2022年
7月のつぶやき




7月27日 冒険へ

 今日は、有休を取って子供たちを連れて遊びに行った。目的地は、自宅から8キロくらい離れたところにある、川辺の公園である。山林の中にあるため、行きは基本的に上り坂である。これまでは、優一は私が自転車の後ろに乗せていたが、今回初めて、優一も自分の自転車で行くことにした。一番の目的は、トンボの王者、オニヤンマの捕獲である。

 私は、朝5時に起きて弁当を作った。焼きおにぎり、唐揚げ、ゆで卵など、出来合いのものも使用しながら子供たちが好きそうなものを詰め込み、凍らせたペットボトルと共に保冷袋に入れた。そして、子供たちを叩き起こし、朝7時過ぎに出発した。日が昇りすぎると、暑くなるので、我が家の子供たちにしては異例の早起きである。

 出発すれば、気持ちの良い朝である。川沿いの道を走り、コンビニで朝食とおやつを買って、公園を目指した。優一は、足が痛いとか言いながらも、果敢についてきた。頼もしいものである。

 公園に着けば、ハンミョウがぺったんぺったんと歩いている。とりあえず捕まえて、写真を撮って楽しんだ。その後、テントを張り、水着に着替えて川に入った。この公園では、下流側は日なたで浅くなっていて、上流側は多少流れがあり、森に覆われ、冒険気分が味わえる。上流側に行けば、オニヤンマが飛んでいた。平日の朝でもあり、上流側はあまり人がいない。

 結局、オニヤンマを捕まえることはできなかった。まるで私たちを試すように、目の前に止まるのだが、網を振るえばたちまちに逃げてしまう。私たちは、オニヤンマに翻弄され続けた。

 それ以外にも、テントでごろごろしたり、下流側で石を積んでダムを作ったりして大いに楽しんだ。オニヤンマは捕まえられなかったが、大満足の一日であった。

 帰りは、基本的に下り坂で楽である。優一は長い下り坂を大いに楽しんでいた。途中のコンビニでアイスを買って食べた。優一は、このあたりの名物「アイスまんじゅう」を食べ、手をベトベトにしていた。

 子どもたちは、自転車に乗るのもどんどん上手になっていて、私の補助がどんどん要らなくなってきている。子供たちが自転車を漕ぐのを、後ろから頼もしく見ながらも、多少寂しくもある。子供たちが、私と遊んでくれる時間は限られている。それまでの間を精一杯に楽しんでおきたい。


自転車で川沿いの道を行く子供たち




7月19日 三連休にて

 三連休は、コロナ拡大により予定がなくなり、家でのんびりとしていた。そんな中で観た作品を記録しておく。


ビリーバット

 浦沢直樹の漫画を読み返している。女子柔道を描いた「YAWARA!」で浦沢作品を知り、当時柔道をやっていたこともあり、夢中で読んだ。その後も「MONSTER」「20世紀少年」など、ミステリアスな作品を送り出す、大好きな作家のひとりである。

 「ビリーバット」は、戦後すぐの日系人漫画家が主人公なのだが、彼の描くコウモリのキャラクター「ビリーバット」が主人公ともいえる。「それ」は、可愛らしい二次元マスコットキャラである一方、人類が生まれる前から存在した、無慈悲な「神」のような存在としても描かれる。時代は、日本の戦国時代から2000年前のキリストの時代まで旅をし、アインシュタインやケネディも登場し、大丈夫かというくらい風呂敷を広げまくる。この広げた風呂敷をどう折りたたむのか、一度読んだが、それでもわくわくしながら読み返している。


チ。−地球の運動について−

 「チ。−地球の運動について−」は、数々の賞を得た話題の漫画である。天動説が信じられていた中世ヨーロッパを舞台に、地動説を証明するために命を賭して戦う人々の物語である。残虐なシーンも多く含まれ、好き嫌いは分かれるところかと思われる。絵はどちらかというと粗削りで、それだからこその勢いを感じる。読んでいて、若さだなぁ、と思う作品である。


砂の器

 父が、Facebookに書いていたので、気になってレンタルビデオ屋で借りて観た。松本清張の小説を原作とした同映画は、1974年に制作され話題となったらしい。

 古い映画は良い、と思った。映像の暗いところが、なんだか懐かしい。昔の日本は、今よりももっと暗かった。その陰影により、今の映画にはない味わいが出ている。そして、中盤まではのんびりとした雰囲気で進んでいく映画が、後半に激変する。この映画のために作られた曲をバックに、村を追われた親子が旅をするところから、別れにかけての回想シーンは、確かに涙なしには観られない。それでも、親子の放浪の旅は、たとえどれほど辛くても、彼らの人生において最高の時間であったろうと思わせる。

 ところで、この映画には「田所サチコ」さんが登場する。善大蔵大臣の令嬢で、犯人の婚約者という役柄であった。


7月14日 うんう

 今日、家に帰り、何気なくサチコに「もうお風呂入った?」と訊いたら、サチコは「うんう」と答えた。「まだ入っていない」という意味である。日本語で「はい」「いいえ」の口語は「うん」「うんう」となる。日本語を学ぶ外国人にとって、これは結構分かりづらいのではないかという気がする。

 どの言語においても、肯定と否定の差異は驚くほどわずかである。英語の「not」は、ネイティブの会話においては、「ノッ」と小さく発音されるだけで、これが聴き取れなければ全てが逆の意味になる。

 インドネシア語の否定語は「tidak」(ティダ)だが、口語では「nggak」、さらには「ga」となる。小さく「ガ」と発音するだけである。あるとき、とある業務ができるかと訊かれたインドネシア人スタッフが、「ガビサ」(出来ません)と答えた。私はそれが聴き取れたのだが、問いかけた先輩日本人は「ガ」が聴き取れず、「『ビサ』(出来ます)って言ってるなぁ」と言った。ミスコミュニケーションとはこのように生じるのかと、しみじみと感じた。

 肯定か否定かを区別するのが、これほど僅かな差になるのは何故なのか。サチコの「うんう」を聞いて思ったが、答えは分からない。


7月8日 無題

 今日、いつものように昼休みに食堂に行くと、NHKが騒がしい。安倍元首相が銃撃されたということで、驚いた。まず思ったのは、日本がアメリカのようになってしまった、といこうことであった。

 多くの人が言っている通り、政治的信条の違いを暴力で解決しようとしてはならない。私は、安倍元首相がそれほど好きなわけではないが、それでも今回の銃撃を正当化することはあり得ない。これを許容した瞬間、私たちの社会生活の根幹が崩れ去る。どれほど憎い相手がいても、暴力で解決しようとしてはならない。

 一方で、これがドナルド・トランプであったなら私はどう思うだろうか。或いは、金正恩や、ウラジミール・プーチンであったなら? 私の直感的な嫌悪感は、一気に遠のいてしまうことに気付く。

 それでもやはり、冷静にNoというべきである。私たちの社会生活を守るためには、理性により、直感を抑え込まなければならない。


7月3日 ハルノ寂寞

 すごく久しぶりに、サチコと共演した。「ハルノ寂寞」という歌で、生身の人間ではなく、ボーカロイドが歌っている歌らしい。言われてみれば、最近サチコや優一は、初音ミクなどのボーカロイドの曲を良く聴いている。奇妙な時代が来たものである。

 せっかく、久しぶりにリクエストをもらったので、「ハルノ寂寞」を聴いてみたが、なかなか難しい。私の苦手な裏拍が多用されており、リズムが取りづらい。一方で、和音構成はかなりシンプルで、♯や♭の少ないイ短調だったので、リコーダーで吹くことのハードルはある程度下がった。

 とりあえず編曲し、一週間かけて通勤中の電車の中で指使いを確認し、「伴奏」を仕上げた。そして今日、サチコに歌ってもらい久しぶりの父と娘の演奏が完成した。思えば、はじまりはサチコが5歳の時、私のリコーダー合奏に合わせて「もののけ姫」を歌ってくれたことであった。それから、選曲も歌のレベルも、どんどん変わっていく。こうしていつまで一緒に遊んでくれるのかと思うと、今日の演奏もなかなか感慨深い。

↓ハルノ寂寞 サチコの歌とリコーダー6重奏
https://www.youtube.com/watch?v=5cRVZ_6IZHQ

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