2004年
7月のつぶやき




8月23日   雑記
 昨日はタザワが新潟から来た。せっかく来たので、篤・古川結婚式に向けて合唱の練習をすることにした。久しぶりに会ったが、変わりはなかった。音痴なところも、変わりはなかった。なぜ絶対音感があるのに音痴なのだろうか。この疑問は学生時代から変わらない。練習後の飲み会で、彼が「寝ずに考えた」という、二次会ネタを色々聞いた。

 彼の発想力も変わらないと思った。


 室伏広治がハンマー投げで銀メダルを取った。室伏広治を見ていると、私はミヤチを見ているような気がしてならない。雰囲気がそっくりな気がする。彼が5投目でファールを出した時を思い返して、

「高得点を狙う為には、『賭け』をしなければならなくて…」と言っているのが印象的であった。
 


8月20日   サントリーの天然水
 サントリーの天然水には「南アルプス」(山梨)と「阿蘇」(熊本)の2種類あり、地域によって売っている銘柄が違う。関東で「阿蘇」を手に入れようとしたら、下手な名物よりもはるかに手に入りづらい。

 夏休みに九州・四国旅行をした際、「サントリーの天然水・阿蘇」を手に入れた。それもなぜか徳島県で、やっと手に入った。肝心の阿蘇ではなぜか「南アルプス」が売っており、大分にはサントリーの飲料そのものがなく、愛媛でも「南アルプス」しかなかった。

 飲んでみて、「阿蘇」の方が美味しいと感じた。私は自販機などで水を買うことが多い。下手な清涼飲料よりも、いろいろな水の個性が感じられて楽しいからである。他にも九州でいくつか名水を飲んだが、どれも本州の水よりもまろやかな気がした。

 「阿蘇」を持ち帰ったので、「南アルプス」と飲み比べをする予定である。


「壬生義士伝」を読む
 最近、通勤電車の中では浅田次郎の「壬生義士伝」を読んでいる。夏休みの旅行の際、父がくれたのである。脱藩して新撰組で働いた南部藩士、吉村貫一郎のことを、大正時代まで生き延びた老人が、思い出話として語るという設定で物語が語られる。

 最近私は、毎日男泣きをしながら通勤している。語り口がいかにも涙をそそる。どこまでが作者の創作なのかは知らないが、物語の根底に流れるテーマが一本筋通っているのがいい。今日は、吉村貫一郎が腹を切るところを読み、本当に涙が止まらなくなり、困った。


8月15日   夏の大旅行
 今年の夏休みは、思い立って一人旅に出かけた。移動が多く、慌しい旅行だったが最高に楽しい旅であった。

一日目
 朝一番の新幹線に乗るために、四時半に起きた。朝六時東京発の「のぞみ」に乗って博多へ行った。博多では、イラハが仕事中に来てくれ、おすすめのとんこつラーメンの店に連れて行ってくれた。「ラーメンスタジアム」内にある「大砲」という店で、長い行列が出来ている。

 ようやく店に入ると、異様な匂いがした。かなり臭い。イラハに「まさかラーメンの匂いじゃないよな」と確認したところ、「ラーメンの匂いだ」という答えが返ってきた。ラーメンもやはり臭かったが、食えないほどではなかった。イラハ曰く、

「慣れれば病みつき」

そういうものかと思った。

 その後、佐世保で途中下車した後南下し、大村というところで宿をとった。ここは、私の好きな広島焼き屋のオッサンの故郷であり、「いいところだから是非」と言われていたのである。そこで夕日を見、一泊。

二日目
 朝五時半に起床し、始発で長崎駅に向かった。この日中に別府まで行かねばならないため、ゆっくりはしていられない。グラバー館とオランダ坂に行き、午前中には島原鉄道に乗って熊本を目指した。

 長崎は、坂の町である。そして、家と墓が混在しているのが面白い。先の広島焼き屋のオッサン曰く、「長崎人は先祖を大事にする」とのことである。長崎では先祖も一緒に住んでいる感覚なのであろうか。盆になると墓を囲んで酒盛りをするらしい。「墓地建設反対」ののぼりの立つ東京のニュータウンが、つまらないところに思えた。

 他に博多、長崎を通り常に感じたのが、「美人が多い」ということであった。イラハも同じことを言っていた。私は、そういった土地による傾向は絶対にあると思っている。今まで美人だと感じたのは、博多、長崎の他に、福島の会津であった。その逆もあるが、ここではあえて書かないこととする。

 島原鉄道で島原まで行き、フェリーで熊本に行った。熊本ではフミエおすすめの「黒亭」というラーメン屋でラーメンを食った。店は汚い店構えで、厨房では驚くほど沢山のオバハンやバアサンが所狭しと働いている。チャーシューを切るだけの役のバアサンもいた。

 ラーメンは、美味しかった。大地の恵みという言葉が思い浮かんだ。ラーメンに、熊本の土地やら作っているバアサンのシワを感じる。「食べる感動」だと思った。

 しかし、電車が迫っており、こんなに美味しいラーメンをわずか5分で平らげ、吐きそうになりながら駅まで走って戻るハメになる。

 その後、大分に向かう電車に乗り、阿蘇で途中下車した。当初途中下車する予定はなかったのだが、フミエの実家であり、ダケデから「阿蘇で途中下車せよ」という指令が来た為、急遽予定変更した。先に書いた「黒亭」のラーメンを5分で食べなければならなかったのは、その為である。

 阿蘇では1時間程あったので、温泉に入ることにした。温泉の方に歩いていったら、徒歩20分位かかった。温泉は非常に素晴らしいところであった。非常に素晴らしいところだが、徒歩だけで往復40分かかるため、風呂に入る時間はわずか10分であった。

 その後は特急で別府まで行き、宿を取った。素泊まり三千円という安宿である。部屋に通され、電気を付けると蜘蛛がコソコソ隠れるのが見えた。風呂も、電気を付けるとやはり蜘蛛が隠れるのが見える。表に出ると、至る所から蒸気が吹き上がっている。

 別府の夜は、「千と千尋の神隠し」みたいで怖かった。


三日目
 朝六時起床。別府名物「地獄めぐり」をすることにした。しかし、「地獄めぐり」は朝八時かららしく、どこも閉まっていた。9時45分のフェリーで愛媛に渡るため、時間はない。仕方なく、一番面白そうな、「血の池地獄」と「竜巻地獄」のみを見て、タクシーでフェリー乗り場に向かった。「血の池地獄」は、ただ赤土の上に湯が張ってあるだけであった。「竜巻地獄」は間欠泉であり、地球の不思議を感じた。

 しかし、「地獄」をひとつ見るたびに400円も払わねばならない。もう二度と見なくていいと思った。

 別府からフェリーで愛媛に渡り、そこから徳島に向かった。丁度阿波踊りの期間中である。徳島では、阿波踊りの原型といわれる「津田の盆踊り」を見たかった。津田は港町であり、漁で遭難した先祖の霊を迎える為に踊るといわれる。鳴り物のメインは三味線と笛であり、皆思い思いの格好をして好きなように踊るらしい。阿波好きの私としては、そのルーツをどうしても見たかった。

 しかし、情報があまりに少なかった。いつやっているかも分からない。徳島駅から津田まで必死で歩いていったが、やっている風はなく、地元の人に聞いたが「今日はやってない」とのことであった。徳島には一時間半しかいられないため、そのまま阿波踊りを見ずに明石海峡を渡る高速バスに乗り込んだ。

 夜遅くに父のいる明石の実家に行き、父と飲んだ。熊本で買った「からし蓮根」を食べつつ、父の勧める「もぐら」という秘蔵の芋焼酎を飲んで、寝た。


四日目
 午前中は墓参りに行き、名古屋に向かった。名古屋ではミヤチと落ち合い、ラーメンを食べたあと、彼の寮にいってごろごろした。五時から飲み始め、二次会まで行った後、カラオケに行った。

 かなり疲れており、カラオケではぐったりしていたが、寝ようとするとタカイサンやミヤチに虐待され、歌わされた。かなり手荒い歓迎である。ユミオは驚くほど元気で、明け方まで歌い続けていた。


五日目
   気付くと寝ており、タカイサンの声で起きた。明け方4時である。外は雨が降っており、これまでないほど寒い。とりあえずタカイサンの家に行き、2時間ほど寝た。

 8時頃起き、念願である「モーニング」を体験した。「モーニング」というのは、名古屋の喫茶店で朝コーヒーを注文すると、頼んでもいないのにパンやら卵やらがついてくるという制度である。ミヤチ曰く

「名古屋に初めてスターバックスが出来た時、コーヒーを注文した人が、『なんでコーヒーしか出ないんだ!』と怒った」

らしい。以前名古屋に行った時は、寝坊して出来なかった。

 シロウサンと喫茶店に入り、コーヒーを注文すると、「モーニングはつけますか?」という、他県者には意味不明の質問をされ、「ハイ」と答えるとトーストとゆで卵がついてきた。

 かなり満足して、新幹線に乗り込み、家路についた。疲れたが、最高の旅であった。


8月9日   三浦旅行
 昨日今日と、三浦まで器楽部合宿に顔出しに行った。とは言っても、ほぼ勝手に三浦に遊びに行ったと言っていい。

 まず最初に城ヶ島に行き、飯を食ってから泳ごうとしたら、ハンベイが車の中にカギを閉じ込めてしまった。

 JAFに電話したところ、会員じゃないと1万円かかるという。仕方なく呼んだが、JAFが来るまで悪あがきをしようと、そこらに落ちていた針金の先端をL字形に曲げ、窓ガラスの隙間から突っ込み、中を探り始めた。しかし、一向に開く気配はない。周りの人は車上荒らしを見るような目でこちらを見ている。

 一度、針金が何かに引っ掛かって、窓から抜けなくなった。「JAFが来る前にこれだけは取っておかねば!」と、必死でもがき、何とか外した。

 一時間後、JAFが来てあっという間にカギを開けた。それもしょうもない道具で。こんなに簡単に開くと、車のカギが信用できなくなった。

 その後は、岩場で泳いだ。 泳いでいると、ヤマダイが「ウニが足に刺さって痛い」と言い出した。半信半疑のまま水中眼鏡で海底を見ると、確かにウニはいた。それもたくさんいる。捕ろうとしたが、岩に張り付いているらしく、1匹しか捕ることが出来なかった。不思議なことに、ウニを発見した後、なぜかみんなウニが足に刺さり始め、「痛い痛い」と叫んでいた。ウニがいると分かる前は誰もそんなこと言わなかったのに。捕ったウニは、ヤスがペットのように可愛がり、持ち帰った。

 次の日の朝、二日酔いで朝ごはんを食べている時に、「ウニを食べよう」という話になった。ヤスはまだ寝ている為、絶好のチャンスである。しかし、ウニの殻を割り箸で叩き割ってみたが、食べられそうな部分はなく、しかも腐って嫌な匂いがしていたので、捨てた。

 二日目は、疲れていた。とりあえずまた海に行き、海パンに着替えたものの、海の中でボーっと突っ立っているだけという、なんとも情けない行為だけをして帰ってきた。

 帰り道、海辺の道を走っていると、「海の向こうに見える陸は神奈川県か、それとも千葉県か?」という話で大議論になった。ハンベイとイチカワと私は「千葉県である」と主張し、ヤスとヤマダイは「神奈川県」と主張した。

 議論は白熱し、「負けたら晩飯代をもつ」くらいまで発展した。途中車をとめ、そこらのオッサンに意見を聞いたりもしていた。

 結局、コンビニで地図を確認したことが決定的となり、千葉県であることが判明した。

 その後、晩飯を食った。「イカの活け作り」というのを食べた。イカが生きたまま刺身になって出てきた。身は透明で、これまで食べたことのないような味がした。刺身のあとは、残りの部分が天ぷらになって出てきた。これも含めて2000円とは安いと思った。

 後は、まっすぐ帰ることにした。その車の中では、「失禁」と「脱糞」という言葉のニュアンスの違いについての話題で盛り上がるなどして、ゲラゲラ笑っていた。

 全く楽しい2日間であった。


8月6日   夏休み前日
 明日から9連休の夏休みが始まる。連休中出社しない為に、今週はかなり仕事を追い込んだ。しかし、工場の生産はまだ行われている為、なんとなく連休前のうきうき感に欠ける気がする。むしろトラブらないかの不安の方が大きい。

 今日は、新人による現場実習の報告会があった。内容は、新人が交代勤も含めた現場の仕事を体験し、そこから得た改善提案などを行うものである。

 新人の発想は凄いと思った。ずっと工場にいると、あまりに当たり前すぎて見えないことが多々ある。新人の発表により、そういう改善点がまだまだあることを教えられた気がした。そして、私も会社に入った頃はそういうことを考えていたことも思い出した。


8月3日   無題
 今日は九時半に仕事を終え、家路についた。最寄り駅についた後はコンビニに寄り、ビールとつまみを買って寮までの道のりを歩きながら晩酌していた。

 ビールを飲みつつ夏の夜道を歩くと、なんとなく懐かしい気持ちになった。学生時代はこんなことを日常的にやっていた気がする。そんなことを考えつつ歩いていると、私は若干想いに浸った。

 考えてみると、今の私の生きている時間は、一生に何度もないほど充実した時間なのではないかと思う。確かに仕事はしんどい。私生活もいろいろある。しかし、それらはともに充実している。そして、逆境があっても、それをなんとかするだけの精神力を持ち合わせている。普段は何も思わずに生きているが、実は今の自分はとてつもなく幸せな時間を生きているのではないかと思うのである。

 今テレビでは、古館伊知郎がテレビ朝日のニュースで色々喋っている。色々喋っているが、こんなに主観を主張されてはニュースとして成り立たないと思った。プロレスの中継を聞いているのは面白いが、ニュースとなると彼の主張が耳に痛い。


8月1日   歌の週末
 今週末は歌の多い週末であった。

 土曜日は、笛部の練習をした後、アツシ、フルカワの結婚式に向けて合唱の練習をした。曲目は「おぼこ祝い唄」と「明日に架ける橋」の2曲である。同期が10人程集まった。

 合唱は楽しいと、心から思った。「おぼこ祝い唄」は、私達の代では最も思い入れの深い曲でありながら、発表会で取り上げられなかった曲である。はじめはいまいち音が合わなかったが、30分ほど練習するうちにそこそこ歌えるようになった。

 練習は、主にテノールとベースの音程を揃えることに終始した。「話を聞かない男、地図が読めない女」に書いてあるとおり、男性の方が先天的に音感が鈍いことを痛感した。

 「明日に架ける橋」は、そこそこ良いレベルで歌えた。ピアノ伴奏が付けば問題ないであろう。

 元「デノール」パートリーダーであった「出来るサラリーマン」ダケデは、渋滞に巻き込まれた為、来れなかった。非常に残念である。


 日曜日は「柴田勉強会」(柴勉)を見に行ってきた。「柴勉」とは、民研の女声のヴォイストレーナーである柴田先生の弟子が、ソロの舞台で歌う会である。「柴田コンサート」(柴コン)のように、大々的に客を呼んでやるようなものではないが、日頃の練習の成果を発表する場であることには変わりないようである。

 前日の宮地飲み会の酒が残っており、あまり乗り気はしなかったが、ヤマダイを誘って行った。

 しかし、内容は予想以上に素晴らしかった。「歌う」と言う行為は、大げさに言えば、自分の人生や信条をさらけ出すことなんだと思った。イタリア語の歌詞の意味が分からなくても、そういうものはなんとなく伝わってくる。そしてそれが感動となる。

 私は「柴勉」でアヤカが歌っているのに最もびっくりした。アヤカは民研に入った頃、「私は歌うのは嫌いなので無理矢理歌わせたりしないでください」と、暗い声で言っていたのを覚えている。

 人は変わるもんだと思った。

 「柴勉」が終わった後、いわゆる打ち上げである「お茶会」なるものに誘われたが、逃げるように帰った。学生時代、男だらけの飲み会に女の子が二人くらいしかいないという状況はよくあったが、逆の立場になってみると非常に気まずいものだと思った。

 その後、イワオカの職場である「ラビット」に行った。するとミヤチとダイスケサンも来ており、車の話で盛り上がっていた。車体の重量やら、エンジンの回転数の話を延々としている。男はこういう話が好きである。「話を聞かない男、地図が読めない女」に書いてあるとおりである。

 この本を読んで以来、男女の違いを比較する癖がついてしまった気がする。   

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