2023年
9月のつぶやき




9月24日 すずめの戸締まり

 今週末は、太鼓でイベントに出演するため、子どもたちと一緒に土日連続で天神に行った。土曜日の演奏の後、三越のすずめの戸締まり展に行った。

 すずめの戸締まりは、特にサチコと私が大好きな作品である。CDを買った時は、毎日のように夕食を食べながらサントラを聴き、4日前にDVDが来た後は、毎日のように映画を観ている。すずめの戸締まり展の入場料は、大人1300円、中学生700円、小学生500円なので、全員で2500円であった。

 決して安くは無かったが、展示物は大満足であった。絵コンテ、原画、CG、アフレコ、途方もない人たちの労力が、作品に反映されている。一瞬で過ぎ去っていく映像のひとつひとつに、並々ならぬこだわりがあることが伝わってくる。それらの人々は、芸術家というよりは、職人に近い。自分の感性を表現するのではなく、求められた要求を満たすには、どうすべきかを考えている。そういう意味では、「いい仕事」をしていると思うし、自分の仕事に対する姿勢にも反映できそうである。

 映画は、全体的に極上のエンターテインメントとして楽しめるが、どうしても私はこの映画の暗い側面に目が行ってしまう。映画の最後、常世において、母を津波で失って絶望に沈む、幼少期の自分を励ますシーンがある。

「あのね、鈴芽。いまは、どんなに悲しくてもね。鈴芽はこの先、ちゃんと大きくなるの。だから心配しないで。未来なんて怖くない!あなたは光のなかで大人になっていく。それはちゃんと、決まっていることなの」

 幼い鈴芽だけでなく、映画を観ている子どもたちに対しても語られたこの言葉で、ドキッとしたのを覚えている。逆説的だが、わざわざこのように、言葉に出してはっきりと言わなければならないのは、未来が不確かで、漠然とした不安を感じているからに他ならない。かつては、当たり前すぎて、口に出す必要のなかった言葉である。

 かつてにぎわった場所が、廃墟となり、そこに残された人々の思いを受け止め、「戸締まり」という形で大自然にお返しする。この映画のバックグラウンドには、常に斜陽に向かう日本がある。そんな中での上記のセリフは、未来が明るいと、「決まっていること」にしたい、作者の切なる願いに思えるのである。私たち大人は、それを「決まっていること」にするために、正しく生き、努力しなければならない。


9月19日 腰痛探検家

 腰痛になったことを記念(?)して、高野秀行の「腰痛探検家」を読み返した。コンゴの奥地に謎の怪獣を探しに行ったり、反政府ゲリラの支配する地域に行って、ケシ栽培を手伝ってアヘンを作ってみたり、ハードな探検を行ってそれを文章にする「辺境作家」が、「腰痛」という秘境に迷い込み、そこから抜け出すべく奮闘するドキュメンタリーである。

 腰痛を治すべく、さまざまな治療院を渡り歩き、その治療法に感服しつつも、腰痛は良くなるどころか、悪化する一方となる。最後、ばかばかしくなってもらった薬をすべて捨て、ふっきれたところで腰痛は快方に向かう。これは、腰痛をどう治すかを記した本ではない。「病院や治療院は、腰痛人間の心理を追う舞台背景」(文庫あとがき)であり、ここにハウツーは存在しない。ただひたすら、「腰痛世界」という密林のめくるめく世界を楽しむための本である。

 それでも、ここに学ぶべきことはある。私は、30代の半ばに、メニエール病を発症し、耳鳴り、難聴、めまいで苦しんだ。症状を的確に把握するため、私はエクセルに飲んだ薬、運動時間、万歩計の歩数と症状を詳細に記録していた。症状は悪化し、眠れなくなり、疲れやすくなり、仕事にも支障をきたした。メニエール病の先生には、そんなことをしているから治らないんだ、と言われた。

 本書でも、著者は心療内科の先生に「あなたは腰痛そのものに執着している」と言われる。治そうとすればするほど、治らないというジレンマに陥っているのである。

 私も、耳鳴りを治すのをあきらめ、年相応のことだと諦めたことで、快方に向かった。たまにめまいが起こっても、ちょっと疲れを溜めてしまっただけと、軽く流せば自然と元に戻る。著者が腰痛を患ったのも40歳であった。青年から中年への転換期に、悪あがきをするとドツボにはまるのである。


9月17日 キャンプへ

 今週末は、家族でむつごろうランドでキャンプをした。これまでは、山でのキャンプばかりだったので、海辺は初めてである。

 ここは、海というよりは公園であった。特に景観が良いわけでもなく、自然を満喫するというよりは、近所の公園にテントを張って宿泊するという感覚に近い。これはこれで面白いと思った。


目の前には公園と巨大な遊具がある。



 それでも、となりにある巨大な堤防を越えれば、広大な有明海の干潟が広がっており、ムツゴロウがひしめいていた。生き物好きの妻は興奮し、ムツゴロウやカニの写真を撮るのに没頭していた。ちなみにサチコは、この有明海を見ることなく、テントで絵を描いたり漫画を読んだりして楽しんでいた。


有明海の干潟。


妻が撮ったカニとムツゴロウ



 この公園には、古墳のような形状で盛り上がったちょっとした丘があり、そこに土管が貫通していて通れるようになっている。ミステリー好きの優一と、土管の中を探検していると、謎の横穴を発見した。ここは光が全く届かず、漆黒の暗闇である。どこに通じているのかも分からない。

 優一は、中に入ってみたい、という。私は、異世界に飛ばされるかもしれないよ、と言ったが、父ちゃんと一緒に探検したいと言うので、腰痛の体をかがめて洞窟に入った。優一に先に行けというが、父ちゃんが先に行けという。仕方なく洞窟に入ると、怖さが絶頂に達した優一は、父を置いて一目散に逃げだした。


土管探検をする父と子

 夜は簡単にバーベキューをして、光るスティックを投げて遊んだりした。優一は、夜にもう一度洞窟探検に行きたいと言っていたが、結局は行かなかった。優一にとって、今回のキャンプで一番印象に残ったのは土管洞窟であったようだ。


光るスティックを投げて遊ぶ人たち。露光を調整すると不思議な写真になるらしい



 次の日の朝、子どもたちが寝ている間、コーヒーを淹れてのんびりしていると、周囲の客が撤収を始めている。スマホで雨雲レーダーを見れば、一時間後くらいに巨大な雨雲が迫っていた。私たちも急遽撤収することにして、子供たちを起こし、急いで片づけをして帰った。車に乗って10分くらいしたら、雨が降り始めた。良いタイミングで撤収できた。

 今回のキャンプは、おそらく、家族それぞれが楽しんだポイントが全然異なる。

父:バーベキューをしながらビールを飲んだ
母:二日目の朝、白鷺がウナギを丸飲みにする瞬間を目撃した
サチコ:テントの中でゴロゴロした
優一:洞窟を探検した

ちょっとした旅であったが、それぞれが楽しめたようで良かった。





9月16日 腰を痛める

 昨日、仕事で島原に行った。港まで車で一時間、フェリーで45分、港から更に車で1時間くらい走ったところで、合計3時間くらいかかる。職場の人とふたりで行き、私は助手席に座っていた。日帰りで4時間くらい車に乗っていたことになる。

 仕事を終えて戻ってくれば、すっかり腰が痛くなってしまった。少し前から、腰痛は気になっていたものの、少し休めば治っていたので、だましだまし付き合っていた。しかし、今回の外出で、痛みが常時続くような状態になってしまった。

 駅ビル内にある整骨院に電話して、急遽施術してもらうことにした。突然の予約であったが、院長が遅い時間に対応してくれた。院長によれば、私の背中の筋肉は相当張っており、骨盤も歪んでいるらしい。背中を温めながら骨盤の矯正をしてくれ、指圧をすればだいぶ楽になった。

 なかなか良い整骨院であった。駅の中にあるので、仕事帰りにも通える。しばらく通うことになりそうだ。


9月16日 島原の唐揚げ

 上記の外出先へは、午後に訪問したのだが、先方が道中にあるお薦めのレストランを教えてくれていた。唐揚げが美味しい、という。島原の海沿いを走るので、海鮮を薦められると思っていたので、意外であった。それでも、せっかく勧められたのだからと、そこで食事をすることにした。

 そのレストラン、というか食堂は、国道から少し入ったところにあり、看板なども無いので、教えてもらわなければ絶対に気付かないロケーションである。結構混んでいる。

 出てきた唐揚げは、これまで食べたことのない美味しさであった。一般的に、鶏のから揚げというものは美味しい。だから、差別化はしづらいのではないかと思っていた。しかし、ここの唐揚げは違った。衣は軽く、肉は柔らかくジューシーであった。しかも量は多く、安い。地元の人のお薦めには従うべきだと思った。

鶏の白石


9月5日 救急車を呼ぶ

 昨日、仕事を終えてからフルート教室に行った。先生は年配の女性で、明るくよくしゃべる方である。

 レッスンの終わりごろ、来週からやることの説明をしているうちに、先生の様子がおかしくなってきた。急にろれつが回らなくなり、同じことを繰り返すようにしゃべっている。それでも言いたいことは理解できた。突然、先生は椅子から落ちて、しりもちをついてしまった。私は、駆け寄って大丈夫ですか、と声をかけた。先生は、床に座り込んだまま、大丈夫、という。そして、しばらく休めば歩けるようになるだろうから、それから片づけをして電車で帰ります、という。ろれつは回っていないが、言いたいことは理解できるし、次のレッスンの予定などの会話もした。レッスンを主宰している楽器店に電話をしてみたが、すでに営業終了しており、誰も出ない。

 私は、となりの部屋でバイオリンのレッスン中の部屋をノックして、事情を説明したところ、すぐにかけつけてくれた。バイオリンの先生が、楽器店の責任者に連絡を取ってくれた。バイオリンの生徒さんが、救急車を呼んだほうがいいのでは、と言った。このあたりの判断が難しいと思った。先生は、会話もできるし、床にへたりこんではいるものの、大丈夫だと言っている。単に疲れが溜まっているだけなのかもしれない。

 結局、私は救急車を呼んだ。様子がおかしくなってから20分くらいたって、隊員が到着した。隊員が先生に色々質問しても、先生は多少ろれつがおかしいものの、普通に受け答えしていたし、抱えて運ばれていくときも、少し笑っているように見えた。

 次の日、先生にLINEで連絡してみたところ、軽い脳梗塞だったらしい。今月は休講になった。それでも、こうしてLINEでやりとりをしているくらいだから、大丈夫なのだろう。もしかしたら、軽い症状で済んだのは、早く処置ができたからなのではないか。改めて、救急車を呼ぶかどうかの判断は難しいと思った。それでも、急にろれつが回らなくなる症状については、本人が何と言おうと迷わず呼ぶべきだ、ということが分かったので、ここに記しておく。


9月3日 子ども囲碁大会

 今日は、優一が子ども囲碁大会に出場することになっており、自転車で会場に向かった。同じ日、太鼓の本番もあったのだが、こちらはサチコのみ出場し、妻に付き添ってもらった。

 優一が出場したのは「初級の部U」で、初心者の中でも正規の盤よりも小さい、13路盤での対局となる。こちらに出場する子供たちは、4歳から小学校6年生までの9人であった。そのうち6人が、優一の通う親子囲碁教室の子どもたちである。総当たり戦で勝ち数を競うため、全員が8試合することになる。

 優一は、7勝1敗で優勝した。囲碁教室に通い始めてからのキャリアとしては、恐らく一番短いが、それまで独学で学んでいたことの蓄積もあったのだと思う。囲碁教室では、話も聞かずにぼんやりと鼻くそをほじくっていると思っていたが、ちゃんと学んでいるらしい。

 8局も対戦すると言うと、長丁場に思えるが、子どもたちの対戦は、スピーディである。みんな数秒でどんどん指し、一回の対局は10分とかからない。対局後は、ちゃんと整地をして数を数えている。大したものだと思った。

 優一の囲碁教室の友達、ヨシトくんもいた。同学年で、気が合うらしく、対局をしていない間は、つるんで遊んでいた。囲碁が打てることで、こうして仲間ができ、世界が広がっていく。優一にとっては、自信にもつながったようで、良い一日であった。


9月2日 この夏の星を見る

 辻村深月の新作小説「この夏の星を見る」を読了した。コロナウィルスが猛威をふるった2020年、さまざまな活動が制限される中、「スターキャッチコンテスト」という、自作の望遠鏡で星を観測する早さを競う大会で、遠く離れた中高生がオンラインでつながり、交流を深めていく内容である。

 40代のオッサンにとっては、心がムズムズするようなド直球の青春小説であったが、さわやかな気持ちで読むことができた。会社員である私にとってのコロナ禍の3年間と、中高生にとっての3年間は、意味合いが全く違うであろう。一方で、「失われた青春」といった表現にも違和感を感じると、小説は言う。

 自分が学生であったころだって、学生であるがゆえの制約があった。今以上に、周りの目が気になった。一方で、自分は何者にでもなれるはずだと信じていた一面もあった。制約の中で精一杯生きる姿というのは、平時でもコロナ禍でも共通するところがある。

 ただし、今の私が、小説に触発されてこんな風に生きようと思うことは無い。ただひたすら、彼らがうらやましいのみである。そのあたり、この本を中高生が読むか、大人が読むかで受け取り方が変わるところである。

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