2023年
1月のつぶやき




1月22日 人口大逆転

 図書館で借りて「人口大逆転」(チャールズ・グッドハート&マノジ・プラダン著)を読んだ。経済学の専門書で、詳しい内容は殆ど理解できなかったが、本書の結論は序章に書いてある。「本書の主要命題は、人口構成の大逆転が近い将来にインフレ率と金利の上昇を引き起こす」(p45)。続く各章でこれの裏付けと分析内容が延々と続く、研究論文のような文書構成であるため、本書の言わんとすることはギリギリ理解できる。

 私が理解した範囲で要約すると、世界的な高齢化、特に中国の労働人口の減少により、需給バランスが崩れ(供給の減少)、インフレと金利上昇の時代が来る。それにより労働組合の声は強まることで賃金は上がり、格差は縮小する。また、グローバル化は縮小し、各国はより保守的になっていく。

 驚くべきことに、本書のほとんどは、新型コロナウィルスによるパンデミックが始まる以前に書かれた。そして、パンデミック初期に書かれた付記により、上記の傾向はパンデミックにより加速されるだろうと予測している。そして今、まさに世界は本書が予測したほうに進んでいるように思える。今起こっている物価高の原因は、新型コロナによるパンデミックや、ウクライナ危機による散発的な現象だと思っていたが、もっと長期トレンドによる必然的な傾向の可能性がある。

 その場合、コロナが収束したら、または戦争が終わったら物価は落ち着くなど、悠長なことは言っていられない。物価高(インフレ)とは、貨幣の価値が下がることである。物価が2倍になれば、我が家の貯蓄が半分になったのと同じことである。世界的な潮流を把握することで、我が家は、それにどう対処すべきか、考えていかなければならない。今のうちに好きなことにお金を使ってしまうのも、ひとつの案である。

 また、本書を読む限り、65歳で定年して悠々自適の生活は望めなさそうである。労働者不足により、私は死ぬまで働くことになりそうだ。それはそれで悪くないであろう。


1月20日 師走のマジックバトル2022 師走の決戦

 昨年末、表題の番組が放送された。一流のマジシャンたちがマジックを披露した後、ゲストによるムチャブリ(後ろから見たい、ジャケットを脱いでほしい等)に応えて「ムチャブリ返し」をする内容である。面白そうだと思い、私が予約録画したところ、子供たち(特に優一)が異常な興味を持ち、未だに毎日のように録画を観ている。

 年末年始の特番など、一度観て楽しんで、そのまま忘れ去られるようなものであろう。ところが、優一のおかげで、この番組は毎日のように我が家の食卓で放映され、ここのマジックのタネはああだこうだと、話題になっている。

 そのうち、一部のマジックについては、トランプを仕込む瞬間が見えたとか、タネが推測できたとか、ゲストのうち誰と誰がサクラだとか、そんな話で盛り上がるようになった。マジックを楽しむ態度としては、非常に野暮である。

 もう何度も観ているのに、ついつい観てしまう。そして、何度観ても全く予想もつかないマジックもあるし、タネが分かったとしても、その技量には驚嘆するばかりである。


1月15日 不思議居酒屋

 和太鼓公演の後、家族で家の近くの居酒屋で外食することにした。予約のため店に電話を入れると、「ハイ!」という小さな女の子の声がした。かけ間違いかと思って、店の名前を言うと、やはり「ハイ!」と元気な声。予約をしたいと言うと、声が小さくなって「ママー、予約のお客さん」という声がした。その後、女の子の伝言を通じて、人数、時刻などを伝え、予約が完了した。

 店に着けば、まずは犬が出迎えてくれた。非常に人懐っこい犬で、犬の苦手な私でもすぐに仲良くなれた。傍らには、生後2か月の赤ちゃんが眠っている。そして、電話予約を受けてくれた店の看板娘エマちゃんは、なんと5歳であった。犬と女の子が大好きな優一は、食事そっちのけで犬を撫で、女の子とはしゃいでいる。

 食事や飲み物を注文すると、エマちゃんが運んできてくれた。来年小学生になるエマちゃんと、ランドセルの色などで盛り上がる不思議なトークが展開された。そのうちエマちゃんは自分のコーラを持ってきて、ちゃっかり私たちのテーブルに座った。「すみっコぐらし」の絵本を持ってきて、妻に読み聞かせをさせている。私がビールのお代わりを頼むと、仕方なさそうに読み聞かせを中断し、持ってきてくれる。

 生後2か月の赤ちゃんは、エマちゃんの妹である。常連客がおむつを替えてあげたりしている。エマちゃんが妹を抱っこして私たちのところに連れてきた。新生児を抱っこするのは久しぶりである。羽のような軽さが懐かしかった。妻は感激し、妹ちゃんを抱っこして癒されていた。私は、ガラガラを持って赤ちゃんをあやしていた。

 アットホームにも程がある。家からすぐのところに、こんなに面白い居酒屋があるとは思わなかった。私、妻、優一は大満足で店を後にした。人見知りで犬がやや苦手なサチコは、逆にちょっと疲れたようであった。


1月15日 つくし太鼓50周年記念公演

 昨日は、私が子供たちと参加している「つくし太鼓愛好会」の50周年記念公演に参加した。

 ひとことで言えば、非常に楽しく、貴重な時間であった。私には、「故郷」と言える場所が存在しない。生まれ育った土地はあるものの、転勤が多く、どっしりと地元に根を張って生きるという感覚が無い。私は、学生時代から各地域に伝わる和太鼓をやってきたが、そこで打つ太鼓の楽しみとは、自分が持っていない土地のリズムを感じ、表現することであった。いくら近づこうと練習を重ねても、決して地元の人たちが持っている音には近づけない。そんな郷愁にも似た感覚が、和太鼓の練習に駆り立てた。

 「つくし太鼓」は、私が初めてひとつの打ち方のみを練習し続けた太鼓曲かもしれない。打ち方は非常にハードで、一曲打つだけでへろへろになるが、お陰で日々の生活が充実している。

 土曜日は準備とリハーサル、日曜日も朝から準備があり、あわただしい週末であったが普段できない経験をさせてもらった。公演内容は、つくし太鼓以外にも多くの和太鼓団体が参加し、ヴァイオリンとピアノ演奏まで入り、2歳児の演奏も入ったかと思えば、最後はプロの和太鼓集団の特別公演があり、盛りだくさんのひとときであった。子供たちは、なかなかない長丁場で疲れたようだが、良い経験になったであろう。こうした出会いは、本当にありがたい。


サチコと優一





公演終了後




1月10日 ボードゲーム

 我が家で、ボードゲームが流行っている。

 私は、以前より父とオンライン将棋で毎週末対決をしている。そして昨年、思い付きで中古屋で碁盤を買ったところ、優一が囲碁に夢中になった。子供向けの囲碁の入門書を2冊買ってあげたら、すでにどちらも読破した。そしてサチコは、知らぬ間にオセロに夢中になり、アイパッドと日々オセロ対決をしているようである。サチコは、人と対決することを好まず、基本的にはアイパッドとのみ対戦している。

 昨日、子供たちと少し離れたところにあるショッピングモールに行った。サチコはオセロの本を買い、優一は詰碁が180問入った本を買った。どちらもすでに子供向けの本では物足りず、大人用の本である。優一には読めない漢字だらけなので、その場合は私が読んであげているが、気付けば勝手に読み進めている。詰碁の実力は、私も優一も似たようなものなので、わいわいと議論をしたり、鮮やかな手法に感嘆しながら読み進めている。

 そして妻は、優一の感じている世界を少しでも理解したいらしく、スマホに囲碁アプリを入れたようである。これらのボードゲームは、流行りのスマホゲーム等とは異なり、恐らく一生楽しむに値する。こういったゲームで人の輪が広がればと思う。


1月3日 ソードアート・オンライン

 この年末年始は、昨年末より、図書館で借りて読み始めた小説、「ソードアート・オンライン」(川原礫著)を読み進めた。ライトノベルという形式をとっているものの、その内容は壮大なファンタジーでありながら、近い将来起こり得るであろう、社会問題・倫理的課題にまで切り込んでいる。

   著者は、仮想世界におけるデスゲームを描いた1巻「アインクラッド編」を描いた際、その続編のことは頭になかったという。私も、1巻を読んで十分に描き切った感じがしたので、これ以上何を語ることがあるのか、と不思議に思った。

 ところが、それに続く「フェアリィ・ダンス編」は、仮想世界ではプレイヤーは羽の生えた妖精となり、種族ごとに社会を形成している世界が設定される。その世界の中心にある世界樹の上に捕らわれたヒロイン、アスナを主人公キリトが取り返すべく奮闘する、王道のエンターテインメントであった。更に続く「ファントム・バレット編」では、スナイパーの少女が登場し、仮想世界の白熱した銃撃戦が、現実世界におけるある犯罪と並行して描かれる。いずれも、前作と全く異なるテイストで、楽しめる。

 そして、私には7巻「マザース・ロザリオ編」が最も印象的であった。本シリーズで登場する「アミュスフィア」は、現代のVRゴーグルとは異なり、脳神経に直接作用するため、現実世界の体を動かすことなく、仮想世界で動き、世界を感じ、人と交流することができる。この技術は終末医療に役立てられ、寝たきりの難病の子どもたちのカウンセリング等が仮想世界で行われている。彼らは、残された命を自覚しながら、仮想世界で精一杯生き、自身の痕跡を残そうと奮闘する。

 そして、9巻から18巻まで、10冊にわたって続く「アリシゼーション編」で、話は更に複雑化し、壮大になっていく。人間の脳をまるごとコピーした世界を平均化することでつくられた「本物の仮想世界」アンダーワールドでは、「人工フラクトライト」と呼ばれる人たちが300年にわたり文明を築き上げている。(現実世界からの操作により、時間を加速することができるため、実際は数年である)そこに暮らす人たちは、仮想世界の住人でありながら、人間の脳をまるごとコピーした量子データから作られており、原理的に人間と同じ感情を持って泣き笑い、また感じる苦痛も現実世界の変わらない本物の痛みとなる。その目的は、人間と変わらない知能を持つ「真正ボトムアップ型AI」を開発し、軍事利用しようとすることであった。

 こうして生みだされたAIに「人権」は適用されるべきか。著者は、容赦のない問いを投げかける。そのテーマの大きさは、著者にとっても手に負えないものであったに違いない。この10冊に及ぶ大作は、以前の作品に比べると粗削りな印象を受けるものの、それだけに熱量を感じる作品であった。

 小説世界では、上記の年代は2022年から2026年である。1巻が描かれたのが2001年であったから、未来予測としては少しズレがある。それでも、いい線を行っているのではないかと、私は思う。私が生きている間に、人類が上記のような仮想現実の技術を確立する可能性は高いと思うし、それに付随する社会的・倫理的な問題も発生するであろう。その際、本書で描かれた内容は、ひとつの指針になりうるかもしれない。


1月2日 吉野ケ里遺跡へ

 明けましておめでとうございます。今年の正月は、特に何も予定を立てず、のんびりと過ごした。子供たちは家でアイパッドやテレビゲームをしている。一日中家でごろごろしても、特にストレスは感じないらしく、ずっと上機嫌でニコニコしている。私は、一日一回は外に出ないともやもやするため、たまに走りに出たり、子供たちを無理矢理引き出して公園に行ったりしている。妻も、買い物ついでに散歩をして、「ドラクエウォーク」の世界でも冒険をしているようだ。

 今日は、私と子供たちで、吉野ケ里遺跡の公園にバーベキューをしに行った。年末年始は西鉄バスが子供50円キャンペーンをしており、子供たちはどこまで乗っても50円である。バスはがら空きで、一番後ろを陣取って40分程度の旅路を楽しんだ。持ち物は折りたたみのコンロと炭、小型テーブルなどで、折りたたみ椅子を子供たちのリュックに詰め込んた。食材は、到着後のスーパーで買い込んだが、もともと小食の子どもたちなので、それほど多くは買わない。

 サチコは、かねてより体験館で銅鏡が作りたかったらしく、まずは銅鏡づくりを行った。実際は銅ではなく、低融点の錫とビスマスの合金らしいのだが、溶けた金属を鋳型に流し込み、サンドペーパーで削る作業は楽しいらしく、夢中で取り組んでいた。最後、ピカールで拭きあげれば、自分の顔がきれいに映った。

 その後、バーベキューをした。天気も良く、寒くもなく、絶好の日和であったが、バーベキューをしているのは、私たちだけであった。牛肉、焼き鳥、さつま芋、するめなどを焼いては食べた。絶品だったのは、スーパーで安売りされていたヤマザキのランチパックであった。これをホットサンドメーカーで焼けば、手軽なホットサンドになった。

 デザートまで食べ終えると、サチコはオセロの本を、優一は囲碁の本を読み始めた。勉強熱心な子供たちである。その後、優一が持ってきた九路盤のポケットサイズの囲碁で、2回ほど対決してからアスレチックに向かった。

 最後、サチコが「ふわふわドーム」で遊びたい、と言った。人気の遊具のため、一回5分で行列ができている。遊べるのは小学生まで、と書いてあり、小学校時代最後の思い出作りらしい。年齢詐称して遊べるのに、とは思うが、そのあたりはずいぶん真面目である。

 一日中遊んで、帰ってきたら心地よい疲労感である。やはり子供たちと遊びに行くのは楽しい。暖かくなったら、キャンプにも行きたいなぁと、改めて思った。

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