2023年
4月のつぶやき




4月25日 かがみの孤城

 図書館で借りて、辻村深月の小説「かがみの孤城」を読んだ。2018年の本屋大賞受賞作である。あまりに面白かったので、現在読み返している。例によって、これを知ったのは、朝日小学生新聞で小学生が紹介していたからである。

 ファンタジーとミステリーと青春小説を合わせたような作品であった。中学校に行けなくなってしまった主人公、こころが、自室の鏡を通して異世界の城に行き、いろいろな境遇をかかえる人と出会い、成長する物語である。この小説は、何の予習もなく、まっさらな状態で読んだほうが楽しめると思うので、これ以上は書かない。

 私にとっては、自身が中学生であったころの多感な時期のおぼろげな記憶と、現在の中学生の娘を持つ親としての立場とが、重複して感じられる作品であった。どちらかといえば、後者の立場のほうが優勢になりながらも、自分が中学生の頃はどうであったかと、そのみずみずしい作風から考えさせられる。プロフィールを見れば、著者は私と同い年である。この若い感性を表現できることに感嘆する。

 一貫しているのは、自身への劣等感や、こうしたいのにできないといったジレンマに陥る子供たちに対し、徹底的に寄り添う立場であろう。客観的にみれば、わがままや怠けととられかねない行動に対し、焦らなくてよい、あなたは悪くない、と心の底からいえる勇気、そこに潜む苦しみを理解する共感力。こういった感覚は、かなり新しいのかもしれない。10年前の日本には存在しなかった、多様性に寛容な現代的な感覚と言える。だから、古い感覚をひきずる私にとっては、ここまで甘くても良いのかと、すこし違和感を感じるほどである。

 そういった意味でも、良い作品に出合えた。ほかの著書も読んでみたいと思った。それにしても、これを読んで新聞に投稿し、推薦できる小学生がいるとは、おそるべしである。


4月15日 しりとり

 最近、優一がしりとりにハマっている。時間があれば「しりとりをしよう」と言ってくる。なかでも、サチコと優一のしりとりがすさまじい。

サ「りんご」
ユ「ごほんゆび」
サ「ピルビン酸デヒドロゲナーゼ複合体」(実際はビではなくピ)
ユ「イソシアネート」
サ「トリコテセン類」
ユ「イオン」
サ「ンゴロンゴロ保全地域」
ユ「キリン」
サ「ングラライ国際空港」
ユ「うどん」
サ「ンジャメナ」

 といった感じで、ハイレベルな戦いが繰り広げられる。私としりとりをするとき、優一は「る」で終わる単語ばかりを並べて攻めてくる。それに対して、私は「り」で終わる単語を集中させて対抗する。「投了」と宣言したほうが負けである。今日、買い物の帰り道、バスを待ちながらしりとりをしていたが、初めて優一に負けた。「エルサルバドル」とか言ってくる小学生2年生も、なかなかめずらしい。


4月10日 入学式

 今日は、有給を取ってサチコの中学校の入学式に参列した。当日の朝、サチコの友人が家まで来てくれて、一緒に中学校に向かった。

 初めて見る制服姿のサチコは、終始硬い表情であった。これまでと全く異なる環境であり、緊張しているのであろう。入学記念に良い写真を撮ろうと、妻がカメラを持って努力をしたが、ろくな写真が撮れない。入場する瞬間などで、盗撮写真のようなものや、横を向いてうつむいているサチコの横ではしゃいでいる私の写真ばかりが撮れていく。入学式が終わり、帰り間際、ようやく少し良い写真が撮れた。

 入学式自体もなかなか硬い雰囲気で、サチコは疲れたようであった。初めてのことばかりであるから、仕方がないと思う。それでも、部活など後にも先にも味わえないような楽しいことも待っているはずである。焦ることなく、それでも前向きに新しいことを楽しんでくれたらと思う。


4月9日 忍耐について

 「忍耐」というものが、推奨されなくなって久しいと思う。最近では、嫌なこと、不快なことを我慢する必要はなく、取り除くのが良いとされているように思える。ブラック校則は見直されるし、学校が嫌ならば行かなくてもよい。暑ければ我慢せずにエアコンを点け、寒ければ暖房を入れるのがよいとされる。

 このような風潮になった大きな背景には、科学技術の進歩があるような気がする。エアコンが無ければ、暑さには耐えるしかなかった。また、オートメーション化が進むにつれ、単調で辛い仕事は減るだけでなく、そのような仕事に対する報酬は減った。誰もが持っているスマホやタブレット端末は、一昔前のスーパーコンピュータに匹敵する能力を持ち、あらゆる情報を一瞬で入手できる。単調な仕事よりも、クリエイティブな仕事のほうが単価が高くなった。

 科学技術の進歩により、人々は忍耐を要する環境や仕事から解放され、快適で楽しいことだけをして生きていける。素晴らしいことだが、それだけで良いのだろうかという気持ちは残る。もし戦争が始まったら、あるいは天変地異が発生して、私たちの生活基盤が失われたら。そんな時でも、私たちは生きていかなければならない。自然に対する感受性、前を向いていられる楽観性、不愉快な環境に対する耐性、そういった力も必要な気がしてならない。

 私は、ブラック校則はなくすべきだし、熱中症予防のためにエアコンは適切に使うべきだと思っている。一方で、私たちの生活を支えている生活基盤、例えば、インターネットや水道、電気などのインフラが途絶えたらどうするか、という点でそんなときでも生き抜くために必要なスキルを考えておくことも必要だと思う。


4月2日 春キャンプへ

 先週末は、子供たちとキャンプに行った。週間予報では雨であり、キャンプに行けるか心配したが、直前に予報は覆り、キャンプ前日には降水確率は0%となった。サチコの晴れ女パワーであろうか。ちょうど桜の見ごろの終盤であり、車で向かう途中、桜吹雪が舞った。まずは、キャンプ場の手前にある巨大アスレチックで遊んだ。  


いざアスレチックへ


主に優一と私ではしゃいでアスレチックで遊ぶ

 キャンプ場では、結構忙しかった。予約した場所は、駐車場からかなり登ったところにありリアカーで2往復して荷物を運び、テント設営をしたら結構疲れた。その後は、お決まりだがイカゲソをしゃぶりながらテントでごろごろした。


アウトドア好きなインドア派の人たち

 夜は、バーベキューをした後、焚き火を囲んで花火をした。子供たちは小食で、少しの肉、焼き芋、ピーマンなどを焼いた。キャンプの食材は、いつも買いすぎないように気をつけている。ちょっと少ないかな、くらいがちょうどいい。


焚き火をしながら家にいる妻とLINEで話す子供たち


花火に興じる優一

 次の朝、竹の飯盒でご飯を炊いた。以前から、竹で炊いたご飯を食べてみたく、メルカリで買ってみたのである。なんとなく、竹が燃えてしまうのが怖くて、火が弱くなってから炊き始めたためか、若干芯が残ってしまった。それでも子供たちは美味しく食べてくれた。


火をおこしながら優一と五目並べをする


竹飯盒でご飯を炊く


朝食

 この二日間、ひとことで言えば最高に幸せな時間であった。上には書ききれなかったあらゆる時間、サチコが好きな音楽をかけながらのドライブ、優一と久しぶりに優一と打つ囲碁、深夜、サチコがトイレに行きたいと言って外に出て、一緒に見た北斗七星、どの瞬間もきらめいている。また行きたいと思った。

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