彼らの音楽を初めて聴いたのは、彼らがインドネシアに来た2015年5月であった。彼らの音楽を久しぶりに聴いた時、そのころの思い出がフラッシュバックした。

 彼らの音楽は、超絶技巧と呼べるようなものからは程遠い。リコーダーは、私がもう少し練習したら出来そうにも思える。彼らがすごいのは、そのことが彼らの音楽性を低評価することには全くつながらないことである。技術的に模倣することと、彼らの音楽を作ることは全くの別物である。

 栗コーダーカルテットの音楽は、リコーダーの第一人者といわれる、吉沢実氏と共演しても全く違和感がなく、ハチャメチャな歌詞と歌声の知久寿焼さんとは独特のハーモニーを作り上げる。

 久々に聴いた音楽ライブは、私の心を解放してくれた。普段の私たちの生活は、「こうあるべき」に縛られている。仕事はもとより、趣味であるはずの音楽においてさえ、正しい息遣い、正しい音程、正しい響き等にとらわれる。「こうあるべき」をぶっとばしてくれる、楽しいひとときに出会うことができ、久々に気持ちがすっきりした。深夜にもかかわらず、ついビールをと煎餅を取り出し、静かに楽しんだ金曜の夜であった。

↓栗コーダーカルテット25周年記念コンサート(11/1まで)
https://salmonsky.zaiko.io/_item/331873


10月29日 夢をメモる

 最近、枕元に手帳とペンを置き、夢から覚めた時にメモをとるようにしている。若いころに一時期やっており、なかなか面白かったので、再開しているのである。何が面白いかというと、内容が支離滅裂で、メモを読み返しても、笑ってしまうくらい何も思い出せないことである。以下、一例を示す。(アルファベットは人名)

・Hから環境で表彰ないかと訊かれ、ネタを提供→その場でメダルが渡される。(その辺のゴルフ場のオッサンから)

・朋子(妹)に言われて電車をホイポイカプセルに閉じ込める

・料理対決をAとやることになった。入場し、礼をする前の黙とうで「止め」の合図が「ケッペンシッポウ」だったので大爆笑となる。その由来を聞く。

 書いている自分でも訳が分からないので、他の人はもっとわからないであろう。最も、夢を見た本人としては、訳は分からないが、書いてあることについてのイメージは、なんとなく覚えている。たしか、テレビで観たと思うのだが、人には夢を積極的に忘れる神経細胞の働きがあるという。目が覚めた瞬間は鮮烈に残っている夢も、朝食を食べ終えるころには忘れていることが多い。

 そんな夢をメモに記録しておく作業は、純粋に面白い。


10月18日 バーベキューをする

 今日は、優一のガールフレンドのミハルちゃん家族とバーベキューをした。優一は、前日から楽しみにしているらしく、おもちゃのワープロで「ゆういち みはる ばべきゅ どんぐり」と書いていた。私が冷やかすと照れるのが可愛い。

 ちなみに「どんぐり」というのは、下に書いた公園でたまたま会った時に、優一とミハルちゃんが拾ったどんぐりを、前日に私が調理してどんぐりクッキーを作っておいたのである。数が足りなかったので、優一と追加で拾いに行って作った。どんぐりは、殻を剥くとクリーム色のきれいな実が出てくるのだが、これを重曹で茹でると真っ黒な灰汁がどんどん出てくる。5回くらいあく抜きをしてから、小麦粉、砂糖、サラダ油と混ぜてクッキーを作った。

 当日、ミハルちゃん一家は、大量の食材を持って現れた。我が家は、基本的に小食なので、腹八分目くらいの量しか持ってこなかったので、重量にして10倍くらい差があったかもしれない。ミハルちゃん一家はみんな大食いらしく、これらの食材は気づけば食べつくしていた。ミハルちゃんも、妹のチハルちゃんも、気持ち良いくらいよく食べ、お腹がぽんぽんになっていた。

 食後は凧揚げをしたり、アスレチックであそんだりして楽しんだ。私たちも、心から楽しんだ。転勤も多く人見知りな私や妻にとって、家族ぐるみで付き合える家族というのは、なかなか見つからない。こうして、子供からつながりができて、一緒にわいわい楽しめることが本当にありがたい。こうした縁を大事にしたい。


10月4日 日曜日

 今日は、子供たちを連れて、ちょっと遠くの公園まで自転車で遊びに行った。

 これまで、優一の自転車のスキルを磨くべく、優一が自転車で走っている横をぴったりと並走しながら教え込んできた。そろそろ、自分で危険予知ができ、運転できるのではないかと思い、私も自転車に乗って、私、サチコ、優一がそれぞれ自転車に乗って出かけることにした。とはいっても、私は自転車に乗りながら優一を要マークし、何かあれば対応できる体制で臨んだ。

 優一は、基本的には何も言わなくても赤信号で止まり、交差点で止まり、安全確認をすることができる。それでも念のためいちいち指示を出しながら、危険なところは私が横にぴったりと張り付いて、優一を守りながら走った。

 公園ではテントを張り、サチコは途中で買った鬼滅の刃最新刊を読み、途中で買ったパンを買ってのんびりした。その後、遊んでいると、偶然にも優一の幼稚園の友達家族と会った。優一のガールフレンドであるミハルちゃんは、大の仲良しらしく、ふたりで手をつないでローラー滑り台やらアスレチックやらを巡り、どんぐり拾いに興じた。幼稚園児というものは、いかなる駆け引きもなく、ただ純粋に好きになれるものである。擦れたサチコは「あ〜、あのふたり結婚するかもね」とつぶやいていた。

 帰り道の優一は、圧巻であった。自転車をどんどん漕ぎ、サチコと同じくらいの速さで爆走し、3kmほどの道のりを30分程度で走破した。優一は、自転車に乗ることにおいて、また一段階成長したように思えた。


10月3日 写真を撮りに

 今日は、サチコの1/2成人式と、優一の七五三の写真を撮りに、近くのショッピングモールに行った。それぞれ洋装と和装を選んで、着替えた。衣装を選ぶ際、サチコはぐるっと少し見ただけで着たいものが見つかったらしく、的確にこれとこれ、と希望を述べていた。優一は、特に希望は無いらしく、サチコが選んだものを着ていた。

 サチコは緊張しているらしく、着替える前にトイレに行った。和装に着替え、写真を撮る寸前にまたトイレに行きたいと言い出したので、順番を飛ばしてトイレに向かった。それでも、トイレでは何も出なかったらしく、写真撮影中は顔がこわばっていた。

 洋装に着替えるまえ、普段着でトイレに行ったら、おしっこが出たらしく、洋装ではだいぶリラックスして撮影に臨むことができた。その間、優一は一切トイレに行きたいともいわず、余裕の表情で撮影をこなしていた。

 化粧をしてもらい、髪を整えたサチコのドレス姿は美しかった。大人になったら、こんな顔になるのかなと思わせる。いつか、こんな姿のサチコとヴァージンロードを歩くのかもしれないと思うと、しみじみとした。


10月1日 無題

 今日の歴史秘話ヒストリアは、「戦国マネー・ウォーズ」と題し、信長、秀吉、家康がそれぞれ天下統一にあたりどのような経済戦略を採ったのかが描かれていた。ここのところ、当番組では、戦国時代が、当時のグローバル社会と密接に結びついていたことが語られている。高校時代に勉強していたこととは、視野の広さが圧倒的に違って面白い。

 トランプ氏とバイデン氏の討論会が、史上最悪であったらしい。お互いに中傷を繰り返し、嘘の発言もあったという。民主主義国家において、一国のリーダー候補となるべきふたりが、このような幼稚な行動を起こすのは、いかなる要因によるものであろうか。

 いずれにせよ、私には上記のような世界を動かすリーダーの気持ちは分からない。このような話を聞くたびに思い出すのは、岩明均の漫画「寄生獣」において、主人公、新一が最強の敵「後藤」を撃破したのち、とどめを刺すときの場面である。

 「後藤」のとどめを刺すことについて、新一は迷う。地球環境を破壊する人間を減らすために生まれてきたと思われる「後藤」は、死の淵にあっても一生懸命生き延び、復活しようとしている。そんな生き物を殺したくないと思う心こそが、人間の宝ではないか。復活しようとしている後藤に背を向けた新一に、相棒の右手「ミギー」が話しかける。

ミギー:シンイチ・・・きみは地球を美しいと思うかい?
新一 :・・・わからないよ。テレビとかできれいな景色は見たことあるけど。
ミギー:私は恥ずかしげもなく「地球のために」と言う人間がきらいだ・・・なぜなら地球ははじめから泣きも笑いもしないからな。
    なにしろ地球で最初の生命体は、煮えた硫化水素の中で生まれたんだそうだ。

 この言葉を聞いて、新一は後藤にとどめを刺すことを決める。

「おれはちっぽけな・・・一匹の人間だ。せいぜい小さな家族を守る程度の」

 帝国のリーダーになり、世界を変えたいと思う気持ちが、理解できない。今の私のメンタリティは、「小さな家族を守る程度の、ちっぽけな人間」に近い。

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