2021年
9月のつぶやき




9月28日 本へのとびら

 「本へのとびら」(宮崎駿著・岩波新書)を、図書館で借りて読んだ。宮崎駿氏が、お薦めの児童文学50冊を紹介しつつ、自身の読書体験や、3.11以後のありようを語る内容である。私は、高校生で「出発点」を読んで以来、宮崎駿氏の語る言葉がどうしても気になってしまう。以下、本書より引用


 画一的になっていくのが人類の運命でしょうか。滅びるようになっているんだと思うしかありません。僕自身はそれにつきあう必要はないと思っていますが、僕もその傾向に加担しているひとりですから、ややこしい(笑)。(中略)
 サブカルチャーというのはさらにサブカルチャーを生むんです。そして二次的なものを生むときに、二分の一になり、さらに四分の一、八分の一になり、と、どんどん薄まっていく。それが今です。そう思います。
 この世界をどういうふうに受けとめるんだ、取り込むんだというときに、自分の目で実物を見ずに、かんたんに「もう写真でいいんじゃない」となっています。写真自体も、いくらでも色やコントラストが変えられるから、好き勝手にしているでしょう。ですから、ほんとうに自分の目がどういうふうに感じているのかということに立ちどまらなくなっています。
 ハイビジョンなんて、人間の目では見えないものまで見せるようになっています。そうして嘘に嘘をかためているから、世界そのものが人間に持っているインパクトをどんどん薄めて十六分の一になり、八かける八の六十四分の一になり、ひどいことになっていると思います。

 ちょうどこの本を借りた日、劇場版「鬼滅の刃」を地上波初登場で放送していた。美しい映像と、激しいアクションは、一昔前のアニメ映画ではありえなかったクオリティである。そして今、そのクオリティが当たり前となり、私たちはテレビアニメでさえ、そのようなクオリティを求めるようになった。

 一方で、「鬼滅の刃」に描かれ、私たちが心を動かされた内容は、あまりに現実に起こりうることと乖離しすぎている。「現実に起こりうること」から一歩飛躍して描かれたのが宮崎アニメだとすれば、最近の作品は、「既出のアニメ」から飛躍することを繰り返してつくられたもののように思う。私たちは、アニメーションの刺激を、より強いものを求め、製作者がそれにこたえようとし、現実から乖離したものでしか心を動かされなくなったのかもしれない。「サブカルチャーがサブカルチャーを生むとき、それは薄まっていく」というのは、なんとなくわかる。

 上記のことは、老人の戯言というふうにとらえることもできる。現にそうであるかもしれない。それでも私たちは、上記の言葉を老人の戯言と、一蹴してしまう時代になっていること自体に、一種の危機感をいだかなければならないと思う。


9月25日 ワクチン2回目

 今日は、ワクチン接種二回目であった。妻は、昨日が2回目であった。当初、ふたりとも同じ日に予約してしまったのだが、さすがに夫婦でダウンするのはまずいということで、妻が一日早めた。

 妻は、打った日は特に症状は出なかったが、今日になって熱が38℃くらいになった。頭痛もするらしいが、寝込んでしまうほどではなく、スーパーの総菜等で昼食、夕食を用意し、食べた。妻はむしろ、副反応が出たことを喜んでおり、10分おきくらいに熱を測っては、何度になったとか、左右の脇の下でどう違うとか、解熱剤を飲んでみようかとか、うきうきしている。通常体調を崩すことがほとんどない妻にとって、珍しいイベントなのであろう。

 サチコも頼もしく、洗濯物を畳んだり、風呂を洗ったり、食器を洗ったり、積極的に手伝いをしていた。我が家では、お手伝いで数十円の報酬を渡すことにしており、今日一日で200円くらい稼いだらしい。

 私は、今のところ腕が少し痛い程度で、一回目よりも楽である。父とオンライン将棋をした後、雑談をしたが、どうやら高齢者にとっては、副反応が出ることが、若さをアピールできるステータスになっているらしい。

 24時間後くらいにくるらしいから、明日あたりに熱が上がるかもしれない。明日、熱が上がって寝込んだりしたら、妻からはもやしっ子扱いされるだろうが、逆に何の症状もなければ、むしろ老化が進んでいることの証明になるのかもしれない。


9月24日 甲種危険物取扱者試験

 業務上の必要から、表題の資格試験を受けるべく、試験勉強をしている。試験勉強は、参考書選びから始まる。大型の書店へ行き、自分に合った参考書を1冊選んで、その1冊を徹底的に勉強するのである。私の場合、ページ数が多くても、わかりやすく書かれているものを選ぶ。

 そして、通勤の電車の15分くらいと、寝る前の布団の中で、小説やマンガを読んでいた代わりに、この参考書を読むのである。「勉強する」というよりは、読書をしている感覚に近い。なかなか面白いことも書かれている。例えば、事故が発生した際に従業員等に知らせるための「警報設備」の設置が義務付けられているが、「警報設備」とは、以下の5種である。

自動火災報知設備、消防機関に報知できる電話、非常ベル装置、拡声装置、警鐘

 「消防機関に報知できる電話」であれば、誰かのスマホでも良いだろう。更に「警鐘」とは、レトロである。今では、比喩的表現としてしか用いられない。また、タンクローリー等に掲示されている黒地に黄色の「危」の標識のサイズであるが、タンクローリーの場合は30〜40pの正方形と定められているのに対し、梱包された危険物を運ぶトラックはぴったり30pでなければならない。なぜ同じ基準ではないのか、気になる。

 私が身につけていて良かったと思うのが、勉強する習慣があることである。私は、勉強するのが好きだし、そういった性格に育ててくれた両親に感謝している。勉強ができるかどうかよりも、勉強する習慣があるかどうかのほうが、よほど重要である。子供たちにもそうあってほしいと思う。


9月19日 公園へ

 今日は、子どもたちを連れて、ちょっと遠くの公園まで遊びに行った。電車で15分くらいのところにある、大きめの公園である。

 父がくれたダイソーのメスティンを使ってみたかった。ダイソーのメスティンは、同じくダイソーの固形燃料と、小型組み立てストーブを使えば、半自動でご飯が炊けるということである。キャンプで使うよりも、ピクニック等で使うほうが向いていると思った。

 前日、試しに家でメスティンに米と水を入れ、小型ストーブにセットして固形燃料に火を付けてみた。火が消えるまで放置して、その後ひっくり返して蒸らせばよいとのことである。結果、ちょうど良い感じに米が炊け、昼のラーメンのお供になった。

 次の日、私、サチコ、優一の弁当箱におかずを詰め、メスティンに米を入れ、小型のチキンラーメンも入れて出発した。 チキンラー飯を作りたいと思ったのである。

 公園は、緊急事態宣言の影響で大型遊具は使えず、噴水で水遊びができる施設も閉鎖されていたが、トンボが大量に飛んでおり、子供たちはトンボを追い回して楽しんでいた。台風一過で天気も良く、ツクツクボウシとコオロギが鳴き、最後の夏といった風情であった。

 昼、チキンラー飯を作って食べた。その場で簡単に暖かいご飯が作れるのは、良いと思った。チキンラー飯は、味が濃すぎることなく、子どもたちにも好評であった。夕方ごろまで遊んだり、テントでごろごろしたりして過ごし、帰宅した。

 なかなかよい休日であった。


左:優一、初めてトンボを捕まえる       右:トノサマバッタ


左:チキンラー飯を待つ人たち       右:公園にて自撮り




9月18日 愛と浄罪の森2

 下に書いた、「愛と浄罪の森」をリコーダーとMIDIによるドラム、ピアノ伴奏で演奏した。楽譜は先週のうちに作っておいたので、通勤の電車の中で指の練習をして今日レコーディングをした。

 かなり難しく、途中速い5拍子などもありなかなかリズムが取れない。通して演奏することは諦め、部分的にできたところを継ぎ接ぎしながら録音を終えた。夕方、イラストを描いてサチコに題字を書いてもらい、動画に編集して完成である。

 編曲して演奏している中で、曲を深く掘り下げることになるが、そのうちに私もこの曲が好きになってしまった。ちょっと青臭い歌詞が古風で良いと思った。そして今日も、子供たちは動画を見ながらざぶとんをボコボコ叩いてリズムの練習をしていた。

↓愛と浄罪の森リコーダー4重奏+MIDI伴奏
https://www.youtube.com/watch?v=HWSzq4etYB0




9月12日 愛と浄罪の森

 最近、子供たちは私の知らないところで好きなものを見つけ、ハマっている。

 「愛と浄罪の森」は、現代的な合唱曲を思わせる曲だが、なんと「太鼓の達人」のオリジナル曲だという。「太鼓の達人」は、ゲームセンター等に設置されており、流れる曲のリズムに合わせて、画面上に太鼓マークが流れてきて、それに合わせて太鼓の面や枠を打つゲームである。私が20歳くらいの頃からあり、ヒット曲などに合わせて太鼓をたたいて遊んでいた。DJやドラム等ではなく、和太鼓であることが面白く、ロングセラーの要因だと思う。

 そんな「太鼓の達人」も知らないうちに進化し、太鼓の達人専用のオリジナル曲までが作られる時代になったらしい。「愛と浄罪の森」は、和太鼓との組み合わせは到底思いつかない曲調で、速い3拍子、そして、3拍子と4拍子の混ざった変拍子、最後は6/8拍子と、変化の激しい曲である。

 子供たちは、アイパッドで曲を流しては、座布団を叩いてリズムを取って遊んでいる。リズムは、「かんたん」「ふつう」「むずかしい」「おに」の4種類があり、サチコは「むずかしい」が叩けた、と言って喜んでいる。週末、家でごろごろしていると、座布団をボコボコ叩く音が聞こえてくるのが面白い。ちなみに「おに」のリズムは滅茶苦茶難しく、たとえ叩けたとしても、複雑すぎて音楽的に心地よいとは思えないものである。50年後くらいに、進化した人類が心地よいと思うのかもしれない。

 とにかく、この曲を久しぶりにリコーダー編曲してみることにした。資料が少なく、コードも何も分からないが、とりあえず楽譜を作った。子供たちが飽きる前に演奏できるようになりたい。

↓愛と浄罪の森
https://www.youtube.com/watch?v=xovRPNvAvbo


9月6日 北海道フェア

 今日、仕事を終えて最寄り駅に着くと、「北海道フェア」をやっていた。私は、吸い込まれるように、北海道フェアの空間に入っていった。

 「北海道フェア」はなんと魅力的な響きであろうか。その名を聞くだけで、自然と体が引き寄せられ、そこにあるあらゆるものが魅力的に映り、気付けば品を手に取ってレジに並んでいるという、魔術にかかったような体験をすることになる。私は、鮭とばとこまいの干物を買った。

 家に帰り、妻に「北海道フェア」の話をすると、明日自転車で行く、と言い、忘れないようにと携帯のアラームをセットしていた。そして、なんちゃらのバターサンドとか、ナントカのチョコとかいう呪文を唱えて、うっとりしている。

 北海道フェアは、10日くらい続くらしい。それまで、我が家はどれほどの散財をするのであろうか。


9月4日 ワクチン

 今日は、新型コロナのワクチン接種1回目であった。会社で受けた人の話を聞いていると、だいたいは1回目は腕の痛み、2回目は発熱といったパターンが多い。腕の痛みについては、人によっては寝返りさえ打てないほど激痛になるという話も聞く。

 妻は1週間ほど前に1回目を接種しており、腕の痛みさえもほとんどなく、拍子抜けするほど何ともなかったらしい。妻は、体が丈夫で、風邪をひくことすらほとんどなく、もともと強靭な免疫を持っているのではないかと思われる。あまりに何ともないので、「水を打たれたのではないか」と疑っていた。

 私も、大した副反応はなかったが、腕の痛みと若干の倦怠感はあった。この日は私が手作り餃子を作ると宣言していたので、餃子を仕込み、皆で包んで食べたが、そういったことに支障がでるほどではなかった。腕が痛いと、妻に言うと、妻は「副反応だ!」と喜び、大げさにいたわるふりをしてくれた。私も体は丈夫なほうだと思っているが、妻の強靭さの前ではもやしっ子あつかいである。

 次の日、腕の痛みは治まったというと、妻は「(副反応は)もう終わったのか、つまらない」と言っていた。



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