2020年
11月のつぶやき
11月29日 ビッグバン宇宙論
サイモン・シンの「ビッグバン宇宙論」(文庫版は「宇宙創世」)を読みなおしている。サイモン・シンの本は、「フェルマーの最終定理」「暗号解読」など、いずれも難解な科学の世界を、わかりやすく、面白く解説しており、知的好奇心をくすぐられるものばかりである。以下、本書の冒頭を引用
この宇宙には一千億以上もの銀河があり、どの銀河にもざっと一千億の恒星が含まれている。その恒星のまわりを、いったいどれだけの惑星が回っているのはわからないが、少なくともひとつの惑星上に、進化した生命が存在しているのはたしかだ。その中でもひとつの生物種は、この広大な宇宙の起源について考えをめぐらすだけの頭脳と勇気を手に入れた。
人類は幾千代にもわたって空を見上げてきたが、われわれはその中で特別な世代に属するという栄誉に恵まれた。われわれの世代になって初めて、宇宙の創造と進化についてかなり満足のいく、合理的で首尾一貫した説明ができると言えるようになったからだ。
この冒頭を読んだだけで、わくわくする。宇宙の秘密を探ることに対して、「そんなことをして何のためになるのか」という疑問を持つ人がいる。私は、各国がニュートリノや重力波の検出のために、膨大な予算を割り当て、巨大な施設を建造することに、何の違和感も感じない。知的生命体としてこの世に生まれたからには、この世のことを知りたい。それは、次世代に命をつなぐことと同じくらい、私たちにとって根源的なことがらだと思うからである。
11月15日 スダジイ
今日は、子供たちと自転車でちょっと離れたところにある公園まで遊びに行った。優一はすっかり自転車も上手になり、だいぶ安心して連れて行けるようになった。この公園に行くときの定番コースは、途中にあるダイソーでお菓子とジュースを買い、公園近くにある伊三郎パンで100円のパンを買い、公園でテントを張ってこれらで昼食を食べてから遊ぶというコースである。
パンを食べて、しばらくテントでごろごろした後、どんぐりを拾いに行った。今日は、どんぐりを拾って家でどんぐりクッキーを作ると、サチコと約束していたのである。
どんぐりを探して、普段あまり行かないルートを探索していると、スダジイと思われるどんぐりを見つけた。どんぐりのほとんどは、アク抜きをしないと食べられないが、スダジイ、ツブラジイは、アクの元となるタンニンが含まれておらず、そのまま食べられるという。そんな「伝説のどんぐり」を見つけた私とサチコは歓喜し、あたりのどんぐりを拾いまくった。
家に帰って、早速どんぐり料理を作った。マテバシイは重曹で煮てから小麦粉、砂糖、サラダ油と混ぜて焼いてクッキーを焼いた。スダジイは、フライパンで炒った。
初めて食べるスダジイは、美味しかった。ほんのり甘くて、殻を剥きながら食べれば、いくらでもいける。テレビを観ながら食べれば、止まらないであろう。しかし、ひとつひとつが小さすぎる。このあたりが、スーパーに売られていない理由であろうか。
こんな風にして、秋を満喫している我が家である。
11月15日 「炎」(ほむら)
今大ブレイク中の映画「鬼滅の刃」のエンディングテーマをリコーダー編曲して、多重録音した。私にしては、珍しく流行りに乗った形となる。この曲を演奏してみたくなったのは、やはり作曲者が梶原由紀だからであろう。梶原由紀は、NHKの「歴史秘話ヒストリア」等を手掛けた作曲家で、その独特の曲調が好きである。鬼滅の刃のアニメがここまでブレイクした要因の一つに、彼女がBGMを手掛けたことではないかと、ひそかに思っている。
この「炎」を聴いた時、梶原由紀の曲だと、思った。その特徴のひとつは、転調にある。彼女の曲は、印象的な転調で曲を盛り上げる。ちょっと無理じゃないかと思う転調を、自然に行えるからすごい。
編曲するのは、結構時間がかかった。転調が多いため、曲も難解になり、私にしては編曲から録音まで時間がかかり、まる2週間かけてようやく仕上げた。絵は、サチコに描いてもらおうと思っていたが、どうも乗り気ではない(他のことで忙しそうだった)ため、自分で描いた。まあまあの仕上がりかと思う。
↓「炎」(ほむら)リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=QGTIobBoX24
11月9日 和太鼓について
太鼓の本番に出場したことは、下に書いた通りだが、久しぶりに妻と和太鼓の演奏を観て、色々語り合ったことがある。和太鼓の演奏方法というのは、私たちが民研でやっていた20年前と比べて、はるかに洗練されてきたということである。
私たちが学生の頃、太鼓の叩き方というのは、実にさまざまであった。地方に太鼓を習いに行けば、そこで受け継がれた独特の叩き方があり、その多様性に心を惹かれた。楽譜では表せないようなリズムがあり、打法があり、それが祭りの空気を形作っているように思えた。
昨日観た太鼓は、殆どが創作太鼓であった。そして、太鼓の叩き方はどれも同じようなのもので、リズムも似たようなものばかりであった。そのうち、違いが分からなくなってくる。地方に受け継がれた芸能よりも、自由意思で創られたはずの創作太鼓が、より画一的な印象を受けるのは、逆説的である。
地方に伝わる芸能は、共通言語を必要としない。同じ地域で生まれ育った人たちが、ニュアンスで受け継いでいく。それが芸能の個性となる。一方で、趣味で集まった多様な人たちが集まって、ある曲を演奏するには、楽譜が必要で、かつその曲は楽譜に記載可能なリズムで成り立っていなければならない。そして、バックグラウンドの異なる人たちが、ある程度まとまった演奏をするには、シンプルで画一的な打法が必要である。そんな風にして、創作太鼓というジャンルが生まれた。
そしてそれが洗練され、太鼓の打ち方は実に華やかになり、広まっていたようである。もちろん素晴らしいことだが、私はどちらかいえば、泥臭くて個性的な伝統芸能としての太鼓が好きである。
11月8日 太鼓ステージ
今日は、凄く久しぶりに、子供たちと習いに行っているつくし太鼓愛好会のステージがあった。「川筋大祭」という和太鼓の舞台に上がるのである。当初は中止の予定であったらしいが、コロナ対策を行ったうえでの開催が決まったらしい。私たち家族は、レンタカーを借りて、で飯塚に向かった。
舞台は、思った以上に立派なホールであった。私たちは一番最初に演奏するらしい。舞台で場所の確認をした後、外で流れの確認をした。人前で太鼓をたたくのは、本当に久しぶりである。
本番は、珍事の連続であった。優一は、ソロで叩くのだが、何が何だかわからずに叩き、演奏後は、観客に尻を向けて反対向きに礼をしていた。どっちが正面とか、礼の意味とか、何も分かっていないのである。
私を含むオッサン4人による「激流太鼓」は、ヒヤヒヤした。最後の見せ場でリズムがずれたのである。このまま空中分解かと思いきや、何とかギリギリのところで合わせることができた。下打ちを叩いている会長が怖い顔をしていた。
最後はサチコを含む子供たちによる創作太鼓だが、サチコたちが入場したら、なんと優一も袖からついてきた。お姉ちゃんたちに言われ、優一は退場した。このあたりが、妻の撮っていた動画にばっちり録画されており、後で観て爆笑した。
私たちが演奏した後も、太鼓や篠笛の演奏が延々と続き、私や妻はある程度楽しんで観ていたのだが、子供たちはさすがに飽きたらしい。最後は、サチコも優一もぐったりとし、家に帰った後はすぐに寝た。それでも、久しぶりの太鼓本番は楽しかった。
優一のソロ(演奏後に後ろ向きに礼をする)
https://youtu.be/DV1D2Dm0CDA
父の激流太鼓
https://youtu.be/qt1w_67t7s4
サチコの創作太鼓(演奏前に優一を追い出すお姉ちゃんたち)
https://youtu.be/mCRaJZyMl6o
11月6日 内科に行く
昨日、久しぶりに体調不良で会社を休んだ。一昨日の夕方ごろから、体調が悪くなり、速めに退社した後、大量にご飯を食べ、十分に水分を摂り、暖かくして寝て、汗を描いたら着替えては寝てを繰り返した。通常は、これをすれば一晩で治るのだが、今回は、次の日も微熱が残った。
通常であれば出勤するところだが、コロナ禍の中、大事をとって休み、内科に行った。どう考えてもただの風邪で、栄養を摂って寝ていれば治るような症状だが、「コロナではない」という大義名分をもらうために内科に行った。
内科では、事前に熱を測った。36.9℃であった。しばらくして呼ばれ、診察室に入ったら、老医師がぐったりと目を閉じて、背もたれにもたれかかっている。私よりもこの老医師は大丈夫であろうかと、心配になった。私が前の椅子に座ると、老医師は起き上がって診察を始めた。
いくつかの質問に答えた後、私は突然脇に痛みを感じた。老医師が、体温計をいきなり私の脇に刺し込んだのである。体温を測りたかったらしいのだが、体温計は脇の下には入らず、私に刺さった。私は体温計を奪い取って、自分で脇の下に入れた。体温は36.9℃であった。診察前に測定した結果はすでに報告されているのに、なぜもう一度測るのであろうか。
体温を測定している最中、老医師はおでこに当てる非接触タイプの体温計を持ち出して、私のおでこの体温を測定した。36.9℃であった。あらゆる手法で私の体温を測定しながら、老医師は「今は色々なグッズがあるのですよ」と言った。その後、カバーを外し忘れていたらしく、カバーを取り外して再測定。37.1℃であった。老医師は、満足したようすで結果をカルテに書き込んだ。おでこと脇の下の0.2℃の差に、何か意味を見出したのであろうか。
老医師が「味覚に異常はないですよね?」と訊いたとき、なぜか目の奥がキラリと光ったように思えた。
結局、ひととおりの薬をもらって、帰宅した。次の日には、風邪はすっかり治っていた。
11月1日 アンブシェア
ここのところ、フルートの実力が伸び悩んでいる。レッスンでは、力が入りすぎているために、響きが良くないと、毎度同じことを言われ、どのように解決すればよいかわからない。
フルートは、直接歌口に空気を送り込んで音を鳴らす、エアリードの楽器である。私が初めて出会った、エアリード楽器は、篠笛であった。学生時代は、自分が一番上手いと思っていた。その後、ケーナ、尺八などを人からもらい、吹いていたが、いずれも我流であった。息の出し方や笛の角度をあれこれやって、うまくいったところで吹いてきた。フルートも、そのようにやってきたが、今ごろになって壁にぶつかった。
改めて、初心者向けの教則本を取り出して、音の出し方を確認した。続いて、スマホで、篠笛、ケーナ、尺八の音の出し方を調べた。驚いたことに、いずれも同じことが書いてあった。力を入れずに楽に吹くためには、アンブシェア(楽器を吹く時の口の形)を確立しなければならないということである。そして、アンブシェアを獲得するには、トレーニングがいる。
フルートの教則本に書かれていることは、エアリード楽器全般に適用できる、汎用性のある内容であったらしい。このことを知ってから、時間があるときにはアンブシェアを作って息を吹く練習をしている。楽器がなくてもできるので、通勤中や、子供と遊びながらでも練習できる。そして、楽器を持って練習するときは、同時にケーナや篠笛も吹いてみることにした。フルートは、エアリード楽器の中でも比較的吹きやすい。アンブシェアが良いかどうかは、フルート以外の楽器が吹けるかどうかでわかる。
そんな風に色々やっているうちに、出口が見えてきた。楽器の演奏はやはり面白い。
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