2022年
2月のつぶやき
2月28日 無題
世界中の憎しみが、ひとりの男に向けられている。数十億人もの人々の負の感情を受け続けているウラジミール・プーチン氏の心情とはいかなるものか、私には想像もつかない。ルドガー・ブレグマン氏の「希望の歴史」によれば、大国のリーダーとなるものは、「赤面する」という、人類の殆どが持っている性質を失っている人がなるものだということであるから、もしかしたら大して応えていないのかもしれない。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏は「21Lessons」で21世紀の今、戦争をすることによる旨みはほとんどなくなったという。唯一の例外が2014年のクリミア征服であったとも。そのうえで、「人間の愚かさをけっして過小評価してはならない」と書いている。
ウクライナ情勢は今、出口の見えない状態となっている。何を持って解決とするのか、落としどころが見えない。大げさではなく、どこかの国のリーダーが、間違った判断をすれば、世界戦争が勃発しうる。一方で、今のところは人類がこれまでの英知を結集し、最悪の事態を回避しようとしているように思える。暴力ではない手段で、ウラジミール・プーチン氏への抗議の意思を示し、それが確実に効果として現れている。
近い将来、世界戦争が回避され、ある局面まで来たとき、「どのようにプーチン氏を赦すか」という段階が来る。それまでの道のりはまだ険しい。今人類が、試されている。
2月23日 祈祷をする
今年になってから、職場で担当している設備の調子がどうもおかしい。これまでなかった故障が多いのである。全自動のロボット2台を使って動くこの設備は繊細で、ひとつでも不具合があると全面停止となってしまうことが多い。
私は、年始にスマホに付けていたお守りを無くしてしまい、そのままにしていることが原因ではないかと思った。私は、約20年前の就職活動中、お守りをぞんざいに扱った直後に第一志望の企業から不採用の通知が来たことがあり、それ以来お守りの力を信じている。おまけに、今年は後厄だがまだお祓いをしていない。昨日、機械が原因不明の故障をし、これはもう一度神社に参らねばと思った。
今日、家族全員が付いてきてくれることになり、自転車で出発した。優一は、初めて自分の自転車で行く。自転車で40分くらい、その後山登りを1時間くらいしたところに目的の神社はある。山を目指すので、行きは自転車も基本的に登り坂だが、優一は思った以上にちゃんとついてきた。体力面だけでなく、安全面の配慮もできており、安心感のある走りであった。
神社に着いて、祈祷の申込書を記入した。「願いごと」の欄に「家内安全」と「○○(設備名)の安定稼働」と書いて提出したところ、「どちらかひとつにして下さい」と言われ、とりあえず今は家内は安全なので、設備の安定稼働のほうだけにした。
季節外れなので、祈祷は私一人だけであった。祝詞の中には、私の住所氏名のほか、会社名と設備の名称も込められ、「天にましますあらゆる神々」へ、設備が安定稼働するようお祈りしてくれた。祈祷の最中、会社携帯がマナーモードになっていないことに気付いた。祈祷中に電話が鳴って、設備故障の連絡が入っては、シャレにならないと思い、こっそりマナーモードにした。
祈祷が終わり、もらった紙袋の中には、絵馬が入っていたので、「○○(設備名)が安定稼働します様に」と書いてぶらさげた。お守りは、いつものようにスマホに括りつけた。これにより、心理的な安定感が戻った気がした。
当たり前だが、設備故障というのは、技術的な問題である。そんなことに祈祷をするのはばかばかしいという考えもある。しかし、それを言えば病気平癒、合格祈願、交通安全等も突き詰めれば技術的な問題である。近年の設備は複雑で、誰も予期できないエラーを含む可能性はありうる。これからAIが台頭してくれば、その可能性はますます増大するであろう。技術的だが、十分に複雑な問題に直面した時、神頼みをするのも悪くないと思っている。
2月20日 強い、速い、大きい
最近、優一が強い、速い、大きい、等のことがらに価値を見出すようになった。その他、長い、かっこいい、凄い、ヤバい、なども好きである。男の子だなぁと思う。
優一が、風呂で足をせいいっぱい延ばして、「ぼくの足めっちゃ長いよ!」と自慢してきた。私が「短くてちっちゃくて可愛い足だなぁ」というと、怒り出した。その他、「ぼくめっちゃ速いよ!」と言っては狭い家の中を全速力で駆け回り、「ぼくめっちゃ強いよ!」と言っては戦いごっこを挑んでくる。
弱くてちんちくりんで可愛いが、あまり言うと彼のプライドが傷つくので、大抵は「凄い!」「強い!」「速い!」「ヤバい!」などの賞賛の言葉をかけてあげている。すると、素直に喜ぶ。単純で良いなぁ、と思う。
2月12日 犬夜叉
今年に入り、高橋留美子の漫画「犬夜叉」が我が家(といっても主に私とサチコ)で流行っており、毎週10冊ずつTSUTAYAで借りて、つい先日、全56巻を読了した。
「犬夜叉」は、中学三年生の少女、日暮かごめが井戸を通して戦国時代に行き、そこで出会った半妖(人間と妖怪のハーフ)の犬夜叉達と冒険をしながら悪と戦う物語である。少年向けの冒険活劇でありながら、少女向けのラブコメでもあり、かつ時空の隔たりをものともしない大胆な描き方は、日本書紀などの神話も思わせる、スケールの大きな物語であった。
物語の最後、現代の生活を捨てて犬夜叉とともに生きる道を選んだかごめは、非現実的とは言えないだろう。一昔前であれば、国際結婚は、住み慣れた土地を離れ、家族との決別を意味した。数十年後であれば、火星に移住するような感覚かも知れない。
きっかけは、youtubeでたまたま見つけた「時代を超える想い」という曲が気に入り、そこからストーリーも気になり始めた、という流れである。続いて、メインテーマもかっこいい。オーケストラを背景に、篠笛のような音色が入る。これもリコーダーで吹いてみたいと思い、1週間かけて編曲した。絵は、私とサチコが気に入っている「桔梗」が、リコーダーを吹いているちょっと不思議な構図にしてみた。
↓犬夜叉メインテーマ リコーダー6重奏
https://www.youtube.com/watch?v=RYstTuh2lqI
2月6日 走る
今日の昼食は、私がチャーハンを作った。私の作るチャーハンは、子どもたちにも評判が良い。鉄フライパンを買ってから、炒め物をするのが楽しい。しかし、米2合分のチャーハンを作ったら、多すぎたらしく、私が半分くらいを食べることになり、お腹いっぱいになってしまった。
コロナもあり、色々なイベントはキャンセルとなり、週末は家にいることがほとんどである。外は寒く、外に出る意欲はなおさら失われる。しかし、お腹いっぱいで家でごろごろしていると、気持ちがもやもやしてきた。久しぶりにジョギングがしたい、と思った。
ジョギングをするのは、2年ぶりくらいである。私は、通勤で自転車や徒歩が多く、体を使っているほうだと思っていたが、久しぶりに走ってみると、筋力の衰えを感じた。特にふくらはぎは、徒歩や自転車ではほとんど使わない。
私の走法は、かかとを一切地面につけず、つま先で着地して走る。かつて会社の駅伝部に入っていた時、膝を痛めてから読んだ本で知った走法である。たしかに、この走り方だと、膝を痛めにくい。本には、ほとんどの動物はかかとを付けずに走ると書いてあって、妙に納得した記憶がある。膝には優しい分、ふくらはぎへの負荷は大きく、この走法を身につけるまではふくらはぎの筋肉痛が絶えなかった。
今日は、家を出て100メートルくらいゆっくり走っただけで、ふくらはぎにきた。足がつりそうになり、いったん止まってストレッチをした。まさかここまで衰えているとは思わなかった。それからしばらくゆっくり走っていると、痛みは落ち着いてきたが、体は重い。それでも、息切れをしたりすることはなく、40分程度、ゆっくりと好きなところを走った。
走ることが、これほど楽しいとは思わなかった。家で暖房で暖まるのではなく、体の中から暖まる感覚は、何とも心地よい。外のひんやりした空気も、体が暖まってくればむしろ気持ち良い。おかげで、もやもやは吹き飛び、体はすっきりした。
週末ごとに、走る習慣を復活させようと思った。
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