2022年
1月のつぶやき
1月30日 NHK大河ドラマ
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が面白い。大河ドラマは、ここ何年か観ていなかった。はじめの数回を観るのだが、飽きてしまうのである。真面目過ぎる、というのが大体の理由であった。真面目過ぎて、リアリティが無いように感じていた。
「鎌倉殿の13人」は、初回のふざけっぷりに笑った。さすが三谷幸喜だと思った。美しい映像と、NHK交響楽団の壮大な音楽のもとで行われるドタバタ劇の、落差が面白い。一方で、シリアスなシーンもあり、そのバランスが絶妙だと思う。脚本は緻密で、もしかしたら当時の雰囲気はこんな感じであったかもしれない、と思わせる力がある。
話は変わるが、今日はリコーダーの多重録音を行った。2017年放送の「おんな城主直虎」にて歌われる挿入歌である。残念ながら、私はこれも途中まで観てやめてしまったのだが、この歌をたまたま知って、気に入ってしまった。
切なげでありながら、古いわらべ歌のようでもある。それでいて、ちょっとおしゃれな和音が使われていて、現代的な響きがある。リコーダーで吹いたら面白い音になると思った。原曲は長すぎるので、ちょっと短くしたり、更に原曲にはない和音を使ったりして、最近の私にしては「冒険」をした。
↓竜宮小僧のうたリコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=_S8MxRXLcm4
1月27日 アドリブ
図書館で借りて、「アドリブ」(佐藤まどか著・あすなろ書房)を読んだ。主にサチコのために購読を始めた朝日小学生新聞で、推薦図書として載っていたのである。小学生新聞は、サチコはあまり興味を示していないようだが、むしろ親のほうが面白がって読んでいる。
「アドリブ」は、母とイタリアで暮らす少年が、フルートの魅力に目覚め、音楽学校に入りプロを目指す物語である。文体からして、小学校高学年から中学生くらいを対象とした、児童文学に思える。表紙の、夕日をバックにしてフルートを吹く少年の姿が美しい。
宮崎駿は、アニメーションを作る原点として、「失われた世界への郷愁」という表現をしている。私たちは、生まれ落ちた瞬間に、あらゆる世界に生まれ、あらゆることができる可能性のうち、ひとつを選択する。成長するにつれ、更に可能性を失うことで、人格を形成していく。「アドリブ」の主人公「ユージ」の姿は、私がこうであったかもしれない姿のひとつである。
あとがきによれば、著者はイタリア在住で、大聖堂でコンサートを聴き、娘が突然フルートをやりたいと言い出したらしい。そして、10歳にして音楽院に入ったという。突飛な設定ながら、リアリティのある話だと思ったら、本編と同じような事実があったらしい。
読後感もさわやかな、良い小説であった。オッサンになっても、児童文学は楽しめるようだ。フルートをもっと吹きたくなった。以下、備忘録として、小説に登場した曲を記しておく。
・「ダフネスとクロエ」第二組曲第三部「夜明け」「無言劇」「全員の踊り」(ラヴェル)・・・ユージがフルートをやりたいと思うきっかけになった曲
・「グラン・ソロ第五番、作品79」(チェルー)・・・マエストロ・ビーニのマスタークラス最後の舞台でユージが演奏した曲
・「シランクス」・・・「レストラン和田」で行われた、母の誕生日パーティーで披露した曲
・「パンの笛」(ムーケ)・・・イタリア・ヤングオーケストラのオーディション第二次審査でユージが吹いた曲
・「バラード」(ライネッケ)・・・同オーディション最終審査でユージが吹いた曲
1月25日 詰め物を付ける
今日は、歯医者に行って新しく作った詰め物を付けてもらった。高さの微調整を終え、接着剤で詰め物を接着した後、「一番強い接着剤でつけておきましたからね」と言われた。4回も詰め物が取れたので、敢えて一番強い接着剤を使ってくれたのか。私は素直に嬉しかった。
しかし診療を終え、職場に戻る途中、私の中に疑問が湧いてきた。詰め物を付ける接着剤は、何種類もあるのだろうか。だとしたら、敢えて「弱い接着剤」を使用する場合も有り得るのだろうか。私は、例え費用が高くても良い接着剤を使ってほしいと要望したわけではない。材料費については、銀が最も高価で、接着剤のコストがそう変わるとも思えない。私以外の客には「弱い接着剤」を使用したのであろうか。
とりあえず、歯科医のリップサービスだと受け取ることにした。あるいは、八百屋でおまけしてくれた感覚かもしれない。とにかく、無事に詰め物が付けて、しかも強力接着剤で、気分が良い。
1月19日 誕生日
今日は、私の42歳の誕生日である。昨日、餃子を作って食べていると、歯の詰め物が取れた。私は、歯の状態は良く、2年ほど前に虫歯を治療した際につけた詰め物がひとつあるだけなのだが、この詰め物が実によく取れる。今回で4回目であり、しかも餃子という、特に粘着性や硬度に問題があるとは思えない食べ物であり、そろそろ限界かと思った。
今日、職場から徒歩5分くらいのところにある歯科に行った。もう一度、詰め物を新規作製しつけなおしてもらうことにした。丈夫になるのであれば、値が張ってもいいからセラミック等にしようと思っていたが、意外にも接着性を考えれば銀のほうが良いらしい。
銀歯ができるのは来週らしい。そんなこんなで、私の誕生日は過ぎていった。
1月15日 外食
先週の土曜日は、私の誕生日祝いということで、外食した。コロナが増えている状況ではあるが、家族だけで、個室ということで、まあ大丈夫だろうという判断であった。
焼肉屋だが、ご飯が美味しいという評判であった。子供たちには美味しいご飯を食べていただき、両親は肉をいただこうという魂胆であったが、ご飯は本当に美味しかった。小食のサチコが大きな握り飯を平らげ、優一にいたっては卵かけご飯を食べた後におにぎりを食べた。食の細いウチの子供たちにとっては異例である。
そのほか、肉やらホルモンやらイカの一夜干しやらを注文したが、ご飯が美味しいために追加注文をすることなく店を後にした。
1月13日 せいのび
図書館で借りて、「時間は存在しない」(カルロ・ロヴェッリ著・富永星訳)を読んだ。イタリアの理論物理学者が書いたこの本によれば、机の上と下で時間の流れ方は異なり、走っている人と止まっている人でも同様である。と、ここまでは、アインシュタインの相対性理論により予測され、精密な時計により実証されてもいる、まぎれもない事実であり、特に真新しさは無い。本書によれば、時間の流れというもの自体が、私たちの意識が作り出した錯覚のようなものであり、宇宙全体のふるまいを扱う量子論を作ったところ、その方程式には時間変数tが含まれないという。
時間の無い私たちの住む宇宙には、実体としての物質も含まれておらず、ここにあるのは「出来事」と「関係」であるという。さらには、なぜ私たちは時間が過去から未来に流れるように感じているのかを明らかにしていく。
このように書けば、かなり胡散臭い内容に思われるが、私には、この本が真の世界の姿を描き出しているように思えた。そして何よりも、本書の文章が美しい。古典の一説を引用しながら、世界のありようを解き明かしていく独特の文体は、難解だが引き込まれる。私にとっては、ちょうど「せいのび」をして届くか届かないかくらいの本である。半分も理解できないが、読んでいて楽しい。今回は図書館で借りたが、久々にちゃんと本屋で購入して、本棚に入れ、いつでも読めるようにしたい本だと思った。
話は変わるが、今日から、「朝日小学生新聞」が我が家に届けられることになった。読んでみたが、なかなか面白い。8ページのみで、字も大きく、絵も多くて子供に読みやすいように、徹底的に配慮されている。新聞を読むことは、子どもにとっての「せいのび」である。読んでもよく分からない。それでも読む。子どもたちにもそんな経験をしてほしいと思い、購読を始めた。
1月10日 お守りを無くす
私は、携帯電話にお守りを付けている。毎年、初詣で古いお守りを納め、新しいお守りを買う習慣は、20年位続けている。
三連休初日の土曜日、朝起きると、スマホについているはずのお守りが紛失していた。いつの間になくなったのか分からないが、金曜日の仕事帰り、ポケットに入れていたスマホからお守りだけが出ていて、紐がほどけて脱落した可能性がある。新年早々お守りを無くすのは縁起が悪いと思い、自転車で駅まで往復して、道端に落ちていないかを確認したが、見当たらなかった。続いて、自転車置き場の人と、駅員にも訊いてみたが、お守りの拾得物は無いという。
とりあえずは、お守りが私をなんらかの災厄から守ってくれたと、都合よく解釈しておくしかない。会社のロッカーなどにあればよいのだが。
1月9日 ばけたん
50%の確率で、光子(光の粒子)が透過/反射するように調整された膜に、光子をひとつずつ発射し、反射したか、透過したかをモニタリングする。光子が反射するか、透過するかの確率を決めることができるが、ひとつひとつの光子の挙動は、完全にランダムなものとなる。この原理を使用して、完全な「0」と「1」のランダムな羅列を生みだす「ランダム発生器」というものが、世の中に存在する。「ランダム発生器」は世界中で常時稼働し、その挙動がモニタリングされているという。
この「ランダム発生器」が大きく偏ることがある。例えば、「0」と「1」の発生割合が1対1から大きくずれたり、羅列が規則的に並んだりすると、「ランダム」から遠い状態となる。奇妙なことに、9.11テロなど、世界を震撼させるイベントが発生すると、ランダム発生器に偏りがみられ るらしい。にわかに信じられないことだが、これは、人々の感情の昂ぶりが、ランダム発生器に影響しているのではないかとも言われている。ただし、9.11テロであれば、事件により世界中の通信が活発になることによる影響も考えられる。
そこで、アメリカの砂漠のど真ん中で行われる、「バーニングマンフェスティバル」において、検証が行われた。携帯電話の電波も届かない砂漠で、クライマックスである巨大な人型の造形物を燃やす瞬間、人々は熱狂し、乱数発生器は異常な偏りをみせた。感情というのは、人間の脳内における複雑な素粒子のやりとりに起源がある。素粒子というのは、突然消滅したり、何もないところから現れたり、未来から過去に向かって飛んだりする、不思議な世界である。否、私たちの生きる宇宙というのは、ミクロな視点で見れば実に不思議な世界で、わかっていることはごくわずかである。そういう意味では、超常現象を非科学的だと決めつける態度こそ、非科学的だと思う。
サチコが、
「ばけたん」
というおもちゃを買った。「お化け探知機」の略らしく、お化けがいそうなところに来ると、色が変化するなどで知らせるらしい。またしょうもないものを買うものだと思い、上記の話をしたところ、妻が「ばけたん」には乱数発生器が搭載されていると言ったので驚いた。妻が見せてくれた記事を読めば、「ばけたん」開発時に、乱数発生器を心霊スポットやパワースポットに持ち込み、その傾向を解析、色の変化に反映させているという。思いのほか、本気で作られたアイテムであった。
「ばけたん」は多くの地点では「ノーマル」状態だが、私の寝室は、「ばけたん」が反応したという。なにやら気味が悪いではないか。
1月3日 バーベキュー
今日は、子供たちを連れて吉野ケ里遺跡にバーベキューをしに行った。吉野ケ里遺跡は、公園になっており、屋外炊事場がある。受付で名前を書けば、バーベキューを楽しむことができる。自転車と電車で行くため、荷物はできるだけ減らしていった。3人が座る折りたたみいすに、折りたたみのバーベキューコンロ、使う分だけの炭、保冷バッグ一個ぶんの食料などを、分担してリュックに詰めた。
屋外炊事場を使っているのは、私たちだけであった。それほど寒くなかったが、炭火をおこせば、更に暖かくなった。今日のメニューは以下の通り、手で直接食べられるものばかりにした。
・焼き芋(事前に水を染み込ませたキッチンペーパーをアルミフォイルで巻いておく)
・肉まん、あんまん(ホットサンドメーカーで焼く)
・ソーセージ(丸い割り箸に突き刺して焼く)
・焼き鳥(スーパーの総菜コーナーにあるもの)
・するめ(スーパーのおやつ売り場にあるもの)
・あまおうマシュマロ(割り箸に刺して焼く)
これらを食べれば、3人ともお腹いっぱいになり、炭火もちょうど燃え尽きた。テントでごろごろした後、アスレチックで遊んだ。吉野ケ里遺跡には、立派なアスレチックがあり、遺跡には見向きもせず、アスレチックで遊び、だだっ広い広場でボール遊びをした。
子供たちと一日中遊び尽くせた、よい一日であった。
左:バーベキュー 右:子どもたち大好き、ふわふわドーム
左:アスレチック 右:だだっ広い広場
1月2日 ふしぎ駄菓子屋、銭天堂
子どもたちとレンタルショップに行ったら、表題のアニメが好きらしく、借りることにした。サチコが小説を読んでいるのは知っていたが、アニメもあるらしい。
一話10分もない、短いお話で、泳ぎが下手な子、妹をいじめるのが好きなお兄ちゃんなど、課題をかかえた子たちが主人公となるが、大人が出てくることもある。彼らが、「銭天堂」という駄菓子屋にたどり着き、そこにある駄菓子の力を得て一時的な喜びを得るものの、その駄菓子の副作用のようなものにより、悪いことが起きる。結局、自分の力で努力しないといけないよ、といった教訓めいた話で終わることが多いが、色々なパターンがあるので、なかなか飽きさせず、大人が観ていても、はらはらする。
そこで流れているエンディングテーマに魅せられた。金色の猫たちがわちゃわちゃしながら駄菓子を製造しているのが可愛らしい。30秒程度の短い曲でありながら、転調もあり凝っている。思い立った日の夜に編曲し、次の日の朝絵を描き、午前中にリコーダーを吹き、速攻で仕上げた。
↓「はにゃ〇満点、銭天堂。」リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=XzOY57ltekM
1月1日 2022年最初のつぶやき
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今日は、家族で高良大社に初詣に行った。高良大社は、家から40分くらい自転車を漕ぎ、そこからさらに40分くらい山登りをしたところにある。行きは上り坂が続くので、優一は私の自転車の後ろに乗せて出発した。
優一は、幼稚園の遠足でも何度か来ているようで、「このへんでどんぐりを拾った」などと言っている。幼稚園児は身軽なもので、スーパーマリオのようにぴょんこらぴょんこら登っている。そして、無駄な動きが多い。あっち行ったりこっち行ったり、突然止まったり走り出したり、よくもまあ疲れないものだと思うが、こうした「無駄な動き」が成長に必要なのであろう。
高良大社は、結構な人であった。20分くらい並んでお参りをし、お守りを買った。お守り売り場では、地元の大学生と思われる子たちが、巫女さんの臨時バイトをしている。ちょうどサチコと犬夜叉を読んでいるところだったので、「あの巫女さんたちの結界の力が、この町を妖怪から守ってくれているのだ」と言ったら、ふん、と鼻で笑われた。
境内には、鬼の面をかぶった人がうろうろしていて、優一に「悪い子はいないか?」と話しかけてきた。優一は、怖かったようだが、勇気を出して「いないよ」と答えた。私が「Youtube観すぎると鬼が来るよ」と言ったら、鬼も「Youtube観すぎるなよ」と言ってくれた。
家に帰り、子供たちはIpadでYoutubeを観始めた。正月は、何もせずだらだらする日だから、神様にごあいさつした後はYoutubeをいくら観てもいいと言ってあったので、放っておいた。優一は、夕食の寸前まで長い動画を観ていて、「あ〜ようやく観終わった〜」とため息をついた。観たくて観ているわけでもないらしい。
topへ