2023年
5月のつぶやき
5月28日 キャンプへ
この週末は、子供たちを連れてキャンプに行った。ゴールデンウイークには、雨天で行けなかったので、急遽予約したのであった。
今回のサイトは、湖に面した隠れ家的な雰囲気があり素晴らしい場所であった。テントを張れば、いつものように子どもたちは中に籠ってアウトドアなインドア生活を楽しんでいた。

テントに籠ってゴキゲンの子どもたち
今回は、初めて川釣りにチャレンジした。ここでは、千円で釣り竿を貸してくれる。指定された場所で3匹まで釣ってよく、釣った魚はさばいてくれる。釣りを初めてしばらくすると、小さめの魚が釣れた。当然だが、魚は針で傷つき、血を出して暴れている。サチコは、そのことにショックを受けたらしく、「心が痛い」と言って、釣りをしようとしなかった。私もサチコくらいの年ごろの頃に同じような思いをしたことがあるので気持ちはよく分かる。
小さいのを2匹釣って、3匹目は大物を狙おうと、優一と奮闘したが、結局釣れずに断念した。

釣りをする優一
夜は、釣った魚や、肉やら芋やらを焼いてバーベキューをし、花火をした。その間、サチコはラインで友人や妻とビデオ通話をして楽しんでいた。もはや、私とキャンプをすることよりも、友人と経験を共有することに喜びを見出しているらしい。父と子だけでのキャンプが、物足りなくなっているのであろう。友人家族とのキャンプというのも、そろそろやってみても良いかなと思った。

火をおこしてのんびりする
次の日、子供たちは朝ご飯は卵かけご飯を食べたいということで、ダイソーで買った卵ケースに入れた生卵を使って卵かけご飯を食べた。将棋やらオセロやらをしてのんびりして、撤収をした。
た。

優一と将棋をする
帰る前に、湖の前のベンチに座ってアイスを食べた。美しい風景で、色々な鳥が鳴いている。持っていたバードコールを鳴らせば、鳥が返事をしてくれている感じがする。良い週末を過ごせたと思った。優一は、「アイスまんじゅう」が溶けてしまい、手をベトベトにしてキャンプは終わった。

湖を見ながらアイスを食べる子供たち
5月25日 優一と囲碁
先週の日曜日、優一を連れて親子囲碁教室の見学に行った。学校から配られたプリントで、無料の囲碁教室が開催されていることを知ったのである。
優一は、ここのところ囲碁を打っておらず、むしろ将棋にはまっている。なぜか、囲碁で負けるのが悔しいらしく、ここ数か月、囲碁を打たなくなってしまったのであった。
それでも、こんなことがあった。GW中、妻の実家を訪問した際、私と義父で囲碁を打っていた。私は初心者で、義父も長く打っていないので、平和な碁を打ち、そろそろ終わりですかねぇなどと話していた。形勢は、私が有利にみえた。すると、優一がやってきて、碁盤を一目見て、義父の代わりに打ち始めたところ、私の陣地は瞬く間になくなってしまい、義父と私は仰天した。
囲碁教室では、前方で先生が囲碁のルールなどを説明していて、後方ではすでに打てる子たちが自由に碁を打っていた。私たちは、ルールは分かるので、後方で対戦させてもらうことにした。早速、ここで1年勉強してきたという、同い年(小2)の子と九路盤で対戦してみたところ、優一の圧勝となった。続いて、大会にも出ているという、小4の子と九路盤で対戦したところ、やはり優一が勝った。十三路盤で再戦したが、やはり優一の勝ちである。最後、中3のお兄ちゃんとやって、これはさすがに負けた。
優一の実戦経験は、私か、義父とオンラインで少しやったことがあるだけで、人と対戦するのは初めてである。こんなに強いのか、とびっくりした。初めての囲碁教室は、優一も楽しかったらしく、また行きたいとのことであった。せっかくの才能なので伸ばしてやりたいと思う。
5月21日 優一のこと
優一とテレビ
最近、優一が「奇跡体験アンビリバボー」にハマっている。特に気に入っているのが、小浜水産高校(現若狭高校)がサバ缶を宇宙食にするための20年にわたる奮闘記である。同校に赴任してきた熱血教師と、生徒たちのバトンリレーにより、同校の文化祭名物であったサバ缶が、宇宙食認証のためのハードルをクリアしていくドラマであった。何がそこまで優一の琴線に触れるのかは分からないが、一時期は毎日のように観ていた。
最近は、「世界の何だコレ!?ミステリー」で、監視カメラに映った怪奇現象やら、「リンフォン」というパズルが引き起こす恐怖体験を描いた都市伝説などを観て、ひとりでトイレに行くのが怖くなっている。こういったことは、私にもそういう時期があり、ほほえましく思った。
優一と私
優一は、父と母に対する態度が全然違う。母は、愛を与えてくれる存在で、父は乗り越えるべき存在らしい。
私が帰宅すると、優一はピーターラビットの映画のように、殴りかかってくる。それが「おかえり」の挨拶だという。私のことを力が強い、走るのが速い、柔道が強い、将棋が強い、などと思い込んでおり、ことあるごとに私の顔面を殴りつけようとしたり、難しい計算問題を出してきたり、将棋対決を挑んできたりする。母に甘えているところも見られたくないようで、私がいるときといないときでは態度が変わるようだ。
正しく育ってくれているなぁと、頼もしく思う。
優しい優一
優一は、その名に恥じず優しい。
例えば、イチゴがひとつ余るとする。優一は早い者勝ちで食べようとはせず、「さっちゃんイチゴ食べる?」と必ず訊く。「食べる」と言えばあげてしまうのだろうが、大抵はサチコも半分ずつしよう、と言い、半分こしている。ここまで美しいきょうだいは、なかなかいないのではないか。喧嘩をしているのも、見たことが無い。
昨日のサチコの体育祭の後は、労いの意味を込めてかテレビのリモコンをサチコに託していた。
5月20日 サチコ体育祭
今日は、サチコの中学校の体育祭であった。コロナの影響なのか分からないが、午前中で終わるプログラムであった。サチコは玉入れと組体操に出場するという。
組体操は、全員で行う表現のようなものかと思っていたが、所定の場所まで走っていき、そこで何らかの演技を行い、3秒間保持して戻り、次の人にバトンタッチするという、「組体操レース」であった。要するに、各人はひとつだけを演技を覚えればよく、入学して間もない一年生に適していると思った。サチコは6人扇をやっていた。
玉入れは、自由に玉を入れるのではなく、半径5メートルくらいの円の外から投げ込まなけばならない。円の内側にいる人が、こぼれ球を外側にいる人に渡し、外にいる人がシュートする手順となる。かなり難易度が高そうだが、サチコはひとつ玉を入れていた。これは、私たちのいるすぐそばで行われたので、手を振ったり声をかけたりしたが、サチコはチラッとこちらを見ただけで、反応はしてくれなかった。恥ずかしいらしい。
事前にサチコには、体育祭が終わった後は好きなものを食べさせてやると言っていたところ、「唐揚げ」「スルメゲソ」「生ハム」「きゅうりの浅漬け」といったキーワードが返ってきた。
生ハムはとりあえずパックのまま与えることにした。スルメゲソについては明石名物タコ飯の要領で、炙って小さく切ったおつまみ用のスルメゲソを、前日から水に漬けて戻し、味付けをしてスルメゲソ炊き込みご飯を作ったところ、これは実に美味しかった。唐揚げは、鶏もも肉の他、軟骨、鶏皮を唐揚げにした。軟骨の唐揚げは実に簡単だが、鶏皮の唐揚げは、時間もかかり面倒くさかったので、スーパーの既製品を買ったほうが良いと思った。
浅漬けも前日から白菜ときゅうりを切って、塩とともにポリ袋に入れて作り、とりあえずサチコの要望をすべて満たした夕食となった。
5月10日 スーパーマリオ
GW中、家族でスーパーマリオの映画を観に行った。アメリカですさまじい人気だという。
とにかく、爽快な映画であった。難しいことを考える必要は一切なく、只々笑い、胸がすっとする感じを味わえばよい映画である。異世界に迷い込んだ配管工のマリオブラザーズだが、ピーチ姫ではなくルイージが捕らわれ、マリオとピーチ姫がタッグを組んで助けに行くあたり、ジェンダーレスで多様な価値観を反映していると言えなくもないが、そこにメッセージ性は無さそうであった。
それにしても、空中に浮遊する立方体のハテナブロックに衝撃を与えると、キノコが現れ、それを食すことで人が巨大化するという不思議な現象が、何の説明もなく映画で描かれ、世界中の人々が何の違和感もなくそのことを受け入れて映画を鑑賞しているという事実に驚愕する。スーパーマリオの常識は、世界の常識となっているらしい。
久しぶりに映画館で映画を観て思ったのが、近年の映画の技術の向上であった。他の映画の予告編をいくつも観たが、どれもクオリティが高い。アニメーションであっても、一昔まであったら不可能なレベルの映像が、ごく当たり前に放映される。映画の品質のインフレーションが起こっている。そして、大迫力の予告編をいくつも観ているうちに、私たちの目も慣れてしまい、これが当たり前になってくる。そのこと自体が、少し空恐ろしいと思った。
5月9日 極夜行
角幡唯介の「極夜行」を読んでいる。一日中太陽が姿を現すことのない、極夜の時期のグリーンランドを、2か月半に渡って単独で旅をした探検記である。
極夜という未知の空間に身を置くことで、真の闇を体験し、本物の太陽を感じてみたい。そのような目的でこの度は敢行された。曰く、かつての探検とは、地図上の空白地帯を埋めることであったが、現代となってはそのような場所は無い。探検を、人間社会のシステムからの脱却ととらえ、極夜という極限環境を、GPSなどのテクノロジーに頼ることなく旅することで、現代人が失った自然との根源的な結びつきを洞察するらしい。
旅は、相当ハードである。著者が何年もかけて進めてきた準備作業は、ことごとく破綻し、ブリザードに襲われ、道に迷い、事前に運び込んでおいた食料は白熊に食い荒らされている。ストレスが極限状態になる中、実はこれこそが自分が求めていた極夜の冒険だということを悟る。絶望的な状況になっても、旅を続ける精神力はすさまじい。
これほどハードな旅にもかかわらず、本書はかなりユーモアにあふれている。読みながら何度も爆笑した。著者の持つ知性と文章力を、絶妙な筆致で笑いの方向にもっていく。この文体はもしや、と思ってプロフィールを確認すると、早稲田大学探検部の出身であった。
早大探検部といえば、私の好きなノンフィクション作家、高野秀行氏である。彼も、ミャンマー北部の反政府ゲリラの支配地域に単独で入り、ケシ栽培に従事し、自身もアヘン中毒なるというハチャメチャな冒険を、「アヘン王国潜入記」で記している。
早大探検部に入り、探検のスキルと文章力を磨き、破天荒な旅を知性とユーモアあふれる文章に仕上げるというのが、ここの伝統になりつつあるのかもしれない。
5月5日 続・しりとり
優一が、しりとりのスキルを上げ続けている。「る」で終わる言葉ばかりを徹底的に勉強しているらしく、全く歯が立たない状態になってしまった。
私「瑠璃」
ユ「リール」
私「ルリボシカミキリ」
ユ「リトルデビル」
私「留守」
ユ「スマイル」
私「留守番電話」
ユ「ワコール」
私「ルッコラ」
ユ「ランドセル」
私「ルクセンブルク」
ユ「クイズバトル」
私「・・・投了」
といった具合である。優一にとってしりとりは、単なるひまつぶしではなく、頭脳ゲームらしい。温泉宿でラリーを楽しむ卓球ではなく、スポーツとして本格的に行う卓球のようである。優一は、自分で調べたり、妻に教わったりしながら、「る」に関する言葉を集め、日々しりとりの腕を磨いている。彼はどこに向かうのだろうか。
5月4日 公園へ
GW二日目の今日は、少し離れた公園に遊びに行った。サチコが友人3人と話して決めたらしい。国道沿いを自転車で行くことのリスクもあり、子供たちだけでは危険だということになり、私がついていくことになった。私、サチコ、優一、サチコ友人の4人が自転車で、他のサチコ友人ふたりがバスで公園に向かった。バス組と自転車組で合流し、ダイソーでおやつを買い込んでから公園に向かう。
公園に着けば、子供たちは、テントに籠っておしゃべりしながらおやつを食べた後、遊具で大いに遊んでいた。私は、できるだけ彼らに干渉せずひとりのんびりしていた。サチコが、友人たちと屈託なくおしゃべりしてはしゃいでいる姿は、新鮮で感慨深く感じた。親と遊んでくれるのも嬉しいが、友人たちと遊んでいるのをみるのは、それ以上に嬉しい。優一も、彼女らに混ざって遊んでいた。
ふとスマホを確認すると、雨雲が近づいている。雨雲レーダーによれば、あと20分ほどで雨が降り始める。湿り気のあるひんやりとした風が吹いてきて、肌感覚でも今にも雨が降りそうなのが分かる。私は、彼らのところに行って、「お楽しみのところ心苦しいが、もうすぐ雨が降りそうだ」と言ったが、「了解でーす!」と応じたものの、次はあっちに行こう、と言って別の遊具に行ってしまった。
その瞬間、私はずぶ濡れになることを覚悟した。友人のうちひとりは、東京から里帰りしてきており、サチコは会うことを前から楽しみにしていた。彼らは、雨に濡れることなく無事に帰ることを望んでいない。ずぶ濡れになってでも時間ギリギリまで大いに遊び、それすらも良い思い出にしてしまうことであろう。
宮崎駿は、その著書「折り返し点」で、「子どもと時間を過ごすとか、父親と時間を過ごすなんて、難しいこといって、子どもと向き合ったってしょうがないんです。おとなができることは、子どもたちにチャンスを作ることなんだから」(p209)と言っている。私は、ささやかながら子供たちだけではいけないところに連れて行ってあげたことに満足した。
結局、バス組のふたりは母親が車で迎えに来てくれ、私たち自転車組の4人も、ギリギリ雨に降られることなく帰宅することができた。
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