2023年
3月のつぶやき
3月25日 チャットGPT
今朝、朝食を食べていると、優一が「太陽は地球の大きさの何倍なの?」と訊いてきた。そこで、最近流行りの「チャットGPT」に訊いてみることにした。
私:「太陽の直径は地球の何倍?」
チャ:「太陽の直径は地球の約109倍です。具体的には、太陽の直径はおよそ1,391,000キロメートルであり、地球の直径はおよそ12,742キロメートルです。」
大したものだと思った。日本語でも自然な文章を一瞬で返してくれるのは驚きである。続いて、サチコが、テレビなどで放送禁止用語を喋ったときに鳴る「ピー」の音の高さを知りたいと言った。
私:「放送禁止用語のピーッの音の音階は?」
チャ:「ピーッ」という音は、通常は440HzのA音を基準にした音階である「ラ(A)」の上にある「シャープ(#)」とされています。つまり、ピーッという音は「ラ#」という音に近いとされています。ただし、実際に使用される音階は放送局によって異なる場合があるため、一概には言えません。」
その後、キーボードでラ#の音を出し、ピー音を確認した。そして、私が「ウン」と言ったら、サチコがキーボードで「ピーッ」と鳴らす、下らない遊びをしてゲラゲラ笑い、土曜の朝は過ぎていった。
ちなみに、私のチャットGPTの印象は、「知ったかぶりをする嘘つきな人」である。それっぽい答え方をする割に、情報の真偽はかなり怪しい。同じ質問をしても、回答は毎回異なる。上記のピー音についても、ウェブサイトで調べてみると、この音は「自主規制音」と言われ、周波数が1kHz(=1,000Hz)の正弦波を使用することが多いとされる。1kHzは、音階でいえば「シ」が最も近い。チャットGPTが示した音は、440Hzの半音上ということであるから、約466Hzであり、全くの誤情報であった。
無料で手軽にアクセスできる情報は、簡単に信用してはならない。
3月19日 桃鉄
最近、妻と優一が、任天堂スイッチで「桃太郎電鉄」をプレイしている。日本地図上に張り巡らされた線路をすごろくで進み、指定された目的地を目指しながら、訪れた土地の名物等を買収しつつ、お金を増やしていくゲームである。数年前にサンタさんがくれたのだが、ここ最近、妻と優一の間でブームが訪れている。ゲームをしながら地理が学べるということで、最近では学校教材としても注目されているらしい。最近は、優一が日本中の物件を買い占めるために、妻がサポートするという役割分担をしているらしく、妻は借金を抱えながら、優一が勝つためのアドバイスをしている。
優一とお風呂に入れば、「桃鉄」のクイズを出される。
「『急行カード』を使うとサイコロは何個振れるか?」(答え:2個)
「『キングボンビー』(貧乏神の親玉)の必殺技は何種類か」(答え:11種類)
「『桃太郎ランド』の買収金額はいくらか?」(答え:10兆円)
など、学業とは関係ない知識ばかりが増えていく。数字の大好きな優一は、地理には興味がなく、その土地の名物には目もくれず、買収金額と自分の資産だけに興味があるらしく、全国の物件をハゲタカのごとく無慈悲に買い占めていく。だから、
「札幌はどこにあるか?」
「夕張の名物は何か?」
「『桃太郎ランド』はどこにあるか?」←岡山
など質問しても、分からない。いかに早くゴールにたどり着くか、いかに金を増やすかのみに興味があるらしい。それはそれで、社会を生き抜く知恵になるであろう。
3月19日 灯油
ここのところ、急激に暖かくなってきた。桜の花が少し開き始め、過ごしやすい季節になった。この時期、毎年のように灯油が使い切れるか、という問題が発生する。
我が家には自家用車が無いため、レンタカーを借りた際に灯油を補充している。補充のタイミングが限られるため、どうしても多めに入れてしまい、うまく灯油を使いきれた試しがない。
真冬の寒い時期は、灯油を大事に使おうと思い、設定温度を下げたり、出力を抑えめにして過ごしていたが、暖かくなり始めた今、灯油を使い切るために、部屋をガンガン暖めている。こうなるなら、寒い時期にもっと積極的に灯油を使うんだった。それでも今はまだ快適だが、もう少し暖かくなったら、これが苦行になりうる。
できれば、もう一度くらいは寒気が戻ってきて、「灯油があってよかった」と思いたい。
3月18日 ブレイブ・ストーリー
図書館で借りて、宮部みゆきのファンタジー小説「ブレイブ・ストーリー」を読んだ。朝日小学生新聞の「この本いいよ」のコーナーで紹介されていたから、児童文学にあたるのであろうか。それでも、文庫本4冊におよぶ、長編小説で、内容も難しく、私が小学生の頃には手が出せなかったであろう。かといって、40代のオッサンが読む本でもないだろうが、私は気にせず通勤中の電車の中でも読んでいた。
私は、宮部みゆきの本の中では「ソロモンの偽証」が一番好きであったが、「ブレイブ・ストーリー」は、それに並ぶ名作になった。一度では理解しきれないので、もう一度読み返したいと思った。
特徴的なのは、1巻と2巻以降で別の物語ではないかというほど、劇的な変化があることである。1巻では、主人公のワタルは、ごく普通の小学5年生である。幽霊が出ると噂される建設中のビルを訪れたり、謎めいた転校生ミツルとの触れ合いが描かれる。一方で、ミツルは、壮絶な過去を背負っており、ワタルも、父が不倫をして突然家庭を去り、母がガス自殺を図る。運命を変えるため、ふたりは幻界(ヴィジョン)と呼ばれる異世界に旅立つ。
そして、2巻以降は、主に幻界でのストーリーが進む。猫の姿をした少女、ミーナと爬虫類を思わせる男性、キ・キーマとともに5つの宝玉を集めるべく旅をすることになる。幻界では、国家間の対立のほか、宗教や民族、貧富の差によるの違いによる争いなど、現代に通じる課題が描かれる。宮部みゆき独特の、のんびりとした文体にもかかわらず、戦いの描写は強烈で、容赦なく血が噴き出し人が死ぬ。そんな旅の中で、主人公ワタルは、自分が何をすべきか、本当に正しいことは何なのかということを掴んでいく。
最後の最後まで、展開が分からないのも、「ソロモンの偽証」に似ている。それでいて、最後にワタルが決断したことは、意外でありながらも王道であり、それに続く大団円まで力強く描かれていることも、ソロモンの偽証に通じるところがある。最後の最後まで隠された結論が「なぁんだ」とならない作品は、意外に少ない。
本書の世界観は、「ファイナルファンタジー]」に似ていると思った。「ファイナルファンタジー]」の冒頭、主人公ティーダに向けて、謎のオッサン、アーロンが「これはお前の物語だ」と言う。主観と客観が混じり合ったような世界観。これは現実世界でも当てはまることだろう。世界の感じ方は、人によって異なる。またまた話は飛ぶが、岩明均の名作漫画、「寄生獣」の最後、右手に宿った寄生生物ミギーは、夢の中で新一に語りかける。
「お互い理解しあえるのはほとんど『点』なんだよ。同じ構造の脳を持つ人間どうしでさえ、例えば魂を交換できるとしたら、それぞれ想像を絶する世界が見え、聴こえるはずだ」
この世界自体が「私の物語」。いくつかの名作が教えてくれるこの真実は、私に勇気をくれる。
3月16日 サチコ卒業
今日は、サチコの卒業式であった。
「小学校の全課程を修了したことを証する」
卒業証書に書かれている文言は、極めてシンプルである。子供の成長過程というのは、基本的には連続的であり、日々気付かないほど緩やかに、成長していく。それでも、義務教育は、国によって定められたシステムであり、卒業証書を受け取った瞬間、小学校生活は突然終わり、その後、突然中学生になる。逆説的だが、卒業式がとりわけ感傷的に思えるのは、そこに感傷が入り込む余地がないほどにシステマティックに行われるからであろう。
卒業式は、気合の入ったものであった。子供たちは、起立・着席のタイミングなどもしっかり合わせてきびきびとしている。卒業の言葉やその後に続く歌も、相当練習したのであろうか、緊張感を持って行われていた。ここで語られた言葉は、卒業式のために用意された「きれいごと」かもしれない。彼らは、式が終わって家に帰れば、だらだらとおやつを食べながらYoutubeを眺めているかもしれない。それでも、ここで語られたことは真実であり、本心から出た言葉でもある。
サチコは、正しく育ってくれた。子育てにあたり、親ができることは限られているのかもしれない。先生や、友人が、そして社会が子供を成長させてくれる。そう思えば、なんと心強いことであろうか。サチコが父母にあてて書いてくれた手紙を読んで、少し涙ぐんだ。
卒業式の後は、寿司でも頼んでお祝いをしようかと、妻がサチコに持ちかけたところ、「寿司よりもインドカレーがいい」と言ったので、夕食はインドカレーになった。安上りで素晴らしい娘である。夕食前、テレビでWBCのイタリア戦を観ていたが、サチコの希望により、テレビは消され、代わりに「すずめの戸締まり」のサントラを聴きながらインドカレーを食べ、ささやかながら娘の卒業を祝った。
<サチコへ>
卒業おめでとう。もしかしたら、卒業の嬉しさよりも、中学に上がる不安な気持ちのほうが大きいのかもしれない。それでも、私の経験でいえば、小学校よりも中学校のほうが、はるかに自由だ。自分で考え、決められることが増える。ぜひ、自由が増えることの喜びを味わってほしい。
中学の勉強は、難しいけれども面白くなる。中学校の勉強は、高校受験のためだけではない。「学問」の基礎が始まる。「学問」は、この世界の仕組みを知るためのものだ。「学問」を通じて、世界がなぜこのように美しいのかを知ることができる。その奥深さを少しでも味わえれば、勉強がもっと楽しくなる。
そして、中学生になれば、好きなことには全力で取り組める知力と体力がつくだろう。10代で身につけた能力は、一生の宝物になる。大事なのは、「自分はこういう人間だ」と決めつけないこと。恐れずにさまざまなことに挑戦し、自分の本当の「好き」を見つけてほしい。最後に、君に「ルリボシカミキリの青」(福岡伸一著)という本の一節を送る。
「大切なのは、なにかひとつ好きなことがあるということ、
そしてその好きなことがずっと好きであり続けられることの旅程が驚くほど豊かで
君を一瞬たりともあきさせることがないということ、そしてそれは静かに君を励まし続ける。
最後の最後まで励まし続ける。」
〜ルリボシカミキリの青 福岡伸一〜
3月13日 ミミズ
最近、我が家の食卓では「すずめの戸締まり」のBGMが流れていることが多い。映画館で買ったサントラCDを、子供たちが気に入り、BGMを聴きながら食事をするのである。なかでも特に気に入っているのが、「ミミズ」が登場するシーンの音楽である。
ミミズは、本作では災い、特に大地震を発生させる原動力として描かれ、常世(とこよ)と現世(うつしよ)を隔てる後戸(うしろど)から発生する。後戸は、人々から忘れ去られた廃墟等に存在し、すずめたちは、そこに秘められた人々の思いを鎮め、けじめをつけるために戸締まりをする。
そこで奏でられる音楽は、「ミミズ笛」という、尺八を思わせるインパクトのある音で始まり、続いておどろおどろしいメロディが流れる。そして、鈴の音をきっかけに一度静かになり、かつてにぎわったであろう廃墟の思い出のシーンが流れ、最後に大きく盛り上がり、後戸が閉められるという流れである。
ミミズは、廃墟の温泉街、廃校となった山奥の中学校、閉鎖された遊園地、そして東京上空などに現れ、それぞれが異なるBGMを奏でる。子供たちは、ほぼミミズのBGMのみを選んで流しながら、ここのミミズは力強いとか、物悲しいとか言いながら、飽きることなく聴いている。最初のミミズ笛の「ぶぉーん」という音を聴いただけで、どの廃墟に現れたミミズかも当てられる。まさに、「ミミズソムリエ」である。妻は、ミミズの音楽を聴くと、映画のシーンではなく、平和な我が家の食卓を連想するようになったらしい。
ともあれ、これだけ子供たちが好んで聴いてくれるのだから、サントラCDを買ってよかったと思った。
3月11日 震災から12年
あの日から12年たつのかと、しみじみ思う。当時私は福島県に住んでおり、次の日がインドネシア赴任に向けた引越であった。当時のことはすでに書いているから、詳しくは述べないが、大変であった。大きな震災があったにもかかわらず、春の日差しは暖かく、外に出れば静かで、大変なことになったねぇと、のんびりと言い合うような感じであった。
その後、インドネシアに7年、福岡県に5年住んで、今にいたる。当時生後7か月だったサチコは、4月から中学生になる。そう考えると、あの日からずいぶん時間がたったものだと思う。
3月11日 四十肩
今週の月曜日、肩を上げると痛んだ。私は、四十肩かもしれないと思った。職場でも、四十肩、五十肩を経験した人は多く、半年くらい続くという。朝のラジオ体操では、手を真横に水平にすると痛い。一方で、真上に上げるぶんには痛くない。
しばらくは不自由しそうだ、太鼓は叩けないかもしれないなと思っていたが、痛みは次第に和らぎ、今はごく一部の動きでのみ痛む程度になった。先週末は太鼓の本番があったので、それで肩を少し痛めただけであったのかもしれない。このまま治ってくれればよいのだが。
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