2022年
5月のつぶやき




5月30日 ナビに翻弄される

 先週末は、家族で小旅行に出かけた。サチコが好きな「グリーンピア八女」に一泊の旅行に行ったのである。福岡県の「避密の旅」プランにより、旅行代金は大幅に割り引かれ、おまけに6000円分の現地で使えるクーポンが配布され、格安で楽しめる旅となった。

 ところで、いつも借りているレンタカーのナビが、どうも調子が悪い。まっすぐ行けば1分で行ける道を、大きく遠回りさせるなど、「意地悪」をしてくるのである。まずは、「グリーンピア八女」に向かう前に、バーベキューをしようと思って立ち寄った「高田濃施公園」への道のりである。到着の直前で、行きどまりの道に案内されてしまい、自力で戻ってなんとかたどり着いた。

 極めつけは、「グリーンピア八女」に向かう道であった。本来であれば、きれいに舗装された2車線の道路だけでたどり着けるはずなのだが、ナビに従って何も考えずに進んでいると、細い山道に入っていった。そのまま突き進んでいくと、道はどんどん細く、車一台がギリギリ通れるくらいの深い山道に入ってしまった。道の舗装はなくなり、付近には民家もなく、落ち葉や枯れ枝だらけの山道を、訳も分からず進んだ。「千と千尋の神隠し」の冒頭で、一家が車で迷い込んだような風景である。このまま私たちは異世界に引き込まれるのではないかと心配した。

 しばらく走っていると、道が開け「グリーンピア八女」の裏口から入る形となって、なんとかたどり着くことができた。後で調べても、近道ではなく、かなり遠回りをしてたどり着いたことになる。久々に怖い思いをしたと思った。

 それ以後のドライブでは、ナビを一方的に信頼せず、妻がグーグルマップでクロスチェックしながらの旅となった。


5月19日 最強の女性狙撃手

 「最強の女性狙撃手」(リュドミラ・パヴリチェンコ著)を読んでいる。独ソ戦において、狙撃数309人という、史上最高を記録した女性狙撃手の回想録である。第三者による確認手続きを経た記録がこれであり、実際に彼女が殺害した敵兵の数は500人前後といわれる。

 本の内容は、そのほとんどが「事実」のみが記されている。圧倒的に「事実」のみを記す姿勢、これが上記の記録が嘘ではないことを物語っているように思える。そして、狙撃という、全く知らない世界を知ると、「ゴルゴ13」の世界というのは、あながちフィクションではなく、人間業とは思えない技術の持ち主というのは実在するのだということを思い知らされる。

 リュドミラ・パヴリチェンコは、今年本屋大賞を受賞した話題作、「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬著)において、主人公セラフィマの上司イリーナの戦友として登場する。彼女は、狙撃手たちに対する公演において、開口一番「同志諸君」に対し、狙撃の際、ヘルメットの顎紐を緩めるか否かを問いかける。その後の2時間、精神論は一切なく、純粋に狙撃に関する技術論だけで公演は終わる。ここを読んで、実在のリュドミラ・パヴリチェンコはどうであったのだろうかと興味が湧き、図書館で借りたのである。

 彼女の回想録は、小説ほどの冷徹さはなく、人間味がある。何百人と殺害したことによる精神の異常性は感じられない。心を静め、敵を撃つ。死体の顔を覚えることは無く、その成果を誇ることも好まない。それでも、「フリッツ」(ドイツ兵のこと)をひとりでも多く撃つことが使命と考え、淡々と任務にあたる。

 彼女のイデオロギーは、「西側諸国の価値観」を持つ私からみれば、違和感がある。しかし、彼女の行なった行為が、客観的にみて正しいかを問うことには、意味が無い。ただ言えるのは、人はあらゆる体制、環境において、生き生きとふるまい、己が信じる道を突き進むことができるということである。


5月18日 無題

 この「つぶやき」を始めて、20年が過ぎた。これを始めた学生時代は「ホームページ制作」というのが流行り、私の周囲でも自分のホームページを持って、自己表現をしている人が多くいた。ほとんどが実名を伏せる中、私は実名をホームページの名称にした。当時から、誰に見られても良い内容しか書かないことを心掛けているが、意外にそのことへの制約を感じたことは無く、特定の人に対する誹謗中傷や、政治的に偏った内容でなければ、おおむね何を書いても問題ない。実名を出すことによって、自分が書いたことに対して責任を持つことができている。

 そのうち、「ブログ」が流行り、更には「ミクシィ」を経て、人々の発信源は「フェイスブック」「ツイッター」「インスタグラム」等のSNSにシフトしていった。気付けば、実名で発信するのが当たり前になっている。そして、ネット上に溢れる情報量はけた違いに増え、昔ながらの「ホームページ」に対するアクセスは減っていく。

 不思議なことに、情報があふれかえったために、私のホームページの匿名性は増したように思える。私がここで書いた内容を共有できる人は、極めて限られる。私と知り合いでない人は、このホームページにアクセスすることすら困難であろう。もしかしたら、駅のトイレに落書きするほうが、社会への発信力は強いかもしれない。今は、この「つぶやき」を備忘録として書いている側面がある。あとは、文章力が落ちないための訓練か。文章は、書かないとあっという間に書けなくなる。

 それでも、私はノートに日記を付けようとは思わない。誰かが見ていると思うからこそ、20年も続けてきたのである。


5月10日 映像の世紀 バタフライエフェクト

 NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」を観た。「映像の世紀」は、1995年に放送されたNHKの人気番組で、膨大な映像アーカイブを使用して、20世紀に起こったことを生々しく描いたドキュメンタリー番組である。私は、大学生の時に再放送を観て、大きな衝撃を受けた。加古隆作曲のメインテーマ「パリは燃えているか」は、沸々と湧き上がる感情をそのまま音にしたようで、当時の映像と共に聴くと、気持ちが高揚した。

 そんな名作の続編が「映像の世紀 バタフライエフェクト」として、月曜日の夜10時から放送されている。今週は、チェコスロバキアであった。ソ連の軍事侵攻に耐えながら、「絹のように滑らかに進められた」といわれた無血革命「ベルベット・レボルーション」と、アメリカのロックシンガーとの関係を丁寧に描いていた。ウクライナ情勢から鑑みても最適なテーマだと思った。

 「バタフライエフェクト」とは、蝶の羽ばたきのように小さな変化であっても、それが無かった場合と比較すると、その後の系の状態が大きく変化することを意味する。カオス理論など、物理法則における予測困難性を表す言葉であるが、ここでは名もなき人々の声が世界を変え得るという意味で用いられている。

 センスの良いネーミングだと思った。これからも録画して観ようと思う。


5月7日 散財する

 我が家で使用している「ゆめカード」は、「ゆめマート」等、特定の店舗で買い物をするとポイントが貯まり、500ポイント毎にレジで500円券が発行される仕組みになっている。しかし、家の目の前の「ゆめマート」がなくなってから、しばらく「ゆめカード」を使用していなかった。

 あるとき、久々に「ゆめマート」で買い物をしたところ、セルフレジから500円券が次から次へと出てきた。私は驚き、店員さんにセルフレジが故障して500円券の発行が止まらないと言ったら、過去に大きな買い物をしたのでしょう、故障ではないですよと言われた。500円券は、24枚出て止まった。1万2千円ぶんである。私は、「ゆめカード」が悪用されたのではないかと心配になり、家で妻に調べてもらったところ、昨年洗濯機と掃除機を買い替えたときに貯まったぶんであろうという結論に至った。

 さらに、優一の入学祝い金として、会社の組合から1万円分の図書カードがある。合計2万2千円ぶんを大いに散財しようと、一家で自転車に乗り地元のショッピングモール「ゆめタウン」に向かった。まずはトイザらスに行ったが、500円券の対象外であった。すると、サチコが本屋に行きたい、と言った。

 本屋では、私は久々に小説を買った。「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬著)と「爆弾」(呉勝浩著)である。ふだんであれば、文庫化してから買ったり、図書館で借りたりしているが、こういう時には良いであろう。サチコは、人気の「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」や鉱物図鑑などを買い、優一は大好きな迷路の本などを買っていた。また、優一が都道府県パズルに夢中になっていたので、買ってあげた。本屋だけで1万2千円くらい使った。

 その後、フードコートに行って、それぞれが好きなものを食べた。私は特上天丼、妻は冷麺、子供たちはモスバーガーを食べた。残念ながら、モスバーガーは500円券の対象外であった。

 最後は、子供服を必要なだけ買った。それでも、500円券が3枚余った。結構、疲れた。お金を使うのも大変だと思った。それにしても、好きなものを買おうという時に、本に最もお金をかける我が家は良いなぁ、と思った。


5月5日 キャンプへ

 飛び石のゴールデンウィークは、一泊二日でキャンプに行った。明石から父が来て合流し、私、サチコ、優一の4人である。

 5月4日の朝、レンタカーで出発し、大野城いこいの森中央公園へ向かった。まずは子供たちと公園で思いっきり遊んだ。子供たちは、ここの「ふわふわドーム」が大好きである。巨大な風船の上で跳ねて遊ぶことができ、ここだけでずっと遊べるほどである。その他、巨大なローラー滑り台やアスレチックで遊んでから、父と合流した。父は、ワークマンで買ったソロキャンプ用のテント、セカンドハウスで買った焚き火台等を持ってきていた。なかなか重い荷物であったが、コンパクトにまとめていて、博多のアミュプラザをうろうろしてから来たというからさすがである。


アスレチックで遊ぶ優一


ふわふわドームで遊び尽くした子供たち

 昼食は、牧のうどんで食べた。混雑していたが、たまたま離れに案内され、コロナ禍のなか、裏口から入り従業員休憩室のような個室で食事をすることができた。その後、大野城いこいの森キャンプ場へ向かった。

 テントを張り終えれば、優一がおじいちゃんと遊びたがった。どうぶつしょうぎ、オセロ、神経衰弱、ババ抜きなどを次から次へと対決を挑み、勝っても負けても大はしゃぎである。特に、どうぶつしょうぎでは全勝し、大喜びであった。


オセロをするおじいちゃんと優一

 夕方、バーベキューをした。ここでもおじいちゃんと優一が対決していた。ひとりひとり、バーベキューの串にウインナーを刺して焼いていたのだが、互いのウインナーを押して邪魔して、優一のウインナーが落っこちた。それでも優一は大はしゃぎであった。

 その後は、焚き火をして、花火をして大いに盛り上がり、キャンプの夜は更けていった。


バーベキュー


 花火に興じる子供たち



 次の日の朝、父と私で将棋対決をしていたら、優一が起きてきておじいちゃんと将棋がしたいと言った。当然ぼろ負けであったが、優一は楽しんでいるようであった。


朝、将棋をするおじいちゃんと優一


おじいちゃんに本を読んであげる優一

 キャンプを終えて、家に帰ったら、優一はおじいちゃんと「ふみふみ」(複数でスーパーマリオをプレイすること)したいと言った。おじいちゃんのルイージを踏んだり持ち上げて崖に投げ捨てたりして、遊び尽くしていた。

 とにかく、おじいちゃんと優一の絡み合いが印象に残った二日間であった。それほど接点があたわけではないのだが、どうも馬が合うらしい。不思議なものである。


楽しいひと時でした




5月1日 どうぶつしょうぎ

 休みになると、優一と「どうぶつしょうぎ」の対決をする。「どうぶつしょうぎ」は、将棋を大きく簡略化したゲームで、ライオン(玉)、きりん(飛車)、ゾウ(角)、ひよこ(歩)の4種類の駒を、3x4の盤に並べてライオンを取り合う。なお、ひよこは敵陣に進むとニワトリ(と金)に変身する。

 我が家には、ずいぶん前に私が段ボールに水彩絵の具で自作した「どうぶつしょうぎ」があり、ライオンの代わりに、優一、妻、私の顔の駒を作り、玉の代わりに使ったりして遊んでいる。

 最近、優一がどんどん腕を上げ、駒の進め方や玉の詰め方のコツを掴み始めた。それでもまだまだ子供であり、私が手加減して負けてあげている。それでも、優一の上達が早いので、手加減の度合いを少なく調整している。

 今日は、私が自分の駒を玉に置き「本気の父ちゃん」として優一と対決したが、なんと一度負けてしまった。優一は狂喜し、「本気の父ちゃんに勝った!」と喜んでいた。早くも親父越えをされてしまい、ショックであった。

 それでも、優一と互角に対決できるのが楽しい。そのうち、歯が立たなくなってしまうのかもしれないが。

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