2023年
2月のつぶやき




2月19日 高千穂へ

 今週末は、高千穂へ家族旅行に行った。高千穂は、宮崎県の北西部、九州のほぼ中央にある、山間の町である。独特の地形が特徴の高千穂峡のほか、天照大神が隠れたと伝えられる、天岩戸があり、神話の町として知られる。旅行を決めた後、「ブラタモリ」で高千穂を特集しており、何度か観て予習をした。

 高千穂に着いて、まずはあまてらす鉄道に乗りに行った。あまてらす鉄道は、2005年の台風被害により、前線運休となった高千穂鉄道の線路を利用する形で、観光列車として運行している。「鉄道」としてではなく、「遊具」として営業しているらしい。

 道に大きな看板などは出ていないので、迷いながらたどり着いた時には、発車2分前であり、ギリギリで切符を買って滑り込んだ。切符は懐かしの硬券である。ディーゼル動力車が引くトロッコに乗って、イルミネーションされたトンネルを通り、高さ105mメートルの高千穂鉄橋の真ん中で停車し、壮大なパノラマを楽しめた。運転手のオジサンがシャボン玉を飛ばしながら、面白い話をしてくれる。


あまてらす鉄道の「グランドスーパーカート」


高千穂鉄橋からの眺めとしゃぼん玉

その後は、ホテル四季見にチェックインした。ここ最近は、テントかコテージにばかり泊まっていたので、上げ膳据え膳のホテル旅は久しぶりである。離れの和室でのんびりと過ごし、豪華な夕食を食べた。食事は、美味しかった。郷土料理が多く、丁寧に作られている感じがする。子供たちも、いつになくたくさん食べていた。


ホテルで囲碁に興じる優雅な親子


夕食の煮物とイワナの包み焼。取り箸は乾燥させた葦(ヨシ)で、
持ち帰ってお守りにするとのこと

 二日目は、雨であった。チェックアウト時間の10時ギリギリまでホテルでごろごろして、まずは 天岩戸神社へ。古事記で、天照大神(アマテラスオオミカミ)が隠れ、世界が真っ暗になってしまったという、天岩戸を御神体とする神社である。天岩戸は、神主による案内という形で、参拝することができた。写真撮影は禁止である。天岩戸は、かなり高いところにあり、しめ縄で封印されている。天照大神が二度と隠れないよう、結界を張ったということらしい。神様がしめ縄を通れないというのも、不思議な感じがした。

 続いて、600メートル位先にある、神々の会議室(ブラタモリによる)といわれる「天安河原」(あまのやすかわら)へ行った。サチコがお腹が痛いということで、私と優一だけで向かった。険しい渓谷に、ぽっかり空いた巨大な空間は、想像を絶する規模であった。


天野安河原

 最後は、高千穂峡に行った。かつてここの美しい風景を写真で見て、高千穂に行ってみたいと思うきっかけになった場所である。実際に行けば、その風景は素晴らしかった。「ブラタモリ」によれば、高千穂峡は、阿蘇の噴火の溶岩が冷えて固まった「柱状節理」と呼ばれる巨大な柱の上に「エンタブラチュア」と呼ばれる、別の構造の溶岩が乗った形をしているらしい。この奇妙な地形は、神様が作ったと言われたら、そうかもしれないと思わせる力がある。あるいは「進撃の巨人」の「硬質化の力」により作られたような感じである。


柱状節理とエンタブラチュア。驚異的な地形


柱状節理を上から見たところ
なんとなく規則的で美しい

 高千穂峡を見て、帰路についた。子供たちにとっては、神社巡りなどは退屈であったようだが、引退したら夫婦でもう一度来てもいいかと思えるような、渋い町であった。神話の町ということでもっと古事記に精通していたら、更に楽しい旅であったかもしれない。ちなみに、映画「すずめの戸締まり」の主人公、岩戸鈴芽の名前は、天岩戸に隠れた天照大神の前で舞を踊り、岩戸を開かせた天鈿女(アメノウズメ)に由来するという。すずめの旅の出発点は、宮崎県であった。今読んでいる、荻原規子の勾玉三部作(空色勾玉、白鳥異伝、薄紅天女)も、古事記をベースに作られた小説である。古事記は、ふとしたところで見え隠れする。こうの史代の「ぼおるぺん古事記」を読み返して、日本の神話の世界を楽しんでみようと思った。


あまてらす鉄道にて




2月12日 囲碁

 ついに、優一と互先(ハンデなし)で囲碁を打ち、普通に負けた。私も初心者とはいえ、こんなに早く負ける日がくるとは思わなかった。優一は歓喜し、もう父ちゃんには負けないゾ、と言ってくる。子供の成長は、想像以上に早い。

 私も、本気で打ったとはいえ、慎重さに欠ける点はあったと思う。優一には、次は「スーパー父ちゃん」で戦ってボコボコにしてやる、と言ってやった。それにしても、この悔しさと嬉しさの入り混じる感覚は、何とも心地よいものである。


2月12日 ふらふら

 先週の金曜から、ふらふらする。めまいに近い症状で、そのせいで車酔いをしたような感じになり、吐き気を伴う。30代前半で苦しんだ、メニエール病の影響だと思われる。大抵は、疲れが溜まったり、不摂生な生活をしているとこの症状が出てくる。

 すでに何度も体験していることなので、心配はしていない。対処法もはっきりしている。睡眠をしっかりとって、アルコールとカフェインを断てば、吐き気はすぐに収まるし、ふらふら感も1週間くらい消失する。むしろ、こうして体がサインを出してくれていることに感謝している。ふらふらしてきたら、ちょっと最近飲みすぎているなとか、夜更かしが続いたとかいうことが分かり、生活を見直すきっかけになる。

 そして、ふらふらするからといって、家にこもっていてはいけない。今日は子供たちと太鼓の練習に行き、思いっきり太鼓をたたけば、だいぶすっきりした。


2月6日 空色勾玉

 図書館で借りて、「空色勾玉」(荻原規子著)を読んだ。古代日本を舞台として、輝(かぐ)の御子と闇(くら)の氏族の争いのなか、闇の巫女姫と輝の異端児で大蛇(おろち)の剣の主による冒険を描いた、壮大なファンタジー小説である。登場人物は、古事記の神々がモデルとなっている。朝日小学生新聞の「この本いいよ」のコーナーで、小学生が薦めていたのを見て、面白そうだと思ったのである。

 小学生新聞に載っているくらいだから、簡単に読めるだろうと思ったら、540ページもある文庫本で、余白は極限まで切り詰められ、ぎっしりと文字が詰まっている。内容はかなり壮絶で、残酷な描写もあり、私が小学生の頃にはとても手が出せなかった内容である。それでも、内容は素晴らしく、読めば古代日本の風景や匂いまでもが感じられ、映像が目に浮かぶように躍動する。長編アニメーションで観てみたいと思うが、小説として読んで、空想するのがちょうど心地よいようにも感じる。

 「勾玉三部作」として、続編があるらしい。早速、図書館で予約した。


2月5日 多様な価値を認める

 昨日、性的少数者や同性婚をめぐる発言で、首相秘書官が更迭された。発言の内容を鑑みれば、当然であろう。多様な価値を尊重する現代の風潮からすれば、この発言は言語道断である。

 一方で、「多様な価値を尊重する」とはどういうことであろうか、ということも考える。「結婚は異性間のみで行われるべきだ」「女性は全身をブルカで覆うべきだ」といった意見は、「多様な価値観」の中には含まれないのであろうか。

 インドネシアにいたころ、渋滞の車の中で運転手と色々な話をした。彼は、イスラムの教えでは男と女が愛し合うべきだと言っていた。男同士、女同士で愛しあうのはおかしいという。ダーウィンは間違っているとも言っていた。人間が昔は猿だったなんて、荒唐無稽だという。それでも彼は、優しく、ユーモアに富み、人格者であった。

 私は、まさに「多様な意見があるものだ」と思った。私の考えとは違うが、そういう考えを持つ人もいる。そこに対話は必要であろうか。「人は人、私は私」と思うほうが、よほど平和だと思う。


2月5日 スマホを買い替える

 7年ぶりに、スマホを買い替えた。これまで使っていたスマホは、インドネシアで買ったサムスンのもので、なかなか使い勝手が良く、使い続けていた。バッテリーを自分で替えられるタイプだったので、バッテリーがへたってきたら、自分で手軽に替えられ、これまで使い続けることができた。それでも、ケースはボロボロになり、電源ボタンは取れてしまった。先端の尖ったものでつつかないと電源の入り切りができない状態で、数年使い続けた。

 使えないことは無かったが、さすがにストレージがほぼ満タンになり、毎週の様にキャッシュを削除しないといけない状況になったので、買い替えることにした。スペックは今の倍のもので、価格は今のものよりも安い。ついでに、SDカードも買ったら、128GBで1500円くらいであった。

 改めて、とんでもない時代が来たものだと思った。私が学生の頃は、3.5インチのフロッピーディスクに1MBくらいしか入らなかった。それが今や、1p四方くらいの小さなSDカードにその10万倍くらいのデータが入り、このなかに映画が何十本も入れて持ち歩き、好きな時に見ることができる。そんな凄いものがこんなに安く買えて良いのだろうか。

 スマホの変更は面倒である。ひととおりやるべきことをやって、今にいたる。


2月5日 義父と囲碁をする

 最近、義父とオンラインで囲碁を始めた。私は、インドネシアの渋滞のなか、スマホアプリで囲碁を学んだのみで、優一以外との人間と囲碁をやったことがほとんど無い。

 人とやる囲碁は楽しいものだと思った。定石も知らないが、気ままに打てるのが良い。上手いなら上手いなりに、初心者は初心者なりに楽しめるところが良いと思う。

 優一の囲碁好きは止まらない。週末ごとに強くなっている気がする。ついに今日は置石(ハンディ)無しで対戦することになった。それでも十分に楽しく戦え、手加減の仕方が分からないくらいになっている。

 こうして、一生楽しめる趣味を身につけてくれたのは良かったと思う。


2月3日 女王の教室

 2005年のテレビドラマ「女王の教室」を見返している。「悪魔のような鬼教師に戦いを挑んだ小学六年生の一年間の記録」が記されたドラマで、当時は賛否両論を巻き起こした問題作であった。

 ゆとり教育に対するアンチテーゼのような形で作られたドラマであったため、今の時代に観るに堪えるものかということが気になったが、第一話を見る限りでは、今でも通じる、普遍的な内容に思えた。内容もさることながら、それを支えているのが、志田未来をはじめとした子役たちの演技力である。

 「先生が怖い」というだけでここまで惹きつけることができるのはすごいと、改めて思った。

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