2022年
8月のつぶやき
8月28日 キャンプへ行く
今週末は、夢たちばなビレッジにキャンプに行った。下にも書いた通り、夏休み中に計画していたキャンプは雨で行けず、2学期が始まってすぐの週末のキャンプであった。場所は、自宅から車で30分ちょっとで、これまで行ったキャンプ場の中で最も近い。
キャンプ場に着いて、テントを張って昼食を食べたら、子供たちはテントの中でごろごろし始めた。キャンプは好きだが、テントの中でごろごろするのが好きなのである。のんびりしに来たのだから、それも良い。

テントでごろごろするのが大好きな子供たち
しばらくのんびりした後、小川に探検に出かけた。ここは、くるぶしくらいまでの深さの小川があり、カニや小魚が泳いでいて、子供も楽しめる。
ペットボトルを使った罠をしかけたら、小さいカニと魚が捕れた。早速、水槽に移して観察した。小石を入れると、カニも魚もそこに隠れたがるのだが、そこで魚とカニが鉢合わせし、小さい水槽の中でドラマが見られた。カニは罠に仕掛けていたスルメがお気に入りで、もぐもぐ食べる姿も観察した。そのうち、優一が、石や藻をどんどん入れ、水槽の中はカオス状態となったので放してあげた。

小川で遊ぶ

捕れたカニと魚を観察する
夜は、バーベキューをした。食事中、ハチが接近してサチコがビビってしまい、テントの中から出てこなくなるハプニングもあったが、しばらくするとご機嫌となり、いつも通り「いつ だれが どこで なにをした」ゲームで盛り上がった。その後、花火を楽しんで就寝した。

キャンプの夜

花火
次の日、私は朝早く起きて、密かに楽しみにしていたことを実行した。火をおこし、お湯を沸かした。ケトルは、偶然妻がインドネシア時代に買って、全く使われていないものを見つけたので、焚き火に突っ込んでお湯を沸かした。手引きコーヒーミルで豆を挽き、コーヒーを淹れた。家族が起き出す前に、Youtubeドラマ「親父キャンプ飯」の真似事をしてみたかったのである。

朝のひとときを楽しむ私
コーヒーを楽しんでいると、妻が起きてきたので一緒にコーヒーを飲んだ。続いて、優一が起きてきた。優一は、「どうぶつしょうぎ」で勝負を挑んできた。ここのところ、優一は「どうぶつしょうぎ」が強く、昨日も負け越したばかりであった。今日こそは勝ってやると、意気込んだ。本気の時、玉はライオンではなく、それぞれのイラストが描かれた駒を使う。私は、「本気の父ちゃん」は一日3回まで、と言ってある。
結果は、私の負けであった。特別に2戦追加したが、2勝3敗であった。実に強くなった。私に勝った優一は、調子に乗ってボロクソに言ってくる。このあたりは、私の父に似ている。隔世遺伝であろうか。悔しいが、敗者は甘んじて受け入れるしかない。
優一に負けた
その後は、片付けを済ませ、残った時間でオニヤンマを探しに行った。オニヤンマのパトロールするルートを見つけることは出来、何度かチャンスはあったが、結局捕まえることはできなかった。そういえば、サチコが虫よけのために帽子に私が作った「おにやんまくん」を付けていたところ、本物のオニヤンマがサチコの頭の上で停止し、しばらくして飛び去って行った。私の「おにやんまくん」を、仲間と見間違えたらしい。

オニヤンマを探す人たち
楽しい一泊二日であった。今年の夏も、キャンプに行けて良かった。厳しい暑さも和らぎ、良い日和であった。
8月26日 最近読んだ本
最近、図書館で予約していた人気の本が立て続けに届いたので、読んだ。
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は、アンディー・ウィアーという、アメリカの作家におるSF小説である。太陽が、「アストロファージ」という宇宙をさまようウィルスによりそのエネルギーが失われつつある中、12光年先にある恒星にヒントを求め、旅立つ。
なんとかその恒星にたどり着いたところ、同じ目的でやってきた宇宙人と出会い、絆を深めていくという内容である。途方もないテーマだが、物理学的な土台がしっかりしているため、思った以上にリアリティを持って読むことができた。姿かたちや言葉どころか、生存に必要な環境や空間認識方法、発声の仕組みまで異なる宇宙人と、初めて意思疎通を行うあたりは圧巻である。
「香君」は上橋菜穂子の最新のファンタジー小説である。何年か前に、「NHK大河ファンタジー」と称して「精霊の守り人」がドラマ化されたことで、上橋菜穂子の存在を知った。
こちらはまだ上巻しか借りられていないが、特殊な嗅覚を持つ主人公の少女が、帝国が各地を支配するのに利用している「アオレ稲」という、特殊な穀物の謎に迫っていく話である。「オアレ稲」は、猛烈な勢いで成長し、人々に実りをもたらす代わり、同じ土で麦や蕎麦を育てることはできなくなる。また、「オアレ稲」の種籾は、再び実ることは無く、毎年帝国から支給してもらわなければならない。
人々が、ひとつの穀物に依存することで自由を奪われ、権力に支配されるさまは、初めて稲作を始めた弥生人のようでもあり、米が貨幣として流通していた江戸時代日本のようでもある。豊かさとは何か、自由とは何か、ファンタジー小説によって考えさせられる。
8月21日 サチコ、12歳
今日は、サチコの誕生日であった。パーティ自体は、昨日行った。サチコの希望で、食事は私が作る土鍋で炊いたダシ風味の雑穀ご飯と、ダシからとったネギの味噌汁、唐揚げであった。そのため、私は朝からいりこと昆布ののダシを取り、下ごしらえをした。サチコは、丁寧に取ったダシの味が分かるらしい。
サチコは、パーティのとき、自分で司会をし、場を取り仕切り、ミニゲームまで考えて楽しませてくれた。人を楽しませるのが好きらしい。妻は、そんなサチコにプレゼントをただ渡すのではなく、手の込んだ謎解きゲームを用意しており、部屋中を探索しながら、母の用意してくれたプレゼントに到達して歓喜していた。
サチコは、最近急に大きくなったと感じる。子供の印象は、大きくなっても変わらないと言う人がいるが、サチコは、どんどん変わっている。最近は、仲の良い友人もでき、充実した日々を送っているようである。父と遊ぶ時間は減ったが、仕方のないことである。いつまでも親が独り占めしてはならない。内向的なサチコの視点が外に向き、活発になってくれるのは、実に嬉しい。
8月21日 続・オニヤンマとギンヤンマ
中央図書館の園庭で、優一とトンボ捕りに夢中になったことは、下に書いた通りだが、その後、、土日連続で出かけて、トンボを狙い続けることになった。
土曜日は、優一と自転車でオニヤンマ探しに出かけた。湧き水の出る森の中の神社に目星をつけ、向かったが、ここにはオニヤンマはいなかった。結局、中央図書館でオニヤンマを狙うことにした。
オニヤンマ捕りは、釣りに似ている。虫を追いかけまわして捕るというよりは、同じ位置で待ち伏せし、オニヤンマが近づいてきた瞬間を狙う。外しても、次にやって来るまで待つ。ところどころで待ち伏せポイントを変えながら、オニヤンマが油断するのを狙う。途中、雨が降ってきたので、アイスを買って食べながら雨宿りをして、ぼんやりと池を見ていた。このような時間も癒しになる。
結局、土曜日はオニヤンマは捕れなかった。家に帰れば、優一が日曜日も行きたい、という。私は意外であった。一日中家でゲームをしたりYoutubeの動画を観て過ごしている人が、自らトンボを捕りに行きたい、と言っている。この機会を逃してはいけないと思い、日曜日もトンボ捕りに行くことにした。
日曜日も、小川の流れる公園や、筑後川の支流などを探索したが、オニヤンマはみあたらず、結局中央図書館の池で待ち伏せすることにした。この日は、いつにも増してオニヤンマが多い。網を振るっていると、なんとか捕まえることができたが、その勢いでオニヤンマの頭が取れかかってしまい、虫の息になってしまった。可哀想だが仕方がない。気を取り直してがんばったところ、ようやく元気なオニヤンマを生まれて初めて捕まえることができた。

初めて捕まえたオニヤンマ
私たちは嬉しくなりかごに入れて観察した。アイスを買って、食べながら更に見つめた。本物のオニヤンマは、実にかっこいい。ルビー色の目は実に深く、黒と黄色の胴体は風格がある。私の作った「おにやんまくん」など、足元にもおよばない。虫かごの中で、オニヤンマは飛び回ったり、ひっくり返って休んだりしている。優一は、私が100均のアイテムだけで作った「おにやんまくん」を近づけて、「友達だよ〜」などと言って遊んでいる。

優一が「おにやんまくん」を近づけるが、当然無反応
その後、セミやチョウチョを探して園内をうろついたが、優一が疲れたようなので帰ることにした。帰ろうとしたとき、目の前をギンヤンマが飛び交っている。これまで池の中央でしか見たことのないギンヤンマが、目の前をうろうろしており、おまけに交尾して速度が低下したカップルもいる。優一のテンションは一気に上がり、ギンヤンマを捕まえるために親子で網を振るいまくった。偶然、私の網にギンヤンマがかかり、私たちは歓喜した。

ギンヤンマを捕まえた。
ギンヤンマは、実に美しい。黄緑色の胴体の後ろの水色の鮮やかさ、腹部の光沢、このような生物が生まれたこと自体が奇跡に思える。優一は、オニヤンマは怖がり触れようとしなかった。虫捕りは好きだが、触るのは怖いのである。ギンヤンマも怖がっていたが、なんとか羽を持つことはできた。

ギンヤンマを持つ優一
結局、この日が夏休みのハイライトとなった。優一は、キャンプに行けなかったので、宿題の作文のネタに困り、博物館のことを書いていたが、今日のことを書けばよかった、と悔やんでいる。私も、優一と存分に楽しむことができた。気付けば、優一の顔つきが少し精悍になっている。今も残るこのあどけなさは、これからどんどん失われ、男らしく成長してくれることであろう。

決めポーズをする優一
8月19日 オニヤンマとギンヤンマ
昨日は、優一の図書カードを作りに中央図書館に行った。カードを作り、本を借りた後、併設された庭園をぶらぶらした。私の住む町の中央図書館の敷地内は、人工の小川と池があり、のんびり散歩したり、鯉にエサをあげたりできる。私は、もしかしたらここにオニヤンマがいるかもしれない、と思い、念のため小さい網を持ってきていた。
先日のNHK教育で放送された、香川照之の「昆虫すごいZ」のテーマは、オニヤンマとギンヤンマであった。昆虫界最強と言われるオニヤンマと、昆虫界最速のギンヤンマの魅力が余すところなく伝えられていた。私と子供たちは、せめてオニヤンマを捕まえたいと、昨年から思っている。
散歩し始めてすぐに、オニヤンマを見つけた。私と優一は一気にテンションが上がり、念のために持ってきていた網を持ってオニヤンマを捕獲できそうな場所を探した。「昆虫すごいZ」によれば、オニヤンマは同じ場所を往復してパトロールするという。その場所で待ち構え、飛んできたオニヤンマを捕まえるのが良いらしい。
途中、ギンヤンマも見つけた。ギンヤンマを生で見たのは初めてである。オニヤンマが池の淵のあたりを往復しているのに対し、ギンヤンマは池の中央を不規則に飛んでいる。たまに、オニヤンマとギンヤンマがはちあわせをして、ケンカになっているのも見た。更には、ギンヤンマが交尾をしながら目の前を通過するという、滅多にないチャンスにも恵まれた。
私たちは、時間を忘れて網を振るった。何度かチャンスはあったが、結局捕まえることはできなかった。ふと時計を見れば、2時40分である。妻から、3時にサチコの友達(優一も遊んでもらっている)が遊びに来るので、2時半までに帰って食事をするように言われていたのであった。私は、妻に謝罪のLINEメッセージを入れた。優一は「おかあちゃん怒っているかな」と気にしていた。
ともあれ、気軽に行ける範囲にオニヤンマの生息地があって良かった。近いうちに、また優一と来ようと思った。
8月18日 夏休み
今年は、ちょっと冴えない夏休みであった。
16日から一泊で、一家でのキャンプを計画していた。前から気になっていたところで、予約ですぐ埋まるため半年前から予約していた。当日は小雨の予報であったが、多少の雨は、猛暑よりむしろ良いと思い、準備を進めた。
当日の朝、天気予報を見てみると、大雨注意報が出ている。次の日であれば小雨の予報であった。ちょうど空きがあったので、キャンプの日程を一日ずらした。レンタカーは、当日キャンセルとなったため、キャンセル料を支払いにレンタカー屋に行った。また、次の日のレンタカーは、格安レンタカーは空きが無かったので、割高のレンタカーを予約した。
次の日、朝起きて天気予報を見てみると、なんと大雨警報が出ている。キャンプどころではないと判断し、キャンプ場はキャンセルした。しかし、夏休みにどこにも行かないのも勿体無い。レンタカーを、2日連続で当日キャンセルするのも嫌だ。どこか屋内で楽しめるところを探そうということになり、以前からサチコが行きたがっていた、北九州の「いのちのたび博物館」に行くことにした。恐竜の好きなサチコは、以前にここにきて、巨大な恐竜化石の展示が気に入っていたらしい。期間限定で「昆虫博」も開催されており、優一も楽しめそうだ。
レンタカーを借りて、高速道路に乗れば、事故渋滞に巻き込まれた。到着が遅れ、レンタカー返却時間もあるので、北九州での滞在時間は2時間ちょっとであった。それでも、大きな博物館での子供の集中力は2時間が限度で、十分に満足した。
キャンプのキャンセルを決めてからも、妻と私は頻繁に天気予報をチェックしていた。キャンプをキャンセルしたのに、予報が外れて晴れてしまったら悔しい。八女市の予報や雨雲レーダーを頻繁に見ては、「大雨だ」と言っては喜び、私たちの判断が正しかったことを確認しあうという、ネクラな行為を繰り返していた。
子供たちも残念がっているので、近いうちにキャンプを計画しなおすつもりである。
8月13日 世界左利きの日
朝日新聞の天声人語によれば、今日は「世界左利きの日」らしい。イギリスの「Left-Handers Club」が左利きの人たちの生活環境を向上させようとして制定したらしい。
私の「ネイティブ」は左利きだと思う。しかし、箸や鉛筆は幼少時代に直されたためか、右である。包丁、はさみ、投球は左である。箸や鉛筆も左で使おうと思えば使える。確かに、自動改札機は、左手で右側にある機械にタッチしたり切符を挿入したりするので、やりにくいといえばやりにくい。一方で、はさみは、私は右利き用のはさみしか使えない。左利き用のはさみを左手で使ってみたが、全く切れなかった。知らぬ間に、右利き用のはさみを左手で使いこなすための、力の入れ具合を学んでいたらしい。
左利き用のギターというのがあるが、不思議だと思う。通常のギターは、左手でフレットを押さえ、右手でつま弾く。左右の手の難易度はほぼ同じか、場合によっては左手のほうが難しい。どっちのギターを使うかは、利き手と関係あるのか、疑問である。
私は柔道は右組みである。右組みの場合、左の引手が重要となる。右利きの人は、逆に左組みをしたほうが有利な場合もあるし、実際そうしている人もいる。右、左の優位性は、固定観念によるものもあるのでは、と思う。
「天声人語」では「右利き中心社会への違和感」と書かれているが、それほど大げさなものであろうか。
8月10日 パラレルワールド
図書館で借りて「パラレルワールド 11次元の宇宙から超空間へ」(ミチオ・カク著、NHK出版)を読んだ。理論物理学者で、ひも理論の権威である著者が、最新の宇宙観を語る内容である。
過去へのタイムスリップはどうすれば可能か、この宇宙が生命が住めない環境となったとき、別の宇宙にワープするにはどうすればよいか、一見すれば荒唐無稽な内容を、物理学者が本気で考えると、「こうすれば良い」という答えがあっさり出てくるから不思議である。
太陽は、今から35億年後には今よりも40%も明るくなり、昼間の空の大半を覆いつくすほどに大きくなるという。当然、地球表面の温度は上がり、地球は生命が住める環境ではなくなる。その場合、未来の人類は、小惑星の軌道を逸らして地球の周りを通過させ、そのスイングバイ効果により地球の軌道を変え、住むのに適した恒星に移動する必要がある。太陽はその7億年後、燃料を燃やし尽くして白色矮星になるが、私たち地球の公転軌道を赤色矮星に移すことで、何兆年かは生きられるらしい。それでも、10100年経つと、「ビッグフリーズ」という宇宙全体が凍り付く現象が起き始める。その前に「ワームホール」等を通して、別の宇宙に脱出するにはどうすればよいか、そのような話が延々と続く。
意外にも、ばかばかしいとは思わず、数十億年未来の人類のことを真剣に考えている人たちがいることに、驚きながらも興味深く読むことができた。これらは、勝手な妄想などでは決してなく、「原理的には可能」な内容らしい。このようなことを考えることができる現代は、ある意味特殊な時代かもしれない。以下、著書の最後の部分より引用
かつてわれわれの祖先は、非情きわまりない世界に住んでいた。人類史の大半にわたって、人は短くも過酷な生活を送り、平均寿命が二十歳ほどだったのだ。彼らはつねに病気の恐怖におびえながら、運命のなすがままに生きていた。そうした祖先の骨を調べてみると、ぼろぼろになっているのがわかる。これは日常的に大きな負荷をかけていた証拠だ。骨には、病気やひどい事故を明白に示す跡も残っている。前世紀でさえ、われわれの祖父母の代は、近代的な衛生設備や抗生物質、ジェット機、コンピュータ、その他先進の電子機器がないなかで暮らしていた。
一方、孫の代は、地球で最初の惑星規模の文明の黎明期に生きることになるだろう。われわれが暴力的な本能によって自滅しなければ、孫たちは、資源不足や飢餓や病気に運命をおびやかされない時代に暮らせるはずだ。現在われわれは、人類史上初めて、地球上の全生命を滅ぼしもできれば、地球に楽園を実現することもできる手段を手にしている。
子どものころ、私はよく、遠い未来の暮らしはどんなものだろうと考えた。だが今では、好きな時代に生きられるとしても、現代を選ぶだろう。現代は、人類史で最も刺激的な時代であり、これまでで最大級の、宇宙にまつわる発見と技術の進歩が目前に迫っている。われわれは、生命や物質や知能を操作する能力によって、自然のダンスを見る受け身の観客から、このダンスの振りつけ師へと、歴史的な変貌を遂げようとしている。だが、この恐るべき力とともに、われわれの努力の成果を全人類の利益となるべく賢く利用するという、大きな責任も生まれている。
8月4日 暑さについて
猛暑日が、続いている。私は、セミがガンガン鳴いて汗をだらだらかくような真夏が、どちらかというと好きである。
最近では、室内でも積極的に冷房を入れて快適な状態を保つことが呼び掛けられている。その通りだと思う。一方で、私が結婚したころ、埼玉に住んでいたが家に冷房が無かった。扇風機を浴びながら、氷水を飲んで暑さをしのいでいたが、それほど苦しくはなかった。そのうち、誰かから冷房をもらって設置したものの、リビングにしかなく、2007年8月16日のつぶやきにあるよう、何とか寝室に冷気を引くために四苦八苦したりしていた。
熱中症になっては元も子もないものの、近年の異常な暑さは、そのうち普通のことになるであろう。その場合には、この暑さに体を適応させなければならない。以前にも書いたが、人はそこに住む地域の最高気温で暑いと言い、最低気温で寒いと言う。インドネシア人は、25℃で寒いと言い、33℃で暑いと言っていた。おそらく、エスキモーは5℃でも暑いというのではないか。
冷房などを使用して、快適な温度で過ごすことが悪いとは言わない。しかし、それをやりすぎると、体の適応能力が下がり、暑さ、寒さにどんどん弱くなるのではないか。暑さ・寒さに身を置いて、その環境に慣れる訓練をしていかなければ、今後の気候変動に体が追い付いていかない気がする。
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