2021年
4月のつぶやき
4月26日 キャンプ道具
日曜日は、キャンプ道具をそろえに、近くのショッピングモールに行った。コロナ禍のなか、家族だけでひと気のない屋外で遊ぶというのが、悪くない選択肢に思える。私が小学生のころ、両親がキャンプに連れて行ってくれた。キャンプでのバーベキュー、テントでの宿泊、海で心行くまで遊んだこと、全てが素晴らしい思い出となっている。子供たちにも同じような楽しさを味わせてあげたい。今を逃したら、特にサチコはなかなかこういったことに付き合ってくれなくなるような気もしている。
店で、テント、タープ、椅子、シュラフなどを購入した。今からキャンプに行くのが楽しみである。
4月25日 食パン
優一の誕生祭には、優一の希望によりカレーと食パン、という夕食となったが、せっかくだからということで、妻が高級食パンを買ってきた。「四二八」(よつや)という、最近家の近くにオープンした食パン屋で、高級すぎて手が出せないと言っていたのだが、優一の誕生日をダシにして買ってみたらしい。
バターの味が良く効いて美味しいなと思った。
次の日、会社で地域貢献のイベントがあり参加したところ、参加賞として、「乃が美」(のがみ)の食パンが支給された。このあたりは高級食パン激戦区らしい。みんな食パンの味には詳しく、どこが美味しいとかいう話題で盛り上がることもある。私は、「高級食パン」というジャンルがあることさえわからなかった。
今回もらった「生食パン」は焼かずに食べると美味しいらしい。ということで、早速家で家族とともに食べてみた。確かに美味しいのだが、食パンを生で食べること自体があまりないため、スーパーで買う食パンと比べようがない。
「普通に美味しいね」と言いながら、家族で高級生食パンを平らげた。
4月24日 優一6歳
子供は、非連続的に成長する瞬間があると思う。例えば、進級した時や、誕生日を迎えたときである。優一は、先日、年長となりそして昨日、6歳の誕生日を迎えた。
優一に「何歳?」と訊くと「ろくさい!」と自信を持って答える。これまで食べなかったものも、「みどりぐみだから(年長クラスのことらしい)」と言って食べ、これまでろくに練習しなかった箸も、積極的に使いたがるようになった。とはいってもどちらかと言えばヘナチョコな優一だが、確実に成長している。
誕生日の日、幼稚園で撮った写真が飾られている。可愛らしい女の子とツーショットである。私が写真を持って「これ誰?」と訊いたら、
「触るんじゃねぇよ!」
と言われた。成長が嬉しい。
4月22日 無題
ここ1年、新型コロナの影響により、私たちの生活は大きく変わった。人と接する機会は少なくなり、大勢でわいわいがやがやするようなことは、まずなくなった。仕事や趣味仲間との飲み会などもなくなり、食事はほとんど自宅である。
そして私は、そんな状況がなかなか心地よいと感じている。20代のころは、明け方まで友人と飲み明かすのが楽しかったが、今ではそんなことはできない。インドネシアでメニエール病になって以来、大勢でわいわいやるのはどちらかと言えば苦手となり、気心の知れた、少人数の仲間のほうが落ち着いて楽しめるようになった。
そして、「気心の知れた少人数の仲間」の最たるものが、家族である。日々、家族と食卓を囲めることが幸せで、出かけるにも家族と気兼ねなく行けるほうが気楽で良い。そんなこんなで、今の状況は、私にとってはそれほど悪くないのである。
4月17日 Fee Ra Huri2
下に書いた通り、OMNIAの「Fee Ra Huri」にハマってしまい、休日ごとにリコーダーを吹き、夜な夜なコードを調べたり、どんな編曲にしようか考えたりして過ごしていた。頭の中をこの音楽が鳴り続けている。
とりあえず、編曲し、多重録音を終えたので、この呪いから解放されるのではないかと思っている。
↓OMNIA 「Fee Ra Huri」リコーダー+MIDIアレンジ
https://www.youtube.com/watch?v=neCzQ8JbNGg
4月14日 将棋の渡辺くん
毎週土曜日、父とオンライン将棋で対決していることは以前にも書いたが、父は日々将棋に関する本を読んで研究している。そんな父が、ときおり「将棋の渡辺くん」を送ってくれる。「将棋の渡辺くん」は、渡辺明名人の妻が描いたマンガで、どちらかといえばコワオモテの渡辺明名人が、実はぬいぐるみ大好きなど、意外な一面を描いており、ほのぼのするマンガである。
そんなほのぼの系のマンガだが、こないだ送ってもらった3巻の冒頭2ページには、実に大事なことが描かれている。
妻:「才能と努力ってどう思う?」
明:「俺は才能7割努力3割だと思っている」
妻:「ほほぅ…努力は必要ないと?」
明:「努力は大事だよ。才能や天才って言葉が昔は嫌いだった。努力の部分が隠れちゃうから。だけど今は才能ってものは実際あるなって」
「俺は将棋の才能があると自分で思っている。なおかつ、子供の頃から勉強する習慣がしっかり付いてると思ってる。
(中略)もしも将棋のプロになりたかったら
1人で勉強ができる
精度の高い研究ができる
継続的な努力ができる
ラクなほうに逃げないことが大切
その『努力ができる性格』も与えられたものに近い。自分だけで作り上げたものじゃなくて、親から受け継がれたものだから」
妻:「遺伝か環境か?ってよく言うよね
明:「親の遺伝子を引き継いだ上で、その親が育てるんだからそこは一緒のようなもの」
私が現在、とりあえず不自由なく家族を養えている要因のひとつとして、私が「努力ができる性格」であったことだ思っている。それは、両親から受け継いだ遺伝によるものなのか、後天的に獲得したものなのかは分からないが、運がよかったことは確かであろう。「努力しない奴が悪い」という発想が、私にはしっくりこない。「努力ができるかどうか」ということ自体、生まれ育った環境や、その人の遺伝子で決まるとしたら、その人自体が悪いと、本当にいえるのか。
それらも含めて「才能7割努力3割」ということらしい。
4月13日 自転車で出かける
先週の日曜日は、太鼓の練習が休みだったので、子供たちと自転車で出かけた。目指すは約3.3km先にある、競輪場に併設されたサイクルパークである。ここでは、色々な面白自転車に乗ったり、公園で遊んだりできる。
目的地までの道のりは、川沿いの土手を走る、気持ちの良いコースである。春の陽気の中、蝶が舞い、気持ちの良いサイクリングであった。サチコは、カワセミを探しながら自転車を漕いでいたが、残念ながら会うことはできなかった。代わりに、シラサギに会うことができ、写真を撮っていた。
サイクルパークに入る前にとんこつラーメンを食べ、サイクルパークでは4人乗り自転車で遊び、その後はテントを張ってのんびりしたり、バーンゴルフで遊んだりした。最近サチコは、母と散歩に行くことが多くなり、こうやって父子で出かけるのは久しぶりであった。幸せなひとときである。いつまでこうやって遊びに行けるのであろうか。
↓川沿いの道を自転車で走る子供たち
https://youtu.be/NZmnmciuXmg
↓バーンゴルフに興じる子供たち
https://youtu.be/NZmnmciuXmg
4月8日 無題
最近読んだ本や観たテレビ番組の情報から推察する現実的な未来予測として、10年後くらいには肉が極めて高価になりそうだと思う。そして、肉を食べるという行為に対し、人類は今以上の背徳感を伴うようになるのではないかと思う。
例えば、牛肉を1s作るのに、11sの穀物が必要と言われる。それは、穀物を使って牛を育てるのではなく、穀物をそのまま人類が口にすることで、扶養人口を増やせ、食糧問題の解決につながるということである。このことは今後さらにクローズアップされるであろう。
さらには、家畜も感覚ある生き物であり、彼らに誕生から屠殺までの間にこの上ない苦痛を強いるのは、倫理上好ましくないという考え方は、食糧問題とともにますます取り上げられるであろう。これまでヴェールに包まれていた畜舎や屠殺場のようすの映像も増えてくると思われる。
食料の分配と、動物愛護、ふたつの倫理的な問題は今以上に誰もが考える社会問題となり、はじめは現在のうなぎや鯨を食べるような感覚から、それ以上にセンシティブな問題になると思う。そして、大豆から作った代替肉から、細胞培養から作られた培養肉がますます主流になっていくであろう。
今では不自然に思える上記の未来予測も、10年後の私たちは意外なほど自然に受け入れている、そんな気がしてならない。「約束のネバーランド」のソンジュのように、苦痛に満ちた方法で栽培された家畜ではなく、狩猟で捕らえた動物を食べるほうが、倫理的に適っているといわれる時代が来るかもしれない。そのとき、代替肉でも培養肉でもない本当の肉の価格は、とてつもなく高騰しているであろう。
まあ、私も家族もそれほど肉に執着しないので、特に問題ないと思う。
4月6日 Fee Ra Huri
新年度が始まって早々、ある音楽に魅了されてしまった。OMINIAのFee Ra HuriをたまたまYoutubeで見つけて以来、病みつきになってしまい、毎日聴いている。上半身裸のコワオモテのオッサンが、真剣にリコーダーを吹いている姿が、どうも気になってしまうのである。中間部で、少し気だるい感じで歌うのも味があって良い。フィンランドの民族音楽を歌う「ヴァルティナ」の音楽に似ていると思ったが、OMNIAはオランダのグループらしい。キリスト教に席巻される以前、ヨーロッパの人々はこのような音楽を奏でていたのかもしれない。
この動画を観ていると、彼の姿は私がこうあったかもしれない姿のひとつだと思う。今私は、会社員として割と堅実な生活を送っているが、もしくしたら上半身裸でリコーダーを吹き鳴らしている人生を送っていたかもしれないし、ふんどし一丁で和太鼓を打ち鳴らしていたかも知らないという、割と現実的な人生の分岐点は実際にあった。それはそれで悪くない人生だろう。
リコーダーのメロディはそれほど難しくないので、似たような感じで吹けるようになった。色々編曲して、多重録音して、満足できるまでこれを吹き続け、Youtubeにアップすれば、そのうち音楽に取りつかれた病も収まるであろう。
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