2022年
11月のつぶやき




11月29日 ソードアート・オンライン

 図書館で借りて、川原礫のライトノベル「ソードアート・オンライン」を読んでいる。40代のオッサンが読むような小説ではないが、これがなかなか面白い。

 「ナーヴギア」と呼ばれるヴァーチャルリアリティの装置を装着することで、ユーザーの脳に直接接続して仮想の五感情報を与え、仮想空間でリアリティあふれるゲームを楽しめるのだが、そのゲームをクリアしないとログアウトできず、ゲーム内での死は本物の死を意味することになってしまう、デスゲームを生き延びる物語である。

 この小説は、2002年に執筆されたらしいのだが、小説内で「ソードアート・オンライン」が発売されたのが、2022年11月6日という設定であり、要するについこないだである。私は、この日の朝日新聞の広告で知った。2002年時点の未来予測としては、かなりいい線をいっているのではないかと思う。現代のVR機器が、小説のように脳に直接信号を送ることはできないものの、「没入感」という言葉はよく聞くようになった。あと10年もすれば、本物の「ソードアート・オンライン」が発売されるかもしれない。

 今は、4巻を読んでいる。「ライトノベル」というだけあって、気軽に読め、爽快なのが良い。一方で、ゲームの世界観はディテールまで描かれていて、読みごたえもある。10代の少年の欲求が余すところなく満たされる感じも、ほほえましくて面白い。


11月22日 おてもやん

 週末ごとに、母のギターと私のフルートで、リモート合奏練習をしている。母は、しばらく肩を痛めており合奏練習を中断していたのだが、少しずつ良くなってきたとのことで、再開したのである。久しぶりの合奏練習の成果は、熊本県民謡「おてもやん」である。ギター二重奏の楽譜のうち、主旋律部分をフルートで吹いて仕上げた。途中で半音進行もあり、なかなか面白い編曲であった。

 離れていてもほぼ音ズレを気にすることなく合奏ができるなんて、不思議な世の中になったものである。少しずつ、のんびりと続けていきたい。

おてもやん フルート&ギターアンサンブル
https://www.youtube.com/watch?v=vrcH1gdF5cA


11月22日 優一と囲碁

 下にも書いたが、優一に囲碁をやらせてみたところ、実に楽しそうに打っていたので、子供向けの入門書を買ってあげた。優一は、すぐに読み進めて、理解したようである。囲碁は、ルールはシンプルだが、理解するのが難しく、私も覚えたてはかなり戸惑ったが、優一はすんなりと理解している。

 今日、仕事を終えて家に帰ると、買ってあげた入門書はすべて読んだという。対決したところ、ずいぶん強くなっていた。そして、実に楽しそうに、大はしゃぎしながら打つのが良い。渋いイメージがあるが、本来ボードゲームというのはこのように楽しくやるものだと思う。

 優一を突き動かす原動力は、「お父ちゃんをズッタズタのボッコボコにやっつける」ことらしい。優一は、私が囲碁の初心者であることを知っており、手っ取り早く「親父越え」できるのが囲碁というわけである。


11月12日 すずめの戸締り

 家族で、新海誠の新作アニメーション映画「すずめの戸締り」を観にいった。この映画は、特にサチコが観たいと言っていた。高校生の主人公、すずめが、各地の廃墟に存在する、災いを呼び覚ます扉を閉めるために、謎の猫と、椅子にされた男性とともに旅をする物語である。こう書くと、非常に奇妙な話である。

 久しぶりに、泣きながら映画を観た。最近は、ドラマ等で心が動くことが少なくなってきたので、我ながら驚いた。どちらかというと、全編を通じて悲しかった。現代日本を描くにあたり、「こういう形の映画を作らざるを得なかった」という思いが伝わってくるようであった。これから、日本全体がゆっくりと老いてゆく、それは、単に高齢化という意味ではなく、国としての力が失われていくであろう。そして、人々の自然に対する感受性は失われる一方で、自然災害のリスクは高まりつつある。そんな先の見えない時代であっても、子供たちには満ち溢れる祝福を与えたい。心から、生まれてきてよかったと言いたい。私は、映画からそんな思いを読み取った。

 もちろん上記は、私の勝手な解釈であり、映画のストーリー自体はコミカルなシーンもあり、手に汗握るアクションシーンもあり、極上のエンターテインメントとして純粋に楽しめるものである。それでも、その根底にある通奏低音のようなものがかすかに聞こえる。それは神話のような普遍性もあり、現代だからこそ描くべき時事性もある。もう一度映画を観て、もっと理解したい。そう思えるほどいい映画であった。

 サチコは、この映画をかなり気に入ったらしく、帰りに本屋で小説を買っていた。私も読ませてもらおうと思った。ちなみに、優一にはちょっと難しかったらしく、退屈気味であった。


11月11日 罪と罰

 ドストエフスキーの「罪と罰」をようやく読了した。この本は、インドネシアにいるときに買った。インドネシアでは、日本の書籍は定価の2倍くらいする。読む本が無くなったとき、高い金を出して買うのなら、難解で読みづらい本のほうが長持ちする。「罪と罰」は、恐らくそんな理由で買ったのだが、当時は、途中で諦めてしまい、読了することができなかった。

 先日、関東方面に出張する機会があり、往復の移動時間を使って、「罪と罰」を読み終えようと決心した。内容としては、選ばれし者は、大きな善行のためなら現行の法を破っても構わないと思い込んだ主人公、ラスコーリニコフが借金取りの老婆とその妹を殺害し、苦悩の末自首する、という内容である。

 初めて読むロシア文学は、難解である。まず、人の名前が複雑である。例えば、主人公ラスコーリニコフは、本名が「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」で、文脈によってロジオン、ロージャなど表記がコロコロ変わる。それが全登場人物について同様なのである。

 ここに登場する人物は、ほぼ全員が神経症気味で、怒鳴り散らしたと思えば泣き出したり、突然笑いだしたりする。人の家に勝手に上がり込んだり、待ち伏せしたりしては、口論をしている。

 正直に言うと、何が面白いのか全く分からなかった。私は、人間関係と感情だけで構成された文学に興味が無いらしい。当時の時代背景や社会思想を知っていれば、違った読み方ができるのかもしれないが、今の私には、この本を楽しむことはできなかった。それを知ることができたこと自体、読んでよかったと思う。


11月5日 授業参観

 今日は、子供たちの授業参観であった。コロナの影響で、参加できる親は一名のみ、授業のうち、子供の出席番号が偶数の親は前半20分、奇数は後半20分と、時間限定での参観である。妻はサチコの、私は優一の授業を参観することにした。

 優一は、国語の授業を受けていた。小学1年生の授業は騒がしい。そんな子供たちを制御するために、だれかが「話を聴いてください」と言ったら、全員が「はいどうぞ!」と答えてそちらを向くよう教育されていた。反射的な反応を利用していて、面白いと思った。

 授業のテーマは、「言葉の中に隠れた言葉」である。「すいか」の中には「いか」がいる。「ぼうし」の中には「ぼう」がある、「うし」がいる、といった内容で、言葉遊びとともに、生き物に対しては「いる」が、モノに対しては「ある」が使われることを学んでいた。

 授業を聴きながら、これはなかなか難しい問題だと思った。「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)という本があるように、科学的に生物を定義すること自体が難問である。そうでなくても、例えば、生物であるはずの草木に対しては、ふつうは「ある」を使うし、無生物であるネコ型ロボットには「いる」を使う。私たちは、目視で自律的な動きが確認できるものを「いる」、目視では動いていないように見えるものを「ある」と答えるのだろうか。しかし、AIが搭載された自動運転車は「ある」でよさそうだ。

 そんなことを考えながら授業を聴いていると、子供たちが「言葉の中に隠れた言葉」を考えて発表する時間になった。子供の発想は面白い。「大石先生の中には『石』がある」など、固有名詞まで発表していた。

 最後に発表した児童は、「ダイヤモンドの中には何がありますか?」と皆に問いかけた。周囲で見守る大人たちの表情が、一瞬こわばった。この子は、「ダイヤモンド」の中には「ダイヤ」がある、と言おうとしているのか。それでは意味が同じではないか。周囲の児童たちは、我こそは答えようと手をまっすぐ上げて、ハイ!、ハイ!とアピールしている。先生が「せーの」というと、「ダイヤ!」という声が上がった。

 その子は「正解は、『もん』(門)でした」と答えた。


11月1日 碁盤を買う

 先週末、リサイクルショップで碁盤を買った。囲碁は、習ったこともなければ、人と対戦したこともない。インドネシアに赴任していたころ、通勤の渋滞が酷く、この無益な時間を何か有効に使えないかと色々始めた中のひとつが、スマホの囲碁であった。一時帰国した際に、入門書を買い、スマホのアプリで囲碁を打っていた。

 囲碁のルールは、極めてシンプルである。しかし、そのシンプルさと自由度ゆえに、何をしていいのか分からない。適当に打っているうちに、いつのまにかスマホに負けているといった感じであった。

 リサイクルショップで買った碁盤を使って、優一に囲碁のルールを教えてみたところ、割とすんなり理解していた。将棋と違って、駒の動きや並べ方などを覚える必要が無いため、子どもにはとっつきやすいらしい。その後も、驚くほど早くポイントを理解し、囲碁を打ち始めた。「自分の陣地を囲む」という感覚が楽しいらしく、取っても取られても大はしゃぎで囲碁を打っているのには、驚いた。

 私も、初めて本物の碁盤を使用して、人と囲碁を打つ経験をして、こんなに楽しいものかと思った。プロ同士の戦いは、私の理解を超えるが、単純な陣取りゲームとしてとらえると、思った以上に分かりやすい。

 機会があれば、囲碁もちゃんと習ってみたいと思った。


11月1日 フォニイ

 サチコのリクエストで、「フォニイ」という歌をリコーダー4重奏に編曲し、録音してサチコに歌ってもらった。「フォニイ」は、ボーカロイドが歌う曲で、「偽物」という意味を持つこの曲の歌詞は、ボーカロイドの自分が偽物であることを自覚するような内容となっている。

 最近のサチコからのリクエストは難曲が多く、なんとかリコーダーで吹けそうなものだけ応えてあげている。「フォニイ」のメロディは、なかなか変化に富んでいて面白い。中盤の「パッパラパッパラパパパ」は突如として現れ、その後の流れは青森県民謡「ホーハイ節」を思わせるような、独特でユーモラスなオクターブ進行が続く。サチコが気に入る曲は、たいてい私も気に入るあたり、親子だなぁと思う。

 本来は、3分くらいの曲で、途中から更なる転調もあるのだが、さすがにそこまではリコーダーで吹けない。半分くらいにして、なんとかリコーダーで吹ける範囲だけを多重録音した。サチコは、Ipadで味のある絵を描いてくれ、私のリコーダーに合わせて歌ってくれた。

 なかなか良い感じに仕上がったと、満足している。 https://www.youtube.com/watch?v=B5mxCqSzkzw

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