2023年
10月のつぶやき
10月30日 ドン・キホーテ
最近、ドン・キホーテで酒のつまみを買うことが多くなった。激安の殿堂であるドン・キホーテは、いつのまにかオリジナルブランドが作られており、「ド」というインパクトのあるロゴマークと共に、パッケージに書かれた文言がなんともそそる。優秀なデザイナーとコピーライターがいるのだろうと思いつつも、そのキャッチコピーに惹かれてしまうのである。
例えば、ミックスナッツには
「年間売上5億円突破 ナッツを愛しすぎた担当者が 独断と偏見で決めたアーモンド・カシューナッツ・くるみの 究極の黄金比率
食塩・油を使わないこだわり」
と、ごてごてと書かれている。また、エイヒレには、
「大きな声では言えませんが、居酒屋さんからの購入も多い 大きめエイヒレ 実は良く行くあの居酒屋のエイヒレはこれかも・・・」
パッケージに書かれている文章が無駄に長いが、その文章により購買意欲が刺激され、ついつい買ってしまうのである。そのように買った商品の中でも、上記のミックスナッツとエイヒレは本当に美味しく、リピートしている。一方で、味付きのミックスナッツや、しいたけチップスなど、調味料で味付けされた商品は、一度買ったきりである。化学調味料の味が強すぎて、私には合わない。
ドン・キホーテができたころは、ところ狭しと並べる「圧縮陳列」で避難経路が制限されて問題になったり、深夜営業によりチンピラの溜まり場になったり、試練があった。その後、ドン・キホーテは世間に受け入れられ、私がインドネシアにいたころは、研修のため日本に連れてきたインドネシア人には、土産物屋としてドン・キホーテに連れて行っていた。種類が多く、値段が手ごろな製品が多いからである。そして今や、オリジナルブランドで世の中を席巻している。大したものだと思う。
10月23日 ケーナと児童合唱
昨日、「田中健と児童合唱団ジョイントコンサート」を聴きに行った。田中健は、俳優でありながらケーナ奏者としても有名で、ケーナと合唱のコンサートは聴いてみたいと思っていた。コロナもあり、こういったコンサートは本当にひさしぶりである。
田中健のケーナは、凄く上手いという訳ではなかった。技術レベルだけでいえば、駅前で演奏しているペルー人のほうがよほど上手い。それでも、田中健が登場すれば、舞台が引き締まる。俳優として、舞台での立ち振る舞いを心得ており、72歳とは思えない若々しさで観客を魅了していた。
田中健は、ケーナを吹きながら一生懸命歌っている子どもたちに絡みに行ったり、コンドルは飛んで行くをピアノとアドリブで演奏したり、高校時代の同級生だという、児童合唱団の代表指揮者とトークをしたり、大暴れであった。それでも、観客を魅了するだけでなく、演奏している子どもたちも楽しませる、間違いなく熟練したプロのふるまいであった。
10月23日 太鼓
先週の話だが、一日に太鼓の本番が3件あり、子どもたちと一日を過ごした。1件目は、雑貨屋での演奏、2回目は、二日市の土曜夜市、そして3件目は二日市小学校150周年記念のお祭りがフィナーレであった。
3件目は、花火と和太鼓のコラボということで、子供たちが演奏する創作太鼓に合わせて花火の点火をプログラミングし、太鼓のリズムに合わせて花火を打ち上げるという企画であった。
二日市小学校のグラウンドで、大勢の観客が見守る中、子どもたちの演奏が始まった。花火は、驚くほどに和太鼓のリズムと合っており、あたりは熱狂の渦につつまれた。歓声というよりは、絶叫に近い声が響き、観客の一部はトランス状態になっているように思えた。演奏している子どもたちも、そんな雰囲気に乗せられ、いつも以上に力が出せているように思えた。
改めて、和太鼓のもつ力を感じた。練習をしていると、技術的なことにとらわれ、和太鼓が持つ原初的な響きを感じにくくなることがある。このような演奏の機会を得て、観客と一緒に楽しめれば、やはり和太鼓は面白いと思う。
10月17日 文化発表会
今日は、サチコの中学校の文化発表会であった。私は、半休を取って妻と観に行った。先月の「つぶやき」にも書いた通り、サチコのクラスは、合唱で「旅立ちの時」を歌うらしい。
会場は、市内のグランドホールであった。1,500席もあり、6階くらいまで座席がある。オペラの公演をやるような、素晴らしい場所で、市立中学校の発表会としては異例の贅沢さである。
親は、自分の子どもが出るときのみ観覧が可能とのことで、1年生の合唱だけを聴いた。7クラス分の合唱を聴いたが、サチコのクラスが圧倒的に上手かった。声量があり、音程も安定しており、フレージングもできており、ピアノ伴奏も上手い。
後で聞いたら、やはりサチコのクラスは金賞を取ったらしい。あんな大きなホールで演奏出来て、良い経験をさせてくれているなぁと思った。
10月17日 OSO18
NHKスペシャルの「OSO18 ”怪物ヒグマ”最期の謎」を観た。2019年に北海道のオソツベツで初めて認識され、足跡のサイズが18pであったことからその名が付けられたヒグマは、66頭もの牛を襲いながらも、その高い知性により人前に姿を現さず、罠を見抜いているという。牛を襲っても全てを食すわけではないことから、殺戮を楽しんでいるのではないかとも推測された。
私は、現代の「もののけ姫」のようだと思った。OSO18は、自然を破壊し、開拓を進めてきた人間に対する復讐なのではないか。もののけ姫の母で、大型オオカミのモロを思い浮かべた。
これに対し、北海道庁も本腰を入れる。全国から腕利きのハンターを集め、禁猟区でもOSO18だけは例外とし、本来は使用できない罠の使用を認めて、OSO18の駆除を試みるが、一向に姿を現さない。
そんなOSO18が、今年の夏、役場の職員によりあっけなく射殺される。OSO18は衰弱し、逃げることもしなかったという。職員は、まさかこれがOSO18だと思わなかったため、詳しい調査がなされることもなく、すぐに解体業者に引き渡され、その肉は全国のジビエ料理レストランに販売された。骨や内臓は、その他の動物のものと一緒くたにされ、産業廃棄物としてうずたかく積まれ、その遺骸はどこにあるのかも分からない。
圧巻は、NHKのディレクターが、OSO18の謎を解き明かすために、この膨大な産廃を掘り返し、ついにOSO18の骨を発見したことであった。この骨の分析結果から、OSO18はそのほとんどを肉しか食べずに生きてきたことが判明する。熊は、本来ドングリやフキなどの植物食がメインだが、増えすぎたエゾシカを人間が狩り、その死体を放置したことなどにより、OSO18は肉の味を覚えるにいたる。肉食に傾いたことで、牛を襲うなどして命をつなぐしかなく、ついには生きる術を失い、衰弱して人間の前に姿を現して射殺された。
OSO18は、誇り高き大自然の王者、モロの君ではなく、人間により肉食という呪いをかけられ苦しみさまよった、タタリ神であった。開拓により減りすぎたエゾシカを保護するうちに、今度は逆に増えすぎ、今では年間10万頭が駆除されているという。人間の都合により、第二のOSO18は必ず現れると、ハンターはいう。
番組の最後、OSO18を仕入れて調理する、東京のジビエ料理レストランが映る。そこでは、OSO18の肉を食べながら、談笑する客や、「牛さんたちの敵を取った」などと言いながらOSO18を食べる人々がいた。
NHKは、中立性を守るとの観点から、番組として意見を述べることは無い。しかし、淡々と映像を並べるだけだからこそ、そこには言葉にならない強烈な主張が込められている。人間は罪深い、と。
10月16日 ぷよぷよ
私がぷよぷよを始めたのは、中学生のときであった。Wikipediaによれば、スーパーファミコン版の発売日は1993年12月10日。その日の夜に、隣駅の電気屋までひとり自転車に乗って買いに行ったのを覚えている。
それまでやっていたパズルゲームの「テトリス」とは違い、「連鎖」という概念により次々とぷよを消し、そのパワーで対戦相手を攻撃するというシステムは、新鮮であったし、爽快だった。主人公のアルルをはじめ、可愛らしいキャラクターが登場するのも良かった。
そして、最近、「ぷよぷよeスポーツ」の任天堂スイッチ版を購入して始めた。ルールはほとんど変わっていないにもかかわらず、その面白さは色あせることが無い。今や研究が進み、昔行われていた「階段積み」と呼ばれるシンプルな積み方はすでに色褪せ、「GTR」と呼ばれる複雑な組み方が主流である。一から研究しなおし、少しずつ強くなろうと思っている。
頭を使うのが大好きな優一も、一緒にぷよぷよを始めた。さすがに飲み込み早く、GTRの基本的な組み方は理解している。今はわざと負けてあげたりしているが、そのうち手に負えなくなるかもしれない。
今や、ぷよぷよをはじめとするeスポーツは、介護施設でも取り入れられ、認知症予防や世代間交流の手段として役立てられているという。妻も優一に付き合ってぷよぷよを始めた。妻とは、将来老人ホームで活躍するために、今のうちからぷよぷよをしておこうなどと、話している。
10月13日 くら寿司
今日は、太鼓の本番が3件入っていた。朝、1つめの本番を終え、家に帰る前に子供たちとくら寿司で食事をしたのだが、そのシステムに驚いた。
案内待ちのチケットを取り、その番号が表示されたら、指定された席に行く。タブレットを使用して注文すると、レーンを通って寿司が自動的に運ばれてきた。そのようにして食事を終えると、店頭のカウンターの無人精算機で支払いを済ませて完了である。
ほとんど、店員と接することなく、食事が完了した。まるで、勝手に店に入って、勝手に食べ、店から出てきたような感覚になった。おそらく、寿司も機械が握っている。自動化がここまで進んだのかと、空恐ろしくなった。食事という、他の命を殺めて自らが生き延びるという、人間の行為の中でも根源的な部類に入る行いが、ここまでシステマティックに行われて良いのだろうかという、疑問を感じた。それでも、食事は楽しくしたのだが。
支払いは、3人で存分に食べて二千円と少しであった。子供たちは、小食な上に、納豆巻きとかかっぱ巻きとか、安いものを好んで食べる。なんという素晴らしい子どもたちであろうか。
10月8日 旅立ちの時
1998年3月、当時高校三年生だった私は、テレビにくぎ付けになっていた。長野パラリンピックの開会式である。その前年、大ヒットした映画「もののけ姫」の映画音楽を担当した久石譲が演出しており、非常に見ごたえのある内容であった。プロの和太鼓集団、鬼太鼓座の存在も、初めて知り、その圧倒的な演奏に驚いた。ここで和太鼓を観たことが、大学で和太鼓を始めるきっかけの一つになったかもしれない。
そして、祭典のフィナーレで、「旅立ちの時」が歌われた。当時沖縄民謡調の曲でヒットした宮沢和史が歌っており、祭典は最高潮に盛り上がっていた。これも私が民謡研究会合唱団に入るきっかけになったかもしれない。
以上のようなことを思い出したのは、サチコが家で「旅立ちの時」を熱唱し始めたからである。中学校の合唱で歌っているらしい。今や「旅立ちの時」は、学校で歌われる定番の合唱曲として歌い継がれているらしい。サチコも、この曲が気に入っているらしく、本人はソプラノだが、アルトやテノールも耳コピして歌い、アイパッドに自分の歌を多重録音して遊んでいる。楽譜は読めないのに、大した音感である。
私も、リコーダー5重奏に編曲して、吹いて遊んだ。
旅立ちの時〜Asian Dream Song
https://www.youtube.com/watch?v=pftjGE4c1IE
10月7日 窓際のトットちゃん
黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」を、初めて読んだ。今月、42年ぶりに続編が出たということで話題になっており、読んでみようと思ったのである。
内容は、素晴らしかった。一年生で小学校を退学になったトットちゃん(黒柳徹子)が、トモエ学園に入学して自信を持って成長していくという内容である。フィクションかと思ったら、あとがきにはすべて実際にあったことだと書いてあるから驚きである。トモエ学園の教育方針は独特で、子どもの個性を引き出すことを第一に考えたその手法は、現代においても先進的といえる。このような学校が、戦時中の日本に存在していたことが、奇跡のようである。
トモエ学園に入学するため、ママに連れられて校長に会いに行くあたりが圧巻である。校長先生は、会ってすぐに、「トットちゃんと話がありますから、もう、お帰りくださって結構です」とママを帰し、その後4時間にわたってトットちゃんの話を聞き続ける。これまで、こんなに真剣に話を聞いてくれた大人はいなかったので、トットちゃんは感激し、この学校で学びたいと思う。
ママも凄い。トットちゃんは、鉄条網の下に穴を掘って、そこをくぐって向こう側に行く遊びが好きなのだが、そのために服がジャキジャキに破れてしまった。そんな風にして服を破いてしまったことをママが知ったら、悲しむだろうと思い、「よその子が、みんなで、私の背中にナイフ投げた」と嘘をついた。ママは、「あら、そう、たいへんだったわね」と言っただけだったので、トットちゃんは嘘がばれなくてよかったと、安心する。親として、このように落ち着いて大きく構えて受けとめるのは、難しい。
この本を読めば、子どもが、どのように成長するかは、周囲の大人にかかっているということを、強く感じる。トットちゃんは、小学校を退学になったことを知らずに育った。ママは、トットちゃんが自信を失わないように、20歳を過ぎるまで言わなかったらしい。黒柳徹子が、現在のようであるのは、ママと校長先生のおかげのように思える。
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